婚約者はやっと帰る
「行ってみない?下町に」
婚約者様がお茶に誘って来たので、行ってみるとその言葉を頂いた。実に混じりけのない爽やかな顔と言葉だが、とんでもない事言っていやがりますね。
吹き出しそうになったお茶を慎重に飲み下す。
そっと微笑みを浮かべて誤魔化す。この笑顔は慣れてきたものだ。
「いけませんわ」
「……どうして?」
「言われないと分かりませんの?」
「本当は行きたいでしょ?」
この野郎、言葉が通じてないのか。
ニコニコ笑って、とても楽しそうにしている。
そばについている執事と護衛がぎょっとしてますね、無理もないです。
「いいえ。それよりも、そんな所へ行っては、お父様に叱られますわよ?」
「そんな所なんて言い方は失礼だよ。中央の祭りごとなのにさ。それに、叱られるのはいつもの事だよ。多少怒られても平気さ」
いつもの事って……それはそれでどうなのでしょう。いや、まぁ……エリカ様脱走計画の主犯だから、そりゃあ怒られるでしょうが。
「明日が最終日だよ。君さ、最終日の奇跡を見た事があるかい?」
「いいえ、ありませんわ」
「だろうね。『エリカ』はここから出る事なんて殆どなかったから。それじゃあ、僕がその祭りが如何に楽しいか教えてあげよう」
エリカの部分を強調して話す。
……なるほど、エリカは行った事がないのか。
だが、私を影武者と知っていてこの男は話している。が、彼は私が異界の客人であるという事を知らない。と言う事は、私という存在が下町の者という結論に至る。現にエーテルミスの下町で私を拾ったらしいし。
だからこそ彼は言っているのだ。
下町生まれの貴方はその祭りに参加したいだろう?と。大規模なイベントなど滅多にないから、下町の者達はそれはもうその祭りを楽しみにしているようだし。それに参加できないのはさぞや辛いだろうという計らいだ。
裏の本音は、自分が参加したいだけのようにも思えるけれど、大体はそんな感じだろう。
とっても傍迷惑な気の回し方だ。エルリックもそうだが、その祭り事は他の意味合いでもあるのだろうか。
婚約者は、それはそれは丁寧に祭りの楽しさを語って聞かせる。1度も参加した事のない私だが、楽しそうに話す婚約者の話は面白いと感じた。料理名とか、ちょいちょい分からない単語が出てきたりもしたが、最終的に「楽しい」という雰囲気が伝わってくる。
……婚約者様、あなた常習犯ですね?そりゃあ、怒られますわ。
が、確かに、参加した事がある者なら、行きたい!って気分にさせられるのかもしれない。
にしても、最終日の奇跡はちょっと気になるかもしれない。
どうやら最終日に大きな魔法が使われるようなのだ。代償とかその辺はどうなっているのか気になるところ。
「今までは一緒に行けなかったけれど、今回はツツリヲがいないからね。……君と参加するのが夢だったんだよ」
ツツリオって誰だろうか。
というか、護衛と執事がめっちゃ汗かいてるんだけど、大丈夫?「ダメですダメです、絶対行っちゃ駄目です」って顔に書いているんだけど。
婚約者は、がたっと大きな音をたてて急に立ち上がり、私の後方を見て青ざめた顔で笑った。
「君の護衛、おっかないね。今、死んだかと思ったよ」
「……まぁ、物騒ですわね」
そっと後ろを振り向いて騎士を姿を見つけると、いつもの無表情な顔で気配なくそこに立っている。全然分からなかったが、殺気でもぶつけたのだろうか。……殺気をぶつけるってなんだろうね、どうやるんだろうね。まぁ、婚約者が怯えているから、殺意を向けたのか。
引き攣った笑いで椅子に座る婚約者を、執事がオロオロしながら見つめている。護衛の方は少々警戒しながら水色騎士の方を見ているな。なんかここに殺伐とした空気が流れてて恐ろしいね。
水色騎士の殺意は警告の意味だろう。婚約者は前科があるからな。もしかすると、私を下町へと帰そうとする気なのかもしれない。
もし、下町にいる知り合いにでも見つかって、影武者の事が知れれば、私は影武者をやれなくなるという可能性も考えているかもな。なにせ、大きな祭りらしいし、誰がくるか分かったものではないからな。……私にその可能性は皆無だが。
紅茶に口をつけて、とりあえず喉を潤してから口を開く。
「生憎ですけれど。わたくしはもうすぐ10のお披露目です。女の子は色々と忙しいんですよ」
「……また、振られたのか。君はいつもそう言うよね。本当は僕の事が嫌いなのかな」
「もう、分かっているくせに、意地悪ですわね……ルーク様の事は大好きですけれど、それとこれとは話が別ですから」
私が断りを入れると、護衛と執事が明らかにホッとした顔を浮かべている。おいおい……あんまり彼らを困らせないでくれないか。ついでに私の方も困らせないでくれ。というか、変な事言ってないで、さっさと帰りやがりませ。
やっと婚約者が帰還した。
どうやら、相手がたに何も知られる事はなかったらしい。皆さん優秀ですよねぇ。
「手紙書くよ」って言われて、うわぁ……って言いかけたわ。読む事は出来るけど、まだ書けないからな。……突っ立ってる騎士にでも代筆させようかな。
さて、婚約者が帰ったから、おじい様の講義の時間も増えるよね!楽しみだなぁ。
「いやぁ、長かったですね」
「ですね、常に気を張っていたので疲れましたよ」
「あははっ、私もです」
などとニーナとのんびり会話する。
婚約者滞在中は他の者達もどれほど緊張していたか良く分かる。後から聞かされたが、サシャさんやロベルトさんのような密偵が送られてきていたみたいだし。それ、早めに言っておいて欲しかったんですけど。ほうれんそうがなってないですよ。
「それにしても、あまり喋っていないと言っていたのに、ルフト男爵様と随分と親しくなっていらっしゃって……とっても羨ましいです!ねぇ、どんな魔法を使ったのですか?」
「……親しくみえましたか?」
「はい!」
そんなはずはない。だって騎士はいつも通り後ろに控えてるだけだし。
……あ、でも目が合うと、たまに微笑むようになった。あれはどうしてくれよう。このイケメンめ、性格までイケメンか。私の方は見る度に苦虫を噛み潰したような顔していると思う。
ちくしょう、女性の友人がそんなに嬉しいのか。まぁ……爵位とか、見た目とか、そういうものお目当てにする人が多そうだし、会話をする事の方が珍しいのは分かるが、困ったもんだ。
しかし、騎士が表情を動かす事自体が珍しい事なのかもしれないがな。私はいつも目を潰されそうになるので困っています。
しかし、どんな魔法と言われても……。
「普通に会話をしただけです」
「またまたぁ」
冗談言っちゃって!みたいに笑われたが、本当の事なのだ。
他の女性が緊張して話せないから、こんな事に……理不尽な世の中だ。
……ああ、そうだ。ニーナにアドバイスをしてさしあげよう。
「ニーナも私と会話しているように、気さくに話しかけると宜しいですよ。すぐに友達認定を頂けますから」
「そんな恐れ多い事できませんって!」
物凄い勢いで首を振られた。
だがしかし!私はまだ諦めてないよ!ちょっとでも水色騎士に女友達を作ってあげたいんだ。それに、ニーナも騎士の事を気に入っているし、winwinの関係だよね!……矛先があまりこちらに向かないように仕向けるのだ、という本音は置いておく。
「いえいえ、爵位はニーナの方が上です。無礼には当たりませんし、ヴァレール様も気にしないどころか喜ばれる事でしょう。むしろ、爵位が上のニーナに気を使われたら困ってしまわれるかもしれませんよ?」
「いやいや!お嬢様はルフト男爵様が何をしたかを知らないからそんな気軽な事を言えるのですよ!」
はて、確かに詳しくは知らないな。もっと覚えるべき事項が他に沢山あるから、後回しにしていた。だが、自分を護衛している男の過去くらいさらっと知っていた方が良いのだろうか?知らなくても、全く問題がないと言えば問題ないのだが。護衛をしてくれたら、それでいいから。
男爵の称号は、偉業を成し遂げた平民に与えられる栄誉ある爵位だ。それ故に、子爵や伯爵などよりも力を持っている事もあると言われている。
「じゃあ簡単に教えてあげます」
と、言って説明をされる。
人族とドワーフ族は、長らく友好的な関係を築いていて、問題がなかった。が、とある貴族が大きなことをやらかしたために、その均衡が崩れた時期があったという。そこで戦力が集められ、戦争になるのも時間の問題だと言われていた所、ヴァレールが間に入ってその関係を元に戻したのだとか。当時ただの平民であっただけの青年が、だ。
あの寡黙な騎士が間を取り持つ……というイメージが全く湧かないが、どうやら聞く限りでは、力でねじ伏せたみたいだ。そう聞くと物騒かもしれないが、誰も殺さず、深い怪我さえ負わせず、ただ前線にいた両者を気絶させていった、と。ドワーフ族も、そんな働きを見せる人間がいると分かって、ちょっと頭が冷えたとか。……それは人間の仕業なのだろうか?ある程度は話が盛られていそうだ。ニーナも実際に見た訳ではなさそうだから。
……確かに近代の歴史資料の内に、ドワーフ族といざこざがあったが問題はなくなった……という記述があったような。あれ、騎士が関わっていたのか。戦わなかった為、歴史には残りにくい偉業だろう。ある意味、戦って勝つよりも、余程凄いことだと思うけれど。
「そうなんですねぇ」
「の、呑気ですね……」
いやなに、現実離れしすぎていていまいちピンとこないだけだ。
確かに凄いことだし、貴族の称号を得るのも納得だと思う。が、私には殆ど関わりがない事だ。
「そーんなルフト男爵様に微笑まれているって自覚、ちゃんとあります?」
「……っ!……ああ、恐ろしい話ですね……っ!!」
「でしょう……!!」
そうでした!
なんか物凄い追い打ちをかけられた気分ですよ、ニーナ!あ、あああああ!そんな、そんな人に友達認定うけているとか!私は何者なんだああああ!おもわず頭を抱えてしまう。
「侍女長にもグリーヴ様にも気に入られていますから、お嬢様は大物ですよ」
「大物……」
いや、エリカお嬢様と比べて多少はマシなくらいってだけじゃない?勉強も逃げないしね。
侍女長も、おじい様も、努力を認めてくださる方達なのだ。私の様な拙い人間でも、ああして気にかけてくれる優しい人達だ。厳しい所もあるが、私がここで生きやすいように色々と教えてくれている。向こうの世界にも、そんな人がいてくれたら、世界の見え方はもう少し変わっていたのだろうか。
「はぁ、それにあのルーク様とも凄く仲睦まじいですし、大物過ぎますよね。私はとてもじゃないですけど、お嬢様の真似は出来る気が致しません」
「別に真似などしなくても、ニーナはニーナのままで魅力的だと思いますがね」
「……さらっと口説かれました。さすがお嬢様です」
「口説く……?え?そ、そうでしたか?すみません」
私のような低俗な人間に口説かれてさぞや不快だろう。
でも、ちょっと褒めただけなんですよ、誤解しないでください。礼儀もしっかりしていて、明るくて可愛くて、スタイルも抜群な貴族令嬢ですからね。褒めようと思ったらいくらでも出て来る。
「異世界の人間ってみんなそうなんですか?」
「さて、こちらの世界の人間の中にも、良い人がいて、悪い人もいる。人ぞれぞれ、皆さんが違った顔を見せます。私のいた所でも、そんな風に、みんな違います」
「ああ、なるほど。お嬢様が特殊仕様なんですね」
「特殊……否定はしません」
誰しもが誰かとは違う事がある。
普通なんて言葉は、誰かから見れば異常にしかならない。
そういえば、クラスメイトの中に、実に幸せな頭の人間がいましたっけ。彼女は言っていた「子供を捨てる親なんている訳ないじゃない」と。それが当たり前で、当然でしょ?となんの疑問も持たず。私には全く理解できなかったけれど、きっと幸せな家庭環境で育ったんだろう。この世の汚い部分から目を逸らされて、綺麗な所だけを見てきた。きっとこれから先もずっと綺麗な所を歩いて行くんだろうな、と思う。
「婚約者かぁ……私もそろそろ縁談で、ちょっと憂鬱です」
「そうなんですか。ちなみに、お相手を伺っても?」
「いや、決まった相手はいないんですよ。親からそろそろ~みたいに言われてて。貴族の男なら、ある程度誰でも良いみたいですけど、うーん。特にこれと言った相手がいないのが問題ですよね」
「ルフト男爵様は?」
「お嬢様、話が馬鹿げすぎてて笑えません」
HA!って肩を竦められて笑われた。
「そりゃルフト男爵様と縁談があがれば両親も両手を上げて喜ぶでしょうけど、でも、ルフト男爵様は絶対嫌でしょうね。現にたくさんの縁談を断ってますし。断りの手紙を出しているエルリック様の女性評判が非常に落ちている最中です」
はぁ、なるほど。あの騎士は縁談を好んでいないと。話した事もない女性に惚れられるなど全く想定していなかったようだし、縁談の話もなんの裏があるのだろうと疑心暗鬼にでもなるのかな。
騎士の偉業も聞いたし、縁談が来るのはなんら不思議な事ではないよなぁ。
というか、ニーナは騎士の事を好きだったのではないだろうか?それとも、単なる憧れに過ぎなかったか。憧れてても、緊張はするからな。
縁談を断っているエルリックが完全にトバッチリ喰らってるのが可哀相だけど。
「それに、あーんな顔するルフト男爵様に縁談なんて持ち込めるはずがないんですよ」
「あんな顔……ですか?」
「お嬢様も今は恍けられてても、いつか思い知らされる日がくるんじゃないですかね?」
「えっ」
え、何?もしかして背後から刺されますか?気に入られてるんじゃなくて、恨まれてる方向?嫌いだという言い方をしてしまったから?
や、やべぇ、気がついたらあの世行きだよ!だってあの人気配ないから!いつの間にか死んでいる、とか普通に有り得るよ!こわい!
いや、いっそ気がつかない内に殺してくれた方が幸せかも……?どっちにしろ痛くしないで終わらせて欲しいところ。まぁ、戦争を回避した腕前の持ち主だ。殺すのも一瞬だろう。それに、殺すにしても、主の命令がなければなさそうだし。余程の事がなければ私情を仕事に挟まないって信じてる。
「なんか違う方向の覚悟決めてません?お嬢様」
「……?いいえ、まっとうな覚悟を決めた所です」
「思わぬところで鈍感……!?あれだけルーク様の事を察しておきながら!?」
「……?……??」
なんか絶望をその顔に浮かべている。え、そんなに?察していない?じゃあ、刺される云々は違うって事か?騎士の優秀さに打ちひしがれるとか?これはもう、十分思い知らされているが。きっともっとザクザクと優秀な事が出て来るんだろう。
「あれですよね?ルーク様に気に入られている自覚はあるんですよね?ね?」
「ええ、不本意ながら……役割をこなしただけだったのですが……」
「す、すごい……その言葉、いつか言ってみたいです!」
なんだかものすごくキラキラした目で言われた。いや、死んだ人間と重ねられて不愉快なだけだよ?ちょっと暗い目で見つめられてみなさいよ。ヤンデレか!って思う訳で。みんな気付かないの?あんな仄暗いのに。
「それに私、ルカさんがあんなに優しいの見た事ありませんし」
「優し、い……?」
え?それは本当に見覚えがない。ちょいちょいフォローはいれられるけど、他の者にもしている範囲内だと思うし。笑顔は物凄く黒いし。縄、とか似合うんだよなぁ、あの笑顔。
「セス様は……ああ……うん、あれには何も言わないけども」
何だろう、その「お察し」的な溜息は。
セスは未熟者って事かな。ちょいちょい婚約者と言い合っていたみたいだとおじい様から聞いたし。貴族的な言い回しが得意なのは婚約者の方だが、行動がまだまともなのはセスだ。普通の神経なら、自分の婚約者を駆け落ちの為に逃がすなど、ほいほいやらないだろうし。しかも命がけだからなぁ。狂っているとしか思えない。
本当は心底愛していて、好きな人に幸せになって欲しかったのかとも思ったけれど、そうでもないし。どちらかというと、死んだ平民の方が好き……というか、依存しているみたいだし。婚約者の考えは、どうにも理解し難い。
「はぁああ~!ほんっと!所作も綺麗ですから、完璧にお嬢様なんですよねぇ。大量なのは羨ましいけど、肩が凝りそうだから嫌ね」
「お褒め頂き光栄ですわ」
完璧にお嬢様と言って頂けるのは大変うれしい事だ。ニーナがそう思うなら、大抵のヤツなら騙せそう。
しかし、大量とは?覚える事がたくさんあると言う事?いや、それを羨ましがるのはちょっと違うか……うん。
そういえば、ドワーフ族の公用語も普通に読める事が判明した。
なんか、文字と言っていいのか分からない程の判別のしにくい文字が使われてて、
覚えるのは普通に無理そうだった。あれは、読むだけでいいや。
そうなってくると、ここにない他種族の本も読めたりしそうだよなぁ。
人間の住処に最も近しいと言われるドワーフ族ですら会った事ないから、なんとも言えないがね。




