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2 文学部石川助教授による、豆まきと餅まきの相違についての考察

なんか暑いわねぇといいながら、ふらふらとフジコちゃんは窓を開けにいった。


男二人は、毎度毎度ごくろうさん、石川助教授こそご苦労様です、と不毛な会話を飛ばしている。


「あら、桐原クン、ウサギ忘れていってるじゃない。」

誰の目を見ることもできないほど、先ほどの動揺から立ち直れないフジコちゃんは、出窓の所でことさら声を張り上げた。


「窓開けても逃げへんなぁ。」

マイペースを崩さないクマさんは、いつも通りの声で答える。

フジコちゃんはそんなクマさんを恨めしそうに、チラリと見た。


「そういえば、ここに来る途中すごく立派なミケネコを見ましたよ。つやつやしてて貫禄十分でしたね。あれはきっとこのあたりのボスですよ。」

神代食品営業1課の依田武智よだたけちさんことカミヨさんは、勧められたソファーに腰を下ろしながら、確信ありげに言う。


「ここは動物園になったんかいな。」

えらい続くなぁ、感心したようにクマさんが言う。

フジコ先生はウサギがお好きなんですか。いいですね、研究室で飼ってらっしゃるんですか、とカミヨさんがお追従を並べ立てている。


フジコちゃんはそっとウサギを抱き上げてみた。

思っていたより軽かった。小さくて、暖かくて、柔らかい。


「あら、このウサギ、首に指輪つけてるわ。紫色のリボンに結んであるわね。こんな高価そうなもの、こんなところに付けておいて良いのかしら」

フジコちゃんはウサギを撫でながら呟いている。


ちょっと、と隣に座っていたクマさんが低めた声で、カミヨさんの腕をつつく。

アンタ、あのヒトの学内で出回ってる写真、買うてるらしいやんか。

カミヨさんの肩がビクンと震えた。


今なんかええシャッターチャンスやなぁ、なんぼで売れるんやろなぁ、と呟きながらクマさんはのっそりと立ち上がった。


「ねえ、このコ何食べるのかしら?」フジコちゃんが声をかける。

「ウサギいうたらニンジンやろ。」とクマさん。

「葉っぱもキャベツみたいなのなら大丈夫だと思いますよ。小学校の時に、ふれあい動物園であげたことあります。」やけに自信ありげにカミヨさんが力説する。


「葉っぱねぇ・・・ニンジンもここにはないしね。ミルクなんてどうかしらね。」

「お茶っ葉ならあるで。」クマさんは物騒なことを言いながら、ミニ冷蔵庫に手をかけた。

この冷蔵庫はほとんどクマさん専用だ。フジコちゃんはお茶も自分では淹れないから。


ミルクを実験用のシャーレに入れて出してみたが、ウサギは飲まなかった。

お腹空いてないのかしらね、フジコちゃんはぼんやりウサギを見ている。


今日のフジコちゃんは心なしかぼんやりしている。

薄紫色のスーツはビシッと決まってはいるが、表情がどこかアンニュイだ。

隠し撮り用の小型カメラが欲しい、カミヨさんは痛切に願った。


「今日は芋羊羮や。東京はこれがうまい。」

お茶を出しながらクマさんが言う。

「アンタ、ホントにダサい食べ物すきよねぇ。ま、美味しいけどね。」

気を取り直したらしいフジコちゃんが、いち早く頬張りながらのたまった。


「ところでフジコ先生、先日の納豆の件なんですが」カミヨさんがせきばらいをする。

なんや、仕事する気あったんかいな、ぶつぶつクマさんが言っているのをスルーして、フジコちゃんはいずまいを正した。

「それでどうなったのかしら?」


「ええ、あの納豆の件を持ち帰って社内で検討した結果、」

「はっきり言うたらええやん、<割れても末に納豆>やろ?」

クマさんの鋭いチャチャが入る。

その名前は口に出したくなかったのに、大阪人はこれだから、と心で罵倒しながら、カミヨさんは社会人らしく営業スマイルを浮かべた。


「・・・その納豆なんですが、額田社長からゴーサインが出ましたので、このまま進めさせていただきたいと思います。どうぞよろしくお願い致します。」


「よかったやんか、アンタも。仕事できて。」

にんまり笑うクマさんであった。


「それじゃ契約も今まで通りなのね。」そして、あくまでビジネスライクなフジコちゃんであった。


「・・・それで本日はわが社で作っております納豆をサンプルとして持って参りました。

これを研究していただき、これ以上に粘り気があり、香りも良い納豆を作成するのにお力をお借りしたく・・・」

そこまで話したとき、カミヨさんはクマさんが何をしているか知ってしまった。


「なかなかええ納豆やないか、こんなんを砕いてひきわり納豆にすんのんはもったいないなぁ。」

そういいながら、どこから出してきたのか、ピンクの箸で安っぽい白の容器にはいった納豆をまぜまぜするクマさん。

刑事コロンボ風の着古した背広の上から、これまたよれよれの所々汚れた白衣、足元はつっかけである。


に、似合いすぎる。

他の二人が声を失っているうちに、クマさんは

「せやけど、大阪人にはちょっときつすぎる匂いやなぁ。ご飯が欲しいなぁ。

そうや、豆まきの時の餅がまだ残ってたで。」

と勝手なことをしゃべっている。


「節分の時にはホンマは豆、まくんやけどな、縁起がエエからエエんちゃうかいうて、上棟式の時にまくような餅をまいてくれる研究室も増えててな。ちょっと拾といたんが、まだ残っとるんや。

九州の方では元旦に雑煮に入れといた餅を、納豆と絡めて食べるらしいで。」


もうどうにでもしてくれ、とカミヨさんはやけくそに声を張り上げる。

「どうぞご試食ください。」


「そうかぁ、ほんなら研究室戻って、餅もってくるわ。ちょっとまっててや。」

クマさんは納豆を置いて、ぺたぺたと出ていく。


「あのオトコほど納豆の似合うオトコはいないわね。」

ピンクのお箸なんかどこから出してきたのかしら、呟きながら、フジコちゃんは、クマさんの残していった納豆容器を持ち上げた。


激しく同意です、とカミヨさんが心で拍手を送った、その時・・・。


クマさんがきちんと閉めていかなかったドアからネコが飛び込んできた。


「にゃあ~」


ネコはきっとフジコちゃんの納豆に飛びかかろうとしたのだろう。

だが、目測が狂ったのか、窓にいたウサギに気をとられたのか、納豆をかすめて、フジコちゃんの胸に張り付いたのだった。


突然の事に悲鳴をあげるフジコちゃん。


その悲鳴に驚いたように、開いていた窓から逃げ出す白ウサギ。

そして、それを追いかけるネコ。


あとに残されたのは素敵な薄紫のスーツの豊満な胸の辺りを中心に、納豆の豆と糸を張り付けて、自慢のウェーブした艶やかな髪をぐしゃぐしゃにもつれさせた、フジコちゃん一人であった。



「アンタ、にゃあちゃんと糸引いてたんか。そら見たかったなぁ。」

これが、餅を一抱え持って戻ってきたクマさんが、一通りの説明をうけた後、発した最初の言葉であった。


そしてこの発言が、噴火寸前だったフジコちゃんの心に、火焔瓶を投げ込んだような効果をもたらしたことも間違いのない事実であった。



「すごい爆発でしたね」

「近年まれに見る大噴火やったな、破壊力抜群や。」

「あれはきっと、僕が見たこのへんのボスネコだと思いますよ。そっくりのミケネコでした。」

着替えするからと研究室を追い出された二人は、廊下をぺたぺた、とぼとぼと歩いていた。


「それでは僕はこれで会社に戻ります。フジコ先生によろしくお伝えください。」

「ああ、あんたもごくろうさん。」

と二人が大人の挨拶を交わしていると

「すみません、石川助教授ですか」

と声をかける者がいた。

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