第2話:督戦命令
司令部の掩蔽壕の中は、安物のコロンと黴びた紙の臭いが充満していた。外の泥と硝煙の臭いに比べればマシだが、俺にとってはこちらの方が吐き気を催す。
「――聞こえなかったのかね、ベルツ中尉」
目の前のデスクで、磨き上げられた軍靴を組んでいる男が言った。シュトラッサー少佐。貴族出身の参謀であり、前線に出たこともないくせに勲章だけはジャラジャラとぶら下げている御仁だ。
「聞こえております。第四区画の死守、および本隊撤退までの遅滞戦闘、ですね」
俺は直立不動のまま、感情を殺して答える。第四区画は、すでに半壊した廃墟だ。遮蔽物もなく、敵の砲撃目標になりやすい死地である。
「そうだ。我が軍が再編成を行う時間を稼ぐ。名誉ある任務だぞ」
少佐は豚のように肥えた頬を歪めて笑った。名誉。便利な言葉だ。要するに「お前たちは捨て駒になって死んでこい」という意味だ。
「……現在、我が小隊の残存戦力は二四名。魔導ライフル等の装備損耗率は四〇パーセントを超えています。この戦力で、敵一個大隊を足止めするのは物理的に不可能です」
俺が淡々と事実を告げると、少佐は不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「だからこそ、貴様の出番だろう?『死神』と恐れられる天才魔導師殿?」
少佐が立ち上がり、俺の胸倉を軽く小突く。
「父親譲りの汚名を雪ぐチャンスを与えてやっているんだ。感謝してもらいたいものだな。あの『反逆者』の息子が、帝国の盾として死ねるのだから」
奥歯が軋む音が、自分の頭蓋骨の中で響いた。父は反逆者ではない。無能な上層部の尻拭いをさせられ、全ての罪を被って処刑されただけだ。だが、それを口にすれば俺も即座に銃殺刑だ。
「……物資の補給をお願いします。弾薬と、食料を」
「あそこにあるのを持っていけ」
少佐が顎でしゃくった先には、薄汚れた木箱が二つだけ置かれていた。
「おい、これだけか……?」
塹壕に戻り、箱を開けた瞬間、俺は思わず毒づいた。中に入っていたのは、木屑で増量された黒パンの塊と、錆びの浮いた旧式の弾薬箱。
「一三式触媒弾。一〇年も前の型落ち品です」
背後でカテリーナが冷たく指摘する。
「魔力伝導率が悪く、不発率が高い。現代戦の速射には耐えられません」
「分かっている。だが、これしか寄越さないのが今の帝国軍だ」
俺が箱を蹴飛ばすと、周囲に集まっていた部下たちの顔色が青ざめた。特に、第一話で生き残った新兵――ハンス二等兵は、絶望で膝を震わせている。
「終わりだ……俺たちは見捨てられたんだ……!」
「そうだ、見捨てられた」
俺はハンスの言葉を肯定し、地図を泥の上に広げた。
「だから、俺たちが俺たち自身を救う」
部下たちが顔を上げる。俺はポケットからペンを取り出し、地図上の等高線と廃墟の位置に線を引いた。
「敵は戦車を連れている。だからこそ、奴らは『通りやすい道』を選ばざるを得ない」
俺は地図の一点を指差した。かつて下水道施設があった場所。地盤が緩く、地下空洞が広がっているエリアだ。
「正面からは撃ち合わない。敵をこの『沼地』に引きずり込む。建物を利用して射線を切り、奴らの足を止める」
俺はハンスの肩を掴み、無理やり立たせた。
「いいか、死にたくなければ頭を使え。魔力がなければ知恵を絞れ。上層部の豚どもが祝杯を挙げている間に、俺たちは泥水を啜ってでも生き残るぞ」
部下たちの目に、絶望とは違う色が宿る。それは「生存」への渇望だ。
「カテリーナ、お前は高所へ。敵の通信手を最優先でマークしろ」
「了解」
カテリーナが音もなく動き出す。俺は旧式の弾薬を一掴みし、ポケットにねじ込んだ。
時間はあと数十分。死刑宣告を覆すための、最悪の準備が始まる。




