孫の考える事はよくわからない
「お茶入りましたよ。休憩に致しましょう、お嬢様」
「ええ……」
ニーナに言われて本から顔を上げる。
所作もだいぶんサマになってきたように思うが、肩の凝りがものすごい。人様の前で腕をブン回す訳にもいかず、貴族っていうのは不便な事だらけだ。
休息の為のお茶だって、気を緩めるわけにもいかない。ああ……お布団でゴロゴロしながら徳用せんべいでもむさぼりたい。そんな事した事はないけど、やりたくなる程に開放感を求めている。
それにしても、と可愛いメイドさんの顔を眺めながらのお茶って相当贅沢では、ある。つ……と視線が僅かに下がるのはご愛嬌。豊満なあれは触ったらさぞや気持ち良かろう。
そんな事を考えていると、はぁ、と溜息を吐かれてギクリとした。まさか揉みたいと思った気持ちが溢れ出たのか。
「綺麗な所作をするようになりましたね。見違えました」
「……ありがとう」
セーフセーフ。気付かれてない、良かった。
ほんのり頬が色づいてうっとりしているニーナの方が余程綺麗だ。流石は伯爵位の貴族のご令嬢。付け焼刃の私と違い、染みついた優雅さが滲みでている。
「貴族生まれではないんでしたか?……そうとは思えない程、馴染んでいらっしゃいます」
「そう言って貰えると安心致しますわ」
「……ああ、なんだか私、今の方が余程侍女をやっている気分になります」
ほう、と憂いをおびた溜息を吐き出し思いをはせている。
ニーナはエリカ付きのメイドだ。今の方がメイドっぽいとはどういう事なのだろうか。
「今の方が?……どうしてかしら」
「それそれ!もうね、会話が成り立っている時点で有難いんですよ。あの時はいわば低俗奴隷のような扱いを受けていましたからね。下位貴族だというだけで酷いモノでした」
「低俗奴隷……」
奴隷にも3種類が存在する。契約奴隷、通常奴隷、低俗奴隷。
能力のある者が仕える者を決める契約奴隷、平民が金銭トラブルなどで売られる通常奴隷、そして犯罪を犯した者が家畜同然に扱われるような低俗奴隷。
雇い主の環境にもよるが、低俗奴隷は最底辺だ。人としての尊厳などあったものではない。なにせ犯罪を犯した者だ。家畜部屋と同じ所に飼われているような所もあるらしい。
いや、流石にそれは言いすぎじゃ。
「ま、そりゃ言いすぎですが。あの人、侍女とか執事とか、人として見ていないんですよ。……ニコだけは気に入っていたようですが」
「ニコさん」
確か、エリカと駆け落ちした使用人の事でしたか。
「駆け落ち相手の事です。道で手拭いを売っていた所をフォルジュ公爵が拾って来たらしいですよ」
その言葉にぎょっとする。
手拭い売りは、娼婦の意味合い、つまり体を売っているという事だ。ニコは男のはずだから、男娼という事だろう。
この前読んだ恋愛小説の中にその記述があった。
白いハンカチだけを手に、道をうろついていたらそれは娼婦、男娼の類。この白いハンカチを思う存分汚して構わない、という意味だ。白いハンカチを行為後に使い、買った側が最後に新しいハンカチをプレゼントするのがマナーだ。と、いらん知識を身に着けたような気がする。が、知らなければ恥ずかしい思いをする事になるので、知っておいた方がいいだろう。
「お嬢様は知らないようでしたけれどね。知ってたら、たぶん目すらあわせないでしょう。知らないって強いですよね……何も怖くなんてなくなるんですから」
そう言いつつ、ほう、と再び溜息を吐いている。
知らないという事は怖い事だと、私は思うが。自分の行動がどんな結末をもたらすか、被害はどれ程になるのか、相手の気持ちはどうなのか、そんな事を何も知らないという事は怖い。
いいや、もしかすると、最悪の結果も知らないから、不安に思う事すらないのかもしれない。ニーナが言いたいのはそういうことなんだろうか。
というか、エリカお嬢様はそういう商売を知らないのか。
「手拭い売りがどんな商売かも知らないなんて……とんだ箱入りですわ。ああ……別に手拭い売りを批判している訳ではありません。……ニコも良い子でしたからね」
「そうでしたか」
「ニコは優しい子ですから、悪い事などはしないでしょうが……いやむしろお嬢様に変な事をされそうですし……それに、その他の悪人から守れるかと言ったら……守れないのが不安要素ではあるのですがね。今頃なにしているのかしら……」
元男娼の使用人と駆け落ち、ね。
しかもエリカ様は知らないときた。いや、なんで知らない。ああ……勉強とか覚えるのが苦手そうですもんね、聞いた限りだと。
このロリ巨乳から男娼の話が出て来るとは思っていなかったのでそちらの方が驚きだけど。純粋そうにみえるのに結構その方面も知っているんですね。だがまぁ、貴族ならある程度街の事を知っておいた方がいいんだろう。自分がいる街にどんな店があるかくらい把握しておく必要がある。ちやほやされて何も知らないままなら確かに幸せな事もあるのだろうが、それだけじゃ貴族社会の厳しい荒波の中では生きていけない。
それとこれとは、恋する乙女の想いとは無関係ではあるし。体を売る商売を知っていても、恋する気持ちの方は純粋なようだ。
普段は結構シャキッとしているのに、あの水色の騎士相手だとオロオロしてるのが可愛い。
それにしても……エリカ様は大丈夫かな。世間知らずにも程があるよ。勉強を怠ってきたのはエリカ様自身のようだけど、ニコという人物は大丈夫なのだろうか。男娼の意味も知らないような女の子と共にいて。ニコという人物に会った事がないので分からないんだよなぁ。ま、エリカ様も会った事ないけど。ニコと比べると話題にあがりやすいから、勝手なエリカ像が出来上がってしまっている。
人間って勝手なものだから、噂話で会った事もないような人物を決めつけてしまう事が多い。私も勝手な人間だから、人物像を勝手に描いて想像で補っている。会った事ないから仕方ないとはいえ、自分の知らない所で好き勝手言われるのは良い気はしないだろうなぁ。
「まぁ、そちらは男性の方に任せておきましょう。私たちではどうにもできませんもの」
「そうですわね」
「はぁ……でも羨ましいです。ルフト男爵様の護衛をずっとうけていらっしゃるのでしょう?あの方とどんな話をされるのです?」
興味津々といった様子で聞いてくるが、これと言って何もないんだなこれが。あの騎士気配もないし、何も喋らない。あんなキラキラしたイケメンに、面と向かって喋られると精神的ダメージが大きいからそれでいいのだけども。
「残念ながら、あの方とは殆ど喋っておりませんわ」
「まぁ……任務中は喋らない主義ですのね?真面目で素敵ですわね!」
そうきたか。でも……護衛中以外の彼の事を知らないから何とも言えない。護衛中の人形のような彼しかしらないので、ペラペラ喋る所なんて想像もつかない。それはそれでなんだか恐ろしい話だな。
「ああ、そっと傍で支えてくれる騎士様……憧れです!私もそういうの経験したかったわ」
「あら……でも、ニーナ様も伯爵位でしょう?やろうと思えばできるんじゃないでしょうか」
「あっははは、貴族だからって、みんなそうとは限らないのですよ。特に、私の家は騎士家系でしたから。私もそれなりに戦えるんです」
うふふふ!と胸を張るニーナ。うわ、大変ご立派で。
「だから、護衛とかなかったんですよねー自分が戦った方が断然効率が良いですし。淑女に何させてんのって感じでしたけど」
そう言っている彼女はとても楽しそうに笑っている。どうやら、体を動かす方が好きだとみえる。
「ふふ、でも楽しそうですね」
「うっ、ま、まぁ?そりゃ楽しかったっていうか、茶会よりも切り込み隊長の方が楽しかったけど、っていうか様付けと敬語はやめてくださいって。呼び捨ての方が問題は少なくて済むんですから」
「はい、ニーナ」
「はい、宜しいですわ、お嬢様」
ふふ、と2人で笑いあってると、ノックの音が聞こえて来る。おじい様の魔法講習の時間だ。おじい様に会えるこの時間はとても好き。ただ……セスが邪魔だけどね。せっかくおじい様のステキボイスを堪能しているのに、孫の声がすごく邪魔。
「あ、お嬢様、最後にこれをつけさせてください」
そう言って、手に持っていた髪飾りを頭につけられた。スズランのような白くて小さな花が揺れる可愛い髪飾り。
丁寧に落ちないようにつけたあと、扉を開けてくれる。すると、おじい様ではなく、孫の方が来ていた。
「明らかに今、ガッカリって顔しなかったか?」
「気のせいよ」
あはは……意外と鋭いじゃないか、孫よ。
いつもはおじい様が迎えに来てくれるからワクワクしてるんだよね。セスも勉強に加わる様になって、別室の方で勉強するようになったから。おじい様との廊下デートが地味に癒しになってる。
そうだ、おじい様に骨の鳥の事を言ってみよう。骨の鳥の事を見かけたっていうくらいなら、孫がいても問題ないだろう。
「……じいちゃんへの態度と違いすぎだろ……」
「?……何かいった?」
「なんでもない!」
何かぶつくさ言っていたような気がしたんだけど……まぁいいか。
それにしても、いつ見ても貴族の家ってのは広いねぇ。何部屋あるんだか……隠し部屋とかもありそう。隠し通路とか!こっそり逃げる為の道ってのは、やはり必要だと思うし、あるだろうな。見てみたいな、見させて貰えるかな。これでも公爵家の令嬢の影武者だし、絶対無理ってわけではなさそうだ。
「いっとくけどなぁ、じいちゃんにはばあちゃんがいるんだからな!」
「そうですか!」
おおおお!やっぱいたか!そりゃいるよな、孫いるんだから!どんな人なんだろう、ほわっとした和む人かな。理想は2人で休日に買い物デートしちゃうような老夫婦だ。おじい様に似合う、穏やかで淑やかな女性なのだろうな。いいな、会ってみたい。
「なんで嬉しそうなんだよ!」
「え、え?」
セスが何故怒っているのか良く分からずに困惑する。
なんだなんだ、何か悪口言ったのならともかく、嬉しそうにしててなぜ怒られねばならないのか。なんという理不尽。
セスの考えている事など分からん。
「あのさぁ……ずっと気になってたんだけど」
「は、はぁ、なんでしょ」
「あんたさ、じいちゃんの事、好きなんだよな?」
「好き、大好きです。むしろ愛してます」
自信満々に言い切る。
ぴりっとしたあの雰囲気とか、それでいて、普段は優しくて穏やかな所とか、そして渋いあの声が最高です。あの黒スーツとかもうね、たまらんですよ。
ちゃんと私の事を見てくれている感じがたまらなく好きだ。
私の言葉に、セスが絶句している。
「な、あ、あ……おま、なに」
「何を驚いているのか、さっぱりわかりませんが。どうみても好きでしょう」
あの態度で好きじゃなかったら誰を好きだと言えばいいのだ。他の誰よりも好意をむき出しにしているというのに。
そしておじい様の方も、私の事を孫のように可愛がってくれている。頭を撫でる優しい手つきだとか、あの眼差しだとか、とても好きだ。
私のこの態度と同じような人間でも、腹の中は悪口まみれのやつがいるので信じられないという気持ちも、まあ分かるっちゃ分かる。
だが、そこまで器用な事は私にはできない。好きな相手には好意しか向けられないし、嫌いな相手にはせいぜい無表情を貫く。ましてや嫌いな相手に好意なんて無理だ。ま、そんな事、付き合いの浅いセスが知る由もないだろう。
それに、この世界では紫色の髪の毛は忌避されている。警戒するのも当然か。異世界の人間だから、そういうルールは存在しないぜ!馴染みがあるとしたら大阪のおばちゃんくらいだぜ!紫の髪?あめちゃん貰えるかな?くらいの軽い気持ちだ。
セスは私が異世界の人間だと知らないから、裏がないか探っているのだろう。おじい様を心配する孫の気持ち、痛い程わかります。けれども、おじい様もそこまで柔じゃない。それに、黒髪は通常とても魔法に弱いモノだし、心を読む能力を持つおじい様ならなおさら安全といえるだろう。とまぁ、分かっていても、心配するのが身内というものかな。
そっと自分の胸に手をあてて、セスに向き合う。
「安心してくださいよ。グリーヴ伯爵を陥れようとする気は全くないから」
「そ、そ、そ、そういう事じゃないだろ!」
大声で叫ばれて耳が痛い。なんなのですか、全く。貴族ならもう少しそれらしく振舞って欲しいモノです。嫌いな顔だからって、あからさまな態度に出したら、付け入られますよ。まぁ、今は別にいいんですけども。
「じゃあ、どういうこと?」
「だ、だから、好きとか、そういうのって、そんな堂々という事じゃないだろ!しかも妻子持ちにむかって!」
「……はぁ」
妻子持ちに向かって言ってはならないというルールなんてあったっけ?孫がおばあちゃん大好きっていうようなもんだろ?そんな記述読んだ事ないけどなぁ。
ぬ、しかし……この言い方だとまるで……いやまさか、そんな勘違いを?馬鹿な……ありえん……いや、しかし聞いてみる価値はある。
「あー……あの、セス様?私は別に、色恋で言っている訳ではないよ?」
「えっ!?」
そのリアクションは、当たりですか。
ふー……なるほど。とんでもない行き違いがあったようで。
そもそも、何故そんな誤解が生まれたのだろうか。
私の好きは、もっと幼稚なものだ。子供が親に愛情を求める様な。そういうものを、赤の他人……それも生きている世界すらも違う人に求めている。
おじい様もそれを分かってて、ある程度の線引きをして甘やかしてくれている。それが伝わるから、おじい様は安心するのだ。
私の未熟さも甘さも、悪い所も何もかもすべて分かってて、きちんとさじ加減を考えてくれて、受け止めてくれている。それがこの世界に移ってきた私にとっては、かけがえのない存在になっている。雛鳥が刷り込みで親だと勘違いしてしまったようなモノでもあるだろう。私を見つけてくれた、親鳥。
自分の事ながら、随分と稚拙なもんだ。
それにしても、恋愛とは恐れ多いな。私の様なガキがおじい様の相手になるはずもなく。好きだと想う事すらも許されないような人だ。そんな考え、かすりもしなかったよ。セスの想像力って豊かだ。それは貴族にとっては、有利に働くだろう。あらゆる可能性を考えて動くってのは、とても難しい事だからな。
そうすると確かに、おじい様の血を受け継いでいるのだな。ちょっと見直したかもしれない。10ほどの小娘が55歳ほどになる程の方を好きになるなんて推測、私には無理だ。想像力が豊かすぎてついていけないな。
現代で換算すると、11歳の小娘が65歳の還暦すぎた方に本気で懸想をし、妻の座を奪おうと思っているという事だ。信じらんねぇ、犯罪じゃないか、おじい様の方が。おじい様に罪はなくても、世間様はそうは見てくれないからな。
3周りも4周りも違うような相手に懸想など、犯罪の匂いしかしない。そんな危険な事やんないよ、おじい様に迷惑をかけられない。おじい様にそんな犯罪を犯させるくらいならいっそ死を願いそう。
「いくらグリーヴ伯爵が素敵で魅力的でも、それはないよ」
「そ、そう、だったのか」
好きなら、もっと感情を押し殺すよ。あんな風に前面に押し出さない。許されざる恋ならなおさら感情を殺して行く。そういうものだろう。
想像力が豊かなのはいいが、それを先入観で決めつけてかかるのはよくないな。可能性の中の1つだと思っていたならいいんだけど。セスの顔を見る限りはそれもなさそうだ。もうちょっと鍛錬が必要なんじゃないか。
セスも十分訓練不足に見えるが、エリカ様はこれよりもっと酷かったって事なんだよな。おじい様基準で考えるから皆不足にみえるのかもしれない。なにせ、おじい様が完璧すぎるからな。




