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  歪んだ世界(4)

 仕事が忙しい。


 それが母の、帰宅時間が遅くなる「理由」だった。分かりやすく明確な理由だったために、兄と姉はすぐに納得した。あの事件以降、ちゃんと電話もくれるようになった。それと同時に、夕ご飯も作り置きされるようになった。


 父も最初は不満だったようだが、やがて母の帰りが遅くなると言う生活にも慣れていった。


 私だけが、母に不信感を募らせていった。

 電話越しに「今日もメイドさんの仕事で、遅くなるわ、麗華」と言うその声が、嘘だと私に教えてくれた。


 帰ってきて私たちに見せる笑顔に、嘘をつき通せた安堵感と、嘘をついている罪悪感が交じっていた。


 もちろん、安堵感とか罪悪感とか、そのような言葉を五歳の私は知らない。五歳風に言いかえるならば、嘘がばれなかったからお母さんは嬉しそうだ、嘘をついているからお母さんは寂しそうだ、といったところだろう。

 矛盾と言う言葉もそのころは知らなかったが、私の中では確かに、これはおかしいぞと言う気持ちが芽生えていた。


 それでも私は、母にそのことを訪ねなかった。

 母に限らず、私は人が嘘をつくところを何度も見てきた。


 ではなぜ、それを指摘しなかったのか。

 理由は簡単だ。嘘をついているというのが分かるのと同時に、ばれたくないなと言う気持ちまでもが分かってしまっていたからだ。


 それまでの私は、単純に「あの人は嘘をついているけど、ばれたくないんだな。ばらしたら嫌だろうから、黙ってあげよう」と思っていた。


 私は気がつかなかったのだ。嘘をついている人に集中するばかりで、嘘をつかれている人がそれに気が付いているか、気が付いていないかを判断するまでには、観察力が行き届いていなかった。


 母が嘘をつき続けていくうちに、兄や姉、父の反応も注視するようになってしまった。

 気がついてしまったのだ。

 この人たちは、母の嘘に気が付いていない。

 母を信じてしまっているのだ。


 どうして、と聞くことができなかった。確かめるのが怖かった。


 母がなぜ嘘をつき続けるのか、いったいどういう嘘なのか私には分からなかったし、そもそも嘘をつくことで母は寂しそうにしていたため、母が心配でもあった。他の家族に、母が嘘をついているね、と話してしまったら、母が一人ぼっちになってしまう気もした。それは避けたかった。


 母が嘘をついて、二十三回目。

 私は母に、思い切って聞いた。


「お母さん、どうして嘘をつくの」


 耳打ちをしたのがよくなかったな、と今になって反省する。私の配慮で、ほかの人にはばれないようにと耳打ちをしたのだったが、それは母により恐怖を与えてしまった。こっそりと、末っ子の娘が、自分が嘘をついていることを指摘してきたのだ。


「れ、麗華、何言ってるの?」

 母の眼は、大きく見開かれていた。しかし私は、恐怖を感じなかった。相手が恐怖している事が分かったと同時に、私を怖がらせようとしていることも、分かったからだ。


「どうして私を怖がらせようとするの?」

 彼女にとっては、心を見透かされたようだっただろう。いや、実際にそうだったのだが、いきなり自分の娘がそんな発言をしたら、誰だって驚き、怖がるだろう。この子は私の心でも読んだのか? と怯えるに決まっている。


「麗華、な、なんなの?」

「私は、お母さんがどうして苦しいのに嘘をつくのか、知りたいだけだよ」

「止めて、でたらめ言わないでよ」

「でたらめじゃないよ。私、分かるんだよ。皆も分かっているんでしょ?」


 今まで、自分の能力についてこんな風に説明したことは無かったが、母がどうやら分かっていないようだという単純な理由で、私はそう口にした。皆も嘘を見抜くことはできるのだが、母が見ぬかれていることに気がついていないのだと、まだ思っていた。


 言ってすぐに、後悔した。母の顔がますます青ざめていったからだ。私はとんでもないことを言ってしまったのかと思い、慌てて何か補足の説明をしようと試みたが、何も言葉が出てこなかった。


「何言って……」

 母は私から顔をそむけ、ベッドルームに立ち去った。

 その声も、後ろ姿も、恐怖に包まれているだけだった。


「どうして怖がるの……?」

 まだ私は、この能力が普通ではないことに、気がついてはいなかった。


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