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あさ

四話構成。

全話、本日(6/25)日中に連続投稿いたします。

まとめて一気に読みたい方は、21時過ぎまでお待ちください。

 十七年しか生きていない私が言うのもなんだけど、幸せというのは、どこまでいっても保守的なものだと思う。


 良い家に住んで、美味しいご飯を食べて。欲しい物を手に入れて、気の置けない人たちと楽しく過ごして。誰かに愛されて、誰かを愛して。少しのつまづきに嘆いて、多くの喜びを謳歌して。親を看取って、子どもを育てて……そして、満足して死ぬ。


 つまりはそういうことの積み重ねなんだろう。



 それは私が生まれるずっとずっと前から幸せとされてきたもので、そしてきっと、これからも幸せとしてあり続けるものなのだ。時代や人がどれだけ変わったとしても、幸せのテンプレートは変わらない。たまに微調整が行われはするだろうけど、それでも大本を流れる価値観はおんなじなのだ。


 そりゃ実際に聞いてみれば、人それぞれ幸せのカタチはあるとは思う。でもそれも結局、その人ごとにマイナーチェンジされてるだけのお話で、根っこを見れば同じ形をしてるんだろう。

 皆が認める良いことは、誰もが良いと思うことから外れない。誰も彼もが幸せの基本から逃れてはいかない、規定路線の中央道。


 結局のところ、そこにあり続けることが、幸せってものなんだ。



 だから私は、きっとたぶん、どうやったって幸せじゃあない。




(AM3:30)


 私の朝は、日が昇るよりもずっと前に始まる。


 寝間着代わりのジャージのまま、狭い洗面台で顔を洗う。何度磨いてもすぐ曇る目の前の鏡には、いつもどおりの顔が映っている。私だってそれなりの顔はしているはずだから、もっとちゃんとアレコレすれば、そこそこと言ってもらえるくらいには化けられるかもしれないけど、相変わらずに曇った鏡の向こうの私は、やっぱりいつものボヤっとした私でしかなかった。



 両隣にお住まいの職業不詳さんたちは、この時間はたいてい夢の中。出来るだけ顔を合わせたくないお相手なので、ちょこっと開けたドアから顔を覗かせて、意図せぬ遭遇を避けている。何故だかたまに、丁度この時間にお帰りだったりすることもあるので、壁の向こうが静かだとしても油断は出来ないのだ。過去に何度か、お酒の匂いを振りまきながら挨拶されたことがあるしね。


 別に酔っ払いが苦手ではないのだが、あの、妙に陽気なテンションにお付き合いするのは、お給料の発生しない場所ではご遠慮こうむりたいのだよ。



 身を切るというほどではないにせよ、吐く息を白く染める程度には寒さの厳しい早朝の街中を、「夕暮れ探検号」と名づけた愛車と共に走っていく。ペダルを踏み込むごとにジージー音を立てる相棒には、そろそろ油の一つも刺してやるべきだろうか。


 でも、こういうのって素人がやっちゃって良いのかな? ネットを探せば整備のやり方くらい見つかるだろうけど、なんとなく気が引けてしまうのですよ。



 十分も自転車を走らせれば、バイト先の看板が見えてくる。いつもの場所に自転車を止めて、半開きのシャッターを潜る。年中しかめっ面のオジサンと、いつも元気なおばさんたちに挨拶をして、プラスチックの籠に入れられた瓶詰めの牛乳たちを運んでいく。今日も美味しそうで何よりです。


 別に私専用と決まってる訳じゃないのだけど、なんとなく使い続けている一番すみっこの原付バイクをお店の前まで押して、壁にかけられたヘルメットを被る。メーター良し、ガソリン良し、寒くてもちゃんとエンジンかかる。今日の配達先はいつもの通り、お休みのお家も特になし。


 最後にもう一度、荷台に積んだ牛乳の数を確認して、「いってきまーす」一声かけてから出発した。




(―:―)


 私がこのバイトを始めたのは、高校に入って最初の夏休みを迎えるちょっと前だった。うちの学校は、七月の始めには定期テストを終わらせてしまう為、長期休暇が始まるまでの間がしばらく空く。


 だからクラスメイト達の間で、夏に向けたアルバイトの話題が出たのも自然なお話で、私も空いている時間をお金に換えることが出来るならと、彼女達の持ち寄る求人情報誌に目を走らせていた。



 女子の集団特有のきゃいきゃいとした空気の中、常夏の海でのリゾートバイトとか、ファミレスやファストフード店にチェックが入っていくその時。私の目に留まったのは、早朝の牛乳配達員募集の記事だった。


 そもそも彼女達と私では、お金を稼ぐ動機も違えば期間も違う。長期休みの間だけ、社会見学をお題目に行う小遣い稼ぎではなく、学校と家事の邪魔にならない範囲で、コンスタントに晩ご飯のおかずを一品増やす為の金銭取得を目指すのだから、こういうお仕事の方に目が行ったのも当然だ。幸い私は、早寝早起きを自然と行う暮らしをしているのだから、早朝の配達という条件にも抵抗はないのである。



 募集要項にある「要、原付免許」という条件が引っかかったが、生徒手帳を開いてみても、バイク通学を禁じる文面はあっても、免許の取得を禁じる項目は見つからなかった。


 運動神経がことごとく断絶していると噂される私が、機械仕掛けのオートバイなどという恐ろしげな乗り物を乗りこなせるものか不安ではあったが、ちょっと調べた限りでは、自転車とさほど変わらないという事だ。自転車なら毎日乗ってるし、きっと大丈夫でしょう。


 免許証の取得も、常識程度の知識さえあれば何とかなるらしい。試験のための出費は少し痛いけれど、先行投資と思えば大したことはない。減価償却的に考えても、数ヶ月で解消できるしね。



 その日の内に担任の先生に確認を取り、何枚かの書類を書いて、学校側の許可を得ることは出来た。そのままの勢いで免許を取りに行きたかったのだけれど、生憎試験は平日しかやっていないとのコト。一日くらい学校を休んでも勉強に支障は出ないけど、先生に許可を貰った手前、サボって受験しに行くのは気が引けてしまう。


 そんなこんなで私は、夏休みに入ってからすぐに免許を取り、牛乳配達のアルバイトという職を手に入れることが出来たのでありました。




(AM5:12)


 始めの頃はおっかなびっくりだった重い荷台を支えながらバイクを止める手順も、半年以上過ぎた今では慣れたものだ。夜露にぬれた地面の白線の部分だと、バイクのスタンドがてろっと滑っちゃう危険があるので、朝日に照らされるにはまだ少しだけ余裕のある、少し黒ずんだ、堅いアスファルトの上でスタンドを起こす。



 割と古いタイプの木で出来た牛乳箱の中に商品を入れ、代わりに入っていた空き瓶を回収してバイクのところに戻ると、たまに見かける新聞配達のお兄さんとすれ違った。軽く頭を下げてから、バイクのスタンドを上げる。あちらサマも特に気にした様子もなく、ぱぱぱっと郵便受けに新聞を突っ込んでは、すぐ隣のお家に向かっていく。


 個人的に、早朝勤労青年のよしみで仲間意識を持っていたりもするけれど、会釈以上の挨拶を交わすような間柄でもないからねぇ。ま、こんなもんでしょ。



 その後も滞りなく配達を終え事務所に帰還した。バイクのメーターやらの数字を台帳に書き込んだら、今日のお仕事は終了だ。相変わらず仏頂面のオジサンに報告すると、事務所のすみっこをアゴで示される。この職場ではお仕事が終了すると、ちっちゃなパンと牛乳を頂戴できるのだ。しかも、お給料とは別換算でいただけるという厚遇っぷりである。


 初めてもらった時には、給料まさかの現物支給だったかとおののいてしまったのだが、雇用契約書をひっくり返して見てもそんな一文は無かったし、翌月の振込みでは計算どおりの金額が加算されていたので、思わず胸をなでおろしたのも今では良い思い出と言えよう。決して私が、最初の説明を聞き忘れていたとかじゃない。ないったらない。



 頂いたパンと牛乳を自転車のカゴにつめて、まだまだ早朝と言ってもかまわない街中を走る。少し前までは、配達や運送のお仕事中の人たちしか居なかったはずなのに、今ではもういろんな人たちが活動を始めている。


 この数ヶ月ですっかり顔なじみになってしまった、名前は知らない掃除おばあちゃんに朝の挨拶をしながら自転車をこいでいると、どこかの早起きの子どもの、母親に朝食をねだる声が聞こえてきた。


 私はなんだか、とってもくすぐったい気持ちになってしまい、少しだけ口元が緩んだ。




(AM6:41)


 できるだけ物音を立てないように自転車を止めて、自宅へと戻ってきた。手洗いうがいをちゃちゃっと済ませて、喉元まできっちり閉じていたジャンバーを脱ぎ捨てる。まだまだ手放せない厚手の防寒具だけど、もうしばらくしたら別の上着を用意しなきゃだろう。そういえば去年の暑い時期は、どんな服装でお仕事してたんだっけ?


 ちょっとだけ考えても思い出せなかった私は、特に理由のないため息を一つだけついて、リビングの椅子に腰掛ける。少し耳を澄ましてみても、お隣さんの生活音は聞こえてこない。寝てるのかな? もしかすると、単にまだ帰ってきていないだけなのかもしれないけれど。



 朝食のパンと牛乳の封を開ける。最初に一口だけ牛乳を飲んで、それからパンに口をつけるのが私のこだわりだ。労働内容よりも、むしろ行き帰りの自転車の疲労が体を蝕む昨今、この一口目の牛乳がもたらすリフレッシュ効果は侮れない。逆にすぐパンを口に入れてしまうと、うがいだけでは微妙に渇いたままの口の中で、ここぞと言わんばかりに水気を持っていかれてしまうのだ。せっかくの美味しい朝ごはんを、そんな惨事に変えてしまうのはゴメンである。



 全国の牛さんに感謝をささげつつパンにかじりつく。どうやら今日はアンパンのよう。と言ってもあそこで支給されるのは、アンパンとジャムパンが日替わりで出てくるだけなので、二日にいっぺんはお会いするパンなのだ。


 しかしまぁ、たまには趣向を変えて、クリームパンなどが出てきたとしてもこちらは一向に構わない。いやそれどころか、伝説のカレーパンさまがお目見えするような事態が起こったとしても、当方、最大限の敬意を払いつつお出迎えする心構えは出来ております。そこのところどうですか? と、職場方向に念を送りつつ、いつもの朝食は終わった。

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