手紙からは香の香り
サシャさんからの報告によると、カロリン嬢はヴァレールと対面して話す事になったらしい。それで、絶対にダメだといわれてショックを受けて再び気絶。目覚めるのを待つのはもう面倒なので、そのまま馬車に乗せて強制帰還したそうだ。
最初からそうすればよかったんだ。
しかし、再び訪問してきそうで困るな。
と思ったが、エルリックがどうやらナリッツ侯爵に脅しをかけたらしい。
私はこの件に関してノータッチなのであまり知らないけどな。カロリンは、あの金切り声だけで気が合わない事は分かったよ。
……ああ、そういえばすっかり忘れ去っていた婚約者の手紙でも読むか。婚約者(仮)なので、返信を考えないといけないなぁ。その場合、サシャさんに代筆してもらいますか。
カロリンが帰還したらヴァレールが護衛に戻るかと思ったが、そうではなくて少し安心した。あの人は色んな意味で心臓に悪いから。
香の匂いする手紙をペーパーナイフで切る。便利道具多いし、不思議な世界だとしみじみ思う。ペーパーナイフの凝った装飾をちょっとだけ見てから、いそいそと箱にしまい込む。箱もまた高級っぽいんだよなぁ。使う時も気を遣うよ。はさみもあるけど、こういう封筒のやつにはペーパーナイフが貴族では主流だそうだ。ええと、この世界ではペーパーナイフとは呼ばれてない。ララ・リットというらしい。商品名らしいが、もうその呼ばれ方しかされてないみたい。という、現実逃避はやめておいて、手紙を見ようか。
『親愛なるエリカへ』
そっ……と手紙をおいた。
もうすでに読む気が失せたんだ。なんかこう、他人宛ての手紙を読んでる気分になるよね。名前が違うから。
コメカミに手を置いてちょっと遠い目をしていたら、ツンツンと肩を突かれたのでそちらに顔を向けると、キラキラした表情のサシャさんがいた。私にまかせとけって顔が言っている。全身で表している。うーん……代筆は頼もうかと思っているんだけど、流石に内容を知っておかないと次に会った時に色々と不味いだろう。
サシャさんの気遣いが嬉しく思い、少し顔が緩む。
うむ、読む気が出て来た。ヤル気が出た所で再び手紙を開く。名前の所は気にしない気にしない。
『僕がいなくて寂しいと思って、この手紙を書いてみました。思えば、これが初めての手紙だよね。案外、書くのが難しいモノだ。
風邪は引いてない?大丈夫かな。
少し体が弱い君だから、いつでも心配してるし、頭から離れる事はないよ。けれど僕は君の様な美しい婚約者と出会えて本当に幸運だと思う。この嬉しさをどうやったら伝えられるのか、もどかしい思いをしている(以下略』
云々かんぬん。
と、つらつら口から砂を吐き出しそうな甘い言葉の羅列ががが。
もうやめて!あの人何者なの?婚約者だね、うん知ってる。これは、かなり女性慣れしているな。何が手紙を書くのが難しい、だ。さらっと嘘ついてんじゃねぇよ。
しかし、やはりこの手紙がエリカ時代も含めて初めてか。彼自身も嫌いだと言っていたし、そりゃ手紙なんて書かないか。というか、聞き捨てならないワードが1つ。少し体が弱い?そんな情報聞いた事ない。
「サシャさん、エリカお嬢様って少し体が弱かったんですか?」
サシャさんはプルプルと首を横に振ってからサラサラと紙に書く。
曰く、対外的にはそういう扱いで、それ故に「深窓の令嬢」の名が通っているという。だから、他の貴族と交流がないのも仕方がないという理由づけ。実際は元気過ぎて全力で脱走する人だそうだが、エリカの妹のオイドクシアの方が実際に入院している為、信ぴょう性が増しているとかないとか。
なるほどね。体が弱いからあまり外にも出ない、と。だから婚約者も来訪を断られる事があるという主張もできる。今はちょっと会えません、的な。婚約者だから逆に心配して訪問しそうなもんだが……まぁあの婚約者なら適当な理由をつけてくれるだろう。
婚約者以外の者にもこれは有効だね。そうまでして表に出しちゃいけないお嬢様だったのかな。牢屋と呼ぶような部屋に閉じ込めようとしてたくらいだから。牢屋と言っても、私としては十分すぎる施設だと思う。アパートの1LDK的な。あの牢獄はそれよりも広いしな。そこから逃げ出したいってのも、贅沢な話だが。
うーむ、と唸っていると、サシャさんが代わりに返事を書こうか?と書いて見せて来る。
「ああ……うーん、そう、ですね。こんな甘い文章、書けそうもありませんし……お願いしてもいいですか?後で読ませて貰っても良いですかね?」
まかせとけ!と書き終わってからボムッと紙が消え去る。深窓の令嬢とかの件が門外不出だから消したのか。
ふむ、婚約者の手紙はこれでいいとして。ついでにエルリックから貰っていた書類を日本語に変換したものを渡しておく。
わぁ、ムズカシソウ!って顔しながら受け取っていった。うん、頑張ってね。一応あの書類を全部書き写して、自分の方も勉強してみた。なんというか、こう……動いた事がない感じでペンを走らせなければならないから、ちょっと手のひらがだるくなった。
多少書けるようになったものがあるものの、やっぱり下手だと思う。貴族の令嬢が下手な字をさらけ出すわけにもいかないので頑張るけれど、どこまでいけるやら。憧れはサシャさんだが、あれはもう無理なレベルだろうな。
サシャさんが天井へと向かい、しばらく勉強していると、再びサシャさんがたくさんの紙を抱えて戻ってきた。
皆が今までの間書いていた文字を添削して欲しいそうだ。なるほど、皆さん勉強熱心ですね。私を寝かせないつもりですか。そうですか。いいですよ、やります。
ペラペラめくりつつ、赤色のペンで添削していたら、ノック音が聞こえてきた。誰だろうか……と思いサシャさんの方を見ると、気配がないからヴァレールと書いてあった。なるほど、気配がないからか。
しかし何故ヴァレール。護衛の任は解かれた状態のはず。不思議に思いつつ、入室を促すために返事をしておく。
返事をしたら、すっと音もなく扉が開いて中に入ってきた。なんであんなに音がしないんだろうなぁ。こわいわ。私があの扉開いたらどれだけ気を付けてても小さくカチャ、という音がするのに。まさか音が出なくなる魔道具を……?いや、コストが大きすぎるか。自分でやるにしても代償は必要だし、技術と身のこなしだけでやっているとしか。
部屋に入ってきたは良いモノの、全然喋らない。なんかある意味安定してるね、この人も。
「御用があったのではないですか?」
「……ええ」
話を促すと、ようやく美声を発した。くっ……音での攻撃とはな。彼は動作が無音だから、数少ない声がよく聞こえる。しかも綺麗で相手の耳に届きやすいという。
会話中に耳を塞ぐ事も出来ないので、苦行に耐える。
「私用でお嬢様に迷惑をかけてしまい、大変申し訳ありません」
「……いえ、私よりエルリック様に言った方が宜しいのでは?」
「それは、もう申し上げました」
「そうなんですね。ですが、私は何もされていませんので、気にしなくてもいいですよ」
近くまでこられてヒヤヒヤしたが、それだけだ。
エルリックとか、ルカとか、コルム侍女長とか、他の人が大変だっただけで。
「そうですか……」
「はい……」
そして舞い降りた沈黙。いつもだったら、気にせず勉強を続ける所だが、彼は現在護衛ではなく客人だから、どう対処していいものか。
沈黙に戸惑っていると、むにゅ、とした感触が後ろから。これはサシャさんに抱きしめられてるやつですね。うん、分かるようになってきたわ。
そんなサシャさんの様子をみたヴァレールが、僅かに目を見開く。そして、そっと視線を逸らした。
「……失礼、しました」
「ああ……はい」
おお、それだけ?もう出ていくんだ。じゃあさっきの沈黙はなんだったんだ。何か言いたかったんじゃないのか?対面して沈黙すると大抵なにか言いたい時のような気がしたんだけど、違ったか。
ヴァレールが出て行ったあと、サシャさんが勝った!という感じで偉そうに胸をそらしていた。なんだ?にらみ合いでもしてたのだろうか。
とりあえず、添削の続きをしようと机に向き合った瞬間、再び扉がノックされる。……誰だよ!ちょっと集中させて!
「……セスだけど」
……おや、なんか久し振りだね。風邪の時に訪問して以来となるか。なんだかバタバタしていたから、あの日が遠い昔のようだ。
流石に異世界の文字を見られてはまずいので、添削していた紙束を隠しておく。探る様な事まではしないとは思うけど、念のため。
隠すのを見届けた後、サシャさんが扉を開いてくれた。
セスは、サシャさんを見てから恐る恐るといった様子で中に入ってくる。あちこちに視線を彷徨わせて、落ち着かないみたいだ。あー、ここはエリカの部屋だしね。趣が違うし、セスはエリカとは喧嘩ばかりだったらしいから、複雑な気持ちなのだろう。
そっと小さくなるように座る様子は借りてきた猫のようだ。
「何か御用で……?」
「あ……その、大丈夫、かと思って」
「……何が?」
「色々……あったようだから」
「ああ……いえ、私には何もなかったんで」
「そ、そうか、よか……俺が言いたいのはそうじゃなくて」
「ん?」
なんかもじもじしてる。はっきりしない男だ。
……なんか私の顔って相手を威圧してんのかな?さっきのヴァレールもなかなか話を切り出さないし。無表情だからって、別に怒っている訳ではないんだけどな。
セスの場合は、エリカ顔だからという理由が大きいようだけど。
「今度、エルリックと出掛けると、聞いて、だな」
「ああ、そうだねぇ。いつになるかはまだはっきりと聞いてないけど、出掛けるみたい」
「お、おれ、おれ」
「……うん」
落ち着いて、深呼吸して、ちゃんと待つから、怒ってないから。できれば早く用事を済ませて欲しいという本音が漏れてんのかな。
「俺とも出かけてくれ!!」
「おじい様同伴ならアリ!!」
は?って顔された。
わあ、流れるように本音が漏れた。いや、セスという孫ならおじい様もついてくる理由になるかもと思って……ならない?ならないかな……。
「なんでじいちゃん……ほんと好きだよな」
「ええ、紛う事なく大好きですね」
何を今さら。おじい様の孫になる為ならばセスとも結婚したいと考えるくらい好きだよ。
おじい様がついてこないなら、面倒なのでパスである。
「……じいちゃんに話してみる」
「ぜひ、そうしてください」
わわ、おじい様と出掛けられるかも!?エルリックよりもこっちが楽しみだよ!いやっほう!なんかやる気が出て来た!
「はぁ……それの何割かでも俺に向けてくれたら……」
「ん?何割かは向けてるけど?」
「え!?聞こえ!?……え!?向けてるのか!?」
小さな声でボソッと言っていたが、しっかり聞こえていた。聞かれないと思っていたセスはあたふたしている。忙しいやつめ。
むしろ、なんで0パーセントだと思ったんだ。おじい様の孫でなければここまで話しする事はなかったんですよ。……あれ?これ結局おじい様に気持ち向けてね?……まぁ細かい事は気にしない。
「目とか好きですよ」
おじい様の目に形が似てて。というのは飲み込んでおこうか。
「目……」
すると、何故か目を瞑られて、顔を逸らされた。いや、体ごと背を向けられている。え、目が好きって言ったのがそんなに嫌だった!?なんかごめん。
「あの……」
「帰る!!」
わあ!怒ってしまわれた!すいません!謝るからおじい様とお出かけの件は、何卒ご慈悲を!
「……っと、セスか。どうしたんだ。真っ赤だが」
「い、言うな!」
セスが扉を開けた時、そこにエルリックがいた。顔を真っ赤にするほど怒っている、だと。
ううむ、逆鱗に触れたみたいで。まぁいいか、セスだし。普段からよく怒ってる感じだからな。それに、1度言った言葉は真面目に遂行してくれる事だろう。おじい様とのお出かけの件宜しくですよ。
さて、エルリックが訪問してきた事だし立ち上がるか。というか、今日は訪問が多いな!私、これでもやる事が多いんだけどな。
「先日約束した件で話だ。3日後クァールという街に行く事になった。俺は仕事だが……君は何も気にせず楽しむと良い」
あれ、ずっとついてくるものだと思ったが、そうでもないのか。遊びにいくついでに視察ですか。仕事熱心ですね。
クァールはここからさして遠くもない街だ。行商が盛んで、割と人の出入りも激しい。祭りの日には賑やかになる所。普段の街の様子もそれなりに賑わっているような感じなので、警備に関して不安が残るが、祭りよりはマシだろう。
もうちょい、閑静な所がよかったが、贅沢は言えないか。人目が少なすぎても、犯罪に巻き込まれそうだし。
「は?セスが?」
さらっとサシャさんがセスとのお出かけの話の件についてエルリックに教えている。文字書くのはやいな!それでいて美しい文字なのだから羨ましいね。
「……厄介な事だ。……まぁそれはルカに相談しておくか」
確かに、厄介な事だよね。ただでさえ護衛とか面倒なのに。私は何度も下町が見えるから勉強になって良いんだけど。……正直、誰かと行くより、私単体で行った方が目立たなさそうなんだけどね。無属性の黒髪だし。こっそりサシャさんでもついてきてくれれば、後は問題なさそう。路地裏とかわざわざ行ったりしないし、許可でないか……出ないな。
「あー……まぁ、なんだ。ニーナには下町用の衣装を用意してもらうとして、だ。ある程度の知識はあるんだよな?」
「ええ、クァールは行商の街ですよね。割と人の出入りが激しいと」
「いや、そういうんじゃなくて……というか良く知ってたな」
「はぁ、あ、いえ。じゃあ何を知っておけばいいのでしょう?」
「知らない人にはついて行かない。笑顔の人間には気を付ける。口車に乗せられて高い買い物をしない。キョロキョロせずちゃんと迷子にならないようにする。財布を盗んでくる輩もいるから十分に注意する事、それから」
「ふふ」
過保護か!なんかこういうの親っぽい……私はされた事ないけど、他の家族で見た事ある。
エルリックが思いの外過保護で思わず笑いが漏れた。
「……っ!?」
ハッとしたエルリックが、胸を押さえて俯く。
「どうかしましたか?」
「いや、気のせいだ。なんでもない」
すぐに何でもないように顔をあげて、苦笑いを浮かべている。
今のはなんだったのか。まさかエルリックも体弱いとか言うまいな?
しかし、基本的な事項は割と外国に行く心構えで行くといいかも。日本的なスタンスはいかんかもしれん。




