1 歪んだ世界(1)
人の心が読めてしまう、と言うのは何も超能力のように心の声が聞こえてくるわけではない。
私の能力は、あくまで能力。能力を超えたようなものではない。
会話や相手の表情、仕草の観察を通して、その人がどう思っているかが分かる、いや、「分かってしまう」のが私の能力だ。
声のトーン、会話のスピード、会話と会話の間、言い間違い、言葉づかい、エトセトラ、エトセトラ。
ヒントはいくらでも転がっている。
ネクタイを触る、眉をひそめる、視線を右下に逸らす、相手の目を凝視する、身ぶり手ぶりが大きくなる、瞬きの回数が多くなる、エトセトラ、エトセトラ。
聞いていれば、見ていれば、言葉にしていない「気持ち」が聞こえてくる、見えてくる。
私にとってその「観察」および「考察」は、物心ついたころから行われていた。
意図的に行っていたわけではない。呼吸をするのと同じ。当たり前に、私は他人の心を見ていた。
家族も友だちも、皆ができることだと、当たり前のことだと、思っていた。
私の家は貧しい家だった。母と父は、出会ってすぐに故郷を離れ、私が生まれた地に住み着いた。そこで事業を始めようとしたようだが、うまくいかなかったらしい。その国では珍しい顔と名前で、彼らは苦労したようだが、それでも仲良く、貧しいながら幸せな家庭を築いていた。
父は小さな工場で働いていた。そのためいつも汚れた格好で帰ってきた。父は優しく、無口だがおおらかな人だった。私は父に、お帰りと飛びつくのが大好きだった。遠い記憶に残っている父のぬくもりは、今でも確かに覚えている。
兄弟はふたり、兄と姉がいた。兄とは五つ、姉とは三つ年が離れていた。
兄は十になったころから、学校に行きつつ働いていた。毎日朝早く起きて新聞配達をし、夜遅くに週何度か、家を出て行く。何の仕事をしていたかは知らない。
姉も十歳になった次の日から、働き口を探しはじめるのだ、と言っていた。兄と姉のそのような姿を見て育った私は、私も十歳の誕生日を迎えたら、お兄ちゃんやお姉ちゃんのように働くのだ、と思っていた。私はそのことに何の疑問も抱いたことが無かったし、私の住む世界ではそのような人たちも珍しくなかった。
もし、先の説明で「まぁ、なんて大変な」と思ったのなら、それはあなたの住む世界が豊かだと言うだけだ。私たちにとって、その生活は普通のことだった。
父は工場で働くことに不満を持っていなかった。
兄も姉も、仕事は大変だと思ってはいたけれど、だからといって親を恨んだりはしなかったし、仕方のないことだと受け止めていた。
このことは確実だ。推測などではない。
私が「観て」きたのだから。
彼らの心を。




