どうしてこうなった
空を見上げて、息を吐き出す。空に浮かぶ月の色が緑色から金色に変わった。昼間でも見える月には大分慣れたと思っていたものだが、これが夜に浮かぶと、最も普通の黄色の月に見えるという事に、安心感が湧いてくる。地味に、心にきていたらしい。空すら普通でないこの世界に。
月の色が変わったという事は、日本でいう所の2か月以上が過ぎたという事である。
じっと夜の月を眺めていると、コンコンという軽い音が聞こえてくる。扉をノックされた音ではなく、もっと軽い音だ。それに、音の情報源が扉の方ではなく、窓の傍である。窓から外を眺めていたので、下の方からの小さな音に気づく事が出来た。
「あ」
思わず声が漏れた。長らく見てなかった、骨の鳥だ。牢屋部屋ではなく、エリカの部屋に最近ずっと滞在しているので、窓を簡単に開ける事が出来た。
窓を開ける動作をしても、全く逃げる様子のない骨の鳥は、やはり人に慣れているのだろう。たぶん、前回会った骨の鳥と同じだと思うけど……ちょっと小さくなっている気がしなくもない。
死者の魔力によって骨の鳥になって、魔力を含んだ食べ物を吸収して姿を保つ骨の鳥だが。時間と共にその姿は小さくなっていくらしい。魔力が減れば減るほど小さくなるそうなので、死んだ者の魔力量によって骨の鳥の大きさが左右される。なんとも摩訶不思議なものだが、転生者や異世界の人間もいる以上、もう驚いたりしないぞ。
私が指を出すと、コンコンという音を立ててこちらに近寄ってきて、嘴で軽く指を突いてきた。……かわいい。骨なのになぁ。
私がこの世界に来て、真っ先に出会った馴染みある生き物?いや、死んだ物?である。自分が思ってた以上に愛着が湧いている事に驚いた。状況が全く分からない時に、ずっと傍で励ましてくれていたせいだろうか。
……しかし、本当に来た。もうすぐ来るとシャーロットが予想をたてていたが……正直驚く。なんでおじいさまも把握しているのだろうか。なんなのこわい。
しばらく鳥と右手でじゃれていると、鳥がおもむろに辞書の方に飛んでいく。
本をつっついたので、開け、という事なのだろうか。
とりあえず1ページ開くと、コンと鳥が1つの文字を突く。続いて2つ目、ツンツンと続いていく。
と、れ、の……り?まで来た所で次のページをめくって欲しいのか、ぺんぺんとページの端っこを踏む。次のページで目的の文字を見つけたのか、続ける。す、ふぁ……あ、ま?そこまでで期待に満ちた顔で見上げて来る。いや、骨だから表情は良く分からないけれども、雰囲気がというか。
んーつなげればいいのか?
「とれのりすふぁあま?」
がっかり、という感じで頭が下がる。
ぺんぺんと「あ」の部分を足で強調してくる。読み方が違ったかな?いや、でも翻訳はされてるはず。
私が首を傾げているので諦めたのか、次のページを要求してくる。
すると、今度はつーと足を滑らせて単語を指す。ローザ、硬貨の事だね。
鳥はローザの中間を指してきた。あー……「あ」の部分は伸ばすって事か。
……文字が入れ替わると伸ばしたりするとかそんなの知らないよ。翻訳されるからね。
「とれのりすふぁーま」
バチン!
「痛っ!?」
急に鳥が嘴で手に攻撃を加えてきた。結構深く抉られたらしく、血が数滴本に落ちた。
ちょっと間違えただけでこの仕打ち!骨の鳥が可愛いなどと思ってた私が間違いだったよ!
『契約……成立』
そんな音だか声だか良く分からないものが響いた瞬間、いきなり目の前が真っ白にはじける。
衝撃波のようなモノがこちらに届く瞬間、誰かに後ろから抱えられた。その人は確かに光から私を守る様にしている……と思う。目がちかちかしてて、よくみえないけれど。
……でも、匂いで分かった。これ、サシャさんだ。どこにいたのか、こんな夜まで起きていたのか、異変に気づいていつの間にか入ってきていたらしい。
室内にも関わらず、周囲には暴風が吹いており、サシャさんが支えてくれていなかったら大変な事になっていると思われる。風が強すぎて、息が上手くできない。
しばらく抱えられていると、次第に風が収まり、サシャさんの腕の力も僅かに緩む。
ゆっくりと目を開くと、部屋が大惨事になっていた。布や本がズタズタで床に乱雑に散らばっている。……やっべぇ……。
弁償とか値段とか色々考えて冷や汗を流していると、サシャさんがトンと私の背中を押して扉の方に押してくる。。
後ろを見ると、サシャさんは背を向けたままで、ドアの方を指さしている。逃げろ、という事らしい。一体、何から……と思い、サシャさんの目の向ける方向に視線を向け……。
机の上に、人が立っていた。
どこから侵入したのか、何故机の上に立つ必要があったのか。色々考える事はあるが、何故か直感で分かった。心臓というか、何かが繋がっている、そんな不思議な感覚。
私はサシャさんの陰から1歩踏み出して声をかける。
「トレノリスファーマ……ですか?」
「重畳」
コクリと頷いてそう答える。肯定という事だろう。はちきれんばかりの喜びが私にも伝わってくる。
月明りで徐々にその姿が分かった。
暗闇でも僅かに光るその獰猛な金の目は、まるで猛獣を連想させられ、目が離せない。それに見合うように、波打つ金髪が腰元まで伸びて、男の本能をとんでもなく刺激しそうな悩ましい肢体を絶妙に隠している。なんというか、美魔女……と言った所か。出る所は出て、引っ込む所はきっちり引っ込んでいる。……いや、実際の所、魔女にも似た類のものなのか?そんな、見た事もない美女がそこに堂々と立っていた。
ぼうっとしていると、サシャさんの腕が私の前に出て、下がらせようとしてくる。そこでようやく私ははっとした。せ、説明しておかなければ?!
「え、えーと、サシャさん。この人……人?いや、ええと……とにかくこの方は安全です」
サシャさんはトレノリスファーマを警戒しながら、ペンを走らせる。
『知り合い?』
「え?えーと、あ、はい、そうです」
「我は契約獣……主の僕」
契約した人って言って良いのか迷っていると、トレノリスファーマが勝手に答え、片膝をつく……机の上で。
うわああ、言っちゃった!言って良かったのか?あ、おじい様から契約の許可は貰ったし、いいのか?と心の中でオロオロしていると、トレノリスファーマにも感情が伝わっているのか「え?なんで困ってるの?」という困惑した感情が伝わってくる。契約すると、相手の感情が互いに伝わるのか。
トレノリスファーマの答えに、サシャさんが固まっている。しばらく停止したあと、ぎこちない動きでペンを走らせる。
『なんて言っているの?』
「えっ?あっ……はい!えーと……」
あっ……言葉が伝わってない!なんだ、よか……たのか?え?私がこの言葉分かるって伝わっちゃダメなんじゃない?うわぁ、ダメだテンパってる。どんどんとドツボにはまっている気がするんだが。
……だとしたら、トレノリスファーマは一体何語で話していらっしゃられるのですかね?自動翻訳に任せすぎて言語の方を殆ど勉強してない私に分かる訳がない。やっとエリカ様の名前が書けるようになったくらいなのに。
「ほぉ、成功させたか」
「あー……」
シャーロットが来ちゃった……まぁ予測していた張本人だから、無理もない。これどう収拾付ければいいのだろう。助けておじい様。
「影よ、そう警戒せずとも良い。そいつは私と同じようにこの方に忠誠を誓う神獣だ」
シャーロットにそう言われて、サシャさんの顔色がもっと悪くなったように見えたのは気のせいか。
サシャさんは『本当?』と書いて聞いてくるので、頷いておく。
忠誠を誓う神獣って……それって普通じゃないんじゃないだろうかと、頷いてから気付く。
シャーロットの存在に気付いたトレノリスファーマが目を細める。
「猫か……」
「む……猫じゃない!そういうあんたは……えーと、何?知らない匂いだ」
「仕方あるまい、もはや、滅びゆく種族故……」
「何?……ルクシエントの類か……!?まさか!」
「ご推察、我はルクシエントファルファ」
「何っ……!?存在、していたというのか……!」
「その問いには肯定しておく」
「……私を猫と呼ぶのも仕方ないと言えるな」
「……それも、肯定」
なんだろう、きっと凄い会話なんだろうけど、全然ついていけないですよ……!
サシャさんが『なんて言ってるの?』って聞いてくるけど私にも良く分からないので首を振るしか出来ない。
……これほんとどうすりゃいいんだ?
ルクシエントファルファについて分からなければ意味が分からない。なので、辞書で探してみる。恐らくだが、生物の種類だと思うんだけど……。
散らかった部屋を見回して、辞書を発見して手に取る。多少傷が入っているが、ノートとかよりも分厚い装丁が辞書を守り抜いたらしい。
ぺら、と1ページ目で固まった。いきなりルクシエントファルファの名前が目に飛び込んでくる。その生き物は鋭い牙を持ち、トカゲのような姿で翼が生えている。手足にも凶悪な爪が生えた……なんというか、ドラゴンだった。ドラゴンも、人の姿がとれるんですねぇ。感心するべきはそこじゃない。
トレノリスファーマが言うには、滅びゆく種族、だそうだ。辞書にも、最強だが数が少ないと表記されている。貴重種族だし、強すぎるが、その肉体は貴重な素材が多いらしい。だから乱獲してさらに数が減っていると、辞書に説明されている。最強のドラゴンすらも殺す人間の方が恐ろしいね。
トレノリスファーマも骨の鳥になっていたくらいだし、死んでいたんだろう。死因は分からないが、人間に対してそこまで悪感情を持っていないように思える。あくまで私の主観だが。
シャーロットの驚きようを見ても、相当レアな生き物である事は分かる。なんというか、どんどんとんでもない方向に向かっている気がしなくもない。ちょっと気が遠くなりそうになりながら、サシャさんが紙を差し出してきたのでそれを読む。
『まさか、あの生き物はそれですか?』
「え?ええと、たぶん、ですけど」
その返答を聞いた瞬間、サシャさんが部屋から飛び出して行った。あまりに素早かったので、止める暇もない。誰かに知らせに行ったんだろう。もうおじい様を呼んで来て下さい、私では対処出来ませんよ。
サシャさんを見送っていたら、机の上に立っていたトレノリスファーマが床に着地。まるで羽が生えているかのように軽やか。全裸だから、目のやり場に困るが……恐らく見た目よりもはるかに、気が遠くなるほどの年月を越えたドラゴン。
オイドクシアやおじい様の言葉に乗せられてホイホイ契約なんてするんじゃなかったと激しく後悔していると、トレノリスファーマが私の手を取って、指を口に咥える。しゃぶりつきたくなるような色っぽい唇に吸い込まれて、女なのにドキッとしてしまった。咥えられた指に舌が這わされて、ぴりっとした痛みが走る。そういえば、その指は骨の鳥の時に怪我をさせられた部分だ。骨の鳥とこの悩ましい美女は同一人物、つまり、怪我をさせた張本人である。気にしていたのだろうか。
「不意を突いた事、謝罪致す。しかし、こちらにも猶予がなかった、許せ」
「は、はぁ、いえ、お気になさらなくて大丈夫です……と」
手を解放されたので、自分の指を見て驚く。傷が消えている。この世界には、劇的に回復するような治癒術はないはずなのに、だ。
妖艶な雰囲気のある美女が艶やかに微笑みかけてきた。
「簡易な治癒だ。主、これよりよろしくお頼み申す」
……こいつはやばい奴と契約してしまったぜ。




