ルクシエントファルファ
「ところで、あの男は殺しても良いのか?」
「は?」
文字の書き取りをしていたら、いきなりトレノリスファーマ……長いのでトレノが物騒な事を言いだした。
貴族とそう変わらない豪華なドレスを身に纏ったトレノは、艶っぽく髪をかき上げる。その妖艶な美女は、ドラゴンには見えぬほど美しい。いや、むしろ人でないからこその美しさなのか。その美女の唇から紡がれた言葉は少々考えたくないものだったが。
「攻撃する気はないようだが……」
「ちょっと待って下さい。一体、誰の事を言っているのです?」
「気づいておらんか。致し方ない、あれはそういう魔神である故」
「……え、ぇと」
ま、魔神?っていうと……神獣と同程度の強さを誇る危険な魔物の総称なのだったっけか。なにそれ怖い。魔神が近くにいるのか?
トレノは唇に指を当ててクスと僅かに息を漏らして笑う。
「軟弱故に生還したての我でも殺す事は容易だが、如何にする?」
「いや、ちょっと待って下さい。えーと、とりあえず、どの方か教えて頂けませんか?」
「話し合いでもする気か?あやつらに可能か」
「どういう方か知らないと攻撃してはいけないと思うのです」
「そうか。主はそういう人間だ。心得た。ではその男の特徴を教えよう。まず見た目は目立つ容姿をしている。属性は水、後ろで三つ編みをしている髪の長い男で、騎士の恰好で屋敷をうろついている」
「……わぁ」
それって完全にあのイケメン騎士の事じゃ……?やばいこのドラゴン、私に聞かなかったら勝手に抹殺してた可能性があるのか!?こわっ!
私の心が伝わっているのか、僅かに驚いた表情をしている。
「存知上げているのか?」
「存じ上げるも何も、あの人は私の友人ですが」
「友……まさか、ふむ……そうか。勝手に抹消しなくて良かった」
「お、おう……」
こっわ、ドラゴンこっわ……!っていうか、あの水色騎士、魔神って!?……人外人外だと思っていたら、想像を遥か上を行く人外だったよ。
「……ちなみに、なんの魔神なのでしょうか」
「ブラッドガーランドだろう。薄れている為、先祖返りの類かもしれんな。最も、人と交わった事があるという事実自体が驚愕だが」
ブラッドガーランド……か。勿論の事、意味が分からないので辞書を取り出して開ける。結構分厚いから探すのが大変だ。……まぁ、魔神の欄から探せばいい分、レンデルルゥクの時より楽だが。
ブラッドガーランドは気配の薄い魔神で、魔神の中でも異彩を放っている生き物。その気配の薄さで背後に忍び寄って、相手の生気を奪い取って殺す事に特徴がある……って怖いんだけど。そう言われると、あの騎士は確かに気配がない。デフォルトであれなのは、種族的なものが関係していたのか。
「……んん、ですが、見た目が随分違いますね」
辞書から見たら、こう、もっとオドロオドロシイというか、幽霊的なものが書いてある。勿論個体差もあるんだろうが。
「人の血も混じっているから、人の姿を取っているのでは?純粋なブラックガーランドは、そういう事はしないが、あの男は殊更特殊なのだろう」
「そんな事まで分かるんですか……」
「無駄に年月を喰っていないからな」
古代ドラゴンは、オイドクシアお嬢様の神獣だった時代よりも前の時代の生き物らしい。本来はそれだけの間レンデルルゥクで過ごすのは不可能と言われている。だが、この目の前の美魔女はやりきった。
それは、残留思念の強さに左右されるのではないか、とオイドクシアお嬢様が推測していた。
魔力の高い者が全て骨の鳥の姿になる事はない。やり残した事があったりすると、そうなる事が多いのだという。妻の元に帰るレンデルルゥクは、帰りを待つ妻が心配だったのだろうと推測されるというのだ。
相当な強い願い、魔力がなければそうはならない。だから、その人は相当愛妻家だったという事になる。もう死んでいるんですから、妻にとっては悲しいですけれど。
余程の要人とかだったら、魔術師と契約して復活する事例もあるとか。大抵の魔術師は弱い人間よりももっと強い神獣とかと契約したがるので、滅多な事ではないですが。まぁ、そもそも人間と契約する神獣が殆どいない。
「とにかく、あの人は安全ですよ。まぁ、気配が薄くて驚きますが」
「そうか?確かに私がいるからには主は守り切るが……」
凄い自信だ、いや、それほどの実力はあるんでしょうが。
「まぁ、威嚇したら怯んでいたし、害もないだろう」
「そ、そうですか」
やめてあげてよぉっ!ドラゴンの威嚇って!まじでこわい!私なら気絶する自信ある。
……話を変えよう。
「ところで、失われた内臓を回復……とかって出来ますか?」
「ああ、あの転生者の事か?」
話が早くて助かります。まぁ、ある程度は契約者の目と耳が借りられるようですが。私はまだ慣れていないので、トレノからダダ漏れする感情くらいしか拾えないですが。
トレノの理解力の良さに怯みつつ、頷く。
「はい、今は別の魔道具で補助しているそうですが、このままだと長くもちそうにないんです」
「何故?あれは他人なんだろう?」
「そうなんですが……」
あれ?トレノにその事言ったっけ?
……ああ、奇跡師は基本的に異世界人だから、普通に分かりますね。もう奇跡師って事は丸わかりなんですから。
「……何か方法があるなら、助けたいと思うのが……私の中では、普通になっています」
「そうか、まぁ、主はそういう人間だ。理解している」
トレノは足と腕を組み、少し考える素振りを見せる。腕を組んだ際、お胸がより目立つ事になっている。その偉そうな態度で、女王様に見えなくもない。鞭とか持ったら、たぶん凄く似合う。
「単刀直入に言ってしまうと、なくはない」
「ほ、本当ですか!」
私が嬉しそうに言うと、クスクスとトレノが笑う。
「傷をくっつけることくらい私の魔法ならば造作もないが、流石に臓器1つを回復するには至らん」
「……では、どういう方法で?」
「ああ、私の内臓を1つ出せば良い」
「エッ」
「ああ、我々は1つ臓器を失った所で死ぬ事はない。流石に心臓を取られれば死ぬが、そもそも私はレンデルルゥクから復活した死者だ。そもそもこの肉体は主の魔力で作られている。故に」
「取ってもその臓器が回復する……?」
確かに、レンデルルゥク時には今の様な体はなかったはず。何故に急に体が出来たかと言うと、全身私の魔力で出来上がっているという。
近くに魔力供給源がある限り、圧倒的に無敵状態になるらしい。それはトレノの回復魔法との相性によって成り立っているので、他の神獣の場合はもうちょっと弱体化するらしいが。
最も、その無敵状態というのは供給する魔力があってこそ。なので、普通の魔法使いだとすぐに代償で死に至る。ある意味奇跡師ならではの無敵状態だろう。
それと、今回の時の場合、臓器を他の者に移植するという形を取る為に、その臓器は回復しなくなる。別の場所に取られた臓器があると回復しないので、その分能力が弱くなる。まぁ、1つ減った所で最強種族であるドラゴンにとってあんまり変わらないと言っているが。他の神獣にとっては致命的になるかもしれないそうだ。
それと、レンデルルゥクなので取った臓器はしばらくすると消失するという。定期的に魔力を補充しないとオイドクシアが大変な事になりそうだ。
「定期的に、ってどれくらいでしょう?」
「魔力の量による」
こ、こわあああ!急に魔力が切れたっ!とかなったら死ぬじゃないですか!
「そんなに怖がらずとも、どちらにせよ死ぬ運命の小娘だ。気楽にやってみればよいのではないか?」
「そうはいいましてもね……」
人の生き死にを左右するんですよ!怖くない訳ないでしょうに。いや、まぁ……確かに他の神獣の臓器が見つからなければそうなるんでしょうが。
「まぁ、気負わずとも、自力でも運用するだろう。あの小娘ならば」
「……そ、そういうものでしょうか」
確かに、私が意識して魔力を送っている訳ではないのに、貰っている風に言っているから、私が何をするわけでもなく勝手に魔力の補充をしそうだ。
「まぁ、流石に医師に任せないとそれを繋ぐことは私には出来ないが。傷を塞ぐことくらいならば出来るぞ」
「そ、そうですか……それではおじい様に相談してみます」
何をするにしてもまずはおじい様に相談である。
そんな会話をしていると、扉がノックされる。
すぐさまトレノが犬の姿をとったので、神獣との契約を知らない誰かと言う事になる。
知らないのは、オイドクシアの執事やメイド、それとセスだ。フォルジュでも、料理人達は知らない。と、ルカから報告を受けた。なので、トレノは基本的に自室以外は犬の姿である。所で、犬の姿になった時に服はどこ行っているんですかねぇ……細かい事は気にしなくていいか。
「いるか?」
「えぇ……セスですか」
セスの声を久し振りに聞いた気がする。神獣と話していると妙に年を食った気分になるんだよね。
メイドがいないので、自分で扉を開ける。偽物と知っているセス相手なので、別に問題ないだろう。
セスは、真っ先に部屋の真ん中にでんといる犬の姿に視線をうつした。
「犬を飼いだしたのか?」
「ええ」
犬と呼ばんでくれ……こいつ……ドラゴンなんだぜ……。どれが逆鱗に触れるのか分からないから神獣と知らない人間との接触は怖いのですよ。
しかし、名前で呼ばれるより犬と言われる方がトレノ的にはアリらしい。基準が分からん。一応、私以外にはファムと呼ばせているようだけど。
「何か用?」
「最近、じいちゃんと3人でゆっくり勉強できていなかっただろう?久し振りにどうかと思うんだが」
「いいですね。おじい様の許可は得ているの?」
「ああ、ちょっとくらいなら大丈夫だと言っていたからな。今から大丈夫、だよな?」
「ええ、自習してただけだから、大丈夫」
言われて、わくわくした気持ちで勉強の準備をする。
おじい様とはちょくちょく話しているけれど、オイドクシアが混じると、途端に良く分からない世界の話をしだすのでちょっと苦手である。
500数年生きている人の前で楽しそうに会話出来るおじい様、心臓に毛が生えてるに違いない。
私は人と言う字をてのひらに書いて飲み込まないと緊張してやってられない。
私が本を取っていると、セスがトレノの頭を撫でた。
ひっ、という声が出そうになった。私の手汗が大変な事に!
しかし、撫でられたトレノは思いの外大人しかった。先程騎士を抹殺する気満々だったドラゴンだとは思えまい。
「名前は?」
「……ファムですよ」
ファムかーと言いながら、わしゃわしゃと遠慮なく撫でている。この犬がまさか人型のどえろい美女だとは思うまい。女慣れしてなさそうだし、きっとセスは大変な事になりそうな。
……真実って知らない方が幸せよね。私もこの大人しそうな大型犬を素直な気持ちで眺めたかった。
そっと、穏やかにセスをトレノから引きはがし、さっさとおじい様の待つ客間の方に向かう事にした。トレノはお留守番である……たぶん屋敷内をうろつくと思うが、騎士を抹殺しない事だけは祈る。
廊下をセスと進んでいると、珍しく気配がある水色騎士を発見した。ちなみに、結構顔色が悪い。
気になったので、思わず話しかける。
「……顔色が悪いですが、どうかしましたか?」
「…………いいえ……何も」
ちょっとした間があったが、ゆるりと首を振る。
ヴァレールが言う気がないなら、私にはこれ以上聞けない。友人認定を受けているとは言え、それほど親しくはないし。
セスも待っているし、体調の悪そうなヴァレールをこれ以上引きとめるのは悪いと思い、立ち去ろうと思ったのだが、「あの……」とか細い声を漏らしたのでやめる。
「……はい?」
「……聞きましたか?」
「……何を……あぁ、なるほど」
もしかして、魔神の話だろうか?トレノが抹殺しようとか言っていたし、威圧したと言っていたから、そのせいかもしれない。心底やめてあげて、と思うが、トレノも私を心配しての事だったので、責めるに責められない。
しかし、セスもいる手前、言って良いのか分からない。
だが何を思ったか、私の反応でヴァレールが何かを察したらしい。
「……聞いた、のですね?」
「聞いたとか、なんの話だ?」
凄く顔色の悪いヴァレールを、心配そうに見ながら、セスも声をかけて来る。
だがヴァレールはゆるゆると首を振ってなんでもないと答えた。
「……では」
「……はい、お体、休めて下さいね」
真っ青のヴァレールは、気配を薄くしながらふらふらと立ち去る。正直凄く心配ではあるが、私はキラキラし過ぎたイケメンな友人よりおじい様に会いたい。臓器移植の話をしなければならないしね。その場合、ちょっとセスが邪魔か。
「……あの人、大丈夫なのか?」
「多分大丈夫だと思いますが……」
やばい、セスの方が優しい。若干自分の冷たさに辟易としつつ、歩を進める。
おじい様が待つ部屋の近くまで来たが、どうにも周りが慌ただしい。
丁度エマさんが通りかかったので、声をかけて聞いてみる。
「あの、何かあったんですか?」
「あっ……!」
エマははっとした後、周りをキョロキョロ見てから、私の耳元に唇を寄せてきた。
そしてこっそりと囁く、とんでもない事を。
「エリカお嬢様が、見つかったそうです」
え、ええええええ!?




