第1章 スポンサー登場
1
崋山良輔は病院の隣にあるフラワーショップで5000円の花束を買った。
両手に抱えきれないくらい大きな花束だった。
お見舞いにしては大げさすぎるかなと思ったが、店員がこれぐらいの値段がふつうですよと言ったので、それに従った。
受付の看護婦に聞いて、3階までエレベーターで上がった。
大きな病室にノックして入ると、部屋は8人部屋で、見舞いの相手はベッドは一番奥にあった。
「あら、社長さん、わざわざすみません」
ベッドの向こう側から、神屋の妻がすぐに気がついて立ち上がった。
背中を向けていた若い女もこちらを振り向いて挨拶した。一人娘の香美柚だ。
ベッドの主である神屋慎一郎は折りたたみ用のベットの上半分を少し高くして、横向きに寝ていた。無精ひげが生えている。
「もう社長じゃないですよ。」
といって妻に花束を渡した。そのままではやはり置き場所に困るかもしれない。香美柚が妻から受け取って、部屋から出て行った。水に漬けにいったのだろう。
「神屋さん、どうですか」
「いや、もうだいぶんよくなった。明日には退院する予定で」
「大丈夫ですか」
妻の方を見た。
「ええ。先生もそうおっしゃってくれて。しばらくは家で静かにしていなくちゃいけないんですけど」
「じゃあ、まにあったわけですか。」
「お見舞いにいらしたのが?」
「そう。」
「社長、そんなに気を遣ってくれんでもいいですよ。たいしたケガでもないのに」
神屋が口をはさんだ。
「まあ、年寄りの冷や水とはこのことだから、実物を一度おがんどかないといけないと思ってね」
華山は笑った。神屋もそれにつられそうになったが、口元をゆがめただけだった。腰に響くのをおそれたのだろう。
「で、試合はどうでした。なんとかなりそうですか」
「いや、申し訳ないですが、前半しか見れなかったんです。ハーフタイムに運ばれたもので。」神屋の口調がちょっと改まり、仕事の打ち合わせをしているときのような調子になった。「それで、昨日、梅ヶ谷に来てもらい、評価を聞かせてもらったんです」
「梅ヶ谷というと、あの…」
「そうです。うちのコーチ格です。彼だけは別格。」
神屋の妻がそっと席をはずした。崋山は会釈してその後を見送った。
「なんて言ってました」
「使えるのは、うちのチームで2人。高倉と進藤。高倉はサイドバック。進藤はディフェンスの選手。それとオレと梅ヶ谷を含めて4人。相手のところからは2人。2人ともディフェンスです」
「なんだ。ディフェンスばっかりじゃないですか」
「そうです。これで6人」
「全然足りないですね」
「そう。全然足りない」
崋山は腕組みをした。「やっぱり厳しいですか」
「まあ、あと2人、可能性があるかもしれないとは言ってましたが」
「誰です」崋山は窓の外に目をやりながら訊ねた。三階の窓からは、緑が燦めきはじめた春の木々が見える。
「一人はケガでサッカーを中断していた選手。まだ若い。たしか今年20かな」
「ポジションは?」
「サイドバックで使ってみたらしい」
「またディフェンダーか」
「もう一人もサイドバックで出てたんですが、こっちはフォワードかミッドフィルダーで使ってみた方がいいと言ってましたね」
「やっと前の選手か」
「これは若い。中3です」
「おお」
「見事なミドルシュートを決めたようです」
「それはそれは」
「キーパーが一歩も動けず」
「なんと」
「しかし女です」
「えええ」
「残念ですな」
「神屋さん、私をからかってませんか」
「いや、そんなことはないです」神屋は真面目な顔で言った。
2
「じゃあ、あとはやっぱり募集だな」崋山はいった。「新聞で選手募集をやろう」
「新聞というと、宮崎日々新聞ですか」
「それぐらいでいいでしょう」
「そいつはすごいな」
「締め切りはいつごろにしますかね」
「締め切りというと?」
「締め切りというか、選考会みたいなものがいるんじゃないかな」
「ああ、セレクションが必要でしょうね。そうだな、今月中には選手をある程度固めておかなきゃならんから、31日でどうでしょうか。たしか日曜日だったはずです。その日にセレクションをやって、その場で決めてしまえばいい」
「31日とすると、10日後か。神屋さん、腰は大丈夫ですか」
「なんとかなるでしょう。万一のときは、代理を頼めばいいし」
梅ヶ谷のことを言っているのだろうと崋山は思いながら、続けて「場所はどこで」
「扇山運動公園が便利でいいでしょうが、まあ、それはどこでも」
「場所を借りる手配がいりますね」
「それはこっちで誰かに頼んでやっときましょう」
「時間は何時からにしますか」
「13時ぐらいがいいですな」
そこまで決まれば、明日、神屋のサッカークラブの誰かから会場確保の電話をもらって、あさってには広告を出せる。
広告とセレクションの間の期間が短いのが心配だが、神屋の方でも知り合いのチームのコーチたちに連絡をとってPRしておくことになった。
神屋が言った。
「チーム登録は先にすましておく必要があるんで、うちのクラブと、伊藤町のクラブ、この前の試合の相手なんだけど、合同チームを結成するということで、県のサッカー協会には届出を出しときました。」
「なるほど。むこうにはまだ挨拶してなかったですね」
「どっちみち一緒になる予定だったんで、それはまだいいんじゃないですか。クラブの選手はとりあえず全員、新しいチームに入ることになるんで、万が一、セレクションの人数が少なくても、合わせれば20人はいるので、まあ、格好はつくでしょう」
崋山がうなずくのを見て、神屋が続けた。
「それと、チーム名はヴァロール都城で登録しときました」
ヴァロールはスペイン語で勇気という意味である。これは崋山が神屋と話し合って、前から決めておいた名前である。
崋山がいった。
「そうすると、そろそろユニフォームがいりますね」
「そうですな」
「発注しときましょう」
「お願いします」
「セレクションのときには、いまのクラブの選手に渡せるようにしときましょう」
「それはいいですな」
「それからもうひとつ」と崋山は言いかけて、神屋の妻が病室の入り口から顔をのぞかせ、またひっこめたのに気がついた。
そろそろ暇乞いの時間だ。なんといっても見舞いにきているわけで、あまり負担をかけてはいけない。
「ホームページを立ち上げようと思うんだけど、だれか手伝ってくれる人はいないかな」
「ホームページ」神屋が繰り返した。「手伝いというと?」
「業者に作らせるけど、中身を考えてくれる人間が要る。ある程度サッカーに詳しい方がいいけど、そうでなくてもいいかもしれない。とりあえずは、ときどき更新してくれれば。アルバイトでもいいと思うけど」
「そうですなあ」といって、神屋はふと思いついたように「うちの香美柚はどうかな。パソコンでもきるし」
「ああ、香美ちゃんか。それは助かるな。」
神屋の一人娘である香美柚のことは、彼女が小学生のときから知っていた。崋山の娘とほぼ同じ年頃のはずである。
たしか昨年、東京の大学を卒業し、地元の会社に戻って事務員をやっているはずだ。昔から目鼻立ちがくっきりした女の子で、大人しくしていても人中で目立つタイプだった。さきほど久しぶりにみかけて、美貌がさらに輝きをましていることに気づいた。
「どこにいったんだろう。もどってきませんね」
ああいう美人は眺めているだけで目の保養になるのにと、崋山はまったく関係ないことを思った。
「どこかで油を売ってるんでしょう。あとで話しておきますよ」
「そうですか、それは残念だ」
そろそろおいとましますといいかけて、崋山はもう一つ言い残したことに気づいた。
「例の福岡の3人だけど」
「おう、どうなってます」
「セレクションには来れないかもしれない。こっちに来る前に、仕事を決めとかないといけないらしい」
「あらら。それはまずいですな」
「まあ、無理もない。本人たちも、仕事がないのに、サッカーだけで宮崎に来るわけにもいかないだろうから」
「でしょうな」
「それで、場合によっては、僕がこっちで会社をつくるかもしれない」
「社長がですか」
「ええ、そこで雇ってしまおうかと。そこで仕事をしてもらって、サッカーもできるようにしようかなと。あとの選手も、希望があれば雇えるようにする」
「そこまでやりますか」
「まあ、それが一番てっとりばやいのかもしれないな」
「たしかに、そうすれば、いちばんいいんでしょうが。どんな会社をつくるんですか」
「たぶん、前の会社とおんなじだろうけど。ただ、時間がかかりそうだから、3人の件はしばらくペンディングだな」
「かれらがいないとなると、県予選はかなり厳しいですよ」
「わかっている。なんとかするよ」
妻の総子が戻ってきた。
彼女と二言三言世間話を交わし、崋山は病室を出た。
香美柚は結局すがたをみせなかった。