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海のかなた、雨のおわり  作者: 水瀬さら
春、そして再び夏
35/44

 咲田さんに頭を下げて休暇をもらった私は、電車を乗り継ぎ、懐かしい海辺の町へと向かった。

 雨に濡れた窓から景色を眺めながら、あの町の思い出を少しずつ思い出し、複雑な気持ちになる。

 つらいことが多かった。だけど幸せな思い出だってあった。

 最後の乗り換えが終わりしばらく走ると、窓の外に海が見えてきた。


 昔と変わらない小さな駅で降り、傘を差して長い坂道をのぼる。立ち止まって後ろを振り向くと、学校帰りに毎日見ていた景色が私の目に映った。

「琴音ー! 久しぶり!」

 卒業した高校の校舎へ入り、楽器の音のする部屋をのぞいた瞬間、紗香が飛び出してきて私に抱きついた。

「琴音、琴音! 元気だった?」

「う、うん。元気だよ?」

「もー、すっごい心配したんだからねー!」

 紗香は私をぎゅうっと抱きしめ、背中をぽんぽんと叩くと、潤んだ目で私を見た。


 高校時代の親友である紗香は、卒業後も地元に残り、仕事の合間に吹奏楽部の指導者として学校に来ているそうだ。

 この町に行こうと決めた時、一番に浮かんだのは紗香のことだった。けれど紗香とはもう何年も連絡を取っていない。どちらかといえば、私のほうが彼女のことを避けていたから。

 恐る恐る連絡をしてみると、紗香はものすごく喜んでくれて、うちに泊まりにおいでよとまで言ってくれた。


「ごめんね、琴音。東京へ行ったあんたのことは、ずっと気になってたんだけど」

 誰もいない教室へ入り、懐かしい椅子に腰かけた。部室から、聞き覚えのあるメロディーが流れてくる。

「こっちから連絡するのもどうかなぁなんて、ついためらっちゃって……」

「ううん。私こそごめん。ずっと連絡できなくて」

 紗香は全部知っていた。私と蒼太の親のことも。蒼太が私の母とこの町を出て行ったことも。残された私と父が町中から噂されていたことも。父が自ら命を絶ったことも。私が一人で町を出たことも。

 紗香は全部知っていて、ずっと私を見守ってくれていた。

「紗香……」

 紗香が私の隣で泣いている。私のために泣いてくれている。

「やだ、私はすっごく元気だから。だから泣いたりしないでよ」

「ウソ。琴音の『元気』と『笑顔』は信用できないもん」

 泣きながらそう言って、紗香は私を見る。

「大丈夫だよ? 私本当に元気だから」

 私が笑って紗香を見たら、彼女も涙目で笑ってくれた。

「もうっ。連絡くらいしろよ!」

「ごめん」

 紗香が私の肩をぽんっと叩く。開け放した窓から湿った風が吹き込み、校庭の向こうに海が見えた。


「で、琴音は、どうしてこの町に来たの?」

「え?」

 楽器の音が途切れた時、紗香が私にそう言った。

「まさか私に会うために、わざわざここへ来たわけじゃないよねぇ?」

 私は黙って紗香を見る。紗香は意味ありげに私に笑いかける。

「蒼太に会いに来たんでしょ?」

 紗香の口から出たその名前に、体が震えた。

「蒼太……やっぱりこの町にいるの?」

「やだ、あんた知らないで来たの? 私はてっきり蒼太に会いに来たんだと……」

 紗香はじっと私の顔を見てから、静かに口を開く。


「三か月くらい前だったかなぁ。海沿いの道で蒼太を見かけたの。お年寄りの乗った車いすを押してた。私、蒼太は東京にいると思ってたから、なんでって思わず声かけちゃったの。そしたら、あの辺に新しくできた老人ホームで、住み込みで働いてるって教えてくれた」

 私はどんな顔をして紗香の話を聞いていたのだろう。かすかに震える手をもう片方の手でぎゅっと押さえる。

「その時私ね、琴音のことも聞いちゃったんだ。東京で琴音と会ったのって。そしたら蒼太言ってた。琴音とは十年ぶりに偶然会ったけど、もう会わない方がいいと思って、俺が琴音から逃げてきたって」

「蒼太がそんなことを……」

「ねぇ、あんたたち、東京で何かあったの?」

「なにも……」

 何もない。まだ私は蒼太に、何も伝えていないから。

「私ね……蒼太に会いに来たの」

 紗香が私の顔を見る。

「十年前のような想いはもうしたくない。蒼太に会って、ちゃんと自分の気持ちを伝えたいの」

「……そっか」

 私の前で紗香が微笑む。何もかもわかっているような表情で。

「今度こそちゃんと伝えなよ? 今の琴音の気持ち」

 今の私の気持ち。そう、それを今の蒼太に伝えたい。

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