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プロローグ

かれらは、集い、戦い、また去っていく。

(古代ギリシャ叙事詩断片より)






竹宮健二は高校卒業後、福岡市内にある板金会社に就職したが、1年でもどってきた。

給料があまりに安すぎたこともあったが、原因はそればかりではなかった。職場の上司があまりに嫌な奴だったせいである。


新人の健二の目から見ても、その男は板金工として必要な技術がなかった。かわりに口先ばかり発達していて、同族会社の2代目社長におべんちゃらばかり使っていた。


こういう男の常として、目下の者への扱いがひどく、健二はある朝とうとうアタマに来て、正面切って食ってかかり、「それならキミ、明日から来なくていいよ」と言われたので、「じゃあ、辞めます!」といって、そのまま会社から帰ってしまった。それ以来、会社には顔を出していない。


その上司と2代目社長は、2度、健二のアパートを訪ねてきて、戻るように説得したが、彼は頑として聞き入れなかった。

彼はその月のうちにアパートを引き払い、故郷の宮崎に帰った。給与の残りと、わずかばかりの退職金(2万円だった)は、その翌月に銀行に振り込まれてきた。





かれの実家は都城市にある。父親は市役所に務めており、看護師をしている母親と、高校1年になる弟がいる。


小学校のときからサッカーばかりやっていた健二は、昔から、あまりデキの良い長男とはいえなかった。成績は悪かったし、素行についても優良とは言えなかった。


高校2年のときの大ケガさえなければ、ひょっとしたらサッカー特待生として有名大学に進めたかも知れない。母親はときどきそういう悔やみ言を控えめに言っていた。しかし、それは親のひいき目にすぎないかもしれない。無事にいったとしても、結局たいした選手にはなれなかったかもしれない。


健二自身は、いまさらどうこう思っていなかった。大学生が、高校時代の成績をいっさい思い出さないのと同様、2年以上も前のサッカークラブでの活動を思い出すこともなかった。


家に帰ってきた健二を、両親も弟も、暖かく歓迎してくれたのは意外だったが、居心地は悪かった。

正月に帰郷したおり、自分がどれだけ社長から期待されているか、板金の仕事がどれだけハードであるかを吹聴する一方で、父親や母親の曖昧な仕事意識を批判したばかりだったので、カッコ悪くてしかたがなかった。


健二は、3日目には働きはじめた。市内のラーメン屋でのアルバイトである。

両親も弟も、これにはあまりいい顔をしなかった。もっとましな仕事があるだろうというのである。

弟は、その店が学校の帰り道にあるので、兄が働いているのがバレると恥ずかしいと言った。

かれにはその感覚がどうも良く分からないのでほうっておいた。


梅ヶ谷一郎と知り合ったのは、その店でのことだった。





梅ヶ谷一郎は健二より二歳年上。

半年ほど前からその店で働いていた。

バイトの先輩として、店の中ではいちばん話をしやすかった。


あるとき、店のテレビでサッカーをやっていて、普段は関心を示さない梅ヶ谷が、チラチラとそちらを見ているのに気がついた。

昼間の客がしばしとぎれた間、梅ヶ谷はさっそく流し場を離れ、天井近くに備え付けられた古いテレビを仰ぎ見ていた。


「サッカーが好きなんですか」

健二もその後ろからテレビを眺めながら尋ねた。

「ああ」

梅ヶ谷は視線を離さずに答えた。

「これはどことどこがやっているんですか」

健二はサッカーを断念したときに、それまでマニアックに集めていた雑誌や録画を全部捨てていた。それ以来サッカーに関する記事も番組は見ていないので、画面に映っているチームの名前がわかなかった。そうやらJリーグの試合らしかったが。


「ザスパとアビスパ」

「アビスパ福岡ですか。ザスパというのはどこですか?」

「草津。ザスパ草津…あちゃ、惜しいな」

「その前にオフサイド」

梅ヶ谷は振り向きかけたが、すぐ視線をもどした。

「オフサイド? いまのが?」

「遠いサイドの選手が残ってませんでした?線審の旗は遅かったけど」

「う〜ん」

「ザスパを応援しているんですか」

「いや。アビスパの方かな。九州だから。」

「ザスパって知らないな。昔はなかったけど」

ザスパ草津が珍しいと言うより、サッカーそのものが珍しかった。

「ザスパはけっこう前からあったよ。J2に来てもう4年間になるし」

「ああ、J2ですか」

J2には昔から関心がなかったので、わからないのも当然だった。福岡に住んでいたので、さすがにアビスパ福岡の名前は知っていたが。


「オマエラええ加減にせい! なにサポッとるんだ!」

店長の怒声で、二人はあわてて流しに戻った。

二人でどんぶりを洗いながら、梅ヶ谷は、

「健二君は、サッカーに興味はないんね」

「いや、まあ。そういうわけではないけど」

「やっぱ、野球ファン?」

「いや、野球は見ないです」

「そう。あんまり運動とかせんとやろね」

「まあ、そうですね」

「高校で部活しとった?」

「はあ、まあ一応。」

「何部?」

サッカーとは、なぜか言いづらかった。

「まあ、あれですね、いろいろ。あんまり続かなかったし」





梅ヶ谷は急に話題を変えた。

「来週の土曜日は予定ある?」

もちろん何の予定もなかった。

「なにかあるんですか?」

「俺が入っているサッカーチームの試合があるんだけど、見にこんかね。」


社会人のチーム同士の試合らしい。

健二を誘ったのは、もちろんその試合に参加してくれということではなくて、その後の懇親会に若い娘たちがくるので、それに合流しないかというものだった。


「いやあ、オレはいいですよ。合コンみたいなのは苦手なんで」

「まあそう言わんと。ヒマじゃろうが」

「それよりも、梅ヶ谷さんは試合には出るんですか」

「まあな」


梅ヶ谷はそのチームでミッドフィルダーをやっていると言った。


「それはちょっと見てみたいですね」

「なら来いよ」

「まあ、どうなるかわかりませんけど」

「場所は扇山運動公園な。時間は14時から。ま、試合はどうでもいいけど、飲み会は18時から。」

「はあ。考えときます。場所は?」

「場所? ああ、飲み会の方ね。次郎平という居酒屋じゃ。」


梅ヶ谷は居酒屋の場所を説明してくれた。市内のどこらあたりかだいたい見当がついた。

場所が分からなかったら電話してくれと、携帯の番号を教えてくれた。


酒が飲める方ではなかったので、気乗りはしなかったが、その時になったら、行ってみようという気になっているかもしれないなと思った。

ついでにサッカー観戦というのもいいかもしれない。ポカポカ陽気の中で、散歩がてらに運動公園でのんびり過ごすというのは悪くない考えだ。

その風景の中に女性がいないのが大きな欠陥だが、今度の飲み会で探してみのもいいかもしれない。


何歳ぐらいの女の子がくるのか聞いてみた。

女性は全員で20人ぐらいで、10代も2、3人いるという。

10代と20代をあわせると半分ぐらいそ占め、かなり可愛い子も多いらしい。


健二はひさびさに楽しい気分になってきた。


テレビからふいに大きな声が流れた。梅ヶ谷がさっとテレビのところに行き、すぐ戻ってきた。

チッと舌打ちしたので、どうしたのか聞いてみた。

「馬鹿。オウンゴールやて。」

「どっちがです?」

「アビスパ。佐藤。」

「ザスパの勝ちですか?」

「いや、2-2だけど、後半の43分に追いつかれよった。アビスパは今日2個目のオウンゴールや。」


ああ、それは大変だ。

だけど、J2の底辺の試合では、そんなことも起こりうるんだろう。

そういうチームを応援するサポーターは、自分たちが好きでやっているとはいえ、ほんとうに災難だ。





3月の扇山運動公園は、思ったよりも寒かった。

風はなかったが、雲が厚く、陽が射さなかった。


扇山運動公園では、健二もむかし試合をしたことがある。

引き分けだったような気がするが、よく覚えていない。


グラウンドでは選手たちが準備運動をしていた。

両方のチームともユニフォームがばらばらなので、梅ヶ谷のいるチームがどっちか分からなかったが、しばらく見ていると、選手たちにいろいろ指示しているのが彼だと分かった。

バイト先で見るよりもずんぐりして見える。太っているからではなく、胸板の厚さと発達した太腿のせいだった。


観客はほとんどいなかった。まもなく試合が始まった。

ハーフウェイラインあたりの芝生席に腰を下ろし、ポケットに入れてきた缶コーヒーのホットを飲みながら観戦することにした。


選手たちは、着ている服同様、年齢もばらばらだった。細いけれども柔軟で軽快な身のこなしの選手はたぶん高校生だろう。腹の出て足取りのおぼつかない選手は、かなり年がいっているようだ。どちらのチームも同じようなものだった。


両チームがどたばたと入り乱れる中で、梅ヶ谷の動きだけは異彩をはなっていた。ボールが彼に渡ったときだけ、ぴたりと静止し、そこから意図と目的を持ったパスが前線に送り出された。彼のところだけ秩序があった。受け手の選手たちはがラップミスやシュートミスを繰り返すおかげて、得点までは至らなかったが。そういうことはまるで意に介していなかのように、梅ヶ谷は繰り返し繰り返しパスを送り続けた。


もう一人目だっていたのは、梅ヶ谷のチームのゴールキーパーだった。敵が攻め込んでくる機会が少なかったので出番はほとんどなかったが、ゴールキックの精確さに目をみはらせるものがあった。狙い澄ましたボールがセンターサークル付近の梅ヶ谷に送られると、さして背が高くはない梅ヶ谷がことごとくヘッドに競り勝ち、マイボールにしていた。


両チームを含め、サッカーらしいサッカーをやっているのは梅ヶ谷とゴールキーパーの2人だけといってよかった。あとの選手は、ボールをむやみに追いかけ蹴って転がしているだけだ。





0−0のままハーフタイムに入った。

健二は梅ヶ谷たちが休んでいるところに下りていった。彼に気がついたらしく、ハーフタイム前に手を振ってきたからである。


選手たちはベンチに座って、飲み物を飲んでいた。応援の家族や知り合いも集まっていた。手作りの弁当やビールを飲んでいる。選手たちの何人かも缶ビールを手にしていた。小学校の運動会という雰囲気だ。


「試合を見に来るとは思わんかった」

梅ヶ谷がにこやかに近づいて来て言った。スポーツドリンクを手にしていた。

「梅ヶ谷さん、すごいですね。あんなに巧いとは思わなかった」

「まあまあだけどな」

「これ、なんの試合なんですか」

「練習時代じゃ。来月から公式戦があるんで、今年はじめてメンバーが集まって試合をすることになった。まだ、背番号もきまってないけどな」


集まった人々の中には若い女の子もいるにはいたが、小学生や中学生だった。もちろん選手達の子供だろう。なんだか話が違うなあと思っていると、おい、竹宮じゃないか、と呼ぶ声がした。

選手の一人になっている若い男が歩み寄ってきてた。

赤い上下のトレーナーを着て、片手に灰皿代わりの空のビール缶を持っていた。

「高倉だけど、わかるか」


名前を聞いて思い出した。

サッカー部の2年先輩だ。あまり話したことはなかったので、さっと思い浮かばなかったのだ。


「ご無沙汰です」

「久しぶりだなあ。何年ぶりだ? 卒業して以来だから、3年ぶりかな」

「先輩、いまどちらに?」

「いま? 大学3年。そういえばおまえ」


高倉は一歩下がって、健二の頭から足下までを改めて眺めた。

「ケガをしてたんじゃなかったのか」


そのとき、ベンチのむこうから、誰かが走ってきてた。

「おにいちゃん」

息せき切って駆けつけてきたのは、髪をおさげにした若い娘だった。セーラー服に見覚えがあった。健二の高校の制服だった。

健二と高倉の遭遇を興味深そうにながめていた梅ヶ谷が「どうした」と応えた。

「神屋さんがたいへん!」と叫び、「あっちあっち」と手をひっぱって連れて行こうとしている。

「高倉さんも早く! 倒れたんだって!」

梅ヶ谷と高倉は顔を見合わせ、それから、その娘のあとを追って走りだした。





選手たちと応援の人々の動きが慌ただしくなり、いろんな方向に人が走っていったり、何人かで話しあっていた。相手チームの選手も集まってきた。


健二はどうすることもできないので、その場を離れ、ぶらぶらともとの芝生席に戻った。

神屋という人物のことをまったく知らないので、この場にいても関わりようがない。


芝生席に座ってグラウンドの様子を眺めながら、なんだか間が悪いなと考えた。これでは飲み会が行われるかどうか分からない。中止になることが残念というよりも、梅ヶ谷がそのことで健二に申し訳ないと思って気を使うことがいやだった。


面倒なのでこのまま帰りたいなと思ったが、それではもっと気にするだろうから、一言あいさつは必要だ。


ままもなく、外から救急車のピーポー音が聞こえ始めた。

グラウンドに担架を持った救急士が二名入ってきた。白衣にレッドクロスの入った白いヘルメットをかぶっている。


運ばれたのはどうやら、あのゴールキーパーのようだ。

家族が何名かと選手が一人、担架といっしょにグラウンドから出て行った。


どうなるんだろうと思っていると、こちらに向かって梅ヶ谷と赤いトレーナーの高倉が走ってきた。

健二の方から声をかけた。


「大丈夫ですか。キーパーの人だったでしょう」

梅ヶ谷は苦笑いをしながら

「ぎっくり腰だって」

「そうですか」

「神屋さんももう年だからなあ。もうびっくりさせるなあ」

高倉はそう言って笑った。

健二もつられて思わず笑った。

「健二くん、それで頼みがあるんだけれど」

梅ヶ谷が言った。

「メンバーが2人欠けて、9人しかいないんで、ちょっと手伝ってくれんかね。高倉から聞いたけど、サッカーの経験あるんじゃろ」

「足の方はもう大丈夫なんだろ?」

健二は、2年先輩の高倉がケガのことをなぜ知っているんだろうと思った。高倉が卒業してから後のことだ。


返事を渋っていると思ったのか、梅ヶ谷が、

「キーパーだから、そんなに足には負担にならんと思うし。キックは高倉に任せればいいし」

「そう。頼むよ。せっかく出てきてもらった相手にも申し訳なくってさ」


健二は足が心配というより、長い間のブランクで、選手たちに迷惑をかけるだけではないかと思った。

「しかし、クツもないし。そんな格好もしてないし」

かれはジーンズとスニーカーだった。


「格好はさあ、別にそのままでいいよ。俺たちもこんなふうだし。グロ−ブは神屋さんのをそのまま使ってもらって」

「練習試合じゃから、固く考えんでもいから。軽い運動のつもりで参加してくれれば」





ピッチに立つのは2年半ぶりだが、さして緊張はなかった。

入念に準備運動を行い、左膝の調子を確かめた。


高校2年のときのケガは左膝の靱帯損傷で、手術とリハビリに1年間かかった。

3年の夏には、走ったり泳いだりすることはOKになっていたが、サッカーは辞めてしまったので、あれ以来ボールに触わっていない。

かれも梅ヶ谷と同じく、高校時代のポジションはミッドフィルダーだった。キーパーの経験はなかったが、前半の試合レベルを見ていて、たぶん、なんとかなるだろうと思った。


円陣を組むとき、梅ヶ谷がメンバーに彼を紹介した。

都城東高校サッカー部のレギュラーだったと高倉が付け加えると、「それはいい」「強力な助っ人だ」と口々に言って、ひとりひとりが握手を求めてきた。


大きな手袋をはめて、ゴール前に立つと、味方のベンチから「竹宮さん、頑張って〜」という大きな声があがった。梅ヶ谷の妹の声だった。

健二は急にどぎまぎして、ヘタなプレーはできないなと思って、グローブのボタンをもう一度確かめると、腰を落として身構えた。


キックオフ。

一人減ったことにより、相手チームが攻勢に出てくるようになった。

健二は2度シュートを受けた。

うまくキャッチし、右サイドバックの高倉にボールを投げ返した。


3度目はしかし、まずかった。

相手のロングボールが走り込んだ敵フォワードの頭を越し、健二の前でワンバウンドした。反射的に右手を伸ばしたが、ボールはその下をゆっくり通りすぎ、あわてて追ったが、コロコロと転がってゴールに入ってしまった。


失点。とても不細工な取られ方だった。

メンバーが集まって、「どんまい、どんまい」と声をかけたが、アチャ〜という表情は隠せなかった。


後半がはじまってまだ15分。今度は味方が攻勢をかけた。

赤いトレーナーの高倉の動きが激しくなり、何度もサイドを往復した。


高倉は高校時代、たしかレギュラーではなかった。それで健二の印象が薄かったのだが、後ろから見ていると、それなりにボールの扱いはうまかった。


梅ヶ谷も上がりっぱなしになり、ドリブルで相手を2、3人抜いてシュートを放つが、密集した相手選手の壁に跳ね返された。


跳ね返ったボールがときおり相手フォワードに渡り、こちらのゴールに向かって突進してくる場面が増えてきた。

そのうちの2回は、いそいで駆け戻ってきた高倉がコーナーに追い込んでピンチを防いだ。

そのうちの2回は、相手がシュートミスして、ボールはとんでもない方向に飛んでいった。

そのうちの1回は、フォワードがドリブル中にボールを踏みつけて転んでしまった。その間に健二がボールをクリアして事なきを得た。

相手FWは髪が薄い年配の選手で、そのころには息切れが激しく、顔全体から汗を流しながら、もうキーパーと勝負する場面は勘弁してくれという顔をしていた。


相手選手ばかりでなく、味方の選手もかなり疲れてきた。とくに高倉は青息吐息だった。

コーナーキックで自陣のゴール前に集まったとき、「次、キーパー交代頼むな」と言ってきた。


健二に異存はなかった。

何度かゴールキックをしてみて、最初はおっかなびっくりだったが、足は大丈夫だという自信がでてきた。かなり強く蹴ってみて、昔どおり、狙った場所にきちんと蹴ることができるという感覚が戻ってきた。

一度、ハーフウェイラインの向こう側の梅ヶ谷の足下にロングキックをぴたりと届け、自信がさらに深まった。梅ヶ谷がびっくりしてこちらを向いた瞬間に後ろから倒され、チャンスには結びつかなかったが。


高倉が審判に告げて、高倉がゴールキーパーに、健二が右サイドに替わった。

梅ヶ谷が「無理しなくてもいいぞ」と声をかけてきた。

「健二さん、頑張って〜」という妹の声が聞こえた。

汚名挽回のチャンスだ。


相手も選手を替えてきた。

3人が出て、3人が入った。

難行を続けていた相手フォワードもそのうちの一人だ。

健二のチームに交代要員はいない。


彼の対面に入ってきたのは、ひょろっとした選手だった。色が黒い。外国人だ。

しかし健二がびっくりしたのはそのことではない。女の選手だった。髪を後で束ねている。華奢な体つきで、ぶつかると骨が折れそうだ。

なんでもありなんだなと彼は思った。だが、相手がパワーダウンしてくれた方がいいにきまっている。


試合再開。

健二はさっそく攻め上がった。

梅ヶ谷が逆サイドからボールをよこした。

前が空いていたのでドリブルで持ち上がった。

後ろから追いついてきたのが気配で分かった。


急ブレーキで切り返そうと思ったとき、ボールが足下にないのに気づいた。

ふりかえると、さきほどの選手が遠くに駈け去ろうとしている。ボールはその足下にあった。追いつきには距離がありすぎた。

一人が抜かれ、かなり遠いところからシュートが放たれた。横っ飛びに飛んだ高倉の両手をすりぬけ、右コーナーぎりぎりに決まった。0−2。


健二は呆然とした。高倉も、ほかの選手も同様だった。相手チームの選手もびっくりしている。

「すげえな、今の」

梅ヶ谷が隣に来ていた。

「あれで中3だって」

それから、健二の肩をポンとたたき、

「残り5分だ。頑張っていこう」

と言ってセンターサークルに戻っていった。





試合は、終了間際に梅ヶ谷のフリーキックで一点を返したものの、結局1−2で敗れた。

健二がサイドバックをやったのはわずか十分たらずだったが、なにもできずに終わった。相手の少女に振り回されっぱなしだった。運動不足のつけで、息が切れた。


選手達は試合結果は気にしていなかった。その場で着替えながら、話題は懇親会の会場に行くのに、誰が誰の車に乗って行けばいいかということに移っていた。これで思う存分酒が飲めるぞという雰囲気になっていた。


健二は梅ヶ谷に訊ねてみた。

「あの選手は何者ですか」

「ああ、あの中学生? すまんね、ちょっときつかったろうな」

「ええ。歯が立ちませんでした」

「そんなこともないだろうけど。転校生らしいよ。すごいのがいるっていう話だったけど、俺も今日はじめて見た。噂通りだな」

「転校生? 外人じゃないんですか」

「アメリカかどっかの国のハーフらしいよ。よくは知らんけど。それより、膝の具合はどうだった。高倉からケガのことは聞いたけど」

左膝にすこし熱があるようだった。ひさしぶりなので、それくらいのことはしょうがないと思った。

「まあ、なんとか」

「そうか。じゃあ俺が車に乗っけていくから」

「いや、オレ、今日はちょっとやめときます」

「ええ? ナンダヨ。試合にも出てくれたのに、それはないじゃろ」

「ちょっと用事があるんで。じつはそれを言おうと今日ここに来たんですよ」

高倉が割り込んできた。

「なんだ、竹宮、来ないのか」

「ええ。足の具合のこともちょっとあるんで」

「そうなのか。替わってもらったのが悪かったかな」

「いや、そんなことはないですけども。楽しかったですよ」

「竹宮さん、来ないんですかあ。来てくださいよお」

梅ヶ谷の妹だった。

わざとウルウルした訴える目をしている。けっこう調子がいい。

健二はどうもこの妹が苦手になりそうだった。

「じゃあ、すいません。時間なんで。機会があったらまた呼んでください」

妹にはかまわず梅ヶ谷と高倉にそう言って別れた。

最後の言葉はその場かぎりの挨拶で言ったことだが、まったくの嘘というわけでもなかった。

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