13
ビルの二階にある、あたたかいコーヒーショップのカウンター席に、蒼太と並んで座った。
目の前にある窓から見下ろす街は、商店街のちょっと安っぽいイルミネーションで飾られている。
「この前、俺が言ったことなんだけど」
コーヒーを一口飲んだ蒼太が私につぶやく。
「忘れて、欲しいんだ」
私はコーヒーの入ったカップを両手で包み、三日月の夜、蒼太に言われた言葉を思い出す。
――好きなんだ。今でもまだ……琴音のことが。
蒼太は私のことを見ないまま、前を見つめて言葉を続ける。
「あの時の俺、どうかしてたんだと思う。まさかうちの店に琴音が来るなんて、思ってもみなくて。俺きっと、気が動転してたんだ」
蒼太の言葉と一緒に、店に流れるクリスマスソングを聴く。
「俺、別に、琴音と彼氏のこと引き裂くつもりなんてないし。だから俺の言ったことなんて、もう忘れて欲しい」
あの夜、抱きしめられたぬくもりも。さっき、つないだ手のあたたかさも。全部忘れるということ……そう思ったら、十年前と同じように胸が痛んだ。
「……そうだよね」
けれど私の口から出た言葉はそれだった。
「私もきっとどうかしてたの。もう蒼太に会うことはないって思ってたから、びっくりしちゃって……」
私はまた嘘を重ねる。
蒼太は何も言わなかった。ただじっと目の前のビルの灯りを見つめている。
「和奏が……」
しばらく黙り込んだあと、蒼太がぽつりと口を開いた。
「あんまり調子良くなくて」
「え?」
「いや、体は元気なんだけど、精神的にやっぱりおかしいみたいで。俺たちが再会した頃から、どんどん悪い方に行ってる」
私はじっと蒼太の横顔を見る。
「さっきも琴音のアパートに行く俺のあと、ずっとついてきてたんだ。家でも突然泣き叫んだり、部屋に引きこもったり、とにかく変で……死にたいとか口走ることもある」
蒼太の手がコーヒーカップを握りしめている。私はその手をぼんやりと見つめた。
「だからしばらくは俺が、和奏のそばについててあげようかと思う」
私はふっと笑って蒼太に言う。
「どうして? いくら家族だからって、蒼太がそこまでしなくてもいいんじゃないの? あの子だってもう二十五でしょ? いつまでも甘やかすことないよ」
「でも……俺が離れて行ったら、死ぬって」
私はぐっと唇をかんだ。蒼太はやっと私を見て、少し笑って言う。
「俺だってまさか和奏が、本気で死ぬつもりだとは思わないけど」
「当たり前だよ。あの子が本気でそんなこと思ってるわけない。蒼太を自分のそばに縛り付けておきたいだけなんだよ」
「うん。そうかもしれない」
「そうに決まってる。あの子はそういう子なの」
昔から母を独占するために、何度も嘘や仮病を使ってきた。そういう子なのだ。和奏は。
「だけど俺……少しはわかる気がするんだ。和奏の気持ちが」
私の前で蒼太がつぶやく。
「あの子、小さい頃から体が弱かっただろ? 学校を休むことも多かったから、他の人とは違う自分に気づいて、孤独を感じていたんじゃないのかな。それで他の人を羨んだり、寂しい思いをしてきたのかも。俺も昔はそうだったから」
私はふと思い出した。
――蒼太んち、お母さんいないの?
――うん。うちのお母さん、死んじゃったから。
小学生の頃、顔色も変えずにそう答えた蒼太。
だけどクラスの中で一人だけ、お母さんを失くしてしまった蒼太は、私たちにはわからない思いをずっと抱えていたのかもしれない。
「和奏はただ寂しいだけなんだと思う。いつも誰かにそばにいて欲しくて、自分の存在を伝えたいために、あんな行動を取っちゃうじゃないのかな」
「そんなの……今の和奏にはちゃんと家族がいるじゃない。それなのに寂しいだなんて……和奏が弱いだけなんだよ」
「そうだよな……琴音は和奏と違って強いもんな」
私は黙って蒼太を見る。
「琴音は強いから……だから俺は和奏のそばにいる」
どうして……。
「それに琴音には、彼氏がいるだろ? 結婚する彼氏が」
そう言って私を見た蒼太は、すごく切ない表情をしていた。
蒼太から顔をそむけて窓の外を見る。ふと気を緩めたら、外の灯りがにじみそうになるから、必死にそれをこらえる。
私は強くなんかない。いつだって一人になるのが怖くて寂しくて、なのにそれを素直に言えず、作り物の笑顔でごまかしている。
誰かにすがりつきたいのは私も同じなのに。
カウンターの上に置いてあった、蒼太のスマートフォンが振動している。何気なく見た画面には「和奏」という文字が表示されていた。
「……出れば?」
蒼太は電話に出ようとしない。
「出なよ」
何度も着信コールが続いたあと、やっと蒼太はそれを手に取った。
「もしもし……」
私はまた顔をそむける。和奏と会話する蒼太の声なんて、聞きたくなかった。




