王宮料理とフラウの謎
イリヤさんに案内され俺とフラウはファリアの待つ部屋へと案内された。相変わらずどの部屋もキラキラと眩しいというか何というか……。この場所に限っては今までとは違い床が赤い絨毯ではなく、立っている自分の姿がうっすらと反射して見えるほどピカピカな白い大理石のような素材で出来ていた。床まで眩しいとは……ここを掃除している人はきっと掃除のプロに違いない。それもかなり神経質な人。
「荒崎さん! お待ちしておりました」
そう勝手な想像をしていると先に部屋で待っていたファリアがこちらに近づいてきた。
「お、おぉ……」
そこにいたのは俺が初めて会った時の黒い布を被ったあの黒い肌の少女ではなく、水色で控えめな色の煌びやかなドレスに身を包み、露出した真っ白い真珠のような肌がとても綺麗な一人の女性だった。
あの時もそうだったけど、印象的な金色の髪はきちんと手入れがされていて彼女が動くたびにサラサラと右に左に揺れている。顔も化粧をしているのかより女性らしさを感じさせるというか……本当に別人なのではないかと思うほど変わっていた。
そんな彼女の変貌ぶりに俺が驚かない訳がなく思わずその場でガン見してしまった。いや、だってこれはしょうがないでしょう。まさか森で見つけた少女がこんなに変わるなんて……まぁ、王女様なんだからこれくらいのレベルでも不思議ではないのかもしれない。しかし、俺は日本にいた頃に王女様なんて会ったことも見たこともない。まして今まで女性との接点があまりなかった俺にとってはここまで綺麗な人に名前を呼ばれたことすら無かった。
…………自分で言っといて何だがホント潤いがなかったんだな俺の人生って。やばい、泣きたくなってきた。
「あ、あの荒崎さん?」
あまりに俺がジロジロ見すぎるからか、さすがのファリアも恥ずかしくなったのか嫌になったのか体をモジモジと動かし始めた。
「……はっ!? あ、あぁごめんごめん。あまりにも変わったというかその……綺麗になったから驚いちゃって」
「あ、ありがとうございます」
お互いに顔を赤くしながら思わず俯いてしまう。何やってんだ俺は。もっと気分を落ち着けなくては、このままじゃきっと食事をする前に逃げ出したくなってしまう。いろんな意味で。
「さぁ、それでは早速ですがお食事にしましょうか」
「あれ? 他の人たちは?」
「お母様とお父様は別のお部屋でお食事をされると言っていました。ご一緒にとお誘いしたのですが、何故か断られてしまって」
ふーん……。まぁ、それならいいんだけど。夫婦二人で過ごしたい時もあるってことか? っていうかいつの間にかジャガルさん帰ってきてたんだな。
「そういう訳なのでさぁ、こちらにどうぞ」
ファリアがそう言った瞬間、俺達は知らぬ間に部屋の隅に立っていた執事らしき男の人達にテーブルの席まで案内された。
おぉ、ここはどこぞの高級レストランですか。レストランなんてファミレスくらいしか行ったことないから、こういうサービスがあるかどうかはよく知らんが金持ちの行く店は自分で椅子をひかないって何かで聞いたことがあったしきっとこんな感じなんだろうな。
ちなみにフラウも俺の隣で椅子の上にチョコンと座っていた。……なんだこの絵。執事の人、ものすごく不思議そうな顔してたぞ。謎の生き物が王宮に招待され王女様と一緒に椅子に座り飯を食う。うーん……シュールだ。
「あの、荒崎さん。先程から気になっていたのですがそちらにいる子がお話のフラウちゃんでよろしいのでしょうか?」
あ、やっぱり気になってたんだ。部屋に入ってきた時からチラチラ見てるなぁとは思ってたけど。
「あぁ、そう。最近色々あって懐かれちゃって、今は俺が面倒見てるっていうか」
「そうなんですか。それにしても本当に見たことない生き物ですね」
彼女は物珍しそうにフラウを眺める。やっぱりファリアも見たことないのか。この国の王女様が知らないんだから本当にフラウってこの辺の生き物ではないんだな。
「あ、そういえばまだ自己紹介をしていませんでしたね。私はこの国で王女をしておりますファリア・アディエマスと申します。これからよろしくお願いいたします。」
……な、なんてこった。動物にまでご丁寧に挨拶するとは……。フラウは人語を理解してくれるからまだいいものの。もしかしてファリアって結構天然なのか?
「フラウ、とりあえず適当に吠えてごまかしといてくれ」
「分かりました」
俺はフラウにこそっとそう伝えておいた。
「ヴァヴ! ヴァヴ!!」
「フラウもよろしくお願いしますって言ってるよ」
「荒崎さん、フラウちゃんの言ってることが分かるんですか!?」
「へ? あ、いや何となくそう言ってるかなぁーって思っただけだよ」
まさかそんなに目をキラキラさせながら反応されるなんて思わなかったよ。本当に純粋だなこの子は。
そんなこんなで話をしていると、いよいよ待ちに待った料理が次から次へと部屋に運ばれてきた。
先程まで何もなかった白い布の敷かれたテーブルがどんどん色鮮やかな料理によって彩られていく。その光景を見ただけで俺のテンションは急激に上がっていった。
すげぇ……俺の作った料理とは比べ物にならないくらい美味しそう。いや、王宮の料理と自分の料理を比べること自体が失礼だが……まぁ、何にせよ今からこれを食べられるのだからそんなくだらないことは考えずに心行くまで楽しんで食べよう。
「荒崎さんとフラウちゃんのお口に合えばいいのですが……」
「うん、大丈夫大丈夫。絶対に合うから何の心配もいりません」
「ヴァヴ!!」
仮に、いや仮にだ。もし合わなかったとしても俺の方から合わせるくらいの勢いで望むつもりですはい。
あ、そうだフラウにも料理が運ばれてきたけど、どんなのなんだろう。チラッと横目に見てみた。するとそこには、俺達の料理に負けず劣らずな綺麗な飾り付けのされた料理がいくつも並んでいた。
オレンジ色の綺麗なソースのかかった何かの魚の料理。それから赤いソースが綺麗に散りばめられるようにかかった肉料理。その他にも美味しそうな料理が数点。
……動物が食べるものにまでこのクオリティ。シェフ本気出しすぎだろう。まぁ、全然いいんですけどね。むしろありがたい話なんですけどね。
そんなこと思っているうちに全部の料理が運び終わったようだ。
「それでは皆さん、いただきましょうか」
おお、ついに待ちに待ったこの時が来たか!!俺は目を輝かせながら改めて料理の数々に向き直る。
そして、両手にフォークとナイフに似た鉄の食器を持ち目の前の料理へと運んでいく。
これはなんて料理だろうか。ぶつ切りにされた正方形型の肉に、白いソースがかかっている。その上に小さくカットされた赤や緑や黄色などの色鮮やかな野菜の数々。
なるべくそれを崩さないように優しく切れ目を入れると、そこから溢れんばかりの肉汁がこぼれだしてくる。それを見ただけでも俺の口の中から唾液が溢れ出しそうになる。
そして、切り分けたその肉をゆっくりと口に運んでいく。果たしてどんな味なのか……。俺のワクワクは今や最高潮に達していた。
「あむっ」
口の中に含みゆっくりと噛み締めるように味わう。一回噛んだだけですぐに分かったのだが、まず肉が丁度いい具合に焼けているためとても柔らかい。俺が作った焼きすぎ肉野菜炒めとは全然違う。
そして、口の中に広がる肉汁の香りとあの白いソースが絶妙に絡み合って見事な調和を果たしている。
野菜もシャキシャキとしたいい歯ごたえで、色々な食感が楽しめるようになっている。
とまぁ、そんなどこぞの星判定をするガイドブックにでも書かれていそうな事を色々頭の中で語ってみたのだが、要はとにかく美味いってことなのだ。
「すっごい美味しいよ!! 何これ! 肉柔らか!! この白いソースも滅茶苦茶美味しい!!」
「ヴァヴ! ヴァヴ!!」
「それは良かったです。ご遠慮せずにどんどん食べてくださいね」
「おう!!」
それじゃあ遠慮なく。俺は次々に色々な料理を味わっていった。
こっちは黄緑色のスープに白魚の切り身が添えられた何ともおしゃれな料理。少しとろみのあるスープに魚の身をよく絡ませてから口に運ぶと、ほんのり野菜の甘みのような味のするスープと、柔らかくて口の中でほろけていく魚の身がとてつもなく美味しい。
さらにこっちはサクサクの茶色い焼き目のついたパイのような生地に薄切りにされた肉、細かく刻まれた黄色い野菜? をふんだんに挟み込んだボリューミーな料理。
ナイフを入れるとさくっと香ばしそうな音をたてて切れ目が出来上がる。すると中に入っていたのであろう赤いソースが溢れ出してきた。それに驚きつつも口に運んでいくと食感はもちろんだがその何とも大人っぽい味付けが見た目に反していいアクセントになっている。
あぁ、美味しいなぁ……
「……ふふっ」
料理を食べるたびに頭の中で一々感動しながら夢中になっていた時、ふと目の前から視線を感じ俺は顔をあげた。すると、俺の前に座っていたファリアがこちらを見ながらニコニコと何故か微笑んでいた。
「ど、どうかした?」
「いえ、荒崎さん本当に美味しそうに料理を食べるなぁと思いまして。何だか面白いなぁって」
おおう……夢中になりすぎて気づかなかったけど何だか俺は面白いことになっていたらしい。いかんいかん、少しテンションを落とさなくては。
「ちょ、ちょっと夢中になりすぎてたかな」
「いえいえ、お気になさらずに」
そう言ってファリアはまたこちらをニコニコと眺め始めた。そんなに面白かったのか? 俺の食事風景が。何だか少し恥ずかしくなったので俺はファリアに軽く話しかけてみることにした。
「そういえば体の調子はどう? もう良くなった?」
「あ、はい。おかげさまで今はもうすっかり良くなりました」
「そう、よかった」
「本当にあの時はありがとうございました。もしあの時、荒崎さんに見つけてもらえてなかったら私は今頃……」
今頃ねぇ……。確かに森の中でファリアを見つけたのは奇跡と言っても過言ではない。もしかしたらあの場所に通りかからなかったかもしれないし、それに俺がこの力を望んでいなければ彼女を助けることはできなかったんだろうしな。っていうか、それ以前に日本で俺が死んでいなければこんな状況にもなっていないしな。俺が死んだおかげで彼女は助かったなんて何とも皮肉な話だなホント。
「そういえば気になってたんだけどさ何であの時ファリアは一人で森の中で倒れてたの?」
この国の王女ともあろう人があんな森の中で一人倒れているなんてどう考えても違和感しか感じない。それに病にかかっていたなら外出だってよっぽどのことがない限り出来ないだろう。
「そ、それは……」
あまり聞かれたくなかったことだったのかファリアは顔を俯けてしまった。
「あぁ、いや言いたくないならいいんだけどさ。ちょっと気になっただけで」
無理に聞くのは流石に失礼だろう。彼女も色々あったんだろうしこんな時に聞くことじゃなかった。俺は少し反省した。
「……私、このままこれ以上迷惑をかけるのが嫌だったんです」
「え?」
迷惑? どういうことだろうか?
「荒崎さんも知っている通り私は黒死の病という不治の病にかかっていました。私がこの病にかかったのは私の‘生誕の日’が十二回過ぎた頃からでした。初めは小さな症状しか表れなかったのですが、それも次第に大きくなり私の体はみるみるうちに黒く醜く染まっていきました。お父様もお母様も私のことを治そうと必死で色々な国から魔術師や医者を呼び、治療を施してくださいました」
そういえばそんな事言ってたな。どんな医者や魔術師に見せても治らなかったって。
「それでも私の症状は良くなるどころか悪くなる一方で、城内の空気も暗くなっていく一方でした。お父様とお母様はそれでも諦めようとはしませんでしたが二人共、目に見えるほど疲労し精神的にも限界が近づいているように見えたんです。そして、それを見た私はこう考えてしまったんです。‘私がいなくなれば二人共もう辛い思いをしなくて済むのではないか’と」
「なるほど、それであの日城を抜け出したと……」
「はい。あの時の私はもう毎日をこれから死んでいくために生きているんだと思いながら過ごしていたんです。だから、覚悟はすでに心の中で出来ていました。しかし、せめて死んでいくのならこれ以上誰にも迷惑をかけずにひっそりと知られることなく死んでしまいたいと思ったんです」
ファリアは声のトーンを落とし一言一言吐き出すようにそう語ってくれた。あの状況になる前にはそういう経緯があったわけね。
今の話を聞いてもまだ色々聞きたいことや疑問点が残ったけど、とりあえず俺はファリアにこれだけは言っておこうと思った。
「あのさ、ファリア。さっき迷惑をかけたくないって言ってたけど、二人は本当に迷惑だと思ってたのかな」
「え?」
「いやだってさ、もし本当にファリアのこと迷惑だと思ってたんならそんな必死こいて医者探したり魔術師探したりしなかったと思うんだよね」
「そ、それはそうですけど……」
「それとさ、他人の家族については色々あるから一概にそうとは言い切れないけど、家族のためなら多少の無茶はしたいと思うもんなんじゃないか? 少なくと俺はそう思ってるよ」
「……」
うわー……何だろう。ものすごく柄でもないこと言ってる気がする。なに俺、偉そうに語ってるんだろう。
「と、とにかくさ病気は治ったんだしこれからはもっと楽しく生きないとな!」
「そう……ですね」
「そうそう、ほら料理も冷めちゃうし早く食べよう。これ、滅茶苦茶美味しいよ!」
俺は無理矢理、話題を逸らしとりあえず料理を食べることに集中した。
その後はちょくちょくと自分の話題やファリアの話題、フラウの話題と話を振りながら何とか朗らかなお食事会へと戻っていった。特にファリアは俺のことに興味津々のようで、向こうからも色々聞いてきてくれた。
誤魔化した設定をその度に頭の中で練るのは大変だったがファリアが何だか楽しそうだったのでよしとしておこう。
そんなこんなで食事は進みついに全部の料理を完食してしまった。
「はぁ~満足満足」
「ヴァヴ!!」
おぉ、フラウも全部綺麗に食いやがった。まぁ、残すわけないか。あんな豪華な料理だったんだし。
「お二人共ご満足いただけたようでよかったです」
「いや~本当に美味しかったよ。わざわざ招待なんてしてくれてありがとうな」
「いえ、これくらいのことしかできませんから」
これくらいのことねぇ……。そんなことないと思うけど、また言うと話が変な方向に行きそうなのでスルーした。
「ところで荒崎さん。本日はこのあと何かご予定などありますか?」
「予定? ええと……」
このあとは特に……あっ、そういえばさっきの女の子のこと忘れてた。
「そうだファリアさ、この城に何か大きな黒いカバンを背負った白い髪の小さな女の子がいるのって知ってる?」
俺がそう言うとファリアは驚いたように目を見開いた。
「えぇ、いらっしゃいますけど……どうして荒崎さんがそれを?」
「いやさっき他の部屋で待ってたときいきなり部屋の中に入ってきてさ、それで食事が終わったら少し話がしたいからその部屋の前で待ってるって言われて」
「‘イホーム’さんが話したいことって何かしら?」
ファリアが知ってるってことはやっぱり城の関係者だったんだな。
「なぁ、あの子って一体何者なんだ?」
「イホームさんはこの城に勤めていただいている魔術師様です。魔術師界の中ではものすごくお偉い方なんだそうですよ」
「ま、マジで……」
あんな小さな女の子がお偉いさんなんて魔術師って一体どういう存在なんだ。
「イホームさんにお誘いされているなら仕方ないですね。本当はもう少しお話をしたかったのですが、今日は止めておくことにします」
「何か悪いな……」
「いえ、お気になさらないでください。先約があるのなら仕方のないことですから」
ファリアは少し寂しそうに笑いそう言ってくれた。
「でも、もし……もし荒崎さんがよろしければまたお誘いしてもいいでしょうか?」
「え、ああもちろん。むしろよろしくお願いします」
そう言うとファリアは先程とは違い今度は嬉しそうに満面の笑みを作ってくれた。ファリアって城に誰かを招待するのが好きなのかな? 何にせよ招待してもらえるならありがたい話だ。
「それでは、私はそろそろお部屋に戻りますね。荒崎さん、本日は本当にありがとうございました」
そして、彼女は綺麗なお辞儀を一つするとメイドさんと執事の人に連れられて自分の部屋まで戻っていった。
「さて、じゃあ俺達も動きますか」
「ヴァヴ!」
そう思っていた時だった、
「荒崎さん」
「ぬおうっ!?」
いきなり後ろから声をかけられてビクッと体が反応してしまう。慌てて振り返るとそこにはいつの間にかイリヤさんが立っていた。
「イリヤさん! 驚かさないでくださいよ」
「先程のお部屋まで行かれるとのことでご案内を頼まれて来ました。さぁ、どうぞこちらへ」
「はぁ……」
そんな訳で俺はイリヤさんに案内され、先程待機していたあの客室まで戻ることにした。
イリヤさんについて部屋を出たあと、ひたすら廊下を進んでいくと目的の部屋の前まで到着した。すると、そこには既にあの真っ白な小さい女の子が壁に寄りかかり待っていた。
「イホーム様、荒崎さんをお連れいたしました」
「うむ、ご苦労であった。もう下がってよいぞ」
「では、失礼いたします」
イリヤさんはお辞儀をするとそのまま廊下の奥へとスタスタ歩いて行ってしまった。
「えーと、それで俺と話したいことっていうのは……」
「こんなところで立ち話もなんだし私の部屋に来てくれないかな? そこでゆっくりお話ししましょう」
「へ、部屋に? 別に……いいけど」
そこまでして俺と話したいことって本当に何だろうか。とりあえず彼女の提案に乗ることにした俺は、そのまま彼女に案内され部屋へと招待されることになった。なったのはいいのだが……なんでだろう、少し嫌な予感がするんだけど。
しばらく大人しくついていくと彼女はある部屋の前でぴたりと止まった。そこにはまるで大きな三日月をモチーフにしたような青色の模様とこれは何だろう? トカゲか何かか? の赤色で描かれた模様が施された扉があった。ほかの場所とは違い明らかな違和感を放つその場所は見ただけでも普通ではないことがわかる。何というかきやすく入ってはいけない感じがひしひしと伝わってくる。
「さぁ、ここが私の部屋だよ。入って入って」
「ここが……そうなのか」
何かあんまり入りたくないなぁ……。扉からして奇妙だし。そう思い中に入るのをためらっていると、いつの間にか後ろに回り込んでいた彼女が俺の背中をグイグイと押し込むように押してきた。
「ほら、早く早く!!」
「え、ちょっまっ!!」
「ヴァヴ!! ヴァヴ!!」
俺がどうしていいか困っているとフラウが彼女に向かって吠え出した。おお、フラウがすっごく威嚇してる。
「ん? 何、君も入りたいのかい? しょうがないなぁ~一緒においで!」
そう言うと吠えているフラウを彼女は片手でひょいと持ち上げた。そしてもう片方の手で俺の背中をまたグイグイと押す。
っていうかこの子どんだけ力強いんだよ!! フラウを軽々持ち上げてる時点でかなりすごいのに俺を後ろから押す力もとんでもなく強い。
そして結局、俺達は大した抵抗も出来ないままそのまま部屋の中に連れ込まれてしまった。
「さぁ、ようこそ私の部屋。私の研究室へ」
研究室? 言われて部屋の中を見渡してみればそこには見上げるほど高くそびえ立った大きな本棚が両脇に無数に広がり、そこにぎっしりと何かの本が敷き詰められている。部屋の真ん中には何に使うのかよく分からない様々な機材が並べられており、その近くに横長の大きなテーブルと何かの呪文? みたいな文字がびっしり書かれている黒板のような深緑色の板が数枚立てかけられていた。
「なんじゃここ?」
あんな小さな女の子が部屋と呼ぶにはあまりにも異質すぎるというか何というか。とにかく普通じゃないことはすぐに分かった。
「あ、先生。戻ってきたんですか……ってそちらの方達は?」
俺が呆気に取られていると部屋の奥から白衣を来た一人の男の人がこちらにやって来た。茶色いかみを頭の後ろで一つに束ね、顔には黒縁のメガネをかけている。肌は青白く背もすらりと高い。
「この方達は私が本日お招きした客人の方達だ」
「客人って……先生お招きしている人がいるならちゃんと教えといてくださいよ! おもてなしできるもの何も用意して無いですよ!!」
「用意してないなら今から用意すればよかろう」
「よかろうって……」
「ほれ、何をしておる。さっさと用意せんか」
そんな理不尽な物言いに彼は不満そうな表情を作っていたが、はぁ~と一つため息をつくとこちらに軽く会釈をし、また部屋の奥へと消えていってしまった。
「私も少し手伝ってやるか。申し訳ないけどここで少し待っていてくれるかなお兄ちゃん」
「あ、あぁ分かった」
そう言い残し彼女も部屋の奥へと消えていってしまった。一体何なんだ。
「にしても、ホントとんでもない部屋だよなここ。どんだけ本溜め込んでんだよ。漫画喫茶も真っ青だぞ」
そう思いながら部屋をぐるりと見渡しているとき、ふと壁の一部にかかっていた大きな白黒の写真のようなものが目に入った。そこにはまるで学校の卒業写真のように数人の男女が集まって写っていた。
「へぇ~この世界にも写真とか撮れるものがあるのかな? なぁ、フラウ……フラウ?」
そう話しかけようとしたとき俺は横にいたフラウの異変に気がついた。一緒に見ていたフラウがまるで何かに食い入るようにじっとその写真を見つめていたのだ。俺が呼びかけてみても何の反応もせずに只々じっとその写真を見つめていた。
「おーい、フラウさーん。大丈夫ですかー?」
駄目だ、全く反応しない。何かこの写真に気になるところでもあるのだろうか?そう思った時だった。
「……うっ!! ぐうっ!!!」
突然フラウが前足で頭を押さえつけるようにして苦しそうな声を出し始めた。それだけでなく体を小刻みに震えさせ、床に伏せるような体制になってしまった。
「おい! フラウ! どうした!? おい!!」
「あ……ぐっ!! はぁー……はぁー……」
目を真っ赤に充血させ荒々しい呼吸を繰り返すフラウ。それを見た俺はこれはただ事じゃないと慌てて力を使おうとした。
しかし、
「ご、ご主人様。大丈夫です、大丈夫ですからどうかご心配なく」
「大丈夫って……どう見ても大丈夫じゃないだろ」
「いえ、もう大丈夫です。ちょっと頭痛が走っただけですから」
動物って頭痛が走るもんなのか? たとえそういう現象が起きるものだったとしてもなんで急に頭痛なんか。
「本当に大丈夫なのか?」
「はい、もう平気です。申し訳ありませんご心配させてしまって」
そう言ってすくっと立ち上がるフラウ。コイツが大丈夫っていうのなら大丈夫なんだろうけど。
「頼むから無理だけはするなよ」
そうフラウに注意をして俺は再びその写真を見上げた。
そして、この時の俺はまだ知らなかったのだ。この写真がフラウの記憶に大きく関わるものであるということに……。




