決断(3)
部屋を出るまでは、なんとか立てていたが、部屋を出た瞬間にかくんと膝から倒れてしまった。一緒に部屋を出たラインが私を受け止めたが、やがてゆっくりと、彼も一緒に床に座り込んだ。
言葉は無かった。
恐怖と、怒りと、悲しみと、いろんな感情が押し寄せてきていた。
ラインも同じようだった。彼は、支えた私の腕を離そうとはしなかった。
次の日の朝、サキ様は起床した。ラインと私は、会話もあまりしないまま、二人で交代に彼女の部屋のソファで眠った。もう、ここ何日もぐっすりと眠れたためしがなかった。
サキ様が起床した時は、すでに私たちは朝食を取った後だった。ガーネットさんについて話すと、彼女は起き上がり、呼んでくるように言った。朝食にヨーグルトとフルーツを食べた。サキ様自ら食べたいとおっしゃったので、少しは調子がよくなっているのかもしれないと思ったが、熱はまだ下がっていないようだった。
ガーネットさんは、昨日よく眠れたのかどうかは分からなかったが、顔色は幾分よくなっていた。いつもはひとつに結んである髪の毛をおろしていた。どこか、やせ細って見えた。
「サキ様……」
口を開いて、しかし、言葉を失ったようだった。ガーネットさんは、黙ってサキ様を見つめている。サキ様は、無表情でひとつ頷いた。
「よく戻って来てくれたわ、ありがとう。この数日、いろんな覚悟はしたわ。私をおいて、両親がどうなろうと、もう、驚かないつもり。私は嘘をつかれるのがいや、嘘をついてごまかしても、後になってすぐに分かるから」
ガーネットさんは、その言葉に涙を止めることはできなかったようだ。何度も謝りながら、今までの経緯を簡潔に彼女に伝えた。サキ様は、最後まで黙って聞いていた。
「……私は捨てられたのね。こんなお屋敷に、一人娘をおいて。金だけ取って」
十歳の少女は、唇を噛んで涙を流すまいとしているようだった。
「酷い親だわ」
はぁ、とため息をつき、頭を押さえる。水を一口飲み、「ガーネット、あなた、次の仕事は断ったの?」と訊いた。ガーネットさんはすぐに頷いた。
「他の人は?」
「すみません、把握していません……余裕がありませんでした」
「ううん、ならいいの。きっと、この屋敷には戻ってこないでしょう。ガーネット、ありがとう」
「いえ、こんなことしかできなくて……私は悔しいです」
「いいの。十分よ。……ガーネット、これが、ヒトツボシ家でのあなたの最後の仕事になるわ」
「え……?」
信じられない、といった表情だった。私も、ラインも、ガーネットさんも。どういうことだ?
きっと、三人とも驚いている内容は一緒だ。解雇の問題ではない、彼女がこんなにもはやく指示を出せたことに、驚いているのだ。
熱があり、うなされながら、現実を突きつけられ、そのうえで冷静な判断を下しはじめた。
彼女はこのことを予想していたのだろう。それにしても、あまりにも冷静だ。
どうして、こんなに冷静でいられるのか。
サキ様は、淡々と続けた。
「新しい働き先は、私が見つけます。今いるメイドも、コックも。私のために働くことないわ。レイカとラインは、私の直接の護衛として、これからもここで一緒に暮らしてもらえないかしらって思ってるんだけど」
そこで、ちらりと私とラインを見た。返事をしようとする前に、手で制される。
「それは後で、二人に改めて、こちらから話をするわ。でも、ガーネット、あなたはもうこの家のために働かなくていいわ。十分よ、私を見捨てないでくれてありがとう」
「そんな……私は」
「いいの」
言いかけた言葉を、サキ様は遮った。
「親が迷惑をかけてごめんなさい。今度は、あんな人の元で働かなくていいの。希望する場所があるなら言って、探すから。もう、こんなところで働かないで」
「でも」
「私のわがままを、聞いて。私には、ラインとレイカさえいれば十分なのよ」
黙っていた。私は黙って聞いていたが、驚きを隠せている自信が無かった。
サキ様は、冷静にガーネットに話していた。混乱しているだろう。それでも、それを隠して。
さらに、だ。
さらに彼女は、ガーネットさんに対して嘘をついていた。
淡々と、自分の感情を押し殺していた。サキ様が本当はどんな気持ちなのかは分からない、しかし、彼女が言いたいことを押し殺し、封じ込め、穏便に話をつけようとしていた。
彼女は何を考えているのだろう? 背筋が凍るようだった。




