異世界トリップは突然に
これは参った、参った参った。
爽やかな小鳥の囀りに、吹き抜ける様な青空。緑豊かな森はマイナスイオンを放ち、私の肺に清々しい空気が送り込まれてくる。確か、この気持ちの良い緑の香りは、カビを防いだり、虫が嫌がる匂いだそうで。だから木の種類によっては防虫剤いらずの家になるのだとか。
それはイイとして。
私はなぜこのような所にいるのか。間違ってもそこに山があるからと言って山に登るような精神は持ち合わせていない。どうせ登るのならば万全の対策を練ってから登る。登山靴がなければ運動靴、ザックとストック、水筒は最低限持っておきたい。いつでも遭難して大丈夫なよう非常食や多機能ナイフ、ビニール袋などなど。事前に揃えようとするならばいくらでも持っていきたいものはある。
間違っても高校の真新しい制服とローファーなどで突撃したりはしない。いくら思いつめているからと言って、そんな自殺者のような行動はしない主義だ。
自殺するならばもっと人の迷惑になるような所でババンとやりたい。まあ、やる気など微塵もないですが。それは置いといて。
キョロキョロと見回しても、見た事のある地形は現れない。そもそも、私は高校の入学式に出ようとしていただけだ。家の近辺にこのような森はなかったはずだし、そもそも何もない所で足を踏み外したのがオカシイ。階段でも、ましてやそこにマンホールがあったわけでもなし。工事なら何かの注意があってもおかしくはない。
それに、足を踏み外したのならば落ちて然るべきなのだが、骨折はおろか擦り傷1つ負っていないのはどういう事だ。
落ちて運よく怪我を免れたのは良いとして、落ちた先がこのような森とは。考えれば考える程なぞは深まるばかりで。
そうだ、起こってしまった事は仕方ない。そう考え、早々に考えを放棄。次に考えるのはどうやって人のいる場所へと行くか、だが。見回しても、獣道らしきものが見つかるばかりだ。
とりあえず太陽の位置を確認し、時間帯を見ておこうと思い空を仰ぐ。
「ん?」
何か可笑しなものを見たような気がして、目を凝らす。太陽を直視しすぎては失明してしまうなどと言う事はすっかり忘れて見入る。なぜなら、その太陽と思わしきすぐ隣に、同程度の大きさの月のようなモノが浮かんでいたからである。
しばらく太陽を見ていたせいで、目が痛くなり、目を瞑る。瞼の裏側にはくっきりと太陽のあとが残ってしまっていた。そして脳裏には隣で太陽に照らされている月のような何かがこびりついている。月と言いきれないのが、太陽の光を浴びて照らされているだけではなく、その月自身も淡い青色に輝いていたように見えたからだ。
通常、月や星というものは、真昼間から見えるものではなかったはずだ。見えるとしても朝方や、夕暮れ。太陽自身の輝きによって、昼間の星など見えようはずもない。しかも隣に見えるほど近くなら尚更。
影、というなら分かる。日食や月食なども見た事もある。だがそれともまた違う。
自分の見たモノがにわかに信じがたく、目頭を揉んで唸る。目頭を揉むのは、目がちかちかするせいもあるが、悩んでいるせいだ。
地球上から、太陽と同程度の恒星、または惑星はあっただろうか。恒星などもっての外、惑星だと火星か金星か。一番星などは綺麗に輝いているのは分かる。惑星は太陽の周りを回るものなので、月は衛星に分類される。
そこまで考えて、軽く頭を振った。おおよそ現実逃避のような考えを振り払うためだ。
理解などしたくはなかったが、おそらくは地球と言う星ではないのではないか。その考えが頭にこびり付いて離れない。頭を振ってみても、ホロリと落ちていく事はない。
マンホールなどあるはずもない所で真っ暗闇に落ちて。
下に落ちたはずなのに怪我もなくへたり込んでいて。
近所にはないであろう豊かな森の中にいて。
空には太陽と、僅かに輝く月のような何か。
おおよそ、記憶の中では、結論が1つ。
「異世界トリップ……」
口に出した瞬間、笑いだしたくなるほどふざけた言葉だと思った。そんなもの、現実世界にあるはずない。そう信じて生きて来たし、これからもずっとそうだと思っていたのだ。
あれは物語だけの話で、トリップ先で色々活躍したり、苦労したり、戦ったり、恋愛したり、とても忙しそうな記憶はある。だがあれは物語なのだ。物語だからこそ楽しいし、笑って済ませられる事も多いし、ご都合主義だってなんでもござれになる。
だが現実だったらどうだろう。技術の発展もしていないであろう異世界にいきなり放り出されたら。
無理だと、すぐに思った。
コンテニューなしのクソゲームだと。
美人でもなければ、これと言った魅力も技術も戦闘能力もない。平々凡々なこの私に異世界がで何が出来る?いや何も出来ない。むしろこの森で朽ち果てる運命やもしれぬ。
そうか、なるほど。異世界トリップというのはたくさん起こっているが、その内成功するのはほんの一握りの人間だけで、後は野垂れ死にしているのでは。物語にもならないただのバッドエンドまっしぐらな展開じゃ100文字にも満たない程薄っぺらい小説となるだろう。
異世界トリップしました。が、しかしそのまま人にも会えずに死にました。
……うん、なんという嫌な物語だ。先があるとすればその後霊や生きる屍となるか、蘇って死んでを繰り返し強くなる物語か……。そんな特殊能力があるかどうかも分からないし、死ぬという危険は訪れてから考える事にしよう。
まずは行く方向である。人に会わないとお話にならない。
手近な木に都合よく蔦が這っていたので、それを手にしてひょいひょいと登る。
のぼれる限界までいき、邪魔な枝を手でへし折って、生い茂る葉をかき分けて周辺を見回す。すると、どこかの映画のセットのような実に素晴らしい王城のようなものの頭がひょっこりと見えた。
おう、じょう……ほう、王城、か。なるほど。異世界なんだなぁ。あれ、別に世界遺産とかではないんだろうな。実際に現役で使われている城なのだろう。
他に主な建築物は見当たらなかった。ここが辺境だからなのか、それとも高層建築物自体が少ないのか。現時点ではわからないが、あそこを目指すのが最善だろう。
そこでふと考える。黒髪はこの世界で大丈夫なヤツなのだろうかと。それと今の服装。日本ではごく普通の膝丈のスカートだが、これは破廉恥にならないだろうか。女性の肌の露出を極力抑えている宗教が地球にもあったくらいだ。こちらにもそういった習慣があってもおかしくはない。
しかし残念な事にスクールバッグには教科書とお弁当しか入っていない。ハンカチは頭を隠すには小さすぎるし、せめてバンダナでもあればなんとかなったというのに。今更そんな事言っても仕方ないので、さっさと降りて目標の地へと向かう。
ストンと木から降り、軽くスカートを叩いて汚れを払い落とす。すると、ふわりと目の前を淡く光物体が通りすぎた。
「YO、SEYですかね」
薄い2枚羽で小さな女の子がふわふわと飛んでいく。非現実的な光景が脳内で拒絶を示している。そうだ、夢だ、これは夢なんだ、と。そう言い聞かせようとしているが、踏ん張っていく。
重力というものを無視した動きをしながら妖精がふわりしゅわりと羽ばたく。
「ひゃああ、ぴゃああ」
と、小さな声が聞こえたので下を見ると、頭に花を付けた豆が走っていた。見えるだけで3匹。5枚の花が2枚落ちている豆花もいる。そこに骨の小鳥が舞い降りて来て……待て。骨、だと……?
「ぴゃああ!ぴゃああああっ!」
豆花を啄んで食べている。骨が。骨の鳥が。そもそも胃は?栄養はどうすんのそれ?
いや、と首を振って考えを投げ捨てる。そもそもここはルール無用の異世界なのだ。こんな事にいちいち反応していたらキリがない。
とりあえず、今現在私が立っている状態から城のあった3時方向へと歩き出す。
ざくざくと歩を進める事2時間。太陽が真上に昇り、ぐう、とお腹が鳴った。
スクールバッグを開け、中の弁当を取り出して黙々と食べる。結構歩いたが、これでは日が暮れてしまうだろう。そう考え、弁当を半分だけ残してバッグへと戻す。
バッグから覗いた英語の教科書を見て、あ、言葉はどうすんだ?と思ったが、考えても仕方がないので諦める。案外ボディランゲージだけでもいけるさ、きっと。
骨が動く世界だから、骨が主体もあり得るのか……?そうだとしたらハブられるのは確実だ。栄養としてその骨の中に吸収されそう。骨のどこに何を吸収しているかは全く分からないが。
そんな事を考えていると、のしりと頭に軽い感触がした。この感触はなんだろうか。何かが上から落ちて来た?に、しては衝撃が少なすぎる。
そっと頭に手を添えると、何かが乗っている。むんずとそれを掴むと、それは先程の骨の鳥だった。
キョロキョロとしている姿が何故か可愛らしく映る。骨なのに。骨フェチとかではない。
やはり骨だからか、きょときょとしていると何かがカラカラいっている。しかしまぁ、何やら人に慣れているようで。手のひらに載せていると、ちょこちょこと動き回っている。突っついてくるわけでもなし、特に問題もないので放置しておくことにする。実はこっそり呪われてました。とかシャレにならないが、確認しようもないので放って置く。
音もなく羽を動かしてふわふわ飛んでいるのはなんとも不可思議極まりない存在だが、この世界に慣れるのには丁度良いのかもしれない。
さらにどれくらい歩いたのか、日が暮れて来て、さすがに疲労が隠し切れなくなってきた頃、舗装された道にでた。形の良い岩を平らにして整備してあり、非常に歩きやすい。
助かるかもしれない、そう考えてしまうともうダメだった。ガックリと膝を付いて、動けなくなってしまう。
おお、人がいるかもしれないという安堵で気が抜けてしまうとは情けない。獣道が非常に歩き難かったというのもあるかもしれない。木の根や小枝、岩、ぬかるみなどなど……舗装されていない道のなんと歩き難いものか。
しかし、これは本格的に参った。ここで力尽きては意味がない。むしろここからが異世界本番と言っても過言ではないのに。住む所や働く所などがなければ生きていけない。野宿するにも道具が足りなさすぎる。
私が軽く落ち込んでいると、骨の鳥が私の周りを心配そうにちゅんちゅんと歩き回る。かわいかったので、つんつんと指で軽くつっつくと、骨の鳥も嘴でつっついてくる。感触はもふもふなどしておらず、ただの骨なのだが、なんだか長時間共に歩んだせいで愛着が湧いてきた。私よ、きっと疲れているのよ。所詮骨は骨なのに。
そんな事を考えていたせいか、骨の鳥がどこかに飛び去ってしまった。ああ、謎の骨が。謎の癒しの骨が。
地味にヘコんでいると、道の向こう側から人が歩いてきた。い、いや……どうだろう。人、ですよね?甲冑を来た人間らしき者がカチャカチャと金属音を鳴らしながらこちらに近づいてくる。
その腰には剣がぶら下げられており、カタギの人間ではない事は分かった。いや待てよ。ここは異世界だから腰剣ファッションもあり得るのか。逆に切り捨て御免も自由だったりして。
甲冑は、こちらの存在に気づいたようで、腰に手を当てて近づいてきた。腰、というのはつまるところ剣当たる部分で。終わったか……と思ったが、相手から発せられた言葉にまだそれは早計だと悟る。
「どうかしたのか、お嬢ちゃん」
「……!!」
日本語が通じる!!
そう思った瞬間ふっつりと意識が飛んだ。