第8話:選別と切断
警告灯の赤い明滅が、薄暗い機関室を染めていた。カテリーナが計器の針を睨みつけ、切迫した声で告げる。
「前方、大鉄橋。……橋脚に爆破痕を確認。強度が低下しています」
窓の外を見る。吹雪の合間に、谷底にかかる黒い鉄骨の橋が見えた。だが、その中央部分は歪み、今にも崩れ落ちそうだ。敵の工兵による破壊工作だ。
「強度試算。……現在の総重量での通過は不可能です。橋が落ちます」
「な、なんだと!?」
シュミット大尉が悲鳴を上げた。
「止まれ!すぐに列車を止めろ!落ちてたまるか!」
「止まれば死にます」
俺は冷静に言い放った。
「後ろからはスキー部隊、対岸には待ち伏せがいる。この橋の上で止まれば、いい的だ」
「じゃあどうしろと言うんだ!進めば落ちる、止まれば撃たれる、全滅じゃないか!」
大尉が唾を飛ばして喚く。その通りだ。今のままでは、全滅する。だから、計算式を変える必要がある。
「……カテリーナ。あとどれくらい軽くすれば渡れる?」
「最低でも三〇〇トン。貨車四両分です」
「三〇〇トンか」
俺は視線を巡らせた。この列車の編成は、先頭から機関車、燃料・弾薬を積んだ貨車、そして最後尾に避難民と負傷兵を乗せた客車だ。
捨てるべきものは、決まっていた。
「客車を切り離す」
俺の言葉に、一瞬、場が凍りついた。
「き、貴様、何を言っている!あそこには四〇〇人の市民と、我が軍の負傷兵が乗っているんだぞ!」
「だが、彼らを乗せたままでは全員死ぬ。燃料と弾薬も届かない。そうなれば、都市で待つ数万の友軍も飢えて死ぬ」
俺は機関室を出て、連結器のあるデッキへと歩き出した。単純な算術だ。四〇〇人を殺して、数万人を救う。感情を挟む余地などない。
「ま、待て!貴様、正気か!?」
シュミット大尉が追いかけてくるが、俺は無視して雪の吹き荒れる連結部へと向かった。風の音が轟々と耳を打つ。客車との連結器は凍りつき、氷柱が下がっていた。
ガラス越しに、客車の中の人々と目が合った。あの男爵もいる。彼らは不安そうな顔で、こちらの様子を窺っていた。俺がレバーに手をかけた瞬間、彼らの表情が「不安」から「驚愕」、そして「絶望」へと変わるのが見えた。
「や、やめろ!開けるな!見捨てる気かぁぁッ!」
男爵が窓を叩き、何かを叫んでいる。だが、風の音で何も聞こえない。俺は魔力を腕に込め、凍りついたレバーを無理やり押し込んだ。
ガコンッ。
重たい金属音が響き、連結器の顎が開いた。プシューッ!エアブレーキのホースが千切れ、白い蒸気が噴き出す。
「あっ……あああ……!」
シュミット大尉が腰を抜かして座り込んだ。切り離された客車は、慣性を失い、ゆっくりと遠ざかっていく。軽くなった機関車と貨車は、逆に加速を始めた。
遠ざかる客車の窓に、無数の手が押し付けられているのが見えた。泣き叫ぶ女、呆然とする兵士、そして呪詛を吐き続ける男爵。彼らの背後、雪の闇から、追撃してきたスキー部隊の影が迫っているのが見えた。
虐殺が始まるだろう。武器を持たない彼らは、敵の憂さ晴らしのために殺されるか、捕虜として辱められるかだ。
「……見なくていい」
俺は隣に来たカテリーナの目を、手で覆おうとした。だが、彼女はその手を静かに払いのけた。
「記録します。……これも、戦場の事実ですから」
彼女の声は平坦だったが、その瞳はいつもより少しだけ暗く沈んでいるように見えた。
列車は加速し、軋みを上げながら鉄橋へと滑り込んだ。軽くなった車体でも、橋は悲鳴のような音を立てて揺れた。だが、落ちることはなかった。
俺たちは渡りきったのだ。四〇〇人の生贄を谷底の向こうに捧げて。
「……行くぞ。対岸にはまだ敵がいる」
俺は吐き捨てるように言い、背中のライフルを握りしめた。胸の奥に鉛を飲み込んだような重さがある。だが、立ち止まることは許されない。俺たちが運んでいるのは、彼らの命の代価である物資なのだから。




