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後悔

 ざっと周辺の貴族の名前と特産、地名などなどを書き写していると、すとんという音がまた聞こえたので顔を上げる。

 すると、またサシャさんがやってきていた。その手には資料を持っているので、先程の注文を聞いてくれたのだろう。そしてそれよりももっと気になる者がもう片方の手に。物ではない、者だ。人間を1人引き摺ってきている。

 そしてこの笑顔である。サシャさん可愛らしい笑顔で案外鬼畜キャラなのだろうか。

 持ってきたよ~!と多分言っている口パクで資料を渡される。今年の時空の月の収穫量と会議の資料だった。ああ……この程度なら見せても大丈夫そうですね。普段エルリックが使用しているモノで、最も役に立ちそうだ。


「ありがとうございます、サシャさん。使わせて頂きますね。それと……ええと、そちらの方は」


 恐る恐る尋ねてみるとサシャさんがぱああっと笑顔をさらに咲かせる。そして、ぐいっと引っ張って、ぺ、と私の前に放り投げてきた。

 なんの抵抗もなしに黒装束の人物が目の前で床に倒れる。

 ……。

 …………。

 あ、あれ、動かないよ?生きてる?生きてるのこの人?

 とりあえずしゃがみ込んでうつぶせに倒れている人物の手首を持ち、脈を調べる。ん、脈はあるし、体温もそんなに高いわけではない。手の感じから察するに男だろう。

 サシャさんの顔を見上げると、サシャさんが男をげしりと蹴った。蹴った……サシャさんが蹴った……その事実になんとなくショックを受けつつ、男の方に視線を戻すと呻いている。だ、大丈夫なのだろうか。


「失礼します」


 そう言って、部屋のドアが開けられてルカが入ってくる。荷台に茶菓子やら、紅茶やらがずらりとのっていた。休息ついでにマナーのレッスンと言ったところか。


「あれ、寝てるんですね。よほど無理をしたようですね」

「寝……?」


 ルカの言葉に改めて倒れている男の方を見る。はぁ、良く聞くと寝息のような音が聞こえる様な。え!?この状態で寝れます!?どれだけ疲れ果ててるんでしょう。というか、それならベッドに運んでやってくださいよサシャさん!


「……っ、ルカ、か?」

「はいはい、どうぞ」


 倒れていた男が目を覚ましたようで、ルカの名を呼んだ。呼ばれたルカの方は、お菓子を両手で男に差し出す。ショートケーキにも似た生クリームメインのケーキなのだが、手づかみである。それをもぐもぐと幸せそうに食べている。

 起き上がってようやく男の容貌が明らかになった。紫色の髪と目を持つ、カタギでなさそうな強面の男だ。見た目は30代くらいだろうか。その強面がケーキを幸せそうに頬張っているのはギャップ萌えが見込まれる。かわいい。

 ケーキを食べきり、手を舐め終わってから、ようやく私と目が合った。


「なっ……!?あ……!?」


 まるで幽霊とでも出会った時のようなリアクションだった。この人もなんか可愛い人かもしれない。


「あっははは!予想以上の顔ですねこれ!」


 ルカが楽しそうに笑って、サシャさんも頷きながら笑っている。なんだが楽しそうですが、目の前の男性だけが冷や汗を流しているのは可哀相ですよ。

 ふむ、この人はエリカお嬢様を知っている人物だったり?サシャさんに連れてこられるくらいだから、きっとエリカ失踪も知っているはずだろう。見た感じ密偵っぽいし、もしかして、今までいなかったのは、エリカの捜索にでも行っていたのかなぁ、とか?だから疲れてて果てて、帰って来てエリカがいるから、ビックリしてるとか。それくらいしか思いつかないけども。


「み、見つかっがっ!!」


 大声で叫ぼうとした男にサシャさんがひじを打ち込んだ。でかい声をだすんじゃねぇ!って事らしい。あれ、サシャさん結構乱暴なの?なんかイメージ壊れて来た。

 ぶるぶる震えている男の胸倉を掴み、ニッコリと微笑むサシャさん。親指ですうっと自分の唇を撫でて黙っているように、という合図を送る。

 そして、中指でとんとんと男の喉を突っつく。男の顔は真っ青である。冷や汗を流しつつ必死で頷いている。なんだろう、あの喉を突いてる仕草が死ぬほど恐ろしいもののように思えるけど、きっと気のせいだよね。

 笑顔で脅しをつけてるサシャさんが物凄く恐ろしい。


「お気になさらなくて大丈夫ですよ。あのお2人はあれでいつも通りですから」

「あれが、いつも通り、ですか……」


 いじめっ子といじめられっ子の構図に見えて来て、目頭が熱くなりそうなんだけど。

 ルカが見かねたのか、私に小さな声で補足説明を加える。


「お2人はご夫婦なのですよ。だからいつもの事だと言ったのです」

「そ、そうだったのですか。これは失礼しました」


 そう言われると、急に微笑ましいものに見えてきた。

 はぁ……怖かった。


「はぁ……調子が狂いますね……」


 とルカがぼそりと呟いている。

 なんだ?と思いつつも、わざわざ問いただすほど仲良くないので、まあいいか。

 と、そんな会話をしている間に、サシャさんの説明が終わったらしく、男の人が静かに礼をしてきた。


「俺は密偵のロベルト。どうぞよろしく。姫」

「……ええ、よろしくお願いいたしますね」


 姫って……姫って言うのやめてもらえない?ゾワリと鳥肌が。私に姫は似合わなすぎるぞ。見た目が怖すぎるから言えないけど。


「今の状況の説明をされた。確かに、姫だ」


 まじまじと見つめられて居心地が悪い。柄の悪いチンピラに……いや、おやくざ様に見つめられている気分になります。

 ルカがさり気なく前に出て、ロベルトと間に入って笑顔で会話する。


「びっくりするでしょう?」

「ああ、驚いた」


「まぁ未だに私も微妙な心地ですよ」

「そうか、まぁお前は接触が多いからな」


 ……はぁ、庇って頂けたんですね。とても助かります。嫌いな顔のやつにそんな事出来るかと言ったら、普通は出来ないと思う。良い人ですねぇ……まぁ笑顔は黒いですけど。


「さぁ、茶菓子ですよ。お疲れでしょう。どうぞお持ち帰りください」

「悪いな」


 ケーキを沢山鞄に詰めて……というかその鞄どこから出した?というかケーキが中でぐっちゃぐちゃになりそうな勢いで適当に詰めてないか?そんな入れ方で大丈夫か?

 まぁ……口に入れれば全部ぐちゃぐちゃになるだろうが……本人がそれでいいならいいか。


「あと、エルリック様の所にきちんと報告なさってくださいね。地味ーに、心を痛めていらっしゃいましたから」

「悪い、サシャには逆らえなかった。今からいってくる」

「はい、その後にでも休んでくださいね」

「わかった。ありがとう」

「いえいえ」


 サシャさんと仲良くロベルトさんも退出して、ルカと2人きりになる。


「どうぞ」


 いつの間に淹れたのか、湯気ののぼる紅茶を置かれた。

 ……ほんとに、いつのまに。さっきまでロベルトさんと会話してたのに。考えたら負けなのだろうか。

 軽く礼をしてから紅茶を口に含む。体に染みわたるおいしさだ。ニーナの淹れた紅茶もおいしいけれど、ルカのは格別な気がする。そんなに紅茶に詳しい訳じゃないけどね。

 そして今、嫌な事に気づいた。ルカにめっちゃ見られている。え、何なに?私何かおかしな行動しているだろうか。飲み方ダメだった?最近コルムさんのレッスン時間も減ってるからなまってきているのかも。

 はぁ~と、深い溜息を吐かれてギクリと震える。そんなに不味いことした!?え、どうしよう。そんなに不味いならコルムさんに怒られちゃうよ!

 私が持っている紅茶のカップをカタカタ揺らしていたら、ルカが軽く首を振る。


「ああ、いえ。今のは気になさらないで下さい。私事を考えていただけですので」

「……そうですか」


 お、おう!そっか!よかった。


「それより笑顔でカタカタ震えないでくださいね、怖いので」

「それは申し訳ありません」


 おおっと、笑顔が張り付いてはがれなくなっていた!?ちくしょう婚約者がずっといるせいだ!

 ほっぺをつまんで揉みほぐす。


「必要以上の翻訳はいりませんから。文字数が多すぎても、覚えきれないと意味がありませんし。とりあえず言われた事だけをなさってくださいね」

「え?あ、はぁ……」


 え?言われなくてもそうするけど?

 再びルカが深い溜息を吐いて、紅茶のおかわりを淹れてくれる。ニーナとの味の違いはなんなんだろうな。タイミングとか温度とか湿度とか、なんかこう、あるんだろうな。

 ケーキはロベルトさんが持ち去ったからないけど、紅茶だけでもホッとするね。

 あ、そう言えばルカは婚約者の動向を知っているのだろうか。


「ルカさん、お伺いしたい事があります」

「本当は呼び捨てが適切ですが……まぁそれくらいは良いでしょう。なんですか?」


「ルーク様の今後の予定を知っていますか?」

「ああ……いいえ、私はなにも伺っておりません。聞いてきましょうか」


「そうですか。ああ、いえ……自分で伺います。ありが……いえ。なんでもありません」


 あぶね。これくらいでお礼言ってたらまた怒られる。


「なるべく早く帰らせるよう誘導してくださると助かるんですが。まぁ、無理そうならいいですが」

「面目ないです」


 私も出来るならやっている!でも婚約者ならもうちょっといて欲しい的な感じを醸し出さないといけないじゃないか!?

 いや、まぁ……方法としてはあるな。痴話げんかとかしたりとか、もう帰ってよ!って言えるし、家の用事は大変じゃないのか?とか聞いてみたり。後は自分の方の用事があるから帰ってくれと、別れを惜しみながら言ったり。


「それでは、私はこれで失礼します」

「はい、お疲れ様です」


 ルカが綺麗なお辞儀をして退室すると、すぐに扉がノックされる。返事をすると、騎士が入ってきた。あれっ……今までいなかったのか。いや、もう訳わかんないよこの人。気配がなさすぎて。

 騎士は壁には向かわず、真っ直ぐにこちらに歩いてくる。無表情のイケメン過ぎる人間が音もなくこちらに向かってくるのはかなり怖いものがある。

 だがしかし!耐性がだいぶんついてきたので、逃げないよ!婚約者が必要以上にベタベタしてくるせいもあるかもしれない。

 が、騎士の次の行動に心臓が痛くなった。何故か知らないが、片膝をついて頭を深く下げたからだ。わぁ、やめてほしい。このイケメンに跪かせるとか何様なんだ私。


「……なんでしょうか」


 絞り出すような声が出た。

 騎士ってば寡黙で真面目だから、仮でもお嬢様に発言を許して貰わないと喋らないので聞かせて貰った。

 どうして騎士が跪いているのかさっぱり分からない。

 返答をしばらく待つと、顔だけ上げてこちらを真剣な眼差しで射抜いてきた。なんだなんだ、やめてよ。ただでさえイケメンなんだからさ。


「私の事がお嫌いでも、貴方の騎士である事を許して頂けますでしょうか」


 引き摺ってたーーーー。あの日の発言気にしてた!

 日にちも経ってるし、もう気にしてないと思ってた!しかも所詮私だし!わざわざ聞きにくる事だろうか。ああ、いや、護衛対象との信頼関係は大事か。いざって時に言う事を聞かないなんてシャレにならないから。

 溜息を吐きそうになるのをぐっとこらえて口を開く。


「何か勘違いなさっていらっしゃるようですが、私は貴方を嫌いではありませんよ」

「え……ですが、以前は」


「ええ、確かに。そのように受け取れる様な言い方しました」

「な……何故ですか」


「何故って……」


 そりゃ、私だけ特別に思われるのが嫌だったからで。あれ、でもそれって自意識過剰なんじゃないか?いやでも、友達として気に入られて笑顔でも向けられたらこちらはダメージがでかいしな。

 私だけが普通に接するのではない、私だけが騎士に異常な接し方をしているのだ。

 そりゃ嫌いと受け取れる言い方をしたのは悪かったと思うが、何よりも説明が面倒だったのだ。


「説明が面倒だったから、ですかね」

「……やはりお嫌いですか?」


「いえ……ええと、あの時は時間がなかったですし、そうすることの弊害がないと考えていたものですから。ですが、ヴァレール様のお心を痛めてしまったなら謝ります。……申し訳ありませんでした」


 騎士よりも低い体勢によって謝る。つまり土下座である。この世界でも地面に顔を付けて謝罪するポーズがあるらしいよ。最も屈辱的なポーズみたいですね。

 イケメンの心を傷つけてしまった私は死んで良い。むしろ彼を好きな者に暗殺される未来しか見えない。

 床に頭をつけた瞬間、ガッと肩を掴まれて、グイッと顔を上げさせられた。はやっ。

 うっわ!顔近っ!?慌てて顔を逸らして自我を守る。ふう……同じ距離にいくもんじゃないね。


「どうかおやめください」

「ああ……申し訳ありません。やめます」


 すまなかった、すまなかったから肩に乗せた手をどけてくれないか。なんの刑罰だ。イケメンに両肩を掴まれて見つめられるってレアだな。ただし婚約者はこの限りではない。なんか、犬のような何かと思えばいいと思えてきたからな。でも騎士はほぼ接触のない男だ。緊張してしまうじゃないか。

 ああ~……顔が熱くなってきた……無念。彼の友人は破壊力があると言ったな……まじでだよ、ほんと。

 ……会話でもって、この空気をごまかそう。


「ですから、ええと……どういえばいいのか。好意を持っている者がヴァレール様と会話をする時、緊張して話せなくなる。つまり、私がヴァレール様に好意を持っていないと言う意味でしたね」

「ええ……」


 ……会話中も手を離してくれませんか。ジンワリと手の暖かさが伝わってきてどきどきしてきた。こえええ。イケメンこえええ。

 でも今これを振り払ったら嫌っていると思われてしまう可能性が高いから出来ない。


「ですがその好意の意味は恋愛感情の意味合いでのみ、という補足をさせていただきます」

「恋愛……?」


「ええ、ヴァレール様の前で震えていた女性は、女としてヴァレール様を好いてしまったが為に緊張してしまいます」

「ですが、私は……その女性方と会話もしておりません」


「見ただけで恋に落ちるのはよくある事です。或は羨望、憧れなどもあるかもしれません。如何せん、ヴァレール様の見目は麗しいですし、その功績も素晴らしいものだとお聞きしております」

「よくある事……?見目が麗しい……?」


 おおう……本当に理解できたかな?

 自分の恰好良さが分からなくなる何かが過去にあったのだろうか。まあいい、続けよう。


「ですから、先日言った事は、恋愛面では好んでいませんという意味で。人としてならば、好き、という事です」

「え……」


 パッと騎士の手が離れてホッとする。

 そこでようやく逸らした顔を騎士の方に戻す。すると、今度は騎士の方が顔を逸らして、片手で顔を覆っていた。


「そうですか……その、俺も、好きです」

「ふぁ……ああ、はい、ありがとうございます」


 ちょっと変な声が出た。上手くごまかせただろうか。くっそおおおお!イケメンが気軽に好きとかいってんじゃないぞ!こんちきちょうめ!こんちき!ちきちき!

 ……は、落ち着け。彼も私と同様、人として好きだと言っているのだ。心臓に悪いぞこの野郎、ふざけんな。

 だから嫌だったのだ、説明するのが!素直に好きとか言うタイプかよ!油断してた!言うなら言うって言っといてくれ。それ相応の覚悟が必要になるからな。

 に、しても……騎士は何故私など気に入ったのだろうか。とくにこれと言った事はしていないんだが?ああ、普通に会話したって事か、この野郎。友人になるために必要な条件が低すぎだろう、常識的に考えてな!


「とりあえず、誤解もとけたようですので、立ちませんか?」

「あ……はっ!」


 今気が付いた、という顔をしてからきりっと返事をする。ああ、ほんと嫌だなぁ。こんなにイケメンに気に入られるのは。でも私ごときが嫌いなどと言って傷付けたくはない。おこがまし過ぎるし、不敬だ。昔は平民だったかもしれないが、今は貴族だし。護衛任務に支障をきたしたらダメだからな。単純に人として好ましいのは本当の事だし。

 立ち上がって埃を払いつつ騎士の顔を見て、すぐに後悔した。目を閉じてさらに上から手を覆い、俯く。目が瞑れるかと思った。精神攻撃を受けた、とんでもない威力だった。

 騎士が微笑んでいらっしゃった。微笑みながらこちらを見ていた。しぬかと思った。……ああ、やっぱ嫌いだって言っておけばよかったかな。

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