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王女の恋煩い  作者: 岸野果絵
過去
7/10

国王の死

 国王・タイナスが崩御し、側妃・メートゥミアの子であるギルダーが即位した。

他の王子たちが王都を留守にしていた、数日間の出来事だった。

 晩年のタイナス王の側近にはメートゥミアの親類の者たちで固められていた。

 巷では、メートゥミアたちが共謀して、タイナス王の崩御を隠し、タイミングを見計らって発表すると同時に新王ギルダーを即位させたのではないかという噂でもちきりだった。


「今こそ立ち上がるときだ」

 カイナスは報告を受けると勇み立った。


「愚か者」

 腹にズンとくるような鋭い声が室内に響き渡った。

リーラレイアは強い力でカイナスの胸倉を掴んだ。

そのまま、硬直しているカイナスを引きずるようにして窓に向かう。

驚きに目を見開いたカイナスの顔が窓に押し付けられた。


「田畑をよく見なさい」

 リーラレイアはカイナスから手を離した。


「もう間もなく実りの季節を迎えます。そなたは、あの田畑を軍靴で踏み荒らすつもりですか?」

 窓の外に見える田んぼの稲は色づきはじめていた。

待ち望んだ実りの秋はすぐそこだ。


「ですが、母上。このままでは……。王太子は父上です。私はその嫡男。私が正当な王位継承者です。このまま黙ってなにもせずにいたら、私は臆病者と誹りを受けましょう。父上までも物笑いの種にされる。母上はそれでも良いのですか?」

 カイナスは窓から目をそらし、不満げにリーラレイアの顔を睨む。

握った拳をわなわなと震わせ、瞳は怒りに燃えていた。

 リーラレイアは大きなため息をつくと座に戻った。


「カイナス。君主に最も必要なものはなんですか?」

 静かな声で問いかける。


「徳です」

 カイナスは即座に答えた。


「国の宝とは?」

「民です」

 リーラレイアはよどみなく答えるカイナスの瞳を鋭いまなざしで見据えた。


「そなたは私怨で、この国土を民の血で染めると申すのですか?」

「私怨? 正当でないギルダーが王を名乗ることは許されません」

 カイナスは怒りに口元を歪ませた。


「正当でない? 先王タイナスは、正式な手続きをふみ、ギルダーを立太子しました。ギルダー王は正当な王位継承者です」

 リーラレイアの言っていることは真実だった。

タイナス王は、エリオス王太子を毒殺した後、頃合いを見計らって、寵妃・メートゥミアの子であるギルダーを王太子に据えたのだ。

法的には、ギルダーは正式な王位継承者なのだ。


「ですが、父上は何の落ち度も……」

「ギルダー王は失策を犯しましたか? 民を苦しめましたか? そなたは、なんの落ち度もないギルダー王を殺すのですか?」

「そ、それは……」

 カイナスは返す言葉が思い浮かばなかった。


 即位したばかりのギルダー王は、目立った政策は何一つ行っていない。

裏を返せば、失策もないということだ。

メートゥミアはいざ知らず、何の落ち度もないギルダーを殺すということは、タイナス王がエリオスに行った仕打ちと同じことをするということだ。

 そのことに気が付いたカイナスは唇を噛んだ。


「カイナス。国王の手は民を守り慈しむものです。民の命を奪うものであってはならない」

 リーラレイアの静かな声が室内に響く。


「天を仰ぎ、地を見つめ、風の音を聞きなさい。民の生活を見、声を聞き、その心を感じるのです。真の王とは、血筋にこだわり、くだらない名誉を掲げて王位にしがみつく愚かな者ではありません。民の声に耳を傾け、民の平穏な生活を守ってやることができる者です。真の王になりたければ、この手を民の血で染めてはなりません」

 カイナスの両手首を掴んだ。


「カイナス。そなたの父であるエリオス殿下は、真の王であらせられました。エリオス殿下がなぜ先王に逆らわず、自らすすんで毒杯を飲んだのか、そなたにはわかりますか?」

 リーラレイアの問いにカイナスは何も答えることができなかった。


 父・エリオスが殺された。

カイナスはその事実だけに捕らわれていた。

エリオスを死に追いやった者たちへの復讐心しかなかった。

その元凶であるメートゥミアを自らの手で殺すことが、カイナスの夢だった。

しかしそれは、母・リーラレイアの言う通り、単なる私怨だ。

目先の私怨に捕らわれて、エリオスの真意を考えることすら思いつかなかった。


 なぜエリオスは毒杯を呷ったのだろうか。

逃れる方法はなかったのだろうか。

なぜ、タイナス王に逆らおうとはしなかったのだろうか。

カイナスは必死に頭を回転させたが、父・エリオスがみずから死を選んだ理由が思い浮かばなかった。

あの時、カイナスはまだ幼くて、宮廷でのパワーバランスはもちろん、国内の状況すらも全く把握できていなかった。

いや、あの時だけではない。

今、この時も、カイナスは自分が一体どのような立ち位置にいるのかさえ、きっちりと把握できていないのだ。

自分の位置ですらきちんと把握できていないカイナスには、エリオスの深い真意を理解することは無理であった。


「カイナス。やはりそなたには、まだ理解することができないのですね。未熟な今のそなたに、王位を与えるわけにはまいりません」

 リーラレイアはカイナスの手を離し、背を向けた。


「プジョール殿」

「はっ」

 並び控えていた白髪頭の老人がかしこまった。

 プジョールはこの辺りの大農で、過去にリーラレイアの祖父に窮地を救われたことがあった関係で、リーラレイアとカイナスを匿ってくれていた。


「そこにいるカイナスを、そなたの下男として与えます」

 リーラレイアの言葉に室内はどよめいた。

カイナスは驚きのあまり声もだせずに、リーラレイアの背を茫然と見つめていた。


「プジョール殿。カイナスは私の子でも、ましてやエリオス殿下のお子でもありません」

「妃殿下、それはあまりにも」

 プジョールが困惑を隠さずに言った。


「この愚か者に、国の宝である民の暮らしというものがどのようなものであるか、しっかりと教えてやってください。体験せねば分からぬ、この愚か者に」

 リーラレイアは横目でカイナスをチラリと見た。

 カイナスはその真意に気が付きハッとして、慌ててプジョールの前に跪く。


「旦那様。どうか、何なりとお申し付けください」

 いつかどこかで見た、主人と下男のやり取りを思い浮かべ、その時の下男の言動をそのまま再現する。


「わかりました。このプジョール。なんの遠慮もせずに、カイナス様を下男として仕込みましょう」

「くれぐれも頼みます」

 リーラレイアは静かに頭を下げた。

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