第19話:点火と雷管
呼吸を落とす。心拍数を下げる。世界から色が消え、数値とベクトルだけの空間へと変貌していく。
俺は樹上の枝に固定したライフルのスコープを覗き込んでいた。距離二二〇〇。風は不安定な巻き風。操車場の熱気と、夜の冷気がぶつかり合って乱気流を生んでいる。
「……標的、装填開始。クレーン動作確認」
カテリーナの囁きが、脳髄に直接響く。巨大なクレーンが唸りを上げ、長さ三メートル、重量五トンの八〇〇ミリ砲弾を吊り上げた。鈍色に輝く弾頭の先端に、小さな突起が見える。信管。あれが、この巨人を殺すための唯一の急所だ。
「……頼むぞ、爆弾魔」
俺は心の中でヴォルフガングに呼びかけた。彼が仕掛けた爆薬が起爆しなければ、全ては無駄になる。
砲弾がゆっくりと、開かれた薬室へと運ばれていく。リンドヴルムの後部装甲が展開し、熱排気が陽炎のように揺らめく。防御結界の出力が低下し、一部が開放される。
今だ。
ドォォォォンッ!!
唐突に、地面が跳ねた。操車場のポイント付近で、閃光と共に爆炎が噴き上がる。ヴォルフガングの仕事だ。レールがひしゃげ、敷石が弾丸となって周囲の警備兵をなぎ倒す。
「敵襲! 敵襲ッ!」 「ポイント破損! 工兵隊か!?」
警報が鳴り響き、サーチライトが狂ったように森を照らす。そして、計算通り――衝撃波が地面を伝い、結界発生杭を激しく揺さぶった。
ブゥン……!
完璧だった防御結界が、映像ノイズのように激しく明滅し、歪む。紫色の光のドームに、蜘蛛の巣のような亀裂が走った。
「結界出力、三〇パーセント低下! 座標ズレ発生! ……中尉、射線通ります!」
カテリーナが叫ぶ。だが、状況はカオスだ。爆風、揺らぐ結界、そして緊急停止しようとするクレーンの動き。全ての要素が複雑に絡み合い、狙撃条件は最悪だ。
だが、俺には見える。カテリーナから流れてくる膨大なデータが、俺の脳内で一つの「解」へと収束していく。揺らぐ結界の隙間。風の切れ目。弾頭の揺れ。
それら全てが一列に並ぶ、一〇〇〇分の一秒の奇跡。
「……そこだ」
俺はためらいなく引き金を引いた。
ドンッ!
マズルフラッシュが森の闇を切り裂く。放たれたのは、俺の手持ちで最も硬く、重いタングステン弾芯を持つ特注弾。弾丸は二キロメートルの虚空を翔け抜けた。
揺らぐ結界の亀裂を、針を通すようにすり抜ける。熱排気の壁を突き破る。そして。
薬室に挿入される寸前だった、八〇〇ミリ砲弾の先端。直径わずか五センチの信管に、吸い込まれるように着弾した。
カァン!
硬質な音が響いた、その直後だった。
カッッッ!!!!
視界が真っ白に染まった。音はない。光がすべてを塗りつぶした。五トンの魔力爆薬が、至近距離で誘爆したのだ。
リンドヴルムの巨体が、内側から膨れ上がったように見えた。分厚い装甲板が紙切れのように裂け、リベットが散弾となって飛び散る。天を突く砲身が根元からねじ切れ、ゆっくりと傾いていく。
ズガァァァァァァンッ!!!!
遅れて届いた衝撃波が、俺たちの潜む木を激しく揺さぶった。凄まじい爆風が森を薙ぎ払い、枝葉をむしり取っていく。操車場は、巨大な火球に飲み込まれていた。
「……命中確認」
カテリーナがゴーグルを抑えながら、淡々と、しかし確信を持って告げた。
「目標『リンドヴルム』、沈黙。……いえ、大破です」
燃え上がる炎の中、かつて竜と呼ばれた鉄塊は、無惨な骸となって崩れ落ちていた。周囲の警備兵も、対空砲座も、すべて爆発に巻き込まれて消滅している。
「……デカい図体は、倒れる時もうるさいな」
俺はライフルを下ろし、熱い息を吐いた。耳鳴りが止まない。だが、仕事は終わった。
「ヴォルフガングは?」
「……合流地点へ移動中。無事です」
「よし。ずらかるぞ。敵の増援が来る」
俺は枝から飛び降りた。背後の空は、まるで夜明けのように赤く染まっていた。それは帝国の勝利の光ではない。ただの破壊の残り火だ。だが、少なくとも今夜、グラードの街に「重力崩壊」が降ることはないだろう。
俺たちは炎の熱を背中に感じながら、再び静寂の森へと姿を消した。




