透き通るソラ
「青春しようよ!」
昼食時。手塚花姫は机に両手を乗せて身を乗り上げながらそう叫んだ。
「また抽象的な……。そもそも青春って一体なんなの?」
清水子虎は身体をのけぞらせて花姫と距離をとりながら答える。
「青春って言うのはねー。ほら、なんかこう……にゃははーって感じのことを言うんだよ!」
「話が抽象的から前衛的になってきちゃったね。もう何が言いたいんだかさっぱりだよ」
「つまり! 今の私達には青春が足りないの!」
「つまり、もっとこう……学生らしいことがしたいって言うこと?」
「難しくいえばそうかな!」
「簡単に言ったつもりなんだけどな……」
子虎と花姫は、今年の春から高校一年生となった。
高校生には、義務教育には無かった自由度がある。帰りの買い食いなどがその例だろう。学校での携帯電話の使用や、漫画やゲームの持込といったものは学校それぞれのルールによってまちまちだろうが、彼女達の学校ではそれも許容されていた。そもそも、行かないという自由を無視してまで入学したのだ。それくらいの恩恵はあってもいいのだろう、と子虎は思う。
現在は五月。入学当初は距離感が上手くつかめないせいでなんとなくギスギスしていた教室にも、穏やかな雰囲気が漂っている。それぞれが気の合う友人を見つけ、昼食をとっている姿が教室だけでもいくつも散見できた。
それに倣うように、子虎と花姫は二人で仲良く昼食をとっている。ひとつの机に二人分のお弁当箱を載せて、向かい合うような形で。
「あー、どうしたら青春できるのかなあ?」
そういいながら、花姫は卵焼きを口に運ぶ。
「じゃあさ、部活動でも始めたらどう? 私は陸上部に入っているけれど、花姫はまだ何も入っていないでしょ? 仮入部期間はもう終わっちゃったから、途中入部はちょっと気後れするかもしれないけれど、人数が少ない部活動ならそれもないんじゃない? 例えばホラ……天文部とか?」
子虎の記憶によれば、天文部の部員は確か二名だったはずだ。どちらも二年生であり、子虎たちの代からの入部は無かったと聞いている。校則として6月までに部員が3名に満たない場合は同好会扱いとされ、一切の部費と、部室がなくなるのだそうだ。とはいっても、教員達もそこまで鬼ではないらしく、部室だけはある程度見過ごされているのだとかなんとか。
「天文部かー。うん。確かにロマンチックではある。青春っぽい」
「でしょ? どう?」
「んー」
花姫は視線を上へとそらし、人差し指を顎へと当てる。彼女の考えるときのいつもの癖だ。
その時だった。
「清水」
声をかけられ、子虎は振り向く。そこにいたのは男子陸上部の日笠恭介日笠恭介だった。
「日笠。どうしたの?」
「放課後、武藤先生が職員室に来いってさ。何かお前に頼みごとがあるらしいよ」
「ふーん。了解」
「じゃあ、そういうことだから」
日笠は手をひらひらさせながら、教室の外へと消えて行った。
「話の途中で悪かったね。それで、どこまでいったっけ?」
子虎は視線を花姫のほうへと戻す。すると、彼女は顔を伏せていた。
「……どうした、花姫?」
子虎が疑問に思っていると、花姫は徐々に身体を震わせはじめ、直後。
「な、に、を、しれっと普通に男の子と喋ってらっしゃいますか!」
バン、と机を力強く叩く。
「男の子と喋るなんてモロ青春じゃないですか! 何を私を差し置いて一人勝手に青春してくれてますか!」
続けて二度、机を叩く。結構な力で叩いてたものだから、たぶん花姫の手のひらは今頃真っ赤になっているだろうが、感情が高ぶった彼女にとってはそんなことは些細なことなのだろう。
さらに勢いを増し、花姫はまくし立てる。
「いいですか!? 数多くある青春の一ページの中でも一番比重が置かれるのは異性との交流なのです! 思春期真っ盛りの中、互いを意識しつつも、上手く自分の感情を表に出せない男女。文化祭や体育祭などの行事をきっかけに、今まで気づかなかった相手の意外な一面を知り、うれしくなる。そしてそれ積み重なり、やがてほろ苦い気持ちへと変化していって……。というのが王道でしょう! 別に最初は嫌いあっていた男女が何かしらの出来事をきっかけに意識しだすっていうのでも問題ないですよ!? でもね、最初はやっぱりよそよそしさがないと始まらないでしょう! なのに子虎はそれらの段階をすっ飛ばしてもう男子といちゃこら会話してやがりますか! 魔女かお前は!」
花姫のあまりの剣幕に、子虎は少し気おされてしまった。言い終わってからも、花姫の興奮は収まらないようで、今も鼻息荒く子虎をにらみつけている。
「いや、別にそんなつもりじゃ……。ていうか花姫もさっきの話聞いてただろ? 会話したというよりは、ただの事務連絡だったじゃないか」
「ハン。そんなのはただの言い訳に過ぎませんよ。子虎が男の子と会話したっていうことには違いありません。それに、さっきのは日笠恭介くんじゃありませんか!」
「あれ? 子虎、日笠のこと知ってるの?」
子虎自身、日笠恭介と出会ったのは高校に入学してからだ。子虎と花姫の通っていた中学とは別の学区にある中学の出身者で、現在クラスは隣である。子虎は陸上部を通して知り合ったのだが、花姫はどのようにして接点を持ったのだろうか。
「知ってるも何も! 知らないほうがおかしいですよ! てかみんな知ってるって! だってあの日笠君だよ? 一年生女子で行った『同学年で恋人にしたい異性ランキング』でダントツのトップを誇ったのは記憶に新しい!」
「……そんなの一体いつあったの? てか私それ知らないんだけど」
子虎の発言を無視し、花姫は憂いの表情を浮かべる。
「あーあ。子虎がまさかこんな子だとは思ってませんでしたよ……。幼馴染として激しくショックです。がーん」
「わ、悪かったよ」
なんとなく謝っておいたほうがよさそうだったので、子虎は素直に謝罪を口にする。それからこの件はこれ以上ひっぱられると面倒だったので、即座に先ほどの話題へとすりかえることにした。
「それで、天文部。どうする? 見に行くのなら付き合うよ? 今日は私、部活休みだから時間取れるけど?」
子虎の入部している陸上部はあまり活動自体が盛んではない。平日で活動があるのは月・水・金曜日だけだ。どうも顧問の武藤先生の指導方針らしく、成長途上にある高校生に過度な練習をさせるのはむしろ効率の悪いことである、のだそうだ。
本当は放課後に武藤先生のところに行く用事があるにはあるのだが、そんなにかかるものでもないだろう。それに、そのことを口にすると、また先ほどの日笠の件を掘り返してしまうことになるので口にするのはやめておいた。
さすがに花姫もそこまで単純ではないらしく、子虎が無理に話題をそらしたことに気づいているようで、少しの間頬を膨らませながら子虎を睨んでいたが、やがてゆっくりと頭を振った。
「そうだね。顔だけは出してみたいかも。行動しないと青春は向こうからはやってこないんだし」
「了解。それじゃあ放課後に、天文部の部室に行くって事で」
結論が出たところで、タイミングよくチャイムが鳴った。子虎は視線を黒板の横にある掲示板へと移し、時間割を確認する。五時限目は数学だった。
「あ、そういえば花姫。次の数学のときに提出する計算のプリント。ちゃんとやってきた?」
「…………あー!! すっかり忘れてた! 子虎、見せて見せて!」
「駄目です。ちゃんと自分の力でやりましょう」
「あーん! もう時間が無いよー。お願い! 後生だから!」
先ほどまでの不機嫌さは欠片も無く、花姫は子虎に泣きついてきていた。本当に若干だけど瞳が潤んでいる。まあ、数学の担当の榎田先生は厳しさに定評があるから無理も無い。宿題を忘れてなんてことが発覚すれば、きっと怒鳴られることだろう。
仕方なく、子虎は鞄からプリントを取り出し、花姫に渡した。途端、彼女の顔がぱあ、っと明るくなり、即座に自身のプリントに解答を写し始めた。
相変わらず甘いなあ、と子虎は思い、小さく嘆息する。
だけど、子虎の顔には小さく笑みが浮かんでいた。
きっとこれも、青春の一ページというやつなんだろう。