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海のかなた、雨のおわり  作者: 水瀬さら
十年後、冬
16/44

「いやぁ、たまにはええねぇ。こういうとこも」

 雄大がふざけたようにそう言って、青空に向かって伸びをする。

 港を通り抜ける海風は少し冷たかったけれど、空が澄んでいて気持ちがいい。

「なんかこれ、高校生のデートみたいじゃん?」

「雄大、口調がなんかヘンじゃん?」

 私もふざけて返したら、雄大がおかしそうに声を上げて笑った。


 二人の休みが重なった今日、足を伸ばして横浜まで来た。

 海風の吹く公園を、こんなふうに雄大と並んで歩くのは久しぶりだ。

「次、観覧車乗りたい」

「その前に飯だろ? 中華街行こ」

「え、観覧車が先でしょ?」

「いや中華街だ」

 くだらないことをしゃべりながら、行き先も決めずに歩く。雄大とは自然に会話ができて、一緒にいると楽しい。

「琴音。ほら」

 少し前で立ち止まって、雄大が手を差し伸べる。

「え?」

「手、だよ。手!」

 なんなの? 急に。

 私がそっと目の前の手に触れると、雄大は私の手をぎゅっと握りしめた。

「なんなのよ、急に」

「たまにはいいじゃん! こうやって手つないで歩くのも」

 前を向いたまま、また雄大が楽しそうに笑う。私もそんな雄大の横顔に微笑んで、手をつないで並んで歩く。


 空が青かった。風が心地よかった。もしかしたらこういうのを「幸せ」っていうのかなぁなんて、なんとなく思う。

「……結婚しよっか?」

 私の耳に聞こえる雄大の声。私はその場に立ち止り聞き返す。

「……え?」

「結婚。しようかって言ったの」

 ゆっくりと振り返った雄大が私を見る。

 雄大と結婚――それを今まで考えなかったわけじゃない。雄大からそれとなく、気持ちを伝えられたこともある。

 だけど私が、どうしても一歩を踏み出すことができなかったのは……。

「やっぱり気にしてるのか? 俺の過去のこと」

 雄大がふっと私から目をそらし、あいている手で自分の髪をぐしゃぐしゃとかき回す。

 俺の過去……そう、それはもう過去の出来事のはず。

「ごめん。私、雄大のことは好きだけど……」

「結婚までは考えられない、ってことだよな? バツイチの男とは」

 そう、雄大には離婚経験があった。


「あの頃はまだ若かったんだ。俺も彼女もハタチそこそこで。子どもができて結婚した」

 公園のベンチに座って、私は雄大の声を聞く。

 雄大はいつも、私が知りたいことは何でも話してくれた。

 結婚していたことも。離婚したことも。子どもがいることも。ずいぶん前から私は知っていた。

「結婚してすぐに子どもが産まれたけど、俺たちのほうがまだ子どもだったんだよな。お互い親になり切れなくて、一緒に暮らすことがストレスになって、結局は一年足らずで別れた」

 雄大は何もごまかすことなく、真実だけを私に伝えてくれる。

「子どもは彼女が育ててるよ。年に数回会う。女の子、今もう九歳。どんどん大人びてきて、会うたびに驚く」

 そう言って軽く笑った雄大が空を見上げる。

「でもやっぱり……こんな男は嫌だよなぁ……」

 雄大の声が胸に響いて痛む。


 雄大は自分の過去を隠すことなく私に話してくれるのに、私は隠し事ばかりだ。

 母が不倫をして親が離婚したこと。父が自分の命を絶ったこと。妹を心の中で憎んでいること。初めて付き合った人の面影を今もまだ夢で見ること。

 私は何ひとつ話していなかった。雄大がそれでいいと言ってくれたから。琴音が話したい時になったら話せばいいと言ってくれたから。

 海風に吹かれながら、こぼれそうになった涙をぐっとこらえる。いつまでもあの町の波音を忘れられない私は、隣にいるこの人にふさわしくはない。


「ごめん……ごめんなさい」

 私の途切れ途切れの声に、雄大が苦笑いをする。

「何だよ。俺、琴音のこと、泣かすつもりで言ったんじゃないのになぁ」

「泣いてないもん」

 ふっと笑った雄大が、その大きな手で私の髪をなでて、そのまま私の頭を自分の肩に抱き寄せた。

「だけどさっき言ってくれたよな? 俺のことは好きだって」

 私はうつむいたまま小さくうなずく。

 雄大のことは好きだ。それは嘘じゃない。

 雄大は私の頭をふわふわとなでながら言う。

「だったら一緒に住むってのはどうだ? 結婚しなくてもいいから」

 そう言った雄大が、私の顔をのぞきこむ。

「琴音が嫌になったら俺が出て行くよ。だから一度一緒に住んでみないか? ていうか俺が住みたい。お前が一人で泣いてるかと思うと、一晩だってほっとけないんだよ」

 私は顔を上げて雄大を見た。雄大がそんな私に笑いかける。

「いっつも無理して笑って……本当はすごく寂しがり屋なくせに」

 小さく首を振り、否定しようとする私の唇を雄大が覆った。とろけるようなキスをしながら、すべてをさらけ出してしまえばどんなに楽かと考える。

「琴音……好きだ」

 苦しいほど深く響くその声を、熱のこもった頭の隅で私は聞いた。

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