3 大豆畑でつかまえて
ばたばたと追いかけてくる音がした。
「まって~。クマセンセッ、こちら、山村教授の娘さんで、ありすちゃん。ウサギ探してるんだって。」
そういいながら息を切らせているのは、おしゃべり雀Aだった。
「山村ありすです。」
中学生くらいの少女が挨拶する。
白いブラウスは限りなく清楚なイメージ。長い栗色の髪はゆるくウェーブがかかりふわふわと垂らされて、深紅のカチューシャでとめている。
白いエプロンドレスがあったら不思議の国のアリスやな、こういうのを砂糖菓子のようないうんやろな、とクマさんはぼんやり考えた。
「おお、おしゃべり雀A、この子連れて来たんはアンタか。」
「センセ、ひど~い。私には桜小路麗香っていう立派な名前があるんデス。」
桜小路麗香こと、おしゃべり雀Aこと、麗香が泣き真似をする。
「立派すぎるやろ。おしゃべり雀Aで十分や。」
クマさんはにべもなく言い捨てる。
貴女も名前を呼んでもらえないんですか。ええ、貴方も?
という同病相憐れむ奇妙な連帯感で握手まで交わして、カミヨさんは去っていった。
カミヨさんの後姿に手を振りながら麗香は話す。
「桐原クンに教えてもらったんデス、ウサギのこと。」
「ああ、イケメン桐原か。アイツ、地元でコネで就職する言うてたで。」
クマさんがそう言った途端、麗香がクマさんの白衣の袖をつかんだ。
「えええ、センセ、アタシ、内定取り消す。大阪いくっ。センセ、就職先探してっ。」
クマさんの白衣の袖はくしゃくしゃになっている。
「何いうてんねん、今さら。自分で探し。」
麗香は必死の形相で食い下がる。
「センセ、そんなあ、見捨てないでっ、何でもするからっ。」
「いい加減にしてくださいっ。私のウサギはどうなったの!」
威勢のいい啖呵がきられた。
先程の砂糖菓子のような少女、ありすであった。
「え、今の・・・あ、ごめんなさい。
あの、センセ、ありすちゃんのウサギ、フジコセンセのとこにいるんでしょ?」
びくびくと麗香がありすを見ながらクマさんに聞いている。
「いや、もう逃げていったで。」
それを聞いたありすは悲痛な声をあげた。
「ええっ、どうして捕まえててくれなかったのっ!
じゃあみるくは、みるくはどこにいったんですか?!」
麗香とクマさんは顔を見合わせた。
「まだ学内にはおるとおもうけどなぁ」
至ってのんきそうにクマさんが呟く。
「クマセンセ、ありすちゃんがかわいそうデス。責任とって一緒に探してください。」
と桜小路麗香こと、おしゃべり雀Aこと、麗香が、なぜか強気に攻めよった。
「なんでワシが・・・」
としぶるクマさんに、麗香は小さな声で嘆願した。
「お願いしますぅ。山村教授に叱られます。頼まれちゃったんデス。」
小さく手を合わせる。
「山村サンがらみかい。しゃあないな~。
窓から出ていったっていうから、とりあえずあっちの、山村サンの大豆畑の方へ行ってみるか?」
クマさんはのそっと歩き出した。
その後から麗香とありすがついていく。
「センセ、このコ、フジコセンセに似てる・・・」
「・・・そやな・・・」
ぼそぼそ話していると
「何ですか?」
ありすがこちらを睨んでいる。
「い、いや、ウサギ、みるくっていうんだ。かわいい名前だね。」
麗香が必死にありすにフォローし始めた。
「お父様が付けてくれたの。真っ白だからミルクみたいだねって。いいでしょ。」
ありすは、漫画に出てくるちょっと高慢なお嬢様口調で言った。
お父様って、山村サンのことやろ?
お父様っていうよりすけべ・・・
・・・いや、要らんことは考えんとこ。
「ウサギの首に指輪がついてた、言うてたけど?」
クマさんは首を振りながら口を開いた。
その言葉に、ありすはハッと顔をあげ、少し前を歩くクマさんを見つめた。
「・・・その指輪は? どうしたの?」
ありすの絞り出したような声に、クマさんは立ち止まる。
「まだ取ってへんから、ウサギから外れてへんかったら、ついてるんとちゃうか?」
ありすはほっとしたような、泣きそうな顔になりながら言った。
「お母様の形見なの。」
「・・・そんな大事なモン、あんなとこへ付けといたらアカンやろ。」
困り顔のクマさんが呟く。
「それでさっき、お父さんに叱られちゃったんだ。」
麗香も溜め息をついた。
「今日は大事なご用のためにここまでわざわざ来たの。
それなのに、みるくがいなくなっちゃって困ってるの。
早く一緒に探してください!」
うわ、やっぱりフジコセンセにそっくりだ~、頭の中で拍手を送る麗香であった。
見た目は不思議の国のアリスやねんけどなぁ、ちょっと残念な口調でつぶやいたのはクマさんだった。
ありすはそんな二人を気にすることなく、こっちなんでしょ、と言いながら先頭を歩いて行った。
「みるくっ」
ありすが叫びながら駆けていく。
大豆畑は、9月頃には青々とした葉が広がっていたが、今は何もない畝がいくつも残っているだけであった。
そして、真ん中あたりの畝の隅に、ふわふわの真っ白なウサギが一匹。
「よかった、みつかったねぇ。」
麗香がほっとして声をかける。
その声にうんうん頷きながら、ありすはウサギを抱き締めている。
一粒ポロリと涙がこぼれていた。
おい、なんとかせえや、と麗香に目で語るクマさんであったが、麗香もムリ、ムリ、ムリとジェスチャーで返す。
クマさんは絞り出したような声を出した。
「・・・泥だらけになるで、はよ帰ろか。」
ワシはコドモには弱いねん、あかんねん、と口の中で呟きながら。
麗香はこんな微妙なクマさん見たことないなあ、と考えていた。
鳥が苦手なのに雛を渡されて、小鳥ってかわいいだろ、といわれたときのような。
クマさんってかわいいかも、麗香は密かに思った。
三人で歩きながらクマさんは独り言のように呟く。
「ウサギ、ネコときて次がアリスか。
このままでいくとお次はゆでたまごやな。」
「ハンプティ・ダンプティですか。」
クマさんと麗香はまたもや顔を見合わせた。
「そういえば、ありすちゃんは今日、大事な用事があるっていってたよね。
そこはどこに行けば良いのかな?
連れていってあげるよ。」
麗香がありすに訊ねる。
ありすはちょっと考えてから答えた。
「田中助教授って人のところにいきたいの。」
フジコセンセのところにどうして? 麗香が軽い気持ちで尋ねる。
「へえ、それはどうして?」
「お父様と結婚する人なの。」
ありすはさらっと答えた。