貴方について行きます
誤解は解ける様子がないし、あまり人とも会わないので。とりあえずこの世界の事を勉強しておく。
黙々と本を読んでいると、何かの気配がしたような気がして、そっと後ろを振り向く。すると、そこには水色の騎士が立っていて、驚いて硬直する。驚きすぎると人というのは声も出せないし身動きも取れなくなるものだという事を、今実感した気がする。
何の音もしなかった。ただなんとなく人に見られているようなそんな気配がしたというだけ。そういうのはよくお風呂とかで、シャンプーを洗い流している時になるものだろう。何もいないとわかりつつ、それでもなんだか不安だからつい、そっと後ろを振り向いちゃう。そんな感じの事だ。だから、本当にそこに人がいるとは思わずに振り返ったのだ。
バクバクと暴れる胸をギュウウと右手で押さえる。止まっていた呼吸も再開させて、なんとか落ち着ける。
その間も、水色の騎士はそこに立っている。人形のように感情のない綺麗な顔で黙って気配を消して背後に立たないで欲しい。死ぬかと思った。本気で死ぬかと思った。これがお年を召した方ならあの世に就職したかもしれない。凄く心臓が痛いですもん。ショック死しますよ。
深呼吸を繰り返して、未だに震える手を持て余したまま、とりあえず本当に人か確かめる為に話しかけてみる。
「あの……」
話しかけると、1度瞬きをして、2ミリほど動いた気がする。気がするだけで、本当は微動だにしていないのかもしれないが、それはいいとして。
いや、こわいこわいこわい。
本当に私は人に話しかけているのか不安になってきましたよ?私が怯えを見せていると、水色の騎士がようやく音を立てて動いた。
1歩私の方に近づき、右手を左胸に添えて片膝をつく。まるで騎士に跪かれているようだ……って実際に跪いているのか。いやまて、何故今、そのような状態になっているのだろう。訳が分からずに混乱は深まるばかりだ。
「このヴァレール、エリカ・ヴィ・フォルジュ様の護衛騎士に拝命致しました」
とうとうと水のせせらぎの様な澄んだ声でそう言われた。イケメンめ、思い出したよ。確かこの人、エリカの兄を手刀で昏倒させた人だ。その人がエリカさまの護衛騎士に……はぁ、なるほど、とことんエリカさまを縛りつける気なのか。
それにしてもエリカ・ヴィ・フォルジュというのが本名という事かな。あとで調べるか。
拝命しましたと私に言われても、エリカさまは未だ逃亡中だからな。意味はないと知りつつ、とりあえずこれだけは言っておく。
「私はエリカという人物ではありませんよ」
だから、私に仕えても意味ないですよ。守っても意味ないですよ。
そう言ったのだが、水色の騎士の反応は、顔を上げただけだった。何も言わない、否定もしないし、肯定もしない。ただただ、その綺麗な青い瞳でこちらをたんたんと見つめて来るのみ。
じぃーっとこちらの事を見るので、耐えられなくなったのは私の方だった。イケメン耐性が薄いのだ。妹の周りには沢山のイケメンがいたが、実際に面と向かう事は今までなかった。こんなに見つめあったら普通に惚れてしまうぐらいモテない身としてはかなりキツイ眼差しだ。
目を逸らして何かのアクションを待つが、ビシビシと視線を感じるだけで、彼は何も言わない。なので、早々に諦めて本の方に目をうつす事にした。
あのイケメンは危険だ。何が危険って無駄に真っ直ぐ見つめてくるのだ。小市民には厳しいものがある。
微妙な気持ちになりつつ、本をパラパラめくると、フォルジュの名前を見つけたのでそこを読む事にした。
フォルジュはかなり古くからの貴族で、レーデンバーグの王族にも何度も姫を出したり、また貰い受けたりした事のあるかなり権力を持った所。
なん……え?
王族と関わり合いが深い貴族?ええと、エリカ・ヴィ・フォルジュのヴィの部分は公爵を意味する。女性の場合にヴィとなって、男性の場合だとヴィリストになるか。ええと、公爵っていうのは最も位が高い貴族の事じゃありませんでしたか?しかも王族の血も結構継いでいそうな感じですよね。
これ……これ、え?エリカさまやばくない?ちょっと待って、家出してる場合じゃないよ。なにしてるの。
すごくやばい事態に、背筋がひやっとする。
そりゃ兄も執事も鬼の形相になるだろう。結構な地位の娘が家出など。ええと、しかも駆け落ち?とか言ってたような。有り得ない。駆け落ちするくらいだ、認められないような男と恋に落ちたのだろう。
さあ大変だ。エリカさまの捜索は私のせいで止まってしまっている。その間に攫われたりしてみろ、人質にされかねないし。
いや待て、本物が出てきたら私はどうなる。
詐欺罪?国家反逆罪?その後処刑?待って待って、無実よ。私なにもしてない。というか誤解してるの向こうなんですけど!?やばい、これは私の方が逃げないとまずいかもしれない。私がいなくなればまたエリカさまの捜索をしてくれるし、逃げ切れれば私は死罪を免れるのではないだろうか。
流石に飛躍しすぎのような気もするが、どう転ぶか分からない以上、最悪の結末だけは考えておいた方がいいだろう。どこの馬の骨とも分からない女が王族の血を継いだ貴族の娘の名を使ったのだ。死んでもおかしくはないだろう。たとえ誤解だとして、それが果たして貴族に通じるかどうか。
貴族というものは、傲慢だったり、市民に厳しいモノ。そういう認識が強い。それが王族に近い偉い人物ならなおさら。市民にも奴隷にも優しい貴族などほんの一握りだろう。フォルジュ公が温情のある方ならいいが、望みは薄い。会った事も話した事もない貴族の事など信じられるはずがないのだ。ましてや、信じていた人物にも裏切られるような幸の薄い人生で生きて来たなら尚更。
しかしどうしたものか。チラリと後ろを振り向くと、先程の騎士が壁に同化するように控えている。どう考えても脱出は無理。洗練された彼の動きに私が叶うはずもない。
窓を見ても、木枠が念入りに組まれているのでこちらも無理。そして夜なら騎士もいないだろうが、その代わりにあの扉は鍵が閉められる。詰んだ。そもそも、1度逃げ出した事のあるエリカさまをもう2度と出さない気満々である。そんな状態でどうやって逃げ出せというのか。
思わず頭を抱えてしまう。私はエリカさまじゃないと言っても信じてもらえないし、逃げるなんてもう出来ないようにされていると推測される。たかが小娘1人を2度も取り逃がす様な愚かな貴族ではないはず。
……いや待て。たかが小娘が何故1度逃げ出す事ができたんだろう。聞いた限りだと、悪評ばかりでアホっぽい誰かだと思わずにいられないのだが。そんな人物が警備もいるような所から逃げる事が出来るかと言われれば、首を捻るほかない。
悪知恵だけは働くような人物だったか、それとも……彼女に吹き込んだ者か、手引きするような人物がいたか。
それは果たして誰だろうか。1人だけ思い浮かぶのは駆け落ち相手だろうが。公爵に認められないような相手ともなると、それ以下の貴族か、市民か、犯罪を犯した事のある者か。流石に3つ目はないだろうと思いつつも、とりあえず考えには入れて置く。何せ、公爵家の警備から娘を脱走させるほどの手練れなのだ。用意周到な人物で間違いないと思う。
それと、敵対している貴族と言う場合もあるのか。エリカ様の脱走でこちらの内部が慌てている間に攻撃したりとか。
うわぁ、もうヤヤコシイ話ですね。
考えれば考える程ドロ沼のような気がして、生きた心地がしない。ひやひやと背筋が冷えてなんだか寒くて自分を抱えて腕をさする。ああ……やだなぁ。誤解を受けたままなんて。誰も私の事を知らない世界で打ち首か。世知辛い世の中ですなぁ。
ぷるぷる怯えていると、そっ、と肩にブランケットが掛けられてハッとする。顔を上げると、先程の騎士が私の傍まで来ていたので再び驚く。いやだから!もうちょっと音立てて欲しいんだ!
……って、今、ブランケットかけてくれたのか?私が震えてたから?イケメンの上に紳士なんだね、凄いね。まぁ、仕える事になる人、つまりエリカ様を気遣っての事だろうけど。でも、素直に嬉しいのでお礼を言っておく。
「ありがとうございます」
騎士は、目礼をするだけで、本当にほとんどしゃべらない。寡黙な人なのかな。そっと目を伏せると、そこに影が出来る程度にまつ毛が長い。
しばらく騎士を眺めていると、扉を叩く音が聞こえて来た。なので、返事をして立ち上がろうとしたが、騎士に手で制止され、代わりに騎士が扉の方に向かって行った。
ああ、なるほど。主は自分から歩かず、他の人にやらせるわけだ。そういえば、エリカの兄にあたる人物も、執事に扉を開けさせていた。私はエリカ様じゃないんで、なんだかそわそわしてしまうんですけどね。
「失礼しま……ふわあああ!?ルフト男爵様!?しし、失礼します!あ、あ、そんな!大丈夫です。扉離して大丈夫です!」
「……いえ」
騎士が扉を開けているのを見て、メイド服の少女が慌てふためいている。しかし、騎士の方は頑なにその扉を離さない。が、なんだか少しだけ困っているような感じに見えなくもない。顔は無表情だけど。
騎士は男爵か。男爵は位が最も低かったおぼえがある。
しっかりと編まれた茶色の髪の少女は、胸が大変ふくよかだった。慌てていると、揺れる。何がとは言わないが、とても揺れている。
「ああああ!?いつまでもここに立ってるからですね!?すみませんすぐ入ります!」
そう言って、シュタッと、中に素早く入って来た動作が可愛い。そしてもちろん、とても揺れていた。何がとは言わない。あれが俗にいうロリ巨乳というやつだろうか。なんて属性値の高い生き物なのだろう。しかもメイドときたものだ。異世界ってのはげに恐ろしい所である。
騎士は礼をして、音もなく部屋を出て行く。その様子をうっとりした表情で見送るメイドさん。それは完全に恋に落ちちゃってる顔だった。
なるほどな、と。確かにあれは惚れるな、と。メイドにもあのように礼儀正しく接しているし、あの恰好良さ。少女が恋に落ちるのも仕方あるまいと思う。騎士とメイドの恋路か……なんてロマンが溢れる話なんだろうか。実際は壁が高すぎて無理がありそう、なんて夢のない事は考えない。考えない。
いつまでも呆けているメイドさんを眺めておく訳にもいかず、話しかけてみる事にする。
「あの」
「あっ!これは失礼しました。このニーナ、再びエリカ様のお世話を担当させて頂くことと相成りました。宜しくお願い致します」
深々と頭を下げられる。
なるほど。貴族だし、お付きの人がいるものですよね。確かに先程の騎士より、元気で可愛らしい同性のメイドの方が私も安心だ。騎士は音も気配もないが、いる事に気づくと落ち着かなくて仕方ない。気付いた瞬間驚きすぎて心臓に悪いし。
しかし、私はエリカ様じゃないので、お世話をするのは間違っていると思う。なので、無駄だと思いつつ、またこのセリフを言う。
「私はエリカ様じゃないですよ?」
メイドさんはきょとんとした後、大爆笑した。
「えー?なんですかー?それって下町で流行ってる遊びですか?あ、そうだ。脱走した時、どんなだったか聞かせてくださいよ!」
「……」
下町ジョークだと思われてしまった。
しかし、脱走した時の事を聞かせてくださいと言われても、私には答える事が出来ずに困る。私がこの世界の事を知っていると言えば、森で彷徨った時の思い出しかない。
「気付いたら森にいて」
「はい!」
「気付いたら、ここに連れ去られてた」
「……いやぁ、私がお聞きしたいのって、そう言う事じゃないんですけどぉ」
これが私に言える全てだよ!
残念そうに唇を尖らせても何も出てきやしない。
「ニコさんとは結局別れたって事なんですか?」
「……」
ニコというのがエリカ様と駆け落ちした相手だろうか。私の無反応の様子を見て、呆れたように溜息を吐くメイド。
「ま、しかたないですよね。お嬢様ですからね。平民の暮らしは合わなかったんでしょう?」
そう言われても。
未だにエリカ様が帰ってきてないという事は合っているんじゃないですかね。
すると、何故かメイドは戦闘態勢をとる。良く分からないが、こちらもそれっぽい恰好をしておく。なんだろう。このメイドとはエリカ様は仲が良かったのだろうか。
「……」
「……」
「……怒らないんですか?」
「……はい?」
真ん丸に目を見開いて心底驚いているが、何に驚いているか分からずに首を傾げる。怒る要素がどこにも見当たらないし、何故怒らねばならないのだろう。
「うっそだ!これだけ馬鹿にしたらいつもならとっくに怒るじゃないですか!?変なもの食べました?」
「……だって、私はエリカ様じゃないですし」
「それだ!それ貫く気だ!?あああー結構徹底的!」
パチリと指を鳴らして納得しているが、こちらは納得がいかない。なんだ、なぜそう言う事になっているんだ。本当に全く完全に他人なんですけど。まるで他人を演じているみたいに言われるとちょっとショック。
チッチッチ、と人差し指を揺らしながら偉そうに腰に手を当て、笑っている。
「そう上手くはいきませんよ。いつその化けの皮が剥がれるか見物です!」
「いや、だから……」
「そうだ!今日からお世話させて頂くんです。いつまでもそんなだらしない恰好はいけませんよ。さぁ、着替えて着替えて」
そう言って、あっと言う間にすっぽんぽんに剥かれた。本職のメイドって凄いんだ。人体の何もかもを知り尽くして、こう動けばあっちに移動させれば簡単に脱がす事が出来るという事を分かっているのだ。私が多少抵抗を試みた所で無駄だった。本職メイド怖い。
楽だった寝間着を投げ捨てられ、コルセットをつけてやたらと豪華な服に着替えさせられる。ひらひらして、実に動きにくい事この上ない服だった。これはまた脱走する時の枷になりそう。
憂鬱な気分で窓の外を眺めている間に、髪の毛も綺麗に結われる。次に化粧も施され、完璧にされた。これは何処かに出かけるのだろうかとちょっとわくわくしてくる。うまく脱走できるかな。
「さぁ、今日からグリーヴ様の講義が始まりますよ。逃げようったって無駄ですからね?分かってると思いますけど」
「講義?」
「今日からですよ。聞かされてないんですか?それとも忘れていたんですか?……前者ですかね。嫌がって逃げないようにって」
なんちゃって、と小さく呟いている。
エリカ様どれだけ講義が嫌なんだ。にしても。独学では無理があるし、何か教えて貰えるならそれに越したことはない。フォルジュ家の中で誰が指揮をとるのか。兄は若すぎるし違うと思うが、探りを入れる事も視野に入れておこう。
「できました!」
彼女がそう呟くと同時に、扉が叩かれる。メイドは慌てて駆け寄り、扉を開ける。
そこから現れたのは、白髪交じりの紫の髪をしたおじい様だった。おじいちゃん、ではない。おじい様だ。醸し出すその雰囲気と柔らかそうな態度、完成されたと言っても過言ではない完璧なおじい様がそこにはいた。
黒いタキシードを優雅に着こなし。足が悪いのか、杖をついてゆったりと、それでいて美しい所作でこちらまで歩いてくる。
私は気が付くとぴっしりと背筋を伸ばして立っていた。彼のその空気感がそうさせるのか、気が引き締まる思いだった。世の中のすべてを知り尽くしたような瞳に、冷や汗すら流れる。
この人は、相当、偉い方だ。と、すぐに分かった。
メイドは何時の間にか私の傍から離れており、壁の方に控えている。ずるい、こんな空気圧のある人と話さねばならない私と変わって欲しい。本来なら、私はこんな所に来るはずじゃなかったのだ。
というか、講義があるといったか。まさか講義のためだけに着替えさせられたのだろうか。そう思うと、少し気分は憂鬱になる。外、出られると思ったんだけど。
「外が恋しいですかな?」
「……っ!」
え、え、エスパァ!?何故考えた事が分かったんだ。
おじい様は穏やかに目を細めて笑みを作った。そして、右手を左胸に当てて、軽く腰を折る。その礼もまた見事なモノで。まさか礼で見惚れるとは思ってもみなかった。
「これは失礼しました。私はグリーヴ・トゥーラカーマ・ダラス。今では老後の暇つぶしにで教鞭をとっております。まずは、お名前をお聞きしてもよろしいかな、お嬢さん?」
「え……あ……!?」
名前……!?今、この人、私の……私の名前を聞いたの?いや待て、この方はエリカ様とは初対面なのか?しかし、メイドの口ぶりからから初対面とは思えなかったが、そうではないのだろうか。
私が困惑していると 後ろでメイドが驚いた声をあげているのが聞こえる。
「え……グリーヴ様?」
「ふむ、エリカお嬢様とはかなり毛色が違うでな……なぜこのようなお嬢さんをここへ?」
「へ!?違う!?ちょ……でも、どう見てもお嬢様ですよ?」
「すまんの……私は視力は弱くてな。君も知っているだろう?」
「へ、え、え」
「だが心を見る目はあると思うのだよ。して、お嬢さん、お名前をお伺いしても?」
グリーヴおじい様が茶目っ気を含んだ笑みでウインクしてくる。そのお姿に思わずきゅんとしてしまう。おじい様……!私、貴方について行きますっ!このお方、絶対若い時モッテモテだったに違いない。そしてこの人に見合う優しくて綺麗なご婦人と結婚したに違いない。
そう、彼は私を他人だと見抜いたのだ。
感動で涙声になっていると思うが、なんとか飲み込んで名を名乗った。
「わだじ……理恵……リエ・コウサカです。グリーヴざま……」