がっこう
(AM7:16)
ブラウスに袖を通し、カーディガンを着てから、ブレザーを羽織る。まだまだ寒いのだから、ブレザーのボタンは全部閉めたいところなのだが、それをやって登校すると気の良い友人達から怒られてしまうのである。どうにも理解の外側だけど、おシャレは我慢だそうな。
某しましま村の服飾量販店で一枚三百円のニットを捕まえて、おシャレだなんだと言ってもどうしようもないと思う。可愛いは作れるという話だけれど、それにだって限界があるだろうさ。そもそも学校指定の制服にシャレっ気出したところで、しょせんタカが知れていると思っちゃうのはダメなんだろうか?
玄関のドアを開けたところで、お化粧ばっちりなお姉さんと鉢合わせた。しまった、今日はこの時間にお帰りでしたか。少し疲れた表情のお姉さんから、隠しようのないお酒の臭いが漂ってくる。
まぁ会っちゃったものは仕方がない、作り笑いを浮かべてご挨拶。こういう時は、オハヨウで良いのかな? このヒト的には、これからおやすみなさいなんだろうけど。
さらっと通り抜けたかった私の気も知らず、一週間ぶりに顔を合わせたお姉さんは最近どうよと切り出してくる。しょうがない。まだ時間に余裕もあるし、ちょっとお付き合いいたしましょう。
交わしているのはなんちゃない世間話だけど、言葉の端々から、少しだけ変わった生活をしている私に対して、お姉さんなりに気遣ってくれている様子が感じられる。どうやら私はちょっとぽやっとしているらしく、見ててほっとけないんだそうだ。ありがたいやら、くすぐったいやら。
こうしている分には良い人なんだろうなってコトはわかるのだけれど、いつも話の最後になると、男を手玉に取る方法だとかの話題になっちゃうのは如何なモノだろう。そもそも、そんなテクを聞いたところでどうしろと。こちとら生まれてこの方、浮いた話の一つもないのですよ?
(AM7:56)
思わぬご近所づきあいのおかげで、学校への到着が遅くなってしまった。人の少なくなった学校の裏門を抜けて、駐輪場に自転車を留める。
マンガなんかを見ていると、こういう遅刻ギリギリの時なんかに、後何分で遅刻だぞ~なんて大声を上げる先生が門のところに立っているけれど、あぁいうのってホントに実在するのかな? 少なくとも私は見たこと無いぞ。
道中見つけた友人達と、軽やかに挨拶を交わしながら教室へと入る。この学年になってから、登らなきゃならない階段の数が減ったのが地味に嬉しい。理由はわからないけれど、高学年になるほど下の階に持っていかれるシステムなのだ。
確かに階段の上り下りが軽減されるのは有り難いけれど、より地面に近い方が、夏場は暑くてやってらんないような気もする。受験シーズンの冬だって、低いとこの方が寒さって厳しいんじゃなかったっけ? まぁ、今はどこの教室にもエアコンついてるから、あんまし関係ないのかもしれないけどね。
(AM9:12)
学校の授業は嫌いじゃない。別に勉強大好きって程ではないけれど、色んなコトを教えてもらってるんだと思うと、それだけでちょっと嬉しくなってしまうのだ。とはいえテストの成績に直結するほどの感情ではないので、やっぱり嫌いじゃないですよ程度の好きなんだと思う。
生前の兄から聞いた話だけれど、勉強ってのは、本気でやり始めてからしばらくたって、ようやく面白さがわかってくるものなんだそうだ。成績的に雲の上のお方たちは、おそらくその領域にいらっしゃるのだろう。あやかりたいものでございます。
だがしかし、兄曰く、ひとたび受験だなんだってコトを視野に入れて勉強に取り組み始めると、面白かったはずの勉強をどうしてこんなにも面白くなくやらにゃならんのかという気持ちになってしまい、結論として勉強自体がつまらなくなってしまうらしい。なんとも不可思議なモノである。
なんにせよ今の私は、黙って座っているだけで色んなお話を聞かせてくれる場としてしか、学校というものを捉えてはいないので、真面目に学問に取り組んでらっしゃる人たちの領域に混ぜていただくことは無いんだろうなぁ。
(AM10:18)
授業と授業の間には、十分程度の時間が設けられている。この時間のことを先生によっては「休み時間」と言ったり「準備時間」と言ったりしている。不思議に思って生徒手帳を紐解いてみると、そこにはばっちし「準備時間」と記載してあった。
ちゃんと憶えてるワケじゃないからアレだけど、一昨年まで通っていた中学や、もっと以前の小学校では、やっぱり休み時間だったように思う。いつの間にか私たちは、休む間もなく学習することを強いられていたのだろうか。まぁ、意味合い的にはどっちもおんなじなんだろうけどね。
だけど、あくまでも今が「準備時間」であるならば、手前の席の男子生徒のように、本日発売の週刊マンガを読みふけっているのはよからぬ行いと言える。逆に「休み時間」であったらば、今現在の私がそうしているように、女子生徒で一つの机に集まって、次の授業で当てられるであろう宿題の確認をしているのも、それはそれでそぐわぬ行為ということになってしまう。
自分の中で、ちゃんとだらけてないとダメじゃないか、休み時間なんだから! と、謎のツッコミをしてみる。なんだか妙に語感が良く、思わず噴出しそうになってしまい、一緒に答え合わせをしていた友人に妙な目で見られてしまった。
(PM0:35)
昼食はいつも食堂で済ませている。値段的にはお安いけれど、特別美味しいわけでもない学生食堂は、それでもお昼時には空席を探すのが億劫なほど込み合っている。私がいつもお昼ごはんを一緒にとっているのは四人組のグループなので、全員が一緒に座れるスペースを探すのはちょっとした手間である。
けれどもここで「ここ三人分しか空いてないから、私はあっちで食べるね」なぁんて空気の読めない発言をしてしまうのは、女子社会の中ではありえない行動ですのよ? 学校の外であれば、焼肉屋だろうがラーメン屋だろうが、いくらでも孤独にグルメっちゃってるけれども、少なくとも学生の社交場であるこの場所で、誰にも邪魔されず自由に振舞うわけには行かないのだ。んなことした日には、逆に救われない状況に陥ってしまう。
人によっては、こういう微妙な空気の読み合いのようなやりとりが苦手だったりもするんだろうけど、幸いと言うかなんと言うか、私は結構嫌いじゃない。伊達にず~っと女の子やってたわけじゃないのである。なれると案外楽しいものだよ?
学校と言う社会は不思議なもので、たかだか一年や二年早く生まれた存在を必要以上に敬ったり、逆に同年代であるはずの年下に、妙に上から当たる必要があったりする。
そういう感覚に何時までたっても慣れないものを感じてしまうのは、小さい頃から、様々な年齢の大人に混ざって行動しなければならなかったからかもしれない。いや、それ以前に、生まれてこの方、運動部という縦社会の雛形に混ざった経験が無いのが原因かも。イメージでしかないけれど、あの手の集団って異様なまでに先輩後輩がしっかりしている気がするもんね。
とはいえ、空気の読める若者を自称する以上、私だってそういう流れに逆らって生きていくわけにはいかないのだ。だからこそ、食堂で一番日当たりの良い窓際の席が空いていたとしても、別のスペースを探さなければいけない。
誰が決めたルールなのかは知らないけれど、あそこは三年生の使う場所。たとえトレーに乗っけたおうどんが伸びてしまったとしても、二年生である私たちがあそこに座っちゃってはダメなのだ。
こういうのって、たぶん私たちがもっと年を取って、学生生活を思い出すようなことがあった時には、きっと、なんとも意味のわからないルールに従ってたものだなって笑っちゃえるようなことなんだと思う。だけど現在進行形で高校生をしている私たちには、法律よりも身近で大事な決まりごとなのだ。
(―:―)
人の中で暮らしていると、ときどき思う。そうしなきゃならない決まりごとみたいなものは、普通に生きていたらあちらこちらにある。でもそれって実は全然意味の無いモノばっかりで、なんとなくでも守らなきゃって思っている人たちがいるから、かえって暗黙のルールとして成り立っちゃってるんじゃなかろうか。
ルールがあって、守る人が居るんじゃなく。守る人たちがいるからルールになってしまう。みんなでみんなを縛りあっている。そんなものなのかもしれないよね。
そこに馴染めないままに生きちゃうと、もしかしたらだけど、人の中で生きることが息苦しくなるのかもしれない。だからこそ、暗黙のルールが生まれやすい学校って施設が存在するのかも。
私たちが学校に通って身につけることを、本当の意味で求められているのは、そういう空気を読み取ることとか、疑問を抱かなくなるくらいルールそのものに慣れることじゃないだろうか。
学校という教育の場所は、いずれ生きることになる不可解な決まりごとの世界を、早いうちから経験させるための巨大な実験施設。私たちはそこで育つ、何も知らないモルモット。
……なんつって。すくなくとも、うどん食べながら考えることじゃあないでしょう。
(PM2:52)
面白かったり退屈だったりする授業が終わると、私はすぐに席を立つ。同じく帰宅部に所属している友人達からの素敵に気ままな寄り道のお誘いを、申し訳ないけれどお断りして教室を後にした。
教室を出れば他人です~みたいな乾燥過多の友人付き合いをしている訳じゃないし、学校帰りに駅前のドーナツ屋さんあたりに立ち寄るのも、おかわり自由の珈琲で気分悪くなるくらい長時間お喋りするのも大好物だ。
でも、今日はちょっと色々あるのです。すまんな、友人達よ。