8
海沿いの道路を曲がり坂道を少しのぼると、丘の中腹に海が見渡せる墓地があった。
私はこの場所を知っている。ここは私の父が眠っている場所。そして――。
蒼太が墓石の前で立ち止まる。そこにはまだ新しい花が手向けられていた。
「ここ。俺の母さんの墓なんだけど」
蒼太の隣に立ち、私はその声を聞く。
「東京に行って、あの家で母さんの話はできなくなって……しばらくは墓参りにも来れなかった」
蒼太がその場にしゃがみこみ、じっと目の前の墓石を見つめる。
「大人になってからは、来ようと思えば来れたはずなんだけど。でもどうしてもこの町に足が向かなくて、初めて一人でここへ来たのは三年前の命日。そしたら真新しい花が手向けてあってさ。母さんは身寄りがなかったから、誰も来る人なんかいないはずなのにって思って……」
私は蒼太の隣に座り、じっと耳を傾ける。
「そのあともずっと、俺が命日や月命日に来ると花があった。こんなふうに」
蒼太が目の前の花に手を伸ばす。その花の彩りに私も見覚えがあった。
「その花……私のお父さんのお墓にもある」
顔を上げた蒼太が私を見る。
「もしかしてお母さんたちが?」
「俺もそう思う。母さんの墓参りに来る人なんて、俺の親父しかいない」
そう言って小さく笑った蒼太が、墓石に向きなおしてひとり言のようにつぶやく。
「そうなんだろ? 母さん……」
手を合わせ、静かに目を閉じた蒼太の隣で、私も手を合わせる。
蒼太のお母さんと私の父の、お墓参りを続けていた二人。だからと言って、二人の罪が許されるわけではないけれど。
――この人のことを好きになってしまった。
十年前、蒼太のお父さんが言ったという言葉を思い出した。
理性を越えて、どうにもならない恋もある。あの二人を許すか許さないか、それを決めるのは私たちじゃない。
しばらく目を閉じていた蒼太が、顔を上げて立ち上がった。私も同じように、蒼太と一緒に立ち上がる。
足元の水たまりに雨上がりの空が写っていた。校舎の窓から、蒼太の姿を追いかけていた頃と同じ青い色。
「琴音は……もう一度この町に戻って、暮らすのは嫌?」
私は黙って蒼太の顔を見る。
母が不倫をして、蒼太のお父さんと町を出て行った噂を、この狭い町で知らない人はいない。父が自ら命を絶ったことも。
この町は私にとって二度と暮らしたくない場所のはずだった。
ここに蒼太がいないのならば。
「昨日の夜、雨の音を聞きながら考えてた。ずっと、琴音のことを」
「え……」
「琴音が一人で、寂しがっているんじゃないかって」
蒼太の声が胸に沁みこむ。鼻の奥がつんとしたのを隠して、できそこないの笑顔を見せる。
「やだなぁ、何で私が寂しがるの? 蒼太は知ってるでしょ? 私が強いってこと」
「じゃあどうして泣いてるんだよ?」
小さく首を振る私の頬に、蒼太の指先が触れた。
「俺、今はまだ新しい仕事始めたばかりだし、住んでる所だって居候みたいなものだけど。でも自分の生活がちゃんと整ったら……琴音のことを迎えに行きたい」
蒼太が顔を上げ、真っ直ぐ私の目を見て言った。蒼太のお母さんが眠るその前で。
「琴音のことを、必ず迎えに行く」
私はそんな蒼太の顔を黙って見ていた。
笑顔を見せようと思ったのに、涙があふれて止まらない。
「遅いよ、蒼太。そのセリフ、十年前に言ってよ」
「ごめん」
蒼太が苦笑いして私に言う。
「和奏にもちゃんと謝らなきゃな……勝手にいなくなってごめんって」
「一発くらい殴られるの、覚悟しといたほうがいいかもよ?」
もう一度笑った蒼太の指が、頬を伝う私の涙を拭ってくれる。
「琴音。もう無理して笑わないで」
かすかに震える私の手が、蒼太の指先を包み込む。
「俺の前では無理しなくていいから。二人で一緒に幸せになろう?」
手を握り合いながら顔を上げると、私の大好きだった蒼太の笑顔が見えた。
「……うん」
そううなずいた私たちの上から、雨上がりの日差しが差してくる。
一人ぼっちで雨音を聞いていた、長い夜はもう終わったのだ。
私の体を、蒼太が抱き寄せた。
静かに目を閉じ再び開くと、私の目に青い海が映った。
丘の上から見下ろす海は、堤防に座って見ていた海よりもっと広い。
はるか彼方の水平線が、あたたかい涙でぼんやりとにじんでいった。