オイドクシアお嬢様
本日はいよいよオイドクシアお嬢様がやってくる日である。
シャーロットはなんでも変身できると言っていたので、猫の姿になって貰った。
オイドクシアが敵かどうかも定かではない為、神獣の事を相手に知られる訳にはいかないからである。まぁ、その事も全て承知で来ているのかもしれない訳だが。
考えても仕方ない。後は来るのを待つだけである。
カロリン嬢の時とは違い、エルリックと出迎えムードを出すために玄関ホールまで迎えに行く手はずになっている。
今まで入院していた病弱な妹にやっと会えるのだ。例え相手の腹がどんなものか分からずとも、出迎えない訳にはいかないだろう。
「みゃーむぅ、むむぅ」
私の足元でシャーロットが微妙な鳴き声を出してゴロゴロしている。滅茶苦茶手触りの良い猫様って感じで、いつまででも撫でていたくなる。だけど、図鑑を見る限り獰猛そうなライオンの姿なんだよな、信じられない事に。まだ、本当の姿を見ていないけれど、羽だけ見ればとても美しかった。たぶん、本体はかなり恐ろしいんだろうが。
「いらっしゃったようです。さぁ行きましょうか、お嬢様」
ニーナに言われて、優雅に立ち上がる。
さて、どんな人なのだろうか。不安を表に出す事はせず、ただ微笑んで足を踏み出す。
玄関にはすでにエルリックやルカなどが勢ぞろいしている。緊張感がこの場をしめているのも無理はない。
私が入手している情報では、大人しくて、殆ど喋らない、もしくは寝ている……というのがオイドクシアお嬢様らしいのだ。来客もおらず、両親が来る程度。内臓が少ないためなのか、喋る事は殆どないらしい。体への負担になるのだろうか。どこの内臓が持っていかれているのか分からないが、死んでしまうかもしれないレベルなので、相当なのだろう。
そんなオイドクシアお嬢様が外出。果たして医師の許可が出るのか不安だったが、ここに来ているという事は大丈夫だったようだ。
少し質素な馬車が門の前で停車し、ドアが開く。
そこから現れたのは、執事に抱え上げられた小さい女の子だった。その銀の髪は胸のあたりまで伸びていて、まるで透き通るかのような美しさがある。自らの足では歩けないのだろう、抱えられたその表情には苦痛が浮かぶ。それほど無理をおして来ているのだろうと一目見て分かった。
エルリックが息をのんでその場で待つ。他の者も、オイドクシアお嬢様の芳しくない様子に戸惑っているようだ。
あれだか辛そうなのに、なぜここに来たのか、その理由が分からないのだ。中央の病院ならすぐに適切な処置をしてもらえるし、ここよりはそちらの方が良いに決まっているのだから。
私達の所までオイドクシアお嬢様を抱えてきた若い青年の執事が口を開こうとした時、少し震える手を上げてそれを止めたのはオイドクシア本人だった。
「降ろして……流石にこの恰好では、示しがつかないから」
「しかし……」
「私はそのままでも構わないぞ?」
執事が戸惑っているのを見て、エルリックが口を挟む。うん、我々の方はそのままでもまるで問題はない。むしろ、よくここまで来れたな、という気持ちである。
声をかけてきた人物に視線を向けて、きょとんとしたような可愛い顔を浮かべる。
「お兄さま、でしょうか……?」
「ああ、私がエルリック・ヴィリスト・フォルジュ……君の兄だ。そしてこちらが……」
「エリカ・ヴィ・フォルジュですわ」
エルリックに促されて自己紹介する。軽く礼をしてから顔を上げると、じっとこちらを見られていた。
何か不味い事でもしただろうか。それともエリカの件を知っているのだろうかと、周りに緊張が走る。
だが、しばらくしてオイドクシアの視線は外され、軽く目を伏せる。
「はじめまして、ですわ。お兄さま、お姉さま……このような恰好で申し訳ありません」
「構わないさ。よく来てくれた。さぁ、すぐに部屋へ。ルカ」
「はい」
ルカがオイドクシアを抱えた執事を案内する。
エマやミサが、馬車に同乗していたメイドに手を貸しているのをチラリと見つつ、屋敷の中へと戻る。
「容体は悪いようだな……」
エルリックが独り言のような感じで呟いている。それには私も同意見だった。
白い肌には汗が流れており、笑顔も無理に浮かべたようなもので、とてもではないが痛々しくて見ていられない。
最近、容体は良くなったと聞いていたんだが、デマだったか?いや、馬車による長旅で体力を消費してしまったが故かもしれない。
「では、私はオイドクシアの体調が戻るまで仕事に戻るが、エリカはどうする?」
「私は……勉学でもしていましょうか。見に行っても、邪魔にしかならないでしょうから」
「ああ、そうするといい」
柔らかい笑みを向けられたので、すぐに視線を外して自室へと足を向ける。エルリックの家族向けスマイルは目と心に痛い。
一応、エリカの部屋とは離した所にオイドクシアを案内している。本来なら、2階のエリカの隣の部屋が良いのだろうが、体調の悪いオイドクシアは移動の比較的楽な1階の客室に、と言う事になったのだ。
彼女を抱えていた執事も何も言ってきていない様子なので、何も問題はないのだろう。あちらさんとしても、1階の方が都合が良い事情があるのかもしれない。
2階へと足を運びしばらくしたところで、追従していたシャーロットが「むむぅ」と唸る。
足を止めてそちらに目を向けて、後悔した。顎の部分だけ人の形を取っている猫という複雑怪奇な生き物を目にしてしまったからだ。
そっと視線を庭の方に向けて、自分は何も見なかった。と言い聞かせる。
「あれは、長くもたんぞ」
「え」
シャーロットの言葉に驚いたが、そちらに視線を送ることはない。たぶんまだあの奇妙な形態なんだと思うと怖くて見れないのである。
「色々見て来たが、極端に生命力が低いからな」
「な、え……」
なんかとんでもない事を聞いてしまった。いや、神獣だからそれが見えているのか。っていうか、どうしてそんな状態なのにここに来たのか。
私が動揺していると、ふ、と笑う気配がした。
「お、やっと動揺したか。流石に姉妹の生き死にだと乱れるみたいだな」
「……冗談、ですか?」
セスをからかう時のような口調なので、冗談である事を期待した。が、すぐにその期待は砕かれる。
「いや?本当の事を言った」
「そうですか……」
確かに素人目で見ても、かなり体調が悪そうに見えたが。神獣と呼ばれるものにはっきりとそう告げられるとくるものがある。まだあんなに小さな子供なのに、この先短いなど……自分は恵まれている方なのだなと改めて実感させられる。
執事によって抱かれた小さな少女はまるでドールのように美しかった。苦痛に顔を歪ませ、汗をかいていなげればだが。透き通るような銀の髪と白い肌が、本当にそこに存在するのか不安になるほどに儚い印象を受ける。内臓が1つないせいで成長が遅れているのか、4歳よりも幼く見え、余計に胸が痛い。
日本でも救えない命がある中で、この世界でのオイドクシアの生存率はいかほどのものだろうか?恐らくだが、貴族であるがゆえに最大限の医療を受けている状態だろうと思う。それでも生命力がかなり低いと……。この世界に内臓の移植があるかどうかわからないが、日本の方でもドナーが見つかるかどうかは運まかせである。その事を考えると、かなり危ない状態……それこそ、シャーロットのいうように、長くはもたない状態なのだろう。
……嫌な考えだが、長くはもたないからこそ、病院を抜けて来たという可能性についてだ。最期を迎えるにあたって、やりたい事をやれるだけやりたいという希望があったなら……もはや命を諦めているようなものだが。先が短いなら、後悔がないように、という考え方も出来る。
その線が濃厚かもしれないと思いつつ、胸に重いモノが乗ったような感覚に陥る。
私の周辺では、命がなくなるというような出来事が、幸運にもなかった。……自分の命が危うかった事なら結構あるが、自分の命と他人の命は違う。幼い子供の命が失われると言う事が、こんなに苦しいものだとは。たかが他人とは思えない。仮初とはいえ、姉妹としての体裁になっている事も影響しているのだろうか。
命が危ない子が屋敷内にいると思うと、勉強も手につきにくい。文章が全く頭に入ってきてくれないのだ。
容体は大丈夫か……と気が気ではない。今まで放置していたのに、人間というものは勝手な生き物だと思う。
頭に入ってこない本のページをめくっていると、扉がノックされたので返事をする。
入ってきたのはニーナだった。
「その様子では、手についていないみたいですね」
私を見た途端苦笑まじりにそう言って来られて、思わず目を背けてしまった。なんだかお見通しのようで、こちらも苦笑を浮かべてしまう。
「神獣様はどこに?」
「シャーロットならば、猫の姿で散策してくるとおっしゃっていましたよ」
「そうですか」
と、私と喋りつつ、紅茶を綺麗に入れて茶菓子の準備もしている。その流れる様な所作に毎度見惚れてしまう。
「それでは、オイドクシアお嬢様の現在の状況についてご報告させて頂きます。どうぞ、紅茶を飲みながらごゆるりとお聞きください」
良い香りを立ち昇らせているカップを机に置き、そう告げられたので、姿勢を正してニーナの顔を見る。
「もう少し姿勢を崩して貰ってもいいのですが……まぁいいです」
と、小さく呟いた後にオイドクシアお嬢様の現状について口を開いた。
オイドクシアお嬢様と共にフォルジュの別宅に訪れたのは執事1人とメイドが2人。身内という事だが、影武者の事は伏せる方針だそうだ。執事やメイドの雇い主がフォルジュ公爵だから、そちらにバレるのは非常に不味いからだ。エリカに貴族失格の烙印を押されて二度と貴族復帰できなくなる事をエルリックは恐れている。逃げたのだから、その時点でもう失格なのだが、エルリックの方は最後まで諦めるつもりはないらしい。
家族愛ってやつですかね。私には縁のなかったものだ。少々羨ましくある。だから、エルリックの目線はかなりキツイものがあるんだろう。仮初である私ですら家族として見てくれているというその目は、真っ直ぐ見ていられない。
そして、肝心のオイドクシアお嬢様の容体についての話に入る。
「オイドクシアお嬢様には、魔獣の臓物で作られた魔道具が埋め込まれています。その使用期限がこの半年以内に切れるそうで。新しくその魔道具よりも高位の魔道具を手に入れない限り、命はそれまでという話です」
「……そうですか」
「あれ、あまり驚かれていないみたいですね」
「いえ、驚いていますよ」
「その無表情でですか」
「これでもです。しかし、心の準備はある程度していましたからね」
「と、いうと?」
「ええ、実はシャーロットが長くはもたないと断定していたんですよ」
「へぇ、神獣様ってそこまで分かるものなんですね……」
「私も驚いたものですが……それで、その魔道具って見つかりそうなんですか?」
「それなんですよね……どうも、貴重なものらしくて、現在命を繋ぎ止めているものも、グリーヴ様とフォルジュ公爵様が色々手を尽くしてやっと手に入れたようなものなんですって。しかも何度か使用したものしか手に入らなかったみたいで、それ以外は見つからなかったみたいですよ」
「そうですか」
侯爵と公爵が手を尽くしてようやく使用したものを手に入れるだけの貴重なアイテムってどんなだ。というか、使用済みで大丈夫だったのか?……だから短い期間しか使えていないと言う事か?だとするとその貴重な魔道具とやらは使用前だったらもっと元気になれるような魔道具なのかもしれない。魔道具については詳しく知らないのでなんとも言えない。あとでおじい様に詳しく説明して貰ってみようかな。理解出来るかはともかく。
そう言えば、この世界に回復魔法ってあったっけ?
「ニーナ、回復魔法ってないんですか?」
「うーん、自然治癒力を高めるような事はあるにはありますが、命をつなぎとめるような大掛かりな魔法は聞いた事ないですね」
「え、では……オイドクシア様が魔道具を埋め込んだのって……」
「人の手で切開して縫合したのではないですか?普通はそうでしょう。臓器まで回復するような便利な魔法があればいいんですけどねぇ……ああ、でも代償が同等のものだったら意味ないですか」
まじですか……回復魔法ないんだ……。まぁ、確かに代償があるような魔法だし、そもそも属性のどれが回復に適しているのかも良く分からない。
代償が同等のものだとしたら、今度は魔法を使った側の命が危うくなる。そういう魔法が使える人がもしいたとしても、貴重な人物として秘密にされたり、本人も隠そうと必死になるかもしれない。しかし、ニーナも貴族であるので、ないというならないのだろう。そもそもあるのなら、オイドクシアお嬢様の命が危険になる事などなかったんだから。
「グリーヴ様もいつかこの日が来るだろうと思って探していたみたいですけれど、魔獣の死体なんて都合よく手に入らないですしね。そもそも人と通じ合えるような方達ですから、魔物のように殺して臓物を抉り出すという事は出来ませんし」
あ、はい。ニーナの可愛い口から殺して臓物を抉り出すという言葉なんて聞きたくなかったです。騎士家系だから、魔物とは戦った事でもあるのだろうか。妙に実感のある声だったんだけど。
その辺については深く考えるのはよそう。
「魔道具を作るのならば、魔物の素材でもいいのではないですか?」
魔獣でも魔物でも、魔力を持っている事に変わりはないだろう、たぶん。意思疎通が可能かそうでないかの違いくらいしか知らないし。
「ただの魔道具ならそれも出来るんでしょうけど、人の身に埋め込むようなものですからね、あんまり体によくなさそう……それが出来るならとっくに狩ってきているでしょうし、実際出来ないんでしょう」
ふうむ、そういうものなのか。魔獣と魔物では、意思疎通の他に魔力の違いでもあるのか。そういえば、シャーロットは風の属性を持った神獣だし、属性が合う魔道具でないといけないという縛りもあるのだろうか?都合よく魔獣の死体が見つかったとして、時空属性であるとは限らないのか。だとすると本当に貴重なのか。いや、見つかっていないから貴重である事は間違いないんだろうが。
「助けたいと思う気持ちは分かりますが、私達ではどうしようもないんですよ。専門外ですし、グリーヴ様でも見つけられていないんですから」
それは確かに難題ですね。グリーヴ様でも見つけられないとなると、なんだか不可能な事のように思える。
というか、グリーヴ様はオイドクシアお嬢様の容体については知っていたって事ですか。敢えて言っていないのは何か思惑でもあったのか。
私が俯いていると、ニーナが軽く息を吐き出し、封筒を取り出した。
「サシャさんから手紙を預かってます。ルーク様宛に書いたもの……代筆させてたんですね。内容を確認して、大丈夫そうだったら私が出してきます。ですので、気分転換に読んでくれますか?」
「ああ……」
すっかり忘却していた。サシャさんに頼んでなかったらきっと返信などしなかっただろう。
ルークという名すら物凄く久し振りに聞いたわ。婚約者なのに、それではいかんな。
受け取った手紙には封はされておらず、簡単に中身を見る事が出来た。中身を取り出し、少し甘い香りのする手紙を開く。
『愛するルーク様へ』
ビタン!と、一度机に手紙を叩きつけてしまった。
これ私が出すんですよね?私が出すと言う事になってるんですよね?ああああっ!うん、知ってる、婚約者ですものね!ルークが来訪して来た時の事を思い出して、思わず頭を抱えた。あのやたらと女慣れした男相手に、よくもまぁ化けの皮が剥がれなかったと我ながら褒めてあげたい。まぁ、あの人の目が若干暗いから耐えられたんだろうけど。エルリックみたいに純粋無垢な目で見られた訳じゃないからな。
「なんなら私が読みあげましょうか?」
「全力で遠慮させて頂きますね」
ニーナの心遣いを有難く思う事もなく跳ね返す。
ニーナも読み上げる気がなかったのか、ニヤニヤした顔をしている。ああ多分、内容をチラッとでも見たんだろうな。
ニーナの軽い冗談に苦笑いを浮かべながら、机に叩きつけた手紙を読むために手元に引き戻す。
『私も貴方がいなくて寂しいですわ。貴方のように上手く手紙につづる事が出来なくて、中々返事が出来なかった事を許してください。けれど、毎日貴方の事ばかり考えています。お手紙も嬉しくて何度も読み返しています。ルーク様のような素敵な方と婚約者になれた事に深い感謝と喜びを(以下略』
「すごいなこれ」
と、思わず呟いてしまった。
それを聞いたニーナが、クスクスと笑っている。
「私も読みましたが、なんか甘いですよね。別の誰かの恋文を見ているような気分でした」
「ええ、少なくとも、私とルーク様の恋文でない事は確かです」
いや、エリカとルークの恋文という体裁なんだけどね。でも、あの化かし合いのような攻防を繰り広げた相手に送るようなものではない。
「あー……まぁ、見た目だけならお2人共とても似合いの婚約者にみえるんですが」
「え……そうでしょうか?あれ程恰好良い方と私が釣り合うとはとてもではないですが、思えないですね」
「本気で言ってるんですか?」
「……何か可笑しな事言いましたか?」
「言っておきますが、お嬢様は美人ですからね?」
「またまた」
「いや、またまたじゃなくて、本当に」
「私はニーナの方が美人だと思います」
「それはありがとうござ……いや、ごまかそうとしてないで」
「ああ、手紙、これで出しておいてください」
「あ、分かりました。それでは出してきますね……ごまかしましたね」
ニーナが何か呟いているが聞こえない事にしておこう。
私が美人だなんてありえないでしょう。そもそも美人ならば、もっとモテて然るべきである。神獣にはモテてるけども。ぽかぽかしてあったかいせいだろう。魔力的な意味で。
ニーナが退出するのを見届けた後、かたかな表を取り出して眺める。エリカの名前も随分流暢に書けるようになってきた。他の文字は、まだちょっと合格点には届いていないが、まぁなんとかなるだろう。
にしても、オイドクシアお嬢様の思惑はなんなのだろう。彼女の顔を見る限り、確かに普通の幼子とは違うような感覚があった。この世界の幼子の通常など知らないが、結構大人びた喋り方をする子、という印象。けれど、何か策を練るにしては体が病弱すぎる。実際、体に埋め込まれている魔道具が壊れればそれまでの命という非常に危ういものだ。
余生を楽しむためと言うのなら、私に何か出来る事はあるだろうか。




