第16話:重力崩壊
その朝、要塞都市グラードの上空は、皮肉なほどに晴れ渡っていた。
瓦礫の撤去作業が進む大通りで、俺は配給の泥水のようなコーヒーを啜っていた。カテリーナは隣で、観測機材のレンズを磨いている。つかの間の休息。遠くで響いていた砲声も、今朝は妙に静かだった。
「……静かすぎるな」
俺がカップを置いた、その時だった。
音はなかった。予兆も、魔力感知による警告さえも、間に合わなかった。
突如として、三ブロック先の市街地が「凹んだ」。
爆発ではない。地面が陥没し、石造りの建物が飴細工のように内側へ向かってひしゃげたのだ。数秒遅れて、鼓膜を引き裂くような轟音と、猛烈な突風が襲ってきた。
「うわぁぁぁッ!?」「な、なんだ!?空爆か!?」
兵士たちがパニックに陥り、逃げ惑う。俺はカテリーナを庇って瓦礫の陰に伏せた。舞い上がった粉塵が視界を奪う中、俺は見た。直径五〇メートルに及ぶ巨大なクレーター。その中心で、空間そのものが黒く歪んでいるのを。
「……空間湾曲?まさか、重力崩壊か」
カテリーナが青ざめた顔で計器を覗き込む。
「高密度の重力干渉を確認。……物理的な着弾痕はありません。純粋な魔力による圧壊です」
「距離は!」
「……計算不能。市内からの発射ではありません。推定距離、四〇キロメートル以遠」
俺は背筋が凍るのを感じた。四〇キロ。地平線の彼方だ。そんな距離から、防壁も地下シェルターも無視して、都市をピンポイントで押し潰したというのか。
「……魔導列車砲だ」
俺は敵軍の機密情報にあった、ある兵器の名前を思い出した。口径八〇〇ミリ。都市一つを更地にするための、悪夢のような戦略兵器。あんなものが実戦投入されたとなれば、この都市は一週間ともたない。
その日の午後、俺は司令部に呼び出された。
「――状況は理解しているな、ベルツ中尉」
薄暗い作戦室で、連隊長が沈痛な面持ちで地図を指差した。都市の北東、深い森林地帯の中にある、かつての林業用鉄道路線。
「敵の列車砲はここだ。周囲には強力な対空結界が張られており、我が軍の航空隊は接近すらできん」
「……それで、俺たちに歩いて行けと?」
「そうだ。少数精鋭で森を抜け、敵の懐に飛び込み、あの化け物を破壊する」
連隊長は言い、部屋の隅に立っていた大男を手招きした。
「紹介しよう。工兵隊のヴォルフガング曹長だ」
ヌッと前に出てきたのは、岩のような巨漢だった。顔の右半分が酷い火傷の痕で引きつっており、隻眼だ。背中には、歩兵三人分はあろうかという巨大な背嚢――中身は爆薬だろう――を軽々と背負っている。
「……ヴォルフガングだ。地雷処理と発破を担当する」
男は低い、地底から響くような声で言った。愛想のかけらもない。だが、その残った左目には、職人特有の静かな光が宿っていた。
「……爆破のプロか。心強いな」
俺が手を差し出すと、ヴォルフガングは万力のような力で握り返してきた。
「アンタが『死神』か。……いい目をしている。死に急ぐ奴の目ではない」
「褒め言葉として受け取っておく」
俺は手を離し、地図を見下ろした。敵地までおよそ三〇キロ。黒き森と呼ばれる、針葉樹の樹海だ。そこは今、敵の哨戒部隊と地雷原がひしめく死の庭となっている。
「作戦開始は日没後。……行くぞ、カテリーナ、曹長」
俺は帽子を被り直した。相手は全長五〇メートルの鋼鉄の竜。蟻が象を殺すための、長い旅が始まる。




