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海のかなた、雨のおわり  作者: 水瀬さら
十年後、冬
28/44

15

「あの部屋、キャンセルしたい?」

「うん……」

 その日、仕事帰りに雄大と会った。私から、どこか外で会って話したいと伝えたら、じゃあ飯でも食いながら話そうと、雄大がこの店を指定してきたのだ。

「それ、どういう理由で?」

 商店街の中の、ちょっと古びた馴染みの定食屋さん。ここで私たちは何度も向き合って食事をした。いつも楽しく笑い合いながら。

「もしかしてあの元彼と、より戻っちゃったわけ?」

「違う。蒼太……小野寺さんとは、そんな関係じゃない」

「じゃあ、どうして?」

 言葉が詰まって、目の前にあるまだ手をつけていない食事を見つめる。

 雄大はそんな私の前で、小さくため息をついた。


「やっぱ俺がバツイチだから?」

「それも違うよ」

 顔を上げた私に向かって雄大が言う。

「確かに俺はまだあいつらに会ってるよ。琴音には言ってなかったけど、実はこの前も会った」

 あの夜のことだ。

「でももう、彼女のことはなんとも思ってないし、元に戻ることは絶対にない」

 真っ直ぐ私を見て、そう話してくれる雄大の言葉は決して嘘ではないだろう。

 雄大も和奏も、私と違って正直だ。


「違うの。雄大の過去は関係ない」

「じゃあ、なんでだよ?」

 雄大がじっと私を見ている。私は前を向いて雄大に言う。

「私、雄大といると楽しいよ。結婚だって、考えなかったわけじゃない。だけどいつもどこかで違和感を抱えてた。だからこんな気持ちのまま、いつまでも雄大に甘えてちゃダメだなって……一度ちゃんと自分の気持ちと向き合いたいの」

 黙って聞いていた雄大が、くしゃくしゃと自分の髪をかき混ぜる。

「俺は琴音に甘えてもらって、全然オッケーだけど? むしろお前はもっと、人に甘えたほうがいいと思う」

「雄大……」

「まぁ、お前の好きなようにすればいいけど」

 ため息をつくようにそう言って、雄大は私から目をそらす。


「俺はさ、めんどくさい事ぐちゃぐちゃ考えてられないから、好きだと思ったら突っ走っちゃうし。まぁそれで一回失敗してるけど、でも後悔はしてねぇよ? 自分の気持ち押し殺してあとでぐちぐち後悔するより、失敗してずたずたに傷ついちゃった方がまだましだろ?」

 私は黙って雄大の横顔を見る。店の中に流れるテレビの音がやけに大きく聞こえる。

「ただ、彼女と子どもには、ちゃんと責任取らなきゃいけないって思ってるけど」

 雄大がそう言って、また私に視線を向けた。そして小さく笑うと、目の前にあった大盛りのご飯を口の中へかきこんだ。


「あー、お前も食えよ。飯冷めちゃったじゃねぇか」

「……うん」

 箸を手に取った私に向かって、雄大はご飯を食べ続けながら言う。

「それからお前、あの店行ってキャンセルしてこいよ」

「え?」

「電話じゃなく、ちゃんと店まで行って、あいつと話して来い。もう同棲も結婚もやめますって」

「雄大……」

 雄大が私を見てふっと笑う。

「別に俺、お前のことあきらめたわけじゃないけど」

 私は持っていた箸に力をこめる。

「俺も前からずっと感じてたんだよな、その違和感ってやつ。琴音は俺じゃない誰かのことを、想ってるんじゃないかって」

 店の中に笑い声が響いた。そばに座るおじさんたちが、ビールを飲みながらご機嫌な様子だ。

 雄大は一瞬箸を止め、私の前でぽつりとつぶやく。

「それが……あいつだったのかもしれないな」

 そうつぶやいた雄大の表情は、笑っていても寂しそうだった。この人にこんな顔をさせてしまったのは私だ。自分が傷つくことを恐れて何もしようとしなかった、私のせいなのだ。


「琴音の気持ちがはっきりするまで、俺は待つよ。まぁ今までだってずっと待ってたからな。今さらまた待たされたってどうってことねぇよ」

 雄大の前で、私は唇をかみしめた。

「ごめん……ごめんなさい」

「だから謝るなっての」

 どうしてそんなふうに優しくするの? 悪いのは全部私なのに。こんな私のことなんて、もう待ってくれなくていいのに。いっそ雄大に、ずたずたに傷つけてもらえばよかった。

「ほら、早く食えって」

「……うん」

 涙をこらえて、ご飯を口にする。

「美味いだろ? 俺んちの米」

 私はご飯をほおばりながら、ただ何度もうなずくことしかできなかった。

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