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厨房の話

調理場で働いている使用人メインの話です。

主人公は出てきません。

 そこは戦場だった。

 燃え上がる炎、振るわれる刃。

 毎日毎日繰り返される、その場所は、調理場。

 そこに、3人の男がせわしなく動き回る。

 頬に傷がある、恰幅の良い男、バレス。スキンヘッドの頭とその厳めしさからはとてもではないが料理人の風貌ではない。見るからに戦士のそれである。それもそのはず、この男は戦場を知っている。ちなみに、頬の傷は戦場とは関係なく、奥さんがやったらしい。なんとも凶暴な妻を持っているものだ。

 この男がフォルジュ別宅の調理場を仕切っている料理長である。

 平民の男が料理長など、大抜擢も良い所だ。

 料理は平民にもやらせる貴族はいるものの、料理長など、地位のあるものはもっぱら貴族がなる。普通ならば有り得ないものだが、この男の腕はそこらの貴族の料理長よりも上だ。何せ戦場を分かっているのだから。

 そして、バレスの罵声……いや、指示を聞いてちょこまか動いているのが、料理人ラッセン。彼もまた平民である。元々は下町で料理の手伝いをしていた所をバレスが気に入り、フォルジュの料理人として引き抜いたのだ。

 ラッセンの良い所は、その味覚である。些細な味の変化も感知できるその味覚センスがとび抜けている。そして、その類まれなる盛り付けのセンスが、貴族でもまかりとおる。味付けはいいが、盛り付けが若干雑なバレスにとっては、最高の相棒だろう。

 最後の1人。カペリ・ヘーメルド・ブラウン。子爵位の騎士家系の男だ。よく女子連中からからかわれる純情な男である。彼はこの場では見習いだ。

 味付けも、飾りつけも満点ではない。が、違う言い方をすると、どちらもある程度は出来てしまう均衡タイプだ。バレス料理長よりは料理がヘタだが、他の調理場では料理長になれる程の実力者。

 盛り付けや味覚も、ラッセンには劣るが、十分やっていけるほどである。如何せん、2人の求めるものが高すぎて、自分の本来の実力をあまり理解出来ていないカペリだが、やる気だけはたっぷりとある。

 いくら怒られても、いくら壁に叩きつけられても、立ち上がる根性がある。流石は騎士家系と言った所か。

 その根性と実力を、バレスとラッセンは認めている。いわば戦友とも呼べるような仲なのではないだろうか。だが、失敗すれば容赦なく拳はとんでくるが。


「あがったぜ!ラッセン!」

「ういっす!任せてください!旦那!」


 上がった料理を、ちゃちゃっと飾り付けていくラッセン。カペリは皿洗いをしながら、その技を盗み見る。わざわざ手をとって教えると言う事は決してしない。相手の技を見、自分の仕事の合間を縫い、練習を重ね、自分の手中へと収めるのだ。

 ラッセンが盛り付けを仕上げている間に、バレスはラッセンがある程度仕上げた別の料理へと取りかかる。


「カペリ!もってけ!」

「はっ!」


 ラッセンの声に短く返事をして答える。

 返事の仕方はまるっきり騎士のそれである。左胸に手を当てて、きっちりと。

 料理を運ぶ役目はもっぱらカペリの仕事だ。

 フォルジュも別宅とはいえ、貴族の屋敷である事に変わりがない。その場合、うろうろして最も似合うのは、貴族であるカペリに他ならない。貴族の相手がくそめんどくせぇなどと考える様なバレスとラッセンにとっては、良き見習いだった。

 手渡すのは平民であるルカなはずなのだが、品位とかそういうものが違うのである。ルカの対応は平民よりも貴族寄りなのだ。荒っぽいバレスとラッセンがついていけるはずもない。

 カペリは料理用の荷台に料理を乗せて持っていく。騎士としての誇りをかけて、この料理は運びぬかねばならない。いや、お前料理人になるんだろ、というツッコミをしてくれる人は誰もいない。カペリの中では料理は戦いそのものだ。料理人と書いて騎士と読む。そういうものである。

 ピリッと底冷えするような気配に、カペリは立ち止まる。流石は騎士と言ったところか、敏感に相手の気配を察知したようだ。曲がり角を曲がった先に人がいる。

 立ち止まった瞬間、音もなく姿を現したのは、栄光騎士ヴァレール・ディリュイド・ミラ・ルフト。平民にして男爵の位を持つ水色の髪の男だ。騎士なれば、1度は聞いた事があるほどの実力者で、どの貴族でもその魔力の高さに恐れ戦くだろう。

 それはまた、カペリも例外ではない。

 子爵であるカペリ家より、貴族位は下である男爵だが、騎士としては王族を守れるほどに値するくらいの強さを誇る。故に、騎士ならば彼を男爵などと侮る者など、誰もいない。

 カペリ風情が、この騎士の気配を悟る等有り得ない。それもそのはず、騎士はワザと悟らせたのだから。

 それを理解し、カペリは直立不動を保つ。

 悟らせたという事は、自分に何か用事があると言う事に他ならない。故に、栄光騎士からの言葉を、慎重に待ち受ける。


「私が運ぼう」


 一瞬、カペリは何を言われているか分からなかった。栄光騎士が……何を運ぶと言うのか。

 そこで、自分が運んでいるものなど、1つしかない事に考え至った。

 なるほど、とカペリは悟る。

 この先はエーテルミス領の者が来ている。カペリ程の実力では、この先の戦場ではやっていけないと判断したのだろう。


「はっ!」


 栄光騎士に声をかけられ、喜びに浸る中、荷台を明け渡す。そこには何の迷いすらもない。ルフト男爵が明け渡せと言っているのだ、何も迷う事はないのである。

 崇拝とも呼べるようなカペリの視線に、ヴァレールが珍しく微妙な顔つきをしている事など、カペリは気付かなかった。

 ヴァレールは謙虚な男で、そこまで崇拝の念を向けられるような事などした覚えがないと考えているからだ。自己評価が物凄く低い、故に、その分努力を重ねるのだ。

 カペリは任務を遂行し、再び調理場という戦場へと駆けた。


「っし、これで終わりだ。不備はないか?ラッセン」

「ええ、完璧です旦那」

「おう、じゃあこれは頃合いをみてから、だな。よお、帰ったかカペリ。ん?なんでぇ、妙に浮かれた顔しやがって」

「おや、本当だ。どした?」

「えっへへへ!実はルフト男爵に声をかけて頂いたんですよ!」

「ほう……」

「へぇ……」


 カペリの熱い思いとは逆に、バレスとラッセンの反応は微妙だった。正直、同じ平民とは思えないヴァレールに、苦手意識さえ持っているのだ。これはルカよりも苦手かもしれない。何よりあの目立つ髪である。ヴァレールと対峙するならばルカの方がマシだと思えるのだ。

 別に嫌いな訳ではない。実直な男だと知っているし、その戦闘面でも大いなる信頼を寄せている。が、それとこれとは話が別なのだ。


「アレッ?……なんですか、すごく微妙な反応ですね」

「だってなぁ……?」

「うん……」


 どうしたって苦手なモノは苦手なのだ。どう考えても住む世界が違う感じがするのである。


「王族の護衛にも名が挙がった実力者ですよ!平民の誉じゃないんですか!」

「いや、偉いもんだとは思うが……なぁ?」

「うん……」


 むしろ、誉すぎるからこの反応なのである。

 ルフト男爵と会話するとか、どんだけ恐ろしいことやってんだよっていうのが本音だ。


「あれ、どうしたんですか?3人で神妙なお顔をされて」


 調理場に新たに顔を出したのは、エリカ付きのメイド、ニーナである。茶色の髪と、立派なそれをふわりと揺らして遠慮なく厨房へと入ってくる。


「あ、食後の甘味が出来上がったんだ。もうちょっとだけ時間かかりますから、仕上げは待っててくださいねって、それをお知らせに来たんです」

「ああ、問題ねぇ。これはくずれねぇからな」

「俺が崩しません」


 ニーナの言葉に、バレスとラッセンが自信ありげに笑う。それを見たニーナも、くすくすと笑った。相も変わらず暑苦しい厨房は、どこかニーナの実家を思い出させるものがある。故に、ニーナはこの料理場をとても気に入っているのだ。


「はぁ、それにしても、ルーク様はいつ見ても麗しかったわ」

「……そうなんですね」

「妬くな妬くなカペリ」

「そうだぞ、嫉妬は醜いぞ」

「うっうるさいな2人共!」


 ニーナが頬を染めてうっとりしていると、カペリが不服そうに唇を尖らせていた、なので、バレスとラッセンが小声で冷やかす。

 ニーナには聞こえなかったようで、「?」となっている。

 実はカペリ、ニーナの事が好きなのである。

 ニーナが伯爵位、カペリが子爵位なので、まぁ問題がない範囲ではある。同じ職場に勤めている若い男女だ、色恋もあるだろう。これが平民と貴族なら止めに入る所だが、これは全く止める必要のない恋である。未だに伝わる気配が全くないが、2人は生暖かく……いや、バレスとラッセン以外の使用人も生暖かく見守っているのである。

 だがしかし、ニーナはとんでもない面食いなのだ。カペリの顔もそんなに悪くはない、悪くはないのだが……きらめきが足りない。平民からすれば、カペリも十分に男前ではあるが、ニーナから見れば全く足りていないのが悲しい現実だった。


「それにしても、ルフト男爵様があんな風に料理用の荷台を運ぶなんて珍しくてビックリしたわ」

「なんっ!?」

「だって!?」


 ニーナのセリフにぎょっとしたバレスとラッセンがバッとカペリの方を向く。料理用荷台を持って行ったのはカペリなので、カペリが渡したのだろうという考えにすぐに至る。その考えは間違ってない。先程興奮気味で出会ったというのは、荷台を明け渡した時の事なのだ。

 あの偉大な人物に荷台を持たせるとはなんたることを。それが2人の共通の気持ちである。

 2人が慄いているのをしり目に、さらっと肯定するカペリ。


「ああ、渡しましたよ」

「わたしましたよぉ~。じゃ!ねーよ!!何やってんだよお前!?」

「なんて恐ろしい事を……仮にもお前貴族だろ」


 貴族のカペリにお前扱いは良いのだろうか。と、思うが、ここにいる者でツッコミを入れる者はいない。カペリとは、そういう扱いなのである。


「だってあのルフト男爵ですよ?逆らう方が不敬になりません?俺には出来ませんでしたね。それに、エーテルミス領の護衛も来てますし、男爵の意向に従った方が良いじゃないですか」

「ああ、確かにカペリじゃ不安にもなるわね」

「どういう意味ですかそれ」


 ニーナの言葉にちょっと不機嫌顔をしてみせるが、名前を呼ばれて若干嬉しいので手におえない。恋は盲目というやつかもしれない。

 しかし、カペリの判断もあまり間違ってはいない。エーテルミスの婚約者はともかく、側近は影武者について知らない。今まで見た事ない側近を寄越したのは、婚約者の悪い考えでもあるかもしれないのだ。何かボロを出すと、そこから崩れかねない。その為には近づかない方が賢明だ。

 近くに人の気配がなくても、「誰か」がいる可能性を否定できない以上、迂闊な事は言えない。主から安心という達しが出るまでは、陰口も許されないのである。


「はぁ、あ、そろそろかしら。持っていくね」

「おう」

「ういっす」

「いってらっしゃい」


 そう言って、料理用荷台にデザートと紅茶を乗せて運んでいくニーナ。

 それを見送ってバレスとラッセンが呟く。


「ところでニーナはいつ茶の用意したんだ?」

「ハッ……そういえば」


 ニーナと言えば先程まで呑気を話しをしていたはずである。いつ用意したのだろうか。湯くらいならあるが、その動作を見ていない。

 が、ニーナはやっていた。カペリがさらっとルフト男爵について暴露している時に。あっという間に音もなくやったために2人は気付かなかった。

 カペリだけは、好きな人をじっと見ていたために気づいていたが、口には出さない。冷やかされるのがオチだからだ。


「ま、お嬢様の付き人なら、それぐらいは普通なのかね」

「メイドってのも凄いもんだよなぁ」


 などと納得している。普通そんな神業出来ない訳だが、この屋敷の人間は何かしら普通ではないので、あまり普通を語れない。

 フォルジュ公爵が実力主義だから、働いている者も平民、貴族問わず優秀なものが集められているのだ。その中で侍女長の求めるメイド像は厳しい。厳しい侍女長の合格点を貰える伯爵家の娘など、ニーナくらいのものだ。メイドとしての才能もあったかもしれないが、騎士家系故に乗り越えた面もある。

 エマなどもめちゃくちゃ叱られる緩い部分があるモノの、意外に仕事面では優秀なので侮れない。

 他の貴族の家など、見た目だけの為に雇われた者だとか、見栄の為に買った者だとか普通にいるので、使えない奴もざらにいる。色々な所を見ている侍女長が文句を言っていたので事実だ。見た目だけの契約奴隷など、邪魔すぎて文句も言えない。

 フォルジュは実力主義だからこそ、侍女長も気持ちよく働けるのだろう。何でも完璧にこなしたい彼女にとって、その無駄は耐えられない事に違いない。その点、フォルジュの家は無駄がなくて良い。ただ、エリカを除いてだが。

 エリカほどこの家に無駄なものはない、というのが侍女長の考えだ。教えようとしても、逃げ回り、じゃあこれを覚えとけと書き置きしても、読みすらせずに放置。挙句ダラス伯爵に文句を言う。どこをどう頑張れというのか、本当ならマナーなど教えたくもなかった。それでも頑張っていたが、無駄に終わる。エリカの逃走である。あの時の侍女長の怒りはすごかった。が、エルリックもルカもすごかった。

 3人が目を三角にしている様は圧巻だっただろう。

 が、皆が密かに思っているのは、ニッコリと穏やかに笑うダラス伯爵が最も怖かったという事だろう。怒る訳でもなく、ただ穏やかにそうですかと述べただけなのだ。なにも怖がる必要がないくらいに感情を表に出していないのが、逆に恐ろしかった。ダラス伯爵が最も苦心してエリカに勉強を教えようとしていたのに、何も感情が浮かばない、文句も何も言わないなど、思い出すだけで背筋が凍る。


「おや、怯えられるなど。私も修行が足りないかな?」


 はっはっは、と笑っていたので、余計恐ろしかったのを皆覚えている。その冷ややかな対応のおかげで、エルリック、ルカ、侍女長の頭が僅かに冷えたのも言うまでもない。

 フォルジュに仕えている人間として、最も別格なのがダラス伯爵なので、厨房の3人など怖くて近づけない。しっかりと心が読まれないように魔道具を持っているのに、心を見られているような気分になるのである。実際、動きとか言葉で見分けているだけなのだが、それでも十分恐ろしいだろう。


「にしても、ルフト男爵が動くとはなぁ」

「それな。俺ぁてっきり指示を仰がないと動かない男だと思ってたよ。いや、馬鹿にしてる訳でなく」

「だよなぁ、エルリック様に言われていたのか?なら、普通に俺らに話きててもおかしくないはずだよな」

「ああ、たぶん独断じゃねぇか?というかこの屋敷に来てから声を聞いた事ねぇよ、俺」

「俺も返事をしたときの「はっ」ていう声しかしらねぇ」


 ルフト男爵は極めて気配が薄い男である。

 それは洗練された動きで音も立てないからで、本人の気配自体が薄いわけでなく、むしろ目立つ方だと言える。極端に口数が少ないのも、その要因に含まれるだろう。

 調理場の男達は、口を動かしながらも手を動かして片づけやら、自分たちの食事の準備やら、夜用の料理の下準備などを行う。料理情熱をかけているから、手間を惜しんだりはしない。


「で、喋る時どんな感じだったんだ?カペリ」

「えっ、そうだなぁ……なんかすげぇ、良い声だった」

「それだけじゃわっかんねぇよ」

「すくなくとも料理長のダミ声とは程遠い」

「喧嘩うってんのかお前」

「いやいやいや」

「まあまあまあ」


 バレスがイラッとして睨んだのをカペリが否定し、ラッセンが宥める。カペリは悪気はないのである。悪気なくちょっといらつくことを言う事があるのだ。が、他の貴族に比べれば可愛いモノだと言う事も分かっているので、怒りきれない。なんだかんだ仲の良い3人である。

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