素材屋
遅くなりました。申し訳ありません。最近忙しくて久しぶりに鏡を見たら頭から初めて白髪が生え始めてやるせない気分になった作者でございます。
翌日、俺はベイルと待ち合わせた場所に一人で来ていた。少し早めに着いた俺はポツンと佇みながら辺りを見回した。今日は明日開催される例のお祭りの準備を街の人達が総出で行うらしく、皆慌ただしそうにそこらじゅうを走り回っている。
「なんか本格的にイベント前って感じだな」
あ、ちなみに何で今日一人できたのかというとあまり人がごちゃごちゃとしているところにあいつらを連れてきたら何があるかわからないし、久しぶりに一人で街中を歩いてみたいというのもあったので他の面子には家の留守番を頼んでおいたからだ。
ピィタに関してはあんなことがあった後だしセルツは平気だと言っていたがやはり心配なのでその面倒も見ておいてもらうことにした。そのため俺は一人でここに来ているというわけだ。
「…………」
にしても……することないな。こんな時、現代社会であればポケットから携帯でも取り出していくらでも暇つぶしできるんだろうが、そんなハイテク機器がこの世界に存在するはずもなく俺はひたすら周りの人達を眺めながら突っ立っていた。
小さな子供達が家の周りを楽しそうに飾り付けしていたり、何人もの男の人が大きな木材を担ぎながら走り去っていったり、女の子同士があの白いハンカチを片手にヒソヒソと談笑しているのをほぼ無心で見ていた。
そんな時、ふと俺の視界の隅になにやら気になるものが写りこんできた。道端の隅っこに黒いローブのようなものを纏い異様なオーラを放ちながらこじんまりとした白い台と小さな椅子に腰掛けている人がいたのだ。日当たりの悪い半分影になっているような場所だったが、その格好のせいもあってか一度目につくと凄まじい存在感だ。
どうしよう、なんかすごい気になる! 自分でも分からないが何故か俺の意識があの人に惹きつけられているような気がした。ベイルもまだ来ないみたいだし思い切って話しかけてみようかと思ったその時だった。
「荒崎」
そう後ろから声をかけられ振り返ってみるとそこにはベイルの姿があった。仕事を終えた後だからなのか両手に何かの道具の入った袋をぶら下げている。
「おう、仕事終わったのか?」
「あぁ、とりあえずな。それより悪かったな、待たせてしまったか?」
「いや、俺が早く来ただけだしそんなに待ってないから大丈夫だよ」
そう言うとベイルは少しだけ安心したような表情になった。うおおおおお! 俺このセリフ一度言ってみたかったんだよね!! まさか言える日が来るとは……ちょっと感動した。
「そうか、ならよかった。じゃあ早速だが‘素材屋’に向かうとするか」
「あ、その前にちょっと待ってくれるか? 俺気になることが……」
そう言って先程まであの異様な人物のいた場所にもう一度振り返る。そして、そこで俺は思わず目を見開いてしまった。その場所には既になにも残っていなかったのだ。誰かがいた痕跡もあの小さな台や椅子も綺麗さっぱり消えていたのだ。まるで最初からそこに何も無かったかのように。
「荒崎? どうしたんだ。 何かあるのか?」
そのまま一点を見つめて硬直していたが、そう呼びかけてきたベイルの声に俺は我にかえった。
「いや、何でもない。俺の見間違えだったみたいだ」
そうごまかした俺の答えにベイルは不思議そうな表情を浮かべながらも、とりあえず納得してくれた。
「じゃあ行くか、荒崎」
「そうだな、じゃあ案内よろしく」
俺はどこか後ろ髪を引かれるような思いを残しつつその場を後にし、ベイルと一緒に目的地である‘素材屋’と呼ばれる場所へと向かうことにした。
それから十分ちょっと程ベイルについて歩いていくとその建物の前にたどり着くことができた。そこまで複雑な道のりでもなかったのでこれなら今度からは一人でも来れそうな距離だな。
「荒崎、ここが‘素材屋’だ。私達ヒルグラウンダーがよく出入りし、利用している言わば第二の拠点みたいなものがこの場所さ」
ベイルにそう言われてよく見てみると、屋根の上や扉の近くにヒルグラウンドでも見たのと同じ赤い旗がいくつか置かれている。まぁ、第二の拠点なんて言ってるんだからヒルグラウンドが密接に関係している施設でもあるのだろう。
建物自体は周りの一軒家よりも少し大きいくらいでそこまで大きくはない。そんな建物のこげ茶色の屋根には大きな看板が付けられており、槍のようなものの横に入れ口が紐で縛られた袋のような絵がデカデカと描かれている。きっとこれがここのシンボルなのだろう。
「なるほど、ここでみんないろんなものを換金してるってわけか」
「あぁ、主に依頼されたりなどして狩った動物の革や牙などの再利用可能な部位や発掘した鉱石、希少な薬草なんかも買い取ってくれる。その他にも様々なものを持ち込みそれを鑑定してもらうことができれば取引することもできる」
鑑定さえしてくれれば取引できるってことは意外と買い取ってくれる範囲は広いのかもしれない。ちょっとしたリサイクルショップみたいな感じだろうか。
「それで荒崎、今からここに持ち込む例のものだがどれくらい持ってきたんだ?」
ベイルは周りにあまり聞こえないように小声で俺にそう聞いてきた。彼女も一応注意は払ってくれているようだ。
「とりあえず分からないからこれだけ持ってきたけど」
そう言ってポケットから小さな麻袋を取り出し、ベイルにだけ見せるようにこっそりと中身を見せた。中には五枚ほどの赤い鱗が重なったまま入っている。そのせいか赤色の色味が増し、まるで一つの赤い宝石が入っているようにも見える。
それを見たベイルは袋の中に手を入れその鱗を軽くこするように触った。
「うーん……これでも少し多いかもしれないな。とりあえず数枚は残しておいて、もし大丈夫そうだったら更に鑑定してもらうことにしよう」
「そうか。これでも家にある分のほんの少しだけを持ってきたつもりだったんだけど」
その言葉にベイルは一瞬引きつった笑みを浮かべた。これで怪しいかもしれないってことはあれ全部持ち込んでたら本当にどうなっていたんだろうか。
「まぁ、とにかく入ってみようぜ。いつまでもここで色々言ってても始まらないし」
「そうだな」
という訳で俺達は建物の中へと足を踏み入れることにした。扉を開けると内側に取り付けられていたのであろうベルが子気味のいい音をたてて来客者の存在を知らせる。それに反応して既に中にいた数名の客らしき人達がこちらをチラッと一瞥した。どの人たちもがたいがよく腰や背中に何かしらの武器のようなものを持っているところを見ると、ベイルの同業者さん達だろうと予想できた。
「流石に今日は祭りの前日なだけあって人が少ないな」
中を見回したベイルがおもむろにそう言った。今の言い方から察するにきっと他の人達も準備などで駆り出されているんだろう。
「いつもはもっと賑わってるのか?」
「さっきも言ったようにここはヒルグラウンダーのもう一つの拠点みたいなものだからな。素材の換金だけではなく、お互いの情報を交換したりなんかもする交流の場所でもあるんだ。だからヒルグラウンドにいないヒルグラウンダー達はたいていこの場所にいることが多いのさ。だから今日みたいな日以外はここは同業者だらけだぞ」
なるほど、まさにここはベイル達のための施設ってわけだな。そう説明され俺もぐるりと周りを見回してみる。店内の壁にはびっしりと剣やナイフのような刃物類から獣の皮のようなもの、それに兜のような身の安全を守る防具のようなものまである。中には獰猛そうな牙を剥き出しにしたまま飾られている見たこともない動物の頭部がそのまま飾ってある場所まであった。
なんかちょっと物々しい空気というか、いかにも普通ではないお店という感じのオーラが漂っている。店内を囲うように置かれているガラスのケースのようなモノの中にも何に使うのか分からない石ころや植物などが所狭しと並べられていた。
「荒崎こっちだ」
それらをまじまじと眺めているとベイルが俺を呼んできた。彼女のいる方へと近づくと、そこにはカウンター式の台と小さな銀色の呼びベルらしきものが置かれている。そしてそこには小さな文字で‘御用の方はお呼びください’と書かれていた。どうやらここが受付らしい。しかし今は席を外しているのかそこには誰もいなかった。
「これは……呼んでいいんだよな?」
試しに俺はその呼びベルを数回程鳴らしてみた。店内に金属音が響き渡ると奥の部屋の方から慌ただしく近づいてくる足音が聞こえてきた。そして、勢いよく扉が開かれるとそこから一人の男性が現れた。
「あいよ、お待たせしたな」
出てきたのは顔に男らしい無精髭を生やしたまさにおっさんという言葉が似合いそうな人だった。ゴツゴツした顔、それに失礼だが似つかわしくないバランスの取れた体つき、そして若干くたびれたような服装。短髪の黒髪にきれた目元はまるで日本人のような風格だ。
「ラヴィータ、忙しい所悪いな」
「おぉ、ベイルか。どうした? おまえ今日も忙しいんじゃねぇのか?」
「いや、今日は私の知り合いを連れてきてな。ちょっと見て欲しいものがあるんだ」
ベイルがそう言うと彼は俺の方を向いて何故か驚いた顔をしていた。え? なんでそんな顔されたんだ?
「ベイル……お前、男の知り合いなんていたのか」
「私にだって男に知り合いくらいいるぞ」
ベイルは彼の言い方に反論するようにそう言った。この人が驚いていた理由はそういうことか。
「へぇー……」
なんだかジロジロと眺められているがそんなに俺の存在が興味深いものなんだろうか。なんだか少しむずがゆい。
「なんだその目は」
「いや、お前が連れて歩くには随分と普通な奴だなと思って」
「お前は私をなんだと思ってるんだ?」
静かに拳を握るベイルを見て彼は慌てて目の前で手を振り話題を変えようとした。
「そ、それより! その見て欲しいモノってのは何なんだ?」
「あ、えっとこれなんですけど」
隣でむすっとしたままのベイルをとりあえず放置したまま俺は袋の中から数枚ピィタの鱗を取り出し、台の上に並べた。とりあえず様子見で三枚程置いてみる。
「これは……」
それを見た彼の目が先程とはうって変わって真剣なものへと変わる。そしておもむろにどこからか白い布を取り出すと、それで鱗の一枚をつまみまじまじと眺め始めた。
彼は逐一見る角度を変え、まるで虜にでもなっているかのように視線を外さず只々一点を見つめていた。そのまま一通り眺め終わると彼はゆっくりと布と一緒に鱗を置いた。
「……なあ、あんた名前はなんていうんだ?」
少し間が空いたあと、突然彼が俺にそう訪ねてきた。
「え? あぁ、名前ですか? 俺は荒崎。荒崎 達也といいます」
「荒崎……聞かない名前だな。どこかから移住してきたのか?」
移住というよりもう世界飛び越えてきちゃってるんですけどね。もちろんそんなことは言わないけど。
「はい、最近この国に引越してきたんです」
「ほう、引越し。そりゃあご苦労なことだな」
なんなんだ? 急に彼はなんでこんな話をし始めているんだろうか。
「あ、ちなみに申し遅れたが俺は‘ラヴィータ’。ここで鑑定やら素材の換金やらをしている。本来ならもう一人俺の娘がいて店を手伝ってるんだが、あいにく今日は明日の祭りの準備で留守にしてるんだ」
「はぁ、そうなんですか」
娘ってことはこの人、ラヴィータさんは結婚してるってことか。第一印象としてはそんな風には見えなかったけどな。
「あぁ、まぁそれに関してはまた今度見に来てくれってことでひとつよろしく。さて、それじゃあお待ちかねのコイツの鑑定結果だが……」
そう言ってラヴィータさんは再び鱗を掴むと俺達の前に軽く突き出してきた。
「これは俺が見る限り、ドラゴンの鱗じゃないかと思われる」
彼はそう迫力満点な表情で俺達に伝えてきた。もちろんそのことは最初から知っているのだが、ラヴィータさんのその言い方に一瞬鼓動が早まりそうになる。
「やはりそうなのか」
ベイルがそう言い返すとラヴィータさんはもう片方の手で自分の髪をクシャクシャと掻いていた。
「あぁ、この上質な鉱石のようなツヤ、透き通るようで深みのある色味、こんなに薄いのに異常なまでの硬度、どれをとっても最高級といってもいいほどの素材だ」
「最高級……」
いわゆるプレミアムってやつですか。にしても彼が言うと言葉の重みが違うというか、やっぱりこういうの専門の人に見てもらっているからだろうな。
「昔、俺の師匠だった人が持っていたこれと同じものの破片もこんな感じだった。ひとかけらなのにどんな宝石や装飾よりも美しく人を惹きつける。まさに伝説の生き物の持つ究極の素材だと教えられたもんだ」
「ラヴィータ、お前ドラゴンの鱗を見たことがあったのか?」
「昔だがな。それでもあれは一度見たら忘れられないほどの美しさだった。そういったことがまだよくわかっていないガキだった俺でもこれはすごいもんだとすぐに分かったさ」
どうやらラヴィータさんはこの鱗を昔一度見たことがあるらしい。それ故にあんな確信に満ちたような、それでいて鬼気迫るような表情になっていたのかもしれない。
「コイツは一生に一度お目にかかれるかどうかっていう程貴重な素材なんだ。それをまさか三枚も持ってくるなんて……あんた何者なんだよ」
「何者と言われましても……ただの移住者です」
そんな俺の答えに彼は呆れたような笑みをこぼした。
その後、ラヴィータさんは改めてきちんと鑑定をすると言って様々な機器を持ち出し、更に慎重に鱗を調べ始めた。そのあいだ俺達は店内で待機することになりひたすら彼の鑑定が終わるのを待つことになった。俺は店内を物色しつつ暇を潰し、ベイルは店の中にいたヒルグラウンダーと何やら話をしていた。
そんな中俺はぼんやりと思い出す。さっき最初にベイルが俺を紹介するとき知り合いって言ってたよな。それでラヴィータさんが驚いてたってことは今までベイルにはそういったものの存在が全くと言っていいほどいなかったってことだよな。
「知り合いか……」
まぁ、だよな。別に期待もしていないし何を思うこともないから別にいいんだけど。でも知り合いくらいには思われてるんだから他の人よりは一歩前進してるのかな。
そんなくだらないことを考えつつしばらく時間が経過した頃、ラヴィータさんから声がかかり全ての鑑定が終わったことを告げられた。
「とりあえずこれが今回の換金量だ」
そう言われ渡された紙には鱗一枚一枚に関する詳細が記されていた。そこには‘一枚あたり十三クリスタル硬貨へ換金’と書かれていた。
「正直なところもっと大きな場所で換金すればもう少しいい額が表示されるのかもしれないが、うちでは悪いがこれが限界の額だ。これ以上は上げられない」
「そうか。どうする荒崎」
多分これはラヴィータさんも悩んだ上での表示金額だろう。確かクリスタル硬貨というのはこの世界で一番価値のあるものだったはずだ。それが一枚で十三枚も手に入るというのはかなりすごい事なんだと思う。それにぶっちゃけ家にはまだこれと同じものがたくさんある。なのにいきなりわがままを言って渋ってもしょうがないだろう。
「そうですか、分かりました。じゃあとりあえず今回は二枚だけ換金してもらうということで大丈夫ですか?」
「あんたがそれでいいならこちらとしては全然問題なしだぜ」
という訳で俺はその条件に同意し、そのあと渡された書類など諸々にサインをして、鱗二枚と硬貨を換金することにした。額が額なのであまりおおやけな場所では渡せないと今回は特別に奥の保管室で取引額を渡してもらうことになった。
「ここはほかの場所と比べて治安はまぁいいほうだが、できることならそのまままっすぐ家に帰ってとっととその金を安全な場所にでもしまったほうがいいだろうな」
そう言われ二つの袋を手渡される。ちょっとした重さのあるその袋を大事にポケットの中にしまい、手を入れて拳できつく握ったまま俺は絶対に手放さないと心の中で誓った。
「それじゃあ、ありがとうございました」
「おう、気ぃつけてな。また何かあったらよろしくどうぞ」
俺達は店の前でラヴィータさんと別れ、そのまま再び最初の待ち合わせた場所まで戻ってきた。
「さて、荒崎。本当は心配だからお前を家まで送ってやりたいところなんだが、私もそろそろ仕事に戻らなくちゃいけないんだ」
「そっか、分かった。っていうかそんな家まで送られなくても大丈夫だっつの」
女性に家まで見送られるなんて男子としての意地が許せませんよ。と、またしても俺の無駄なプライドが横から出てきた。まぁ、ここからそんなに遠くないし大通りを通っていけば大丈夫だろう。もちろん念のため常に警戒もしておくけどね。
「本当か? 荒崎は数人にでも囲まれたら一瞬でやられてしまいそうだがな」
「そんな物騒なこと言うんじゃないの! 大丈夫だよ。いいからさっさと行って来いって」
これ以上色々言われたら別の意味でダメージを負ってしまいそうだ。
「じゃあ、本当に気をつけてな。何かあったら大声で叫ぶんだぞ」
「お前は俺の母親か!」
最後にいたずらっぽい笑みを浮かべながらベイルは走り去ってしまった。全くどんだけ子供扱いなんだよ俺は。そう考えながら俺はベイルの後ろ姿を見えなくなるまで見送った。
「さて、じゃあ俺も行くか」
そう思い家路へとつくため俺はベイルとは逆の道へと振り返った。そしてそのまま歩きだそうとした時、視界の隅に何か黒いものが写りこんできた。
俺は反射的に思わずそちらの方向を向くとそこにはベイルと合流する前、俺が見かけていたあの黒ずくめの人物がポツンと再び座っていた。
「あの人……」
さっき消えてたのにまた戻ってきたのか? 俺は先程気になっていた時に声をかけられていなかったこともあり、再び声をかけてみようかどうか悩んでいた。
少しずつ近づきながら俺はチラチラと様子を見る。静かに佇むその人物はピクリとも動かず只々前を見つめていた。といっても顔がローブで隠されはっきりと見えていないため前を見つめているのかどうかは定かではないのだが。
俺は横切るように前を通り過ぎようかどうしようか悩みながら一歩一歩歩いていく。その距離はもうたった数メートルだ。どうする? 声かけてみるか? でも今はポケットの中に大金が入っている。それに何でここまでこの人のことが気になるのか俺でもよくわからなくなってきた。ならやはりこのまま何もせず大人しく帰ったほうがいいんじゃないか?
そんな葛藤を頭の中で繰り広げつつ遂にその前を通り過ぎようとした時だった。
「そこのあなた」
突然その黒ずくめの人が声を発してきた。それはまるで凍てつく氷のような冷たい声。そんな声に俺の体は凍らされてしまったかのように動けなくなった。
「どうぞ、こちらにいらっしゃい」
俺はそんな声にまるで従うかのように引き寄せられていく。なんだこれ、体が勝手に動いてるみたいだ。そのまま俺は目の前に立たされると用意されていた小さな椅子に腰掛けていた。
「あなたはどうやら随分と面白い運命に巻き込まれているようね」
「運命?」
なんだこの人? もしかして、ちょっと痛い人か? 突然そんなことを言われ俺は思わず眉をひそめてしまった。
「もっとあなたが知りたいわ。これに、手を掲げて頂戴」
そう言ってローブの裾から取り出されたのは大きな丸い水晶の塊。透明で一点の濁りもない綺麗なものだった。これに手を掲げればいいのか? またしても俺は自然と体が動き始めていた。水晶に触れるとひんやりとした冷たい感覚が手のひらの熱をゆっくりと奪っていくのがわかる。
そして、その手の上に重なるように手を置かれてしまった。一瞬驚き手を引っ込めそうになったが、まるで張り付いているかのように俺の手はそのまま剥がれることはなかった。
「…………」
そのまま何が起こるでもなく俺は何が起こっているのか理解できないままただひたすら水晶に触れていた。そして数分が経ったであろう時、おもむろにその手がはがされ俺はようやく手の自由を解放された。
「あなたには近いうちに闇が迫ってくる。とてつもなく強大で邪悪な闇が」
「闇?」
おいおいおいおいおい、運命の次は闇かよ。本当に大丈夫かこの人。
「あなたがもし闇に飲み込まれそうになった時のために、この子を託すことにするわ」
そう言われ俺の目の前に出されたのは黒い蝶の形をしたアクセサリーのようなものだった。
「闇の中で光を見失いそうになったら、この子を追いかけなさい」
「あの、ちょっと待ってください。あなたさっきから何を言っているんですか?」
訳のわからない話の連続に流石にちょっと文句でも言ってやろうかと思い、俺は席を立ち上がった。しかし、その瞬間急に目の前がぼやけ俺はひどい立ちくらみのような状態に陥った。
「なんだ……これ」
「私が伝えられるのはここまで。後は全てあなた次第」
そう声が聞こえ、俺は目をつむり立ちくらみが収まるのを待って目を開ける。すると先程までぼやけていた視界は一瞬で元に戻り、意識もはっきりと戻ってきた。
だがその瞬間、俺の目の前にいたはずのあの黒ローブの人物は影も形もなく消え失せ、代わりに目の前には只のレンガでできた壁が広がっていた。
「なんだったんだ……」
そう呟いた直後、俺は右手に違和感を感じ視線を落とす。すると無意識に俺は握りこぶしを作っており、それをゆっくり開くとそこにはあの時渡された黒い蝶のアクセサリーが乗っていた。
「夢なんかじゃ……ないよな」
俺はそのアクセサリーを握ったままポケットへと突っ込むと少し早足で家路へとつくのだった。




