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海のかなた、雨のおわり  作者: 水瀬さら
十年後、冬
30/44

17

「何やってるの? お姉ちゃん。こんなところで」

「和奏こそ……なんで?」

 和奏はふふっと口元をゆるませると、蒼太の隣に立って言った。

「私、この近くでアルバイトを始めたから。帰りはいつも蒼太くんと待ち合わせして、一緒に帰ってるの」

 アルバイト? 何もわざわざ、家からこんなに離れた場所で始めなくても。

「ね? 蒼太くん?」

 和奏が寄り添うように、蒼太の腕に手を回す。蒼太はそれを、さりげなく振り払う。

「なによ。いつもしてるくせに。お姉ちゃんの前だからできないの?」

「いつもなんかしてないだろ?」

 和奏がふっと笑って、蒼太に甘えるようにもう一度手を回した。

「ねぇ蒼太くん、お姉ちゃんも送って行ってあげたら? こんなところまで何しにきたのか知らないけど、一人ぼっちでかわいそうだもん」

 私はぎゅっと唇を噛みしめ、蒼太の腕に絡まる和奏の手を振り払った。


「その手を離して!」

 一瞬驚いた顔をした和奏に続けて言う。

「そうやって蒼太を縛り付けるのはやめて! 蒼太はあんたのものじゃないでしょ!」

「お姉ちゃんのものでもないじゃない。だいたいなんなの? お姉ちゃんには彼氏がいるくせに。それじゃ浮気してたお母さんと同じじゃない!」

「誰が浮気してるって言うの」

「浮気でしょ? 蒼太くんのことまだ好きだから、私に取られたくないんでしょ!」

 思わず振り上げた私の手を、蒼太がつかんだ。

「もう、いい加減にしてくれ!」

 私は蒼太につかまれた手をゆっくりと下へ降ろす。


「どうして二人ともそんなふうにいがみ合ってるんだよ? たった二人だけの姉妹なのに。昔はこんなんじゃなかったはずだろ?」

 蒼太がそう言って、私と和奏の顔を代わる代わる見る。

「俺は、和奏のことも琴音のことも大事だよ。こんなこと言ったら、両方にいい顔してるって思われそうだけど……でも二人のことは小さい頃から知ってるし、本当に大事だと思ってる」

 私は和奏のことを見た。和奏はかすかに手を震わせて、少し青ざめた顔つきで、じっとそこに立っている。

「俺、和奏がいて欲しいって言うならそばにいるよ。これからもずっと。だからもう琴音を恨んだりするのやめろよ。自分でもわかってるんだろ? こんなことしても、何にも変わらないって」

 蒼太は言い聞かせるように、和奏の顔を覗き込む。無表情だった和奏の顔が少しだけ変化する。

「ほんとに……そばにいてくれるの?」

 和奏の声が震えている。

「いるよ」

「ほんとに……和奏のこと、大事なの?」

 私は黙って和奏の声を聞いていた。


 そういえば遠い昔にも、こんな声を聞いたような気がする。

 ――お姉ちゃん……和奏のこと、大事?

 和奏は不安そうな顔つきで、何度も私に聞いた。

 病気がちで学校へ行くこともままならなかった和奏。蒼太が言うように、他の人とは違う自分に気づいて、常に不安な思いを抱えていたのかもしれない。

 もしかしたら私が学校へ行った後、父と母の崩れゆく関係を、和奏は一番近くで全部見ていたのかもしれない。

 いつもそばにいてくれたはずの母の心が、他の人へ移ってゆく過程も。

 だからすがるように私に聞いたのだ。自分を愛してくれる人を探し求めて。


 和奏の前で蒼太が顔を上げる。

「大事だよ……」

 一言ずつ噛みしめるように、蒼太は和奏に言った。

「大事だよ、和奏は。俺のたった一人の……妹だから」

 私の胸に、蒼太の言葉が染み込んでいく。そしてそれは、和奏の心へも届いたのだろう。

 その瞬間、和奏が蒼太の前で、崩れるようにうずくまってしまった。


「和奏?」

 和奏は胸を押さえ、激しく呼吸を繰り返している。

 過呼吸だ。精神的に追い詰められた時、和奏は何度かこうなったことがある。

「和奏っ、おいっ……」

 慌てる蒼太の前に出て、私はうずくまる和奏の背中をさすった。

「大丈夫。落ち着いて、和奏」

 和奏が苦しそうに呼吸をしている。私はそんな和奏のそばにしゃがみ込み、声をかけ続けた。

「息を吸ったらゆっくり吐いて……そう、ゆっくり。大丈夫、大丈夫だから」

 ああ、こんなふうに和奏に寄り添い、その肌に触れるのなんて何年ぶりだろう。

 いつも私のあとを追いかけ、何度も何度も「和奏のこと、大事?」と聞いてきた私の妹。

 そんな彼女のことを冷たく突き放したのは――他の誰でもない、この私なのだ。

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