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  新たな一歩(5)

 その屋敷は、随分と私の住む町から離れた場所にあった。車で送っていくと言うメリィさんの誘いを断り、私は電車を乗り継いで最寄りの駅まで向かった。電車で二時間と少し。駅に降り立つと、知らない町の香りがした。


 その町は、私が住んでいる町よりも栄えておらず、どこか静かな雰囲気があった。地図を頼りに屋敷を探す。どうやら屋敷は、その駅からかなり離れた場所にあるようだった。


 静かな町の中を、早足で歩いた。町の中心部を外れると、次第に緑が多くなっていった。


 さらに地図を辿り、森の中へ進んでいく。

 こんなとこに住んでいたら、ボディガード必要ないんじゃないか……。

 そんなことを考えてしまうほど、随分と森の奥に来てしまった。


 周りが緑一色になってから、細長い一本道を三十分近く歩いている。歩いている道が車道なのが、むしろ変に思えた。まるで屋敷のためだけに作られたような道だ。


 さらに十分ほど歩いたところで、遠くに屋敷の屋根が見えた。黒い屋根だ。


「あっ」


 思わず声をあげてしまう。変わり映えのない景色に、ようやく違うものが見えた。しかし、喜びもつかの間、新たな不安が私を襲う。


「……怖っ」

 屋敷の屋根が黒いのではなく、その屋敷は全体が黒色だった。外から見る限り、黒一色だ。緑色一色の中に現れた黒一色は、遠目に見ても不気味だった。


 幽霊屋敷みたい。

 悪寒が走った。しかし、向かうしかない。


 数分後、私は屋敷に到着した。と言っても、すぐに屋敷には入れたわけではない。屋敷の前に、だだっ広い庭があり、さらにそれを囲むように高くそびえたつ鉄格子の門があったのだ。まずはその門を見上げ、おおと息を飲む。次に庭を見て、ぎょっとする。門から屋敷の玄関までどうやらまっすぐ進めばつくようだが、門から玄関まで一分か二分はかかりそうだった。


 どんな金持ちだ。

 ごくりと唾を飲み、時計を確認する。面接時間十分前。妥当な時間だろう。


 門の前に立っていた背の高い警官に、私は声をかけた。


「あの、面接で訪れたレイカ・ロカソラーノです」


 警官はこくりと頷くと、何も言わずに門の鍵を開けた。鍵は、大きくて古ぼけた鍵だった。みし、ぎしと重々しく門の開く音がする。警官は私一人がやっと通れるほどの幅を開けると、動きを止めた。


「ありがとうございます」

 警官に会釈をし、屋敷の中に入った。すぐに門の閉じる音がした。

 と、同時に、後ろから不吉な音が聞こえる。


 カチリ。

 私はとっさに振り返った。警官は驚いたように少しだけ目を見開くと、右手に握っている銃を軽く振って見せた。


「失礼、ただのチェックです」

 そうですか、と私は笑みを返す。

「こちらこそすみませんでした」

 いえ、と警官は静かに頭を下げた。


 門を閉めると同時に、銃をチェックする警官なんているか? と私は呆れてため息をつきそうになった。そんな嘘、誰にでも見抜けそうだ。


 もちろん警官は嘘をついていた。慌てるような表情を見せなかったのは、さすがプロと言った感じだが……私にはそんな嘘、通用しない。少しだけ早口なその口調は、明らかに慌てていた。一瞬だけ私から目をそらしたのも、嘘を隠そうとしたために出てしまった動作だ。


 ゆっくりと屋敷の扉に向かう。背後に気をつけながら、警官の行動から様々なことを予想した。


 もしかしたら、試されたのかもしれない。

 門を閉める音にまぎれる音を聞き取ることができるのか。

 はたまた、気がつかなければその後向けられたであろう銃口の気配に、気がつくことができるのか。


 こっそり、試されたのだろう。

 おそらく、もう試験は始まっているのだ。怖い怖い。


 扉が近づいて来た。大きな扉だ。色はもちろん黒。呼び鈴などはあるのだろうか、と扉付近を探してみると……あった、黒色のインターホンだ。扉は、開くと門と同じくぎしぎしと音を立てそうな古いものなのに、インターホンはやけにぴかぴかしていて妙な感じだ。


 扉の前に階段が三段ある。罠なんてないよな? と恐る恐る上った。大丈夫、床がいきなりカチリとへこみ……なんて展開にはならないようだ。


 インターホンを押すと、すぐに女性の声が聞こえた。

「レイカ・ロカソラーノ様ですね」

「はい」

「どうぞ、お待ちしておりました」


 機械的な応対の後、扉の奥でがちゃん、と音がした。オートロック式なのだろうか、それとも扉の前で誰かが待機していたのだろうか……。


 待機していたのなら扉が開くはずだが、その気配はしない。しばらく待った後、私は静かに扉に触れた。扉は両開きの物だったので、勢いよく両方の扉を押した。ぎっ、と予想通りの古ぼけた音がした。


 屋敷の床は固かった。ヒールの音が、屋敷の中に響く。


 私は立ち止り、屋敷を見渡した。思わずぽかんと口が開きそうになるぐらい、広いロビーだった。頭上には大きなシャンデリアがあり、ぼんやりとした明かりがそこから漏れている。光源は少なく、屋敷の中はうす暗かった。床も、壁も黒色だ……徹底している。


 ロビーには、グランドピアノでも、大きな机でも、本棚でも、車でもなんでも置けるぐらいのスペースがあるのに、実際にはなにも置かれていなかった。奇妙なまでにがらん、としている。前方にはドアがあり、左右それぞれに廊下が伸びているようだった。しかし、その廊下の先は見ることができない。うっすらと明かりがもれているため、かろうじて廊下があると分かる程度だ。


 しかし、どうすればいいのだろう。

 人一人いない。

 ぐるり、と首だけを動かし周りを見てみたが、人がいる様子もない。


 どうしろと。


 なんだろう、どこからかスナイパーに狙われていたりはしないだろうな。さすがにその気配を察せる自身はない。


 しばらくそこで動かずに待っていると、右奥の廊下からかつん、と足音がした。ヒールの音ではない。男性だろうか、女性だろうか。どんな人が出てくるのだろうか。胸の奥がざわついた。


 かつんかつん。

 あれ、と私は耳をそばだてる。

 かかつかつかかか。


 やはりだ、足音が増えている。中にはヒールの音もする。足音から推測すると、五人から八人はいそうだ。


 なんだなんだ? 何が始まるんだ?

 右奥から、すっと人影が現れた。私の体が思わず硬直する。

 背の高い男性だ。スーツを着ている。眼鏡をつけ、髪はオールバック。いかにも執事といった格好だ。


 次にまた男性。今度も背が高い。髪は短髪で、ちくちくと尖らせている。

 次も男性。少し小太りの、やや年がいってそうなおじさんだ。


 ここで、最初に姿を現した男性が、私から五歩ほど離れた場所に立ち止った。位置は左隅。二番目に姿を現した男性が、眼鏡の男性から少し離れた場所に立ち止り、前に手を組んだ。


 次の女性も、均等に並んだ。その次の男性も、最後に入ってきた女性も。


 五人のスーツ姿の男女が私の前に並ぶと、一斉にぺこりと頭を下げた。合図も無しにすごいな、と思わず感心してしまう。


 ふむ、と全員をもう一度ざっと見る。無表情を装っているが……私には分かってしまう。


 その無表情を「作っている」のはなぜか。無表情という表情の裏に隠れている共通した感情は……緊張だ。


 こわばってる、こわばってる。


「ロカソラーノ様」

 真ん中の女性が口を開けた。小柄な女性で、長い黒髪を高い位置でひとつにまとめている。一番無表情をうまく作っている人物だ。冷静で感情の操作がうまい人なのだろう。このメンバーのリーダーなのだろうか?


「はい」

 私は背筋を伸ばし、はきはきと返事をした。

 小柄な女性は、私を頭のてっぺんから足先まで見つめると、もう一度礼をした。今度は先ほどより、深々とした礼だった。


「ご無礼を、お許しください」

「……へ?」

 女性が顔をあげるのを合図としていたのかどうかは分からない。


 しかし、女性が顔をあげた瞬間、一斉に皆が私の方に向かって走ってきた。


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