第5話:生存報告
泥濘を踏みしめる音だけが、敗残兵の列に響いていた。
全滅必至と言われた殿軍任務。だが、俺の小隊は生きて帰ってきた。半数は失ったが、それでも全滅は免れた。部下たちは互いに肩を貸し合い、生きていることを確かめ合うように、泥だらけの顔で笑い合っている。
「……中尉、戻りましたか」
後方司令部のテントをくぐると、シュトラッサー少佐が書類から顔を上げた。その表情が一瞬、あからさまに歪んだのを俺は見逃さなかった。まるで、幽霊でも見たかのような顔だ。
「第四区画防衛任務、完了しました。敵戦車部隊は足止めを食らい、現在は進軍を停止しています」
俺は直立不動で敬礼し、報告書をデスクに置いた。少佐は鼻白んだ様子で、ハンカチで口元を覆う。俺たちから漂う、硝煙と血と泥の臭いが不快なのだろう。
「……フン。まさかあの戦力で、重戦車まで撃破して戻ってくるとはな。『死神』の悪運もここまでくると呆れる他ない」
「すべては計算通りです。……部下の奮闘に、相応の報奨と休息を」
「検討しておく」
少佐は吐き捨てるように言い、手で「下がれ」という仕草をした。報奨など出るはずもない。だが、今はとにかくこの腐った空気から逃れたかった。
テントの外に出ると、夕闇が迫っていた。雨はいつの間にか小雨になり、遠くで散発的な砲声だけが聞こえる。俺は近くの弾薬箱に腰を下ろし、深く息を吐いた。
途端に、鉛のような疲労が全身にのしかかってくる。指先が微かに震えている。魔力枯渇の兆候だ。
「……中尉」
いつの間にか、カテリーナが傍らに立っていた。差し出されたのは、湯気の立つマグカップ。
「泥水か?」
「代用珈琲です。タンポポの根と、麦芽を煎じたもの。カフェインはありません」
無表情で告げる彼女からカップを受け取り、一口啜る。苦い。そして薄い。泥水と大差ない味だ。だが、冷え切った内臓に熱が染み渡る感覚は、何よりも代えがたい「生」の実感だった。
「……助かった。あの時のリンク、お前がいなければ外していた」
「私は観測しただけです。撃ったのは中尉です」
カテリーナは自身のカップを両手で包み込み、ボソリと言った。
「……計算通り、なのでしょう?」
その言葉に、俺は苦笑を漏らした。計算通り?まさか。あんなものは綱渡りの賭けだ。だが、部下の前ではそう言い続けなければならない。それが指揮官の仮面だ。
「ああ、そうだ。俺の計算に狂いはない」
俺が強がると、カテリーナの口元が、ほんの数ミリだけ――気のせいかと思うほど微かに、緩んだように見えた。
その時、伝令兵が駆け寄ってきた。
「ベルツ中尉!司令部より新たな辞令です!」
手渡された茶封筒。嫌な予感しかしない。俺はカップを置き、封を切った。中身を一読し、俺は天を仰ぐ。
「……次はどこですか」
カテリーナが覗き込んでくる。
「北方戦線、要塞都市グラード。……現在、敵の包囲下にある最激戦区だ」
休息などない。使い潰されるまで、戦場という戦場をたらい回しにされる。それが「反逆者の息子」の運命だ。
俺は残りのコーヒーを一気に飲み干し、立ち上がった。
「行くぞ、カテリーナ。次の死に場所が決まったそうだ」
「了解しました、中尉」
少女は重い機材を背負い直し、俺の影のように背後に立った。空には、再び重たい雲が垂れ込め始めていた。




