どう考えても人違い
ふと目が覚めると、ふわふわしたソファの上に寝っ転がっていた。実に快適だった……簀巻きでなければ。
柔らかなお布団でグルグル巻かれ、上からロープでしっかりと固定されている。
何がどうなって今の状態なのだろう。甲冑の男に見つかって心配されていたはずだから、途中まではあの男が運んでくれたのだろう。だがしかし、簀巻きにされる謂れが分からない。
それにしても、と……周りを見回すと。
シャンデリア、家具、絵画……などなど、どれも高級品のようなものばかりだ。いや、これは間違いなく高級品だろう。簀巻きで寝っ転がっていても、どこか居心地のよいこのソファもかなりの値が張るもので間違いない。
しかし、異世界だというのに、生活水準はかなり高いのだろうか。もしくは、ここが噂の貴族宅という事なのだろうか。貴族というのが存在しなくても、ここがかなり水準の高い家である事は分かる。これらの家具を揃えようと思ったら、日本でもお金を必要とするだろう。よって、この家はかなり上流階級の者だ。
はてさて、そんな上流階級の人間の家に、何故簀巻きで放置されているのか。
気を失ってからあまり時間が経過していないのか、外は暗いし、疲れは殆どとれていない。まぁ、膝をついていた時よりは幾分かマシになったので、多少歩けるようにはなっているだろう。意識も飛ばない程度には回復している。が、長距離移動は流石に無理だ。
ところで私のスクールバッグはどこへやら。
そんな事を呑気に考えながら僅かにうとうとしていると、豪奢な扉が開け放たれた。
短髪の黒髪の執事の男が扉を開け、偉そうな金髪の男を中へ入る様に促した。まるで執事と主のよう……いや、実際にそうなのだろう。
金髪の男の髪は長く、私から見て右側に髪を束ねている。黒髪は禁忌と思っていたが、執事の男を見る限りそうではなさそうだ。それにあの執事の眼鏡、日本に売ってあったモノと遜色ないもののように思える。
ここはもしや化学が発達しているのだろうか。窓だって薄くて綺麗だし。てっきり魔法的な何かが発達しているのかと思っていた。骨の鳥がいるくらいだし。
入って来た2人の男は、明らかに怒っていた。どうやら、貴族の家に侵入した逆賊とでも思われたか。しかし待ってほしい。私は気を失っていたのだ。侵入など出来ようはずもない。
誤解なんだと言おうと思ったが、口が動かなかった。あれ、口塞がれてたんだ。
もごもごしている内に、金髪の青年が優雅に前のソファーに腰を下ろし、腕を組む。黒髪の執事はその後ろ隣でそっと控える。まさに主従。リアル主従に、思わず感動してしまう。金髪の男も黒髪の男もイケメンなので見栄えが良いのだ。貴族の金髪が見目が良いのはイイとして、やはり仕える者も見栄えが重要視されているのだろうか。
「エリカ……お前脱走っていい加減にしろよぉ……?」
「お嬢様、駆け落ちなんてくだらない事やめてください」
金髪と執事が順に喋る。私は、はて?と首を傾げる。私はエリカという名前でもないし、この人物たちとも面識はない。
この世界の人間ですら怪しいと思う。恐らく、いや、間違いなく人違いだ。そう言いたいが口まで巻かれている為に反論出来ない。
むーむー言っていると金髪がバン!と乱暴に机を叩いた。
「言い訳すんなこの馬鹿!お前のせいでこっちがどれだけ混乱したと思ってる!」
「そうです、お嬢様。ここは大人しく話を聞くべきです」
言い訳ではないんだけど……。
心の中でそっと溜息を吐く。どうやら話は聞いてもらえなさそうだ。ここは大人しく聞くしかないのだろう。まぁ喋れないですし。
「お前という馬鹿な妹を持って俺がどれだけ苦労していると思う?勉強はしないし、マナーの講師からも逃げ出すし、魔術の稽古も真面目にやらない!その癖、わがままだけは通そうとする!貴族の娘だからってそんな我がままばかり通用すると思ってんのかぁっ!?あぁん!?
分かってる。お前が魔術の適性がない事はな。だがな?そういう問題じゃねぇんだよ。相手の長所や短所を知る事によって対処が出来る事もあるんだ。何回言ったら分かるんだエリカの馬鹿め!エリ馬鹿だこの馬鹿野郎!」
「ええ、全くです。私としましてもお嬢様のお尻ばかり追いかけるのも飽き飽きしているのです。挙句に駆け落ち?馬鹿馬鹿しい。貴族としての自覚を持ってくださいと口酸っぱく言っているのに全然理解なさっていらっしゃらないようですね」
お、おう……。
鬼気迫る勢いにあっけにとられる。魔法やら気になるワードもあったが、そのエリカという人物は余程問題がある人物のようだ。
やるべき事から逃げ出し、やりたい事に突っ走る。とても迷惑な人間のようだ。自分も妹を持っていたが、ここまで酷くない。彼女は優秀で、誰よりも愛され、そのうえでの些細な我が儘をいうのだ。この金髪の苦労は計り知れないだろう。自分よりも悲惨な状況の人間を見て同情する。
ご苦労されているようで……。
「なんだ、その同情的な目は!誰のせいでこんな老けたと思ってやがるっ!よし、殺す!ころーす!!」
「お待ちくださいエルリック様!ヴァレール!エルリック様がご乱心だ!!」
暴れ出した金髪を後ろから羽交い絞めにして誰かを呼ぶ執事。バタバタと入ってきたのは騎士っぽい薄い水色の髪の男だった。長い髪を後ろで一つの三つ編みにしている。男なのに三つ編みとはこれいかに。と、思ったが、イケメンはどんな髪型も似合う、そう実感させられた今日この頃。
騎士は金髪に手刀を入れて昏倒させた。実に見事な手際である。その綺麗な動作に感心する。その騎士が金髪をソファーに横たえさせ、軽く溜息を吐いているようだ。
「ヴァレール、助かりました。噂はのちのち消えるよう采配させてます。騎士たちに休息を」
「はっ」
執事に言われた騎士はすぐに立ち上がり、綺麗な礼をして下がる。
そして執事は改めて私に向き直ってきた。
その間、私はずっと簀巻きである。同じ態勢では如何に居心地の良いソファーでも、腕は痺れるもので。
痺れている所を庇うために向きを変える。その間ウゴウゴ動くのは仕方ない。
「なんですか?その愉快な恰好は?」
えーこの格好は仕方ないでしょう……。
簀巻きにされたのは私の責任ではない。その気持ちを正確に読み取った執事が返答する。
「違います。簀巻きでなくその服装のことです。まるで娼婦ではありませんかはしたない。その御目出度い頭は相手の男を見る目もないんですね。どうせ売られそうになって逃げてきたんでしょう。嘆かわしい」
良く分からないが、全て誤解である。口の布を取ってもらって解放して貰いたい。しかし、やはり膝丈でも結構短いらしい。他の服がなかったので、どうする事も出来なかったので仕方がなかった。ちょっとダメなんじゃないかと思ったが、やはりダメだったようだ。
「なんですか?何か言いたげですね?」
執事の言葉に私はコクコク頷く。はぁ、とため息を付いた執事が仕方ないですね。と言って口だけ外してくれた。縄をほどく仕草が思ったよりも丁寧で思わずじっと見つめてしまう。執事というのは、こんなにも綺麗な動きをするものなのか、と。
「どうぞ?」
ニコッと笑った執事の笑顔が黒くて背筋が凍った。変な事を言ったら怒られる事が分かったが、私は言うしかない。確実に怒られるだろうセリフを言うしかないのだ。
ゴクリと生唾を飲み込み、覚悟を決めてから口を開く。
「私はエリカという人物ではありません」
ドカッ……ドスン。
「ぐっはっ!」
言った瞬間執事の黒い顔が般若のようになった。ソファーを蹴って後ろに倒されたので、簀巻きの私は抵抗すら出来ないまま床に転がった。大理石のように綺麗な床に転がされ、そのひんやりとした床を堪能させてもらう。この冷たさを堪能しても別段嬉しくはない。
怒り狂っても直接蹴らない所に僅かな理性が働いたと思われる。
落ちてぶつけた箇所が地味にジンジンして痛い。だが、どうだろう?ドSイケメン執事に蹴られたらご褒美になる人物も存在するのではないだろうか?私自体は暴力反対派なので、喜べないですがね。
「はい?もう一度言っていただきますか?お花畑様?ああ、やはり口を開かないで頂きたい。エルリック様が眠っていらして本当に良かったです。こんな素っ頓狂な言葉を聞いたら卒倒される所です」
ソファーから転がり落ちてしまったので執事の顔を伺い知ることは出来ない。だが、ふふふと笑っている声にゾクゾクと背筋が震えるほどの怒りが伝わってくる。
あ、無理。
エリカさまとやらの信用は全くなく、その人物に間違われている以上、私の言葉を信じる事はないだろう。
私は早々に諦めた。どんな言葉を尽くしてもエリカの信頼のなさが信用されているので信じて貰えない。
すぐに諦めるのは、私の癖のようなモノでもあったが、現状この状態で理解させられるような物も持ち合わせていないのだから仕方ない。
「お嬢様には教育プランをみっちり受けて頂きます。今度は、逃げられませんよ……ふふふふふふ」
そう言われて鍵のついた部屋に放り込まれた。ガラス窓には木枠が組まれ、決して外への脱出を許さないとする執念を感じる。その用意周到ぶりにちょっと半笑いになった。これはひどい。エリカという人物は余程逃げ出し癖があるようだった。いくら素行が悪いからと言って、貴族の娘にこの対応はどうなのだろう。
簀巻き状態から解放されたので、体をほぐしながら部屋を物色する。部屋は2部屋。寝室と、勉強部屋?だろうか。本棚にビッシリと難しそうな本が並んでいる。その背表紙を見る限り、どれも分厚い。それと、風呂とトイレ完備だ。これには驚いた。ちゃんと風呂とトイレは別々になっており、下水道もしっかりしているようだ。異世界と言えば下水道なんて通ってないのがセオリーだと思っていた。これは私の常識を良い意味で覆してくれている。
軟禁……と言って良いのだろうか?風呂トイレ完備で手足の拘束も解かれた状態。本棚の本は恐らく自由に見ても良い……いや、読まなければならないのか?
しかし、自分の部屋のものより余程広くて豪華である為に圧迫感なんて感じないし危機感も感じない。むしろ超優遇されていると感じる私は可笑しいのだろうか?貴族というのがどれ程の生活水準化は知らないが、家賃5万の家よりは広いし綺麗だと確実に言える。
「さて、どうしようか」
取りあえず手短に机の上に置かれている分厚い5冊の本……いや、分厚過ぎるので辞典と言って良いレベルだ。その本の一番上のモノを手に取って開いて見てみる。難解な文字が書き連ねられていた。
が、しかし、何故か脳が勝手にその言語を解読してしまう。
「読める……これは異世界特典かな?」
たまに言葉も全く伝わらない異世界モノもあるのでこれは助かる事実だった。そしてさらに驚かされたのは紙の質である。流石にこちらの世界のモノとまでは言えないが、かなり薄くて質の良い紙だった。印刷技術があってもおかしくない。
そう思うくらいはかなり良い本であった。実際本当に印刷技術もあるのかもしれない。下水道も完備だし、窓ガラスも薄くて外の景色を綺麗に眺める事が出来る。そして天蓋付きのベッドはまるで夢の中のお姫様のような気分も味わえてしまう。
まだベッドに飛び込んでいないので分からないが、見た目だけなら恐らくふわふわだろう。外を歩き回って汚れた制服で入り込む勇気はないので保留中だ。お風呂入っても良いのだろうか?人違いなんだけど、怒られないだろうか?
「まぁ……さっきのあの様子じゃ気付かれないだろうな」
はぁ、と溜息を吐く。そして慌てて口を塞いだ。溜息をついたら幸せが逃げてしまうではないか。迷信だろうと頭の片隅では思っているのだが、つい、そういうモノを気にしてしまうタイプなのだ。
お風呂に入ろうかと思ったが、着替えがなくて困った。
自分の今の恰好を見下ろしても何も出てこない。流石に入学式に着替えまでは用意する人間ではなかった。そもそも、手荷物はどこにいったのだろうか?鎧の男に捕まって、どこかに持っていかれたみたいだ。
カコン。
と、軽い音が扉の方で聞こえたので目を向けると、扉のすぐ脇に置かれてある机に服のような布が置かれてあった。すぐにそちらに寄って行って確かめると、バスタオルとネグリジェが置かれてある。その机の上には丁度机と同じだけの幅がある横長の扉があった。
そう、イメージとしては囚人に飯を与える為に用意された必要最低限の扉……とでも言うのか。必要なモノを顔を合わせずに必要最低限与えている……そんな感じだ。
その扱いについつい笑ってしまった。口を押えて、なんとか声を上げて笑う事は抑える。だが、目には涙が浮かぶくらいには面白かった。
しゅ、囚人じゃないんだからっ……。
なんとか笑いを沈めて、出されたバスタオルとネグリジェを見る。質は流石は貴族なのか、とても良い手触りのものだった。これで縞々タイツなんて出された日には大笑いしていた。
しかし、これを出されたって事は入っても良いという判断でいいのだろうか。もう知らない。どうにでもなれ。汗かいて気持ち悪いし、遠慮しません。間違えたあちら側が悪いのだ。
開き直ってお風呂へと足を踏み入れた。蛇口を捻れば、丁度良い温度のお湯が出てくる。それをお風呂に貯める。試しにシャワーの方も出して見たが、こちらも良い水圧の湯が出た。
石鹸も置いてある。至れり尽くせりである。頭と体を清めてから丁度良い量に溜まった湯に身を委ねる。
気持ちいい。
異世界でさっそく湯船に浸かれるなんて夢にも思っていなかったので、大満足である。異世界に落ちて、歩き回って拘束された為、私は自分が思っているよりも随分と疲れていたらしい。つい、その湯船でうとうとして、眠りに落ちてしまった。