当主と執事と密偵と
エルリック視点の話です。
「あいつはまだ帰らんのか!」
「そうですね、絶賛いやがらせ実行中という所でしょうか」
腹立ち紛れに書類にサインをしつつ、声を荒げるが、ルカは平然としている。
ルークもルークなら、あの親も親だ。
わざわざ知られてはならない者を送りつけて来るあたり、性格がひねくれてる。だからこそ、ルークもひねくれてるんだ。くそっ。
あの人達は案にこういいたいのだろう。絶対に失敗するからやめておけと。
確かに、普通の小娘ならば、この時点で何かしらばれていたかもしれない。
が、あの少女は異常だ。どう見ても貴族の娘の振る舞いをしている。まだ1月も回っていないのだぞ?どう考えても有り得ない。本当はどこぞの貴族の娘ではないのか?異なる世界で姫でもやっていたのではないか。そう思ったが、グリーヴ伯爵は違うと言う。内側を唯一見ている伯爵が言うのだから間違いはないのだろうが……どうにも疑ってしまうほどに洗練されてきている。
事務的な固い表情と言葉しか吐かないのかと思ったが、あれはなんなんだ。まるで別人じゃないか。びっくりしたぞ。あれほど仕上がっている等考えてもみなかった。
侍女長が気に入ったってのは、こういう事か。平民の割によくやる、という評価ではない。これで貴族でもやっていけるという評価だった。俺が考えていたのはかなり下だったようだ。自分で雇っておきながら、現状を把握できていなかったのはかなり痛い。これは伯爵に呆れられる。
「セスが面白いように反応してるのは見物ですけどね」
くっくっく、と黒い笑みを浮かべている我が執事。面白がって良いようなものでもないだろう。
ターン!とペンを机に置いて睨みつける。
「おっまえな!報告されてないぞ!セスが惚れているなど!」
「まぁそりゃあ報告していませんでしたからねぇ……」
くそ!確信犯だこいつ!
ご自分の目で確かめなかった貴方が悪いのでは?みたいな顔しやがって!なんて不親切な執事なんだ!こいつは本当に忠臣なのか!?いや、よくよく考えると割と酷いんだった……まぁそこが気に入ってる訳だが。それに、非常に不味い状況のものでない事が多いからいいんだが……って、今回はちょっとまずいだろう。
セスの態度はなかなかあからさまだ。伯爵の孫とは思えぬほど拙い。体裁を整えるのが上手いルークがなんとか場を丸くおさめているようだが、セスとの接触は少ない方が良いだろう。
グリーヴ伯爵はセスの帰還を推奨していたのはこの事か……。というか伯爵、どこまで把握しているんだ。いや、まぁ……ルークが早々に帰ってくれれば何も問題はないのだが、如何せん護衛と執事の目がな……。それに、サシャからの報告によると、密偵も連れて来ているようだし……今の所、相手さんはなんの情報も掴んでいないようだが。
どういうことだよ、あの少女は。密偵まで撒くってどういう事だよ。どんな訓練受けたらそんな事できるんだよ。
「今の所問題がないのは、彼女もそうですが、使用人もすべて自室でも気を抜いていないからでしょうね。つくづくフォルジュは敵に回したくないもんです」
ああ、それはある。
貴族は当然だが、平民まで訓練されているフォルジュの特異性は目を見張るものがあるからな。
別の貴族に招かれた茶会で、使用人が機密情報を漏らしていた時はこちらの方が冷や汗を出したものだ。
あんな風に客人が来ている時に陰口を言っているなど、こちらでは考えられない。もしあの屋敷にヴァレールでも連れて行ったらすべての情報を入手してしまいそうだ。
それだけ、うちの使用人達は優秀という事なのだろうが。他の貴族はよくそれでやっていけてるな、とは思う。きっと他の貴族の子息の課題など、もっと手ぬるいのだろうな。だからといって、俺は手を抜くつもりはないが。……まだまだ未熟だしな。
「ったく……父様の実力主義の賜物か。実は俺って他の貴族なら割とやっていけるんじゃないかと思えるよ」
「調子乗るなよ未熟者のくせに」
「ルカ!いくらなんでも口が悪すぎるぞ!?」
俺が半泣きになっていると、物凄く楽しそうにルカが笑う。なんて酷さだ!もうちょっと敬って欲しい。これでも頑張っているんだ。少しばかり褒めてくれてもいいだろうに。
……ルカに素直に褒められても気持ち悪いからいいけど。
「ああ、それと、暗号についてですが、今の所2種を教えられました。同じ読み方をする別の文字が存在するみたいですね」
「何故そのようなややこしいことを……」
「まぁまぁ、暗号としては優秀なのですから良いじゃありませんか。くそめんどくせぇとは思いますけどね。はい」
まるい記号と固い記号が並べられた紙束を渡されて眉を潜める。
「これがそうか」
「ええ」
ぺらぺらとめくってみても、さっぱり分からない。落書き帳か何かかと思ってしまう。
「ああ、そうそう。これがエルリック様の名前だそうですよ」
と指さされた文字を見る。固い記号が並べられているな。さっぱり分からんが。
「見て覚えて、書いて覚えるしかありませんよ。とりあえず一通りは覚えましたから、お教えしますよ」
「自分で言いだしておいてなんだが、この表にしろ、お前にしろ、優秀すぎるだろう。どうなっているんだ」
「エルリック様がちんたらやってるからじゃないですかね?」
「今日機嫌わるいのか?ちょっと当たりきつくないか?ひどいぞ」
そう言うと、ルカはまた楽しそうに笑う。でも……まぁ機嫌は俺も悪くなる。何せルークの滞在時間が思ったよりも長いものだからな。
ルークは今まで、どんな女も落としてきた手練れだ。エリカを除いてだが、その手腕は中々のものだ。何人もの女に手を出して、後から刺されてしまえと思うが、あいつは別れ方も上等な為、そう言った事にもならない。
そして、最も読めないのがリエ・コウサカである。見た限りルークに惚れているように見えるし、恋人同士にしかみえない。あれが演技なら、俺は女を信用できなくなりそうだ。
ルークが殊更気にかけているから、あの女がルークに惚れているという事はないのだろう。惚れた女に興味を失くす男だからな。
あの2人を見ていると心の底から寒気がする。何故あんな風に笑えるのか……いや、俺が身代わりを要求したせいだが。……とんでもない才能の持ち主を身代わりに立ててしまったのだろうか。グリーヴ伯爵にすべて洗いざらい教えて欲しいものだ。どこまで理解しているのか。俺の知らない内容が多すぎて分からない。あの少女には次々驚かされる。
過去の文献を洗ってみたが、この家には異界の客人についても文書はなかった。おそらく本家の方には多少はあるだろうが……今はそんな所に行っている暇もないし、ロベルトもまだだしな。サシャまで遠出させるわけにはいかないだろう。
異界からの客人はみなあのように規格外なのだろうか。それとも彼女が特殊なだけなのか……。
「おや、サシャさん」
というルカの声に顔を上げる。すると、声を失った女の密偵が姿を現していた。
この密偵も、いつもどこから現れるか良く分かっていない。ヴァレールもそうだが、この家にはもっと普通なヤツはいないのか。……いないよな、父様の家だもんな。
さらさらと紙に文字を書く速度は普通の速さではない。それでいて綺麗さを保っているのだから、かなり凄いことだ。
『追記、別の文字を教えるので、よく使う字や文章があったら教えて欲しいそうです。資料を渡してくれた方がより沢山カンジを教えられます』
「カンジってなんだ」
「組み合わせた文字の中の1つの名前なんじゃないですかね?」
ルカの言葉にサシャが頷く。ルカの推測は合っていたようだ。丸い暗号がひらがな、固い暗号がかたかな、サシャが持ってきた新しい資料に書きこまれている難解な記号がかんじ。
『カンジでもひらがなと同じ読みのものがたくさんあるみたいですよ。それぞれつなぎ合わせて、意味あるものにしていくみたいです』
「なんて難解な……!」
「物凄く面倒くさい……!」
「正直すまなかったとおもっている。だが、まぁ、その、なんだ。共に頑張れば機密文書も漏れにくくなるし、いいだろう?」
物凄く面倒くさいというルカの意見には全面的に同意せざるを得ないが、これも将来的に役には立つ。特に筆談をしているサシャならなおさらだろう。
『私の文字が最も上手いって褒めてくれました!』
と書いてふふん!と踏ん反り返っている密偵。密偵がこんなに明るくて良いモノか。まぁ、暗い時期に比べると良い方向には行っているのだろうが。
……あっ、ルカがちょっと対抗意識を燃やしている。自分が最も上手いと言われなかったからだろう。笑みに黒さを増している。
に、しても良く使う文書か、何にするかな。
「とりあえず本棚にある文章でも翻訳すればどうだ?」
「エルリック様、それだと物凄い量の文字を叩きつけられますよ。あの女性なら本棚にある本を全部翻訳しかねません。その負担はかなりのものなので出来るだけ限定なさってください」
「そ、そうなのか……?なんておそろ、いや、頼もしいな。じゃあ……『世界の歴史』はダメか?それなりに使える文字があると思うが」
光の神、魂の神。また大陸の名前などなど、良く使う方だと思う。
しかし、ルカが苦い顔をしている。
「歴史書ってどれだけ量があると思ってんですか……!彼女の負担は出来得る限り減らさないと、やれるだけやりますよ」
なんだなんだ、俺よりあの子に詳しいのか。まぁそりゃそうだな、俺は殆ど話などしないのだから。だがしかし。
「ルカ、面倒だからやりたくないって訳じゃないよな」
「そんなまさか。彼女を思っての事ですよ」
ふふ、と爽やかに笑っているが、俺は知ってるぞ。それはごまかしてる時の笑みだ。なるほど本音は面倒な方か。
サシャにずいと紙を差し出され、その文字をたどる。
『彼女は努力家、やれと言われたもの以上の成果を出してくる。本は身近にあるから、そこにある書類の方がまだいい。本よりも使いやすい文字が入っているとでもいえば、他の本まで翻訳しようとしなくなる』
「なるほど確かに、ですね。彼女は言われなくても自発的に勉強なさいますから。どこぞの誰かとは随分と違うもので、なかなか新鮮な気持ちになりますよ」
確かに、どこぞの俺の妹は全く勉強しなかったからな。微妙に嫌味をいわれているが、いつものことなのでこれはいい。
にしても、サシャまでここまで言うという事は、余程勤勉家なのだろう。俺もそこまで勉学が好きではないから、その気持ちが全くわからないが、ある程度出来る範囲を狭めておかないと、やれるだけやってくるのか。それはある意味、妹の真逆を行くようだ。
妹は全力で勉強する事から逃げる事に情熱をかける。楽しいと思えることに全力で突っ込んでいく。店の商品すべて買い取って来た時は、かなり叱られていたな。
叱られても、意味を話しても、理解などしてはくれなかったが。
本気で、道で拾った子なのかと思う事もあった。が、あれだけ人に迷惑をかける子がいたとして、自分の子でない限り父様ならすぐにでも捨ててしまうだろう。父様は実力を重んじているからな。俺も必死で勉強していた。
……最終的に貴族位剥奪などという不名誉なことまで考える程になったわけだがな。
それにしても、ロベルトでも見つけられないほど徹底した風魔法による隠ぺいは見事なものだ。こんなものに使われていなければ、賞讃するほど。ルークも、本当に無駄な事に命をかけていやがる。
ルークが傾倒していたと言われる平民の事は詳しくは知らない。が、確かに体が弱く、病死したと聞いている。それを、奴は自身の両親……エーテルミス公爵夫妻のせいだと決めつけてかかっている。
どうしてそんなに話がこじれているのか……こちらまで迷惑をかけないで欲しいモノだ。
俺は危うく領地すら失う所だった。俺はルークを殴っても怒られないと思う。まぁ、今は上手くやろうとしているので良いが……。
「じゃ、この資料でいいか。見せても問題のない資料だ」
適当な書類をサシャに差し出すと、コクリと頷いて書類を持ち、窓から落ちた。いつもの事ながらその退室はどうかと思う。まぁ……無事だから良い、のか?毎度ひやっとするんだが。こちらの事ももうちょっと考えて欲しい。
サシャが落ちてすぐに下を見ても、いつも姿を見る事が出来ないので、見に行かないが。
代わりに、ルカが窓を閉めに行く。
「……おや、帰ったみたいですよ」
「まぁ、そうだろうな」
いつ見ても彼女の姿は消えてなくなっている。
ルカは、俺の反応に苦笑を漏らして軽く首を振る。
「いえ、そうでなく……ロベルトですよ」
「なに?」
「サシャが例の件を説明するために拉致したみたいですね。書き置きがありました」
失せモノナシ、というロベルトの乱雑な文字のものと、拉致しますというサシャの文字のものだ。おいおい……雇い主にせめて顔見せてからいけよ……俺の事、皆ちょっとないがしろにしすぎじゃないか?
「まぁまぁ、エルリック様。エルリック様の尊厳よりも説明の方が大切ですから気を落とさないでください」
「おいそれ慰めになってないぞ!」
俺がちょっとショック受けている時に追い打ちはやめてくれよ!
……にしてもやはりエリカは見つからなかったか。帰って来たという事は、出来得る限界の事をやったのだろう。
どちらの方角に逃げたかも、どの国に行ったかも分からず、精霊の声を頼る事も出来ない。ならばせめて人の心を読むロベルトが情報収集を、と思ったが無駄足だったか。
あのバカどこに行きやがったんだ。平民に馴染めている、ということは、無事にやっているという事か、それとも……もう死んでいるか。
そっと溜息を吐き出して、最悪の結末を振り払うように頭を振る。
エリカはあのままだと、貴族にはなれなかっただろう。どれだけ勉強の大切さを教えても、耳を傾けてくれない、あの妹では。彼女が真面目に勉強をしたという事など、見た事がない。
平民になりたいと言う妹の望みが、ある意味ではルークも同じだったのだろう。目的とする所が別にあるが。だからこそ手伝った、という事もあるかもしれない。どうせ、妹は貴族になどなれずに牢屋行きだったのだ。ならば、外に出られて少しは気分も晴れるだろう。今がどんな状況になっているかは、分からないが。
「相変わらずあまあまですね、エルリック様は。だからなかなか成長しないんですよ」
「うるさいぞ」
「そんなあなただから気に入っている俺も大概馬鹿ですがね?」
「遠回しに俺が馬鹿みたいな言い方はやめろっ!……でも、まぁ、感謝はしている」
「ならもっとお給金出してくださいよ」
「これ以上だせるか!ふざけんなっ」
ルカとの気楽な会話に肩の力が抜ける。
はぁ、まともに言い合おうとすると負けるんだが、どうにも言い返してしまうのが俺の悪い癖だな。楽しいからいいが……ってこれだけ舐められてるのに楽しんだらダメだな……だから成長できないのか、納得だ。
それに、俺が考えすぎないようある程度息抜きをさせてくれているという意味もあるからなぁ。俺の執事は優秀だ。が、ルカの言い方に勝てるようになればもっと良いんだがなぁ。それはまた遠い話になりそうだが。
「ロベルトもあれを見ると大層驚かれるでしょうねぇ……」
「ロベルトの驚いた顔……?なんだそれは、見てみたいじゃないか」
「残念、エルリック様には仕事が山のように溜まっております。仕事しやがれ」
「くっ……!仕方ない。じゃあルカも……」
「わたくしは見てまいりますねっ!」
「くそおおおおおっ!!」
嬉しそうな笑顔でさっさと出ていく執事を見送る。くそう!見たいじゃないか!ちょっとくらいいいんじゃないのか!……いやまぁ、屋敷の主があまりうろうろしてはルークの護衛達の目にとまるから行けないんだがな。
そっと書類に目を落として、クスリと笑みを零す。
あれだけピリピリしていたこの屋敷がまるで嘘のように明るくなってきている。その変化は、異界の客人がもたらしている。本人は不愛想でお固くて、かなり律儀な性格だが、なぜこのような効果をもたらしているのだろうか。
……不思議なモノだ。こんなに自然に妹の幸せを祈る日が来ようとはな。どうか無事でいてくれ、エリカ。出来得るならば、もう二度と見つからない事を祈ろう。
……こんな事を考えるのは、やはり未熟者だ。




