エマから見た影武者
また更新があいてしまった!
屋敷の中でも貴族があまり立ち入らない場所……使用人用の部屋。その中でも休憩室に、少女たちが集まっていた。
「あーそれにしても魔性だったわー目があっただけで妊娠しそうだったぁ」
そう言ったのはエマ。まだ仕事が余っているのか、布地に針を刺している。
そんなエマのセリフに、ギロリと睨みつけるのはミサだった。
「ちょっと、女性が軽々しくそういうことをいうものではないわ」
「あははーまーまぁー落ち着いてー聞いてみてよ」
エマの言動は今に始まった事ではないので、ミサも大人しく口を噤む。ミサ自身も、エマが街に行って何を見て来たか興味があったからだ。
「ビヴァリーの事でさえ、素で優先しようとするんだよー」
「なんですって……!確かに、それは魔性ですわね」
「でっしょー?」
ちくちくと寸分の狂いもない綺麗な刺繍が出来ている。これだけ話ながらでもなお、手元が狂わない事にミサは感心しながら続きを聞く。
両者それなりに、ビヴァリーに対して失礼な事を言っているが、注意する者はいない。ビヴァリー本人が聞けば半泣きになるような言葉だが、聞いていないのだから遠慮はない。
「それでさーあの美貌じゃん?男が振り返る振り返る」
「あー……」
それは確かに、とミサは頷く。
夜空のように漆黒の髪は艶やかで、なんの混じりけもなく。幼いように見える顔。だがその瞳には、大人びた艶っぽい知性が光る。そんな大人と少女の境目のような危うさが、妙に惹かれる所だ。その少女が微笑むと、目が離せなくなるくらいの魅力がある。それは、女性であっても例外ではない。
同じ見た目のはずのエリカも確かに美しいが、彼女ほどの魅力はない。恐らくは、内側から光るものがそうさせているのだろうとエマは読んでいる。実際、言動や行動、視線の動きに至るまで、何もかもが違いすぎるのだから。
「その視線にもまるで気付いてない所がまた危なっかしくてさーエマさん久し振りに張り切ったよねー」
「案外、大変そうですわね」
「大変も大変って、ちょー大変だよぉー。獲物を狙うような目つきをする男を回避しつつ、治安が良い所に自然と誘導し、区切りが良い所でまた移動しなきゃならないんだからさ」
「でも結局、騒動に巻き込まれたって聞いたわよ」
「そぉーなんだよーでも、敢えてかなー?あそこはディートだし、何かあっても対処は早いからさー?何もなければそれでも良かったんだけど、運が悪かったねー、お嬢様に、怖い思いさせちゃったー自分の無能さに、これでも結構落ち込んでるんだよねぇー」
「分かっていますわよ。けれど、エマはエマなりに、頑張ったんですから、そこは誇っていいのではありませんの?」
「ふぅー!ミサ優しい!」
「茶化さないの、もう」
のんびりとした口調の同僚に、優しく微笑むミサ。気を抜く所はとことんまで気を抜くエマだが、頑張る所は相当気合を入れる。オンオフのはっきりした人なのだ。そんな彼女が、お嬢様が無事で済んだとはいえ、サシャが出張ってくる事態に巻き込まれたと言う事に、落ち込んでいる。のんびりとしていそうなので気付き難いが、彼女なりに努力はしているのだ。
だからこそ、下ネタを言われても怒り切る事ができなかった。
「でもさー2日連続で影を引っ張り出す出来事があるって事はさー実は必然なんじゃないかって思えたよね。私があの道を通らなかったとして、果たして別の道で何もなかったと言えるのか、微妙な所だよー」
「確かに、有り得ない話でもないですわね」
表の護衛と、裏の護衛。裏は影とも言われるが、そちらはなるべく出てこない方が良い。1日目はサシャで、2日目がヴァレール。その両方とも引っ張り出す出来事の発生。あの影武者は、何かを持っていると言わざるを得ない。
「それでもって、神獣様っしょー?私、気絶してる女の子みてちょーびびったよ」
「まぁ、そうでしょうね。私も驚きましたわ」
互いに神獣の存在は知っていても、実際に見た事がなかったのだ。まさかあんなに可愛い少女の姿をしているなど、想像していなかった。
「私はその時留守番だったから詳しくは知らないけどさーヴァレール様でしか止められない気配と勢いだったとか」
「神獣様ですからねぇ……だからこそ、止める方が凄いですけれど。そして、気絶もさせられたんでしょう?流石に戦争を事前に止めたと言われるだけはありますわ」
「ちょーびびるよね」
「ええ、人間かどうか疑いたくなりますわ」
実際問題、あれだけの実力の持ち主なら、人外でも納得できると思っているのはエマとミサだけではない。他の使用人全てが思っている事である。それほどまでの気配のなさ、俊敏さを持っている。
「でもさーあの氷の仮面もさ、すこぉしばかり剥げてるの見たのが、めっちゃびびったね。感情あったんだーとか思っちゃったー」
「え、どんな表情していましたの?」
ヴァレールが人外と思われる所以は、その表情の変わらなさもある。まるで機械か何かのように殆ど動かない。その彼の表情が動いたとなれば、ミサも興味を示さざるを得ない。
エマはその時の事を思い出す様に手を止めて視線を上にあげる。少しだけ考える仕草をした後にミサの方に顔を向けた。人差し指をピシリと立てて、深刻な表情で口を開く。
「いうなれば、動揺、羞恥、混乱あとは……絶望、と言った所かな?」
「そんなにですの?」
「エマさんにかかればそんなに見れるよーミサにはちょーっと分かりにくいかもだけど、動揺くらいは分かるよ」
「はぁ……あの男爵様がねぇ。ところで、何に絶望ですの?」
「さぁーてね?そこまでは、流石のエマさんもねー?」
「まぁ、そうでしょうね」
「でも……これは勘なんだけど」
「なにかしら?」
「お嬢様に関係してそうーとは思う」
「あぁ……」
あの人間離れしたヴァレールが動揺を見せる。それは今までになかった事だ。感情が表れたのは、影武者である彼女が来てから。自ら料理を運んだり、命令でもないのに部屋を訪れたり。それまでは必要最低限の言葉しか聞いた事がなかった。
それにしても、とミサは思う。感情を見せるにしても、そこまで顔に表れる訳ではないルフト男爵の感情を大量に読み取ったエマは相当凄いと。
「はぁーあの人さえも虜にする魔性ってすごいよねーこう、ムラムラとするのかなぁ」
「すぐそういう方向へいく……」
感心した瞬間には、すぐにそういう事をいう。むしろ、感心したりするとすぐに言いだすので、感心という想いすら読み取られた故の照れ隠しだとミサは推測する。そう言う所は、あまり素直ではない同僚である。
「いやーほんとだよ?いくら雑にしようとしたって、根本的に動きも綺麗だしねー」
「あら、何かあったのかしら?」
「そうそう、魔道具屋でさーお貴族様ってばればれになっちゃって」
「あら、まぁ」
「魔道具に関して何も知らない子供が興味津々って感じで来るわけじゃなくてさ、なんというか完全に視察、みたいな目で見てるの。そんなの貴族くらいしかやんないし、物を置く時もちょー丁寧。指先とかの動きも綺麗だしさー完全に良い所のお嬢さんって感じ。隠す気ないなーと思って見てた」
「本当に貴族じゃないんですの?それは」
「思ったわーすごく思った。あ、そうそう、デェシュールの店員もちょいビビってたよ。ちょー綺麗に食べるし、乱雑さもないしさー素人でも何か凄い人来たって分かるんだもんな」
「ああ、目的は本当に果たしたんですのね」
「そーそー!ちょー美味しかったよ!ミサも休みとったら行くべきだよー」
「へぇ……いいですわね。私も行ってみたいですが、今は立て込んでますからね」
「あー、ね。神獣様もねー、魔性で魅了したんじゃないかなー?」
「納得してしまいそうになる所が恐ろしいですわ……!」
魔獣は、直感や本能で動く事がままある。なので、相手に魅力があれば、本能的に好きになったりすることはあるのだ。神獣の事までは2人には良く分からないが、直感で動く事は神獣にも有り得ると考えられる。
「所で、エマは大丈夫でしたの?地元だったのでしょう?」
「あー……ははは」
ミサの質問に、答えにくそうに笑う。その笑顔にはどこか暗いモノがある事は気のせいではない事をミサは知っている。
「大丈夫すぎてねー……誰も、私のことに気づきもしないよ。人間っていい加減な生き物だよねぇー」
「そうでしたの……」
その発言にミサは胸が締め付けられるような感覚がした。エマがそこで過ごしている間に感じた苦痛は、相手にとっては大したものではなかったのだと言われた気がして。実際、暇つぶし程度の事だったのかもしれない。だからこそ、簡単に忘れ去る事が出来るのだ。
少し重い空気になった所で、休憩室の扉が開けられた。
「ミサ、エマ、いる?」
「おーニーナじゃん、どしたー?」
「あ、いるわね。良かった。連絡事項よ」
開けられた扉からニーナが顔を出す。お嬢様が戻ってきているので、専属の侍女であるニーナは忙しいのだ。その代わり、お嬢様が出かけている間は少しばかりだが休んでいた。
しかし、エマは出かけている間にお嬢様の世話をしていたので理解している。エリカお嬢様を世話する時と比べれば、影武者お世話など休憩とさほど変わらないと言う事に。エリカお嬢様の世話をしている時のニーナの憔悴具合ときたら、目に当てられないものがあったので、エマは心の底から世話係を回避した自分を褒めてやりたいと常々思っていた。
影武者は余計な事はしないし、それどころか自分で出来る事はさっさと自分で済ませてこちらのやる事まで奪っていく。少々世話し足りないと思う程度である。
なので、面倒の少ない影武者の世話をしているニーナは以前よりも生き生きとしているのが分かる。その事が羨ましいと思うくらいには、エマも影武者に魅了されたのかもしれない。面倒くさがりの自分がそんな事を思っている事に可笑しさを覚えて口が自然と笑みを作る。
「オイドクシアお嬢様がいらっしゃるそうよ。客間を整えて下さい」
「わぁーお」
「なんでまた、急に?」
「分からないわ。けれど、ルカ様が深刻な顔をしていたので、またしても厄介な事かもしれません」
「つくづくいろんな事が起きるねー」
「全くですわ……これじゃあ休みはまた遠のきますわね」
ニーナとミサはお互いに顔を見合わせ、苦笑した後溜息を吐いた。
影武者本人は手がかからないというのに、どうしてこうも忙しくなるのか。その要因はあの魔性にあるのだろう……と全員心の中で納得した。




