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失敗作

作者: 大森ギンガ

鏡を見ないようにして生きてきた。

 だが、窓ガラスに反射した自分の姿は、嫌でも目に映り込んでくる。

薄暗い部屋の隅、猫背でスマートフォンを握りしめている姿。目の下の濁った影。呼吸の浅さ。そこに映るのは、誰よりも自分が軽蔑している「自分」そのものだった。


 なぜ、まだ生きているのだろう。

 死ぬ勇気がないからだ。それだけだ。崇高な理由も、宗教的な救いもない。自分が卑怯者だから生き延びてしまっている。



 昼間、会社の休憩室で、同僚が楽しそうに週末の予定を語っていた。旅行だとか、恋人だとか。笑い声に混じろうとして、間違ったタイミングで相槌を打ってしまった。小さな違和感。すぐに会話の輪は閉じ、私は取り残された。あの沈黙は、軽い火傷のように記憶に跡が残っている。


 家に帰ると、私はソファに腰をかけ、じっと手を見つめる。

 この指で、いったい何を掴んできた?

キーボードを叩くだけの、安っぽい労働。ろくに誰かを抱きしめたこともない軟弱な腕。この手は誰からも必要とされていない。


 机の引き出しには、中学時代の日記が残っている。

 読み返すたびに、吐き気がする。

「将来は小説家になりたい」

「誰かに必要とされる人間になりたい」

 笑止千万だ。何も叶わなかった。むしろ、その夢を語ったこと自体が、今の私をさらに惨めにする。


 スマートフォンを開けば、SNSには同級生たちの眩しい生活が流れている。結婚、出産、旅行、昇進。どれも私の人生には縁がない。いいねを押すこともできず、ただ画面をスクロールする。指先に残るのは、嫉妬と嫌悪だけだ。


 風呂場の鏡に、全裸の自分を映したとき思った。

 これは人間ではない。皮膚の下に隠れているのは、意思を持たぬ動物だ。食べて、眠って、排泄して、それだけ。心は空洞で、理想を叫ぶ声も消え失せた。

 こんなものが社会に混ざって、今日も生きているなんて。


 何度も机の上にカッターを置いた。

 だが、刃を当てるたびに、明日の仕事のことを考えてしまう。臆病だ。救いようもない。死に切れない。

 結局私は、死ぬことすら選べない。生きるのも下手なら、死ぬのも下手だ。


 カーテンを閉め切った部屋で、私は小さく笑った。

 自分があまりにも惨めで、哀れで、醜いから。

 笑うしかない。笑いながら、心の中で何度も叫ぶ。


 私は、人間の失敗作だ。


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