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海のかなた、雨のおわり  作者: 水瀬さら
十年後、冬
31/44

18

 私のベッドで、和奏が横たわっている。

 過呼吸になった和奏を落ち着かせ、蒼太の車で私のアパートまで来た。和奏の家へ帰るより、ここへ帰る方が近かったからだ。

 私のベッドに横になった頃、和奏の症状はすっかり収まり、私に文句を言うほどに回復していた。

「お姉ちゃんの家に泊まるなんて、絶対イヤ!」

「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ? とにかく今夜はうちで休んで……」

「イヤ! 絶対イヤ!」

 イヤイヤって……本当に子どもみたいだ。この子は。

「私だって嫌だよ。あんたなんか泊まらせるの。でもしょうがないじゃない。お母さんには蒼太が連絡してくれたから」

「もうほっといてよ! 私のことなんか!」

 そう言って布団をかぶった和奏に言う。

「ほっときたいよ、私だって。私、あんたのこと、大っ嫌いだから」

 今まで言いたくても言えなかった言葉を、私は和奏に向かって吐き出した。

「小さい頃から私のあとばかりついてきて、なんでも私の真似するし。病弱だからってお母さん独り占めするし、汚い手を使ってお母さんとお父さんを別れさせて、蒼太を独占しようとするし」

 和奏は布団の中で丸くなったままだ。

「本当にあんたなんか、大っ嫌いだった」


 胸に詰まっていた何かが、すとんと落ちた気がした。

 ひどい姉だと思われたくなくて、薄汚い気持ちを閉じ込め、優しい姉を演じていた私。

 嫌われることを覚悟してそれを取り払ったら、心が少し楽になれた。

 もう嘘をつかなくて良いし、作り笑いも必要ないのだ。

「だけど……」

 そして私は、布団の中で震えている和奏に言う。

「だけど私はそばにいるよ。あんたのことは大っ嫌いだけど。でも血のつながった、たった一人の妹には違いないから」

 そう、私が和奏のそばにいる。私が和奏を支えていく。


「……あいかわらずいい子ぶるね? お姉ちゃん」

 布団の中からくぐもった声が聞こえた。

「ベッドの上から私がいつも、どんな思いでお姉ちゃんの背中を見送ったか。冷え切ったあの家の中でたった一人、どんな気持ちで雨の音を聞いていたか……何でもできたお姉ちゃんに、わかるはずない」

「和奏……」

「蒼太くんに想われてるお姉ちゃんに、私の気持ちなんかわかるはずがないよ」

 和奏の声が私の胸に響く。

「お姉ちゃんなんか……大っ嫌い」

 私は黙ってベッドのそばに座っていた。そのままずっと、和奏のすすり泣く声が、おだやかな寝息に変わるまで。



「眠った?」

「うん。もう大丈夫だと思う」

 アパートの階段を降りると、植え込みの淵に座っていた蒼太が立ち上がった。

 蒼太の吐く白い息が、夜の空気に吸い込まれていく。

「蒼太は……泊まっていかないの?」

 ついつぶやいた私の言葉に蒼太が小さく笑う。

「俺は上がれないよ、琴音の部屋には」

 私には雄大がいるから。

「それに琴音が和奏についててくれるなら、俺は必要ないだろ」

「蒼太……」

 ひんやりとした夜風が吹く。何気なく目に映る蒼太の手は、冷え切っているのだろうかと頭の隅で考える。


「蒼太、あのね……」

 そして私は、アパートのぼんやりとした外灯の下でつぶやいた。

「和奏があんなふうになってしまったのは……私のせいなんだ」

 遠くで救急車のサイレンが響いた。暗闇の中で聞くその音は、どことなく物悲しい。

「小さい頃、必死になって私についてくる和奏が邪魔で、わざとついてこれないように急いだの。発作を起こすたび母親にすがるあの子も憎かったし、何度も確かめるように『和奏のこと、大事?』って聞いてくるあの子も鬱陶しくて、何も答えてあげなかった」

 私からすれば、なんでも持っているのは、いつだって和奏のほうだった。

 病気のせいで周りから大事にされて、母親の愛情も独り占めして。

 だから『この子さえいなければ』なんてことまで心の底で思っていた。顔で笑顔を作って、優しいふりをしながら。

「和奏の寂しい気持ちなんて、これっぽっちもわかってなくて、わかってあげようともしなかった。私のせいなんだよ……全部」

 両手で顔をおおって夜空を仰ぐ。どうしようもない感情で胸の中がいっぱいになる。

「冷たくてひどいお姉ちゃんだもの。妹に恨まれても仕方ないよね……」

「琴音……」

 蒼太の声が聞こえる。だけどそれはとても遠い。

 和奏の気持ちが少しでもわかると言っていた蒼太。蒼太のほうが私よりも、ずっと和奏の近くにいる。


「大丈夫だよ、琴音」

 その声を聞きながら、私はゆっくりと顔をおろす。

「今からでもやり直せばいいよ。姉妹なんだから」

「蒼太……」

「俺、今夜気づいた。和奏のそばにいるとか言って、結局俺には何にもできないんだってこと。あの子のそばにいてあげるのは、琴音が一番いい」

 私の前で蒼太が微笑む。昔と変わらない少し控え目な表情で。

「やり直せるのかな……今さら」

「やり直せるよ」

 静かに蒼太の声を聞く。

「すぐには変わらなくても、きっと和奏だってわかってくれる。和奏は琴音に、ずっと助けてもらいたかったんだと思うから」

 蒼太の前で小さくうなずいた。すると蒼太の手がゆっくりと動き、私の手をとった。

「大丈夫」

「蒼太……」

 蒼太の冷たい指先が、私の指の隙間に絡みつく。

「大丈夫だよ」

 返事の代わりに深く息を吐いた。自分でも驚くほどのなまめかしい息を。

 私、どうかしている。

 繋がった指の先から、体中が熱くなる。今すぐ蒼太の体を、抱きしめたい衝動にかられてしまう。


「あの夏……蒼太が町を出て行った朝」

 どうして私は今、それを言おうとしているのだろう。

「私本当はあそこへ行ったの。蒼太に会いたくて……でも遅かった。蒼太はもう、電車に乗ったあとだった」

 蒼太の指先が私から離れた。私はもう一度息を吐き、潤んだ目で蒼太のことを見上げる。

「蒼太……私たちは、やり直せないの?」

 すがるようにそう言った私のことを、蒼太は何も言わず、ただやるせない表情で見つめていた。


 そしてその冬、私が蒼太の姿を見たのは、その夜が最後だった。

 蒼太は行き先も告げずに突然、私と和奏の前からいなくなってしまったから。

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