閑話
久し振りの更新となってしまい申し訳ありません。
エルリック視点
騒がしい子供が契約だと言いながらリエに近づいてきた。それも、神獣と呼ばれる者が、だ。異世界から来たリエが特別な何かを有している事はまず間違いがない。それがなんなのか、まだ分からないが……恐らく、黒髪なのに、心を見るのに大きな代償が必要になる事と関係があると思われる。
俺の貴重な休日を台無しにしてくれた神獣は、丁重にもてなさなければならない。神獣は、魔神と戦える強力な力を持っている。機嫌を損ねると大変だ。
神獣が契約を持ち掛けるという事案は聞いた事がない。国家から願いを出し、何度も乞う事でやっと手助けをしてもらえる程度。個人に、しかもただの好意のみで契約って……ありえないだろ。
契約は神獣の方も命がけなのだ。契約で魂がつながれば、片方が死ねばもう片方も死ぬ。単体で強い存在である神獣が、わざわざ自身より弱い存在と契約するなど、果たしてあるのか。
ただ、あの神獣はまだ幼いから、契約をよく分かっていないという事も有り得なくもないが。
溜息を零しながら、胃薬の入った瓶を傾ける。
現在、あの神獣はグリーヴ伯と話をつけている所だ。ヴァレールが真っ先にそうしなければならないと、強くおしてきたせいでもある。ヴァレールからの強い要望など聞いた事がないので、余程の事だろうと了承したが……蚊帳の外にされている感が否めない。しかし、そうでもしないとヴァレールがあの神獣を起こす事がなさそうな気がしたのだ。……神獣をも手玉に取るか。つくづくとんでもな人間ばかりがこの屋敷に集まっているな。
グリーヴ伯がどこまで把握しているかは知らないが、この件はうやむやにされるのではないだろうか。
「手が止まってます。そんなにあの神獣が気になりますか」
「そりゃあそうだろう」
「でしょうね……私も気にはなりますから」
と言いつつ、書類を捲っている。喋りながら計算もしているというのか、こいつは。
俺の視線に気が付き、ニッコリとした爽やかで恐ろしい笑みを浮かべて来る。
「それより、先にちゃんと報告書まとめてくださいよ」
「わかっている」
今回の視察で分かった事をまとめて父に報告しなければならない。あの神獣に関しては、グリーヴ伯の報告を受けてからだが……それ以外はまとめておかなければならないだろう。
中央大陸と白の大陸の境で起きている諍いについて。かなり遠い地であるが、恐らくは父も情報を受けていると思う。まだ、戦争とはっきり呼べるようなモノではないが、近い内に争いは起きる。それ故に、巻き込まれないであろう、遠いこの地まで来る者がいたのだろう。
それに、この国は戦争をしていないからな。隣国と友好関係を築いている事もあるが、土地柄、攻め落とし難いというのが大きな要因だろう。
もし戦火がこちらまで来るようでも、守る事はしやすい。まぁ、ほぼないとは思うが……白の大陸付近というのが恐ろしいな。そもそも、何故白の大陸付近でそんな事を……ロウス族に聞いた訳ではないが、もしかしてロウス族となにかあったのか……もしくはノーム族?いいや、ノーム族とはそもそも出会いが少なすぎるか。あの者達は地下での生活をしているからな。……推論だけではどうにもならないか。白の大陸とは関係ない諍いかもしれないし。
かなり報告が埋まって来た所で、ルカが紅茶を机に置いてきた。
「少し休息を」
「ああ、ありがとう」
ルカの淹れた紅茶を口にして、肩の力を抜く。
さほど脅威にはならないと思うのだが、父の判断を仰がなければならないだろう。来ている者が密偵の可能性は低い……とはサシャの意見だ。あまりにも練度が低いようだし、向こうであまり良い生活をしていなかった者が主らしい。ただでさえ生活が苦しいのに、戦争まで起こされると、確実に死ぬ。死ぬと分かっているなら、多少リスクがあっても生きる可能性のある遠い土地に移動してきた、との事だ。
恐らくは別の土地にも何人かが移動しているのだろう。気にしない範囲ではあったが、他国でも多少増えているらしい。そう考えると、大規模な戦争が起こるのではないかという、焦燥感が僅かに生まれる。
「ところで、どういうつもりですか?」
「なんだ?」
目を眇めて物騒な雰囲気を出すルカに、若干引く。なんだなんだ、主に対する目じゃないぞ……まぁいつものことか。
俺が分からずにいると、大きく溜息を吐いてぐりぐりとこめかみを親指で押さえている。あ、相当参っているな……そこまで呆れられるほどの何かをした覚えがないんだが。
「彼女への態度ですよ、ご自分で分かりませんか」
「何か……変、か?」
思い返してみても、特に思い当たる節はない。
ただ……ザギの実を頬につけていた姿は大変可愛らしかった。エリカと同じ顔なのに、こんなに可愛いと思える日が来るなんて考えもしなかった。
口を開けば言い訳と減らず口ばかり叩いて、やるべき事をしない妹。それに比べると、少し努力しすぎるリエ。
リエに対する行動は、妹に対するモノ……いや、今まで妹に対してしてきた態度とは真逆と言って良い態度だが……まぁ、普通だろう。もし妹がリエのような性格なら、同じ事をしていたと思う。
「ちっ……じゃあ視点を変えていきます。その態度、彼女はどう考えると思いますか」
「……あぁ」
俺は妹のようだと思っているが、あちらがそうとは限らないという事か。俺が良かれと思ってやっている事でも、彼女にとって俺は赤の他人。未婚の女性が不用意に男性に触れられて、何か思わない訳がない、と。
「……嫌われたか?」
「いえ、嫌ってはないと思われますが」
「そうか、良かった」
「ああああ!今の顔を鏡で見せてやりたいっ!!」
物凄くイラついた様子で机に拳を叩きつけるので、ビクッとしてしまった。
「ど、どうした。突然大きな声を出して。落ち着け」
「落ち着け?これだから無自覚で阿呆な奴は!」
「え、俺?もしかして俺の事?」
「ああ、阿呆の自覚はあるんですね」
「ひどすぎる!」
妹が脱走してからというものの、口がドンドン悪くなっている気がするぞ。
「嫌われないからと言って、過度な接触は相手に失礼ですよ」
「そうか……残念だな」
リエを抱き寄せると、なんだかホッとする。良い匂いで、柔らかくて、ずっと手元に置いておきたくなる。基本的に無表情だが、たまに笑うと可愛い。近づくと恥ずかしそうに視線を逸らすのが、また可愛い。妹だったら胸倉を掴まれる場面だろう。それに、妹は絶対に目は逸らさない。目を逸らしたら負けだとでも思っているのか、いつも誰かに止められるまで目を逸らさない。猛獣か、何かかな?
……ルークは、彼女に気軽に触れて良い人間か。仮ではあるが、婚約者だからな。そう思うと、少し羨ましい。
ルークがリエに口付けをしている場面を思い出して、イラッとした気持ちが湧く。いや、あれはフリだったか。無駄な技術が高いな、あいつは本当に。
「残念とか思わないで下さいよ……」
「だって、なぁ?いつも無表情なのに、こちらも驚くくらい狼狽えている目を間近で見ると、もっと見ていたくなってな」
「それは、そうですが」
「……ん?その口ぶりだと、お前もやった事があるのか?」
リエと接触し、狼狽えさせた事があると。なんだ、人の事をとやかく言うくせに、自分もやっているのではないか。
「私の事はいいのです」
「いや、お前」
「私はもう二度と近寄らないと誓いましたので、あの女は危険です」
「危険って……」
そんな大げさな。でも確かに、不思議とリエには警戒心がわかないというか。俺の場合は顔が妹だからという理由もあるが、もっと別の何かがある。そうじゃないと、他の者も彼女の事をここまで好いたりしないだろう。
「魔性、か」
「相応の呼び名だと思われますね」
確か、エマが言いだしたんだったか。彼女の人を見る目は確かだ。ならば、本当に魔性と呼ぶべき人物なのだろう。
二人して考えに耽っていると、ロベルトが入室して来た。
「サイが来ていました」
「何……?」
サイは下の妹ついている密偵である。そいつが来ていたという事は、妹の身に何かあったのだろうか。ロベルトから手渡された手紙を急いで開く。
「な、何故……」
「どうされましたか、身に何かあったのですか?」
「いいや、違う……」
俺の反応に首を傾げつつ、ルカが俺の手から手紙を取っていく。
「……やれやれ、彼女が来てからと言うものの、来客が多くてかなわないですね」
ルカの溜息まじりの言葉に、大きく頷いて同意を示す。
彼女がこの屋敷に来てからというものの、ルーク、カロリン、神獣と……次々に顔を出している。別宅であるこの屋敷に、1つの月も回らない内にこれだけ来客がある事は珍しい。セスはいつものことなので数に入れていないが、それにしても多い。これが異界から来た人間のせい、なのだろうか。
現に、今までは本宅に行く者ばかりで、こちらに足を運ぶ者などなかった。
オイドクシアがこちらに来るという手紙。
心底意外な名前。彼女の容体は一応聞き及んではいる。大分快方に向かっているそうだが……オイドクシアが俺やエリカを覚えている訳ではない。彼女は赤子の頃に使った魔法の代償で生死の境を彷徨った。それ以来、中央の医院でずっと入院している。
俺は何度か見舞いには行った事があるが、片手で数える程しかないし、オイドクシアは常に眠っていた。向こうはこちらを認識すらしていないだろう。
エリカの方は見舞いには行かないと言っていたし、個人で行ったという報告も受けていないので、論外だ。
父は中央にいるので、話をしているらしいし、母も何度も足を運んでいるそうなので、知っているだろう。だから、オイドクシアが本宅に向かうなら理解できそうだが、別宅にくるというのは想像し難い。
手紙には、会った事がない兄に会ってみたいという願いが書かれている。確かに、分からない訳ではないが、どうして今なのだろうか。何の面識もない兄や姉に会いたいものだろうか。今まで手紙のやりとりすらしていなかったのに、何故。
「……これは、また」
「どうした、ルカ?」
「いえ、気のせいだと思うのですが……」
「気のせいでも良い、言え」
「はい、この手紙、エリカ様についてはなにも書かれていないのです」
「……何?」
細かく読んでいなかったが、そうだっただろうか。手紙を受け取って読むと、確かに俺には会いたいとかは書かれているが、エリカについては不自然なほどに話題に上がっていない。元々、この別宅はエリカの為に建てられた屋敷であるのにもかかわらず、エリカの名前さえ出てこないのは、少しおかしい。知らない訳ではないだろう、父や母、または使用人からでも兄弟の名前くらいは耳にするはずだ。
世間一般的にはエリカは深窓の令嬢で、オイドクシアとまではいかないが、体が弱いという設定で通っている。オイドクシアが興味を持たないはずがない。むしろ、俺よりも会いたいと願いそうなものだが。
それとも、こちらが知らないだけで面識があったのだろうか。だとしたら険悪になって、口に出したくもないという気持ちにもなるかもしれない。しかし、オイドクシアの性格を何も知らない俺が、そんな事をするような人間だと断定する事も出来ない。
もやもやしつつ目線を最後の文章に向けた先、手紙の余白部分が妙に開けられていて、少し不自然になっている。この国で手紙はこのような余白は一般的ではないが……代筆をしたものが他国の者だったか?
「……失礼」
不思議に思っていると、ロベルトに手紙を奪われる。
ロベルトは懐から透明な液体を取り出して、手紙の空白の部分に塗りつけた。
「何をしている?」
「……ああ、最近流行りの隠し文字のようです」
隠し文字、か。流行っている事は知っている。流行に乗ろうとして失敗した商人の事も良く知っている。特殊な魔道具で、かなり薄めている為に値段は普通の魔道具よりもかなり低いそうで。別の研究の途中でたまたま発見された性質を利用したのだったか。
魔力の質が良い者が書かないと、綺麗に文字が浮かび上がらない。代償がないので、魔力を使っている訳ではないのが不思議な魔道具だったので、覚えている。
透明なその液体を紙に書くとする。が、それだけでは何が書かれてあるか全く分からない。しかし、どこにでもいる豆花の種を絞った液体を塗ると文字が浮かび上がってくるのだ。豆花でなくても、他の植物でも代用は可能と聞いているが、豆花の魔力が多いので、そちらの方が綺麗に浮かび上がるそうだ。
などと考えている間に、文字が浮かびあがってくる。
『そこにいるのは神の使いか魔の者か』
「なんだこれは……?」
「……」
何のことを指しているのか分からずに首を傾げる。
はぁ、と大きな溜息が隣で聞こえて来た。ルカだ。
ぐりぐりとこめかみを親指で押さえている。これは相当参っている時の動きなのだが、最近よく見かけるようになった。もう癖になってきているのではないだろうか。
「オイドクシアお嬢様は、確か時空の神に愛されていますよね?」
「あ、ああ……それが?」
「……知っているのかもしれませんね」
「何を」
「これだけ言っても分かりませんか?鈍いですね」
「すまない」
え、これで分かる人いるのか?いや、俺が鈍すぎるのか?そうだったとしたら、もっと精進が必要だろうな。
「時空の魔法で未来を見通し、影武者の事もご存じなのではないかと思ったのですよ。あくまで、推論の域を出ませんが」
「何……?」
確かに、時空の魔法は未来を見通す。だが、赤子がそれを見て、理解し、覚えていられるだろうか。
「命の危険に陥るほどの魔法を使ったのです。有り得ない話ではないでしょう。
ただ……」
「なんだ?」
「ああ、いえ……すべて見えているなら、こんなまどろっこしい書き方はしないな、と。これは恐らく、彼女の事を指していると思われますが……」
「多少知っているが、そこまで深くは知る事が出来なかったという事か?或は覚えていられなかったか」
「その可能性があるでしょう。もしくは、あの神獣の事かもしれません。この時期に同時にくるというのも、偶然とは言い難い」
「ああ、確かにな」
ルカは言い終えてから、溜息を吐き出す。俺に呆れた視線を向けてきた。
「もう少し、ご自分でお考えになって下さいね」
「はは……反論のしようもないな」
ルカがいなければ、今の様な仕事は出来ていなかっただろう。勿論グリーヴ伯のおかげでもあるが、ルカの力が大きい。そのせいで、頭があがらない。
雇い主に向ける態度ではないと思うがな。しかし、彼の飾らない態度が心地よいと思っている自分もなかなかダメだとは思う。
「オイドクシアお嬢様はどういった方なのでしょうね」
「ふむ……まだ4つの幼子だが……」
「……この手紙は代筆、でしょうか?」
「そりゃそうだろう。4つの子供にこれを書けと言うのは無理な話だ」
「果たして本当にそうでしょうかね?ロベルト、サイは何か言っていましたか?」
「いえ、何も聞かされていません」
「そうですか。では、来てからの楽しみという事にしておきますかね」
ルカの言動に首を傾げつつ、手紙をしまう。4つでこの手紙を書くのは難しすぎる。そうだと分かっているのに、何故そんな事を聞くのか良く分からない。時空魔法で頭が良くなるわけでもなし、そんな特殊な事例も聞いた事がない。
俺が手紙をしまっている間に、ロベルトが別任務へと出掛けて行く。エリカ捜索を続行させているのだ。
少し冷えた紅茶を一口すすっていると、ルカが溜息を零す。
「オイクドシアお嬢様は来ればわかるとして、目下の課題はあの神獣ですよ」
「まぁ、そうだな」
「案外、あの神獣も彼女の魔性に惹かれるモノがあったのかもしれませんね」
「ふむ……神獣をも虜にする魔性か。なかなか、とんでもない話になってきたな」
ありえなくもない話に、思わず苦笑が漏れた。




