第17話:静寂の森
針葉樹の密林は、墓場のように静まり返っていた。月明かりさえも鬱蒼とした枝葉に遮られ、地面には濃い闇が滞留している。黒き森。その名の通り、ここは光を拒絶する世界だ。
「……止まれ」
先頭を歩いていたヴォルフガング曹長が、音もなく拳を上げた。俺とカテリーナは即座に足を止め、その場に片膝をつく。周囲に敵影はない。ただ、冷たい風が木々を揺らしているだけだ。
「どうした?」
「……足元だ。見ろ」
曹長が指差した先には、何変哲もない落ち葉の積もった地面がある。だが、彼がナイフの先で慎重に落ち葉を払うと、そこから極細のワイヤーが露わになった。ワイヤーは木の根元へと伸び、苔に偽装された円筒形の物体に繋がっている。
「跳躍式対人地雷。……踏むか、ワイヤーに触れれば、腰の高さまで飛び上がって鉄球を撒き散らす」
ヴォルフガングは無表情のまま、背嚢から工具を取り出した。その手つきは、外科医のように繊細で迷いがない。数秒後、カチリという微かな音と共に、地雷の信管が抜かれた。
「……よく気づいたな。魔力反応はなかったはずだ」
「土の色が違う。枯れ葉の湿り具合もな」
曹長は信管をポケットにねじ込み、立ち上がった。
「魔導探知だけに頼るな。奴らは魔力を使わない『原始的な罠』こそが、魔導師殺しになると知っている」
俺は舌を巻いた。この男、ただの爆弾魔ではない。俺が弾道を読むように、彼は「死の気配」を地形から読み取っている。
「……中尉」
背後でカテリーナが俺の袖を引いた。彼女は目元のゴーグルを下ろし、森の奥を凝視している。
「一時の方向。熱源反応、二。……人間一人と、四足歩行の獣が一匹」
「軍用犬か。厄介だな」
俺は眉をひそめた。犬の嗅覚は、いかなる隠蔽魔法よりも鋭い。風下から近づかれたら、こちらの臭いで一発でバレる。
「……距離は?」
「一五〇。こちらに向かってきています。回避は不可能です」
「やるしかないな」
俺は背中のライフルに手を伸ばしかけ、止めた。銃声は命取りだ。サイレンサー付きの魔導術式でも、着弾音までは消せない。
「俺がやる」
ヴォルフガングが背嚢の脇から、無骨な魔導クロスボウを取り出した。弦には魔力を帯びた黒いボルトがつがえられている。
「風読みを頼む、嬢ちゃん」
「……微風、左から右へ〇・八」
カテリーナの囁きに、巨漢の曹長が彫像のように静止する。闇の向こうから、落ち葉を踏む足音と、獣の荒い呼吸音が近づいてくる。ドーベルマンに似た魔導強化犬と、リードを持った敵兵のシルエットが浮かび上がった。
犬が鼻を鳴らし、こちらの気配に気づいて唸り声を上げようとした、その瞬間。
ヒュッ。
空気を裂く鋭い音。放たれたボルトは、犬の開いた口から脳天へと突き刺さった。キャン、という悲鳴すら上げさせない即死だ。
「なっ……!?」
リードを引かれた敵兵が驚愕し、銃を構えようとする。だが、遅い。俺はすでに間合いを詰めていた。泥の上を滑るように接近し、敵兵の口を背後から手で塞ぐ。同時に、右手の塹壕ナイフを首筋の隙間――頚動脈へと突き立てた。
ジュルリ、と熱い飛沫が手袋にかかる。敵兵は数回痙攣し、やがて重たい肉の塊となって崩れ落ちた。
「……クリアだ」
俺は死体を物陰に引きずり込みながら、荒い息を整えた。心臓が早鐘を打っている。狙撃とは違う、生々しい肉体の感触が手に残っている。
「見事な手際だ。……中尉、あれを見ろ」
ヴォルフガングがクロスボウを下ろし、木々の切れ間を指差した。俺たちは森の縁にたどり着いていた。視界が開け、眼下に巨大な操車場跡地が広がる。
そこに、それはいた。
「……でかいな」
全長五〇メートル。重厚な装甲に覆われた車体と、天を突くようにそびえ立つ八〇〇ミリの巨砲。魔導列車砲『リンドヴルム』。周囲には無数のサーチライトが交錯し、紫色の防御結界がドーム状に展開されている。
「あんなものを、たった三人で壊すのか」
俺が呟くと、ヴォルフガングはニヤリと火傷の引きつった唇を歪めた。
「ああ。最高に骨が折れる仕事だ」
俺たちは闇に紛れ、鉄の竜が眠る死地へと足を踏み入れた。




