第15話:名もなき狩人の最期
崩れかけた階段を上るたび、ジャリジャリと砂礫が軍靴の底で鳴いた。旧商工会議所ビルの三階は、爆風で内側から吹き飛んでいた。粉塵がまだ舞っており、コンクリートの粉の臭いと、独特の鉄錆びのような血の臭いが混ざり合っている。
「……ここだ」
俺は大きく抉られた柱の裏へと回り込んだ。そこに、あの「幻影使い」がいた。
壁ごと貫かれた体は、右半身がごっそりと消失していた。即死だっただろう。瓦礫に埋もれるようにして絶命していたのは、俺が予想していたようなエリート将校でも、冷酷な暗殺者でもなかった。
白髪交じりの、くたびれた初老の男だった。階級章は曹長。軍服はつぎはぎだらけで、どこにでもいるような、地味な古参兵にしか見えない。
「……こんな老人が、あれだけの魔術を?」
俺が眉をひそめると、カテリーナが死体の傍らに転がっていた銃を拾い上げた。
「中尉、これを見てください」
彼女が示したのは、男が使っていた魔導ライフルだ。正規の支給品ではない。配管やジャンクパーツを強引に溶接し、魔力回路を改造した、醜悪なフランケンシュタインのような銃だった。
「……過剰駆動用の違法改造回路です。術者の生命力を魔力に変換して、強制的に出力を上げていた形跡があります」
「なるほどな」
俺は男の痩せこけた顔を見下ろした。頬がこけ、目の周りが黒ずんでいたのは、戦争の心労だけが原因ではなかったのだろう。自分の命を燃料にして、あの氷鏡を展開し続けていたのだ。
「……何が彼をそこまでさせたのでしょう」
カテリーナが呟く。男の胸ポケットから、血に濡れた小さな写真入れがこぼれ落ちていた。開かれた中には、笑顔の少女と、慎ましやかな家族の集合写真が見える。国に残した孫か、あるいは娘か。この写真を守るために、彼は自分の寿命を切り売りして戦っていたのかもしれない。
俺は無言でしゃがみ込み、写真入れを拾い上げた。そして、パタンと閉じて、無造作に放り投げた。
「興味がない」
写真入れは瓦礫の隙間に滑り落ち、二度と見えなくなった。
「死んだ奴の事情なんぞ知ったことか。こいつは俺を殺そうとした。俺はこいつを殺した。それだけの話だ」
俺は男のライフルから、無事だったスコープだけを取り外した。高純度結晶レンズを使用した、極めて精度の高い特注品だ。これだけの品、正規ルートでは手に入らない。
「……いいレンズだ。俺の銃に合う」
俺は懐から工具を取り出し、歪んで使い物にならなくなった自分の銃からスコープを外し、代わりにこの「戦利品」を装着し始めた。カチリ、と留め具が噛み合う音が、静かな廃墟に響く。
「中尉、それは……」
「使えるものは使う。こいつも、瓦礫の下で腐らせるよりはマシだろう」
調整を終え、俺は試しに覗き込んだ。視界はクリアだ。皮肉なことに、支給品のスコープよりも遥かによく見える。俺は満足げに頷き、銃を背負った。
「行くぞ、カテリーナ。ここではもう、用は済んだ」
「……了解です」
カテリーナは一瞬だけ、名もなき老兵の遺体に視線を向けたが、すぐに踵を返して俺の背中を追った。
外に出ると、雪は止んでいた。しかし、遠くからは変わらず砲声が響いている。俺は新しい「目」を手に入れ、また次の戦場へと歩き出した。名前も知らない誰かを、殺すために。




