人生で初めて興味を持ったこと
政府による重大発表
木暦2550年4月4日、私はいつものように大学で講義を受けていた。雪解けも進み春の日差しも暖かくなったせいか眠くて講義内容が頭に入らない。そうしているうちに午前中の講義が終わり、昼休みになって構内をぶらぶらしていると彼女とすれ違った。
「おう、美香。お前はいつも元気そうだな」
「あっ、利弥くんこそ元気なの?その様子じゃ今日も講義寝てたでしょ。」
「うるさいな、勉強に興味が無いからねしゃなくない?」
「逆に利弥って興味あることあるの?」
「うーん今は特に大学卒業して普通に就職できればいいかなって感じだな。」
「えーそれじゃ毎日つまんなくない?そういえば今日午後3時から大統領が重大発表があるって聞いた?私、結構気になっているんだよね」
「重大なんて発表なんてどうせ俺たち一般国民には関係ないしな...」
「もう~どうせ午後は昼寝しかしないんでしょ、重大発表なんてめったに聞けないんだから一緒に聞こう?」
「えーダルいな。まぁでも一応聞くか。」
私はこうして、彼女と一緒にテレビで国家の重大発表を聞くことにした。
久しぶりにテレビ電源を付けたので、どのテレビ局がどのチャンネルで放送しているのか少し迷ったが、無事に重大発表がおこなわれる。KJK(木恩情報局)のチャンネルに変えた。
記者会見形式で発表を行うのかと思っていたが、部屋に記者は見当たらず演台が置かれているだけであった。10分くらい経つと償田大統領は登壇し、こう語った。「国民の皆さんこんにちは。今年は木暦2550年の節目を迎え、今の民主主義体制となり50年が経った。この節目を迎えて重大発表を行いたい。今から発言する内容は50年間秘密を守り抜いたものであり、そして今後二度と我々は口にしてはいけないことである。」
「約100年前に神皇政権が打倒され、尊考政権が誕生した。その後、革命によって今に続く民主主義体制が築かれました。当時の国民は尊考政権及び尊考戦争についての歴史を消去したいと考えており、尊考の記憶を全て消すように政府に求めた。一方で政府は後世に同じ過ちを犯してほしくないという思いがあり、子供の教育課程に取り入れようとした。しかし、世論の⦅尊考の歴史は国家として忘れるべきことであり、教育課程に取り入れるということは、すなわち尊考の考えを後世に伝えているということになる。⦆という意見を覆すことは出来ずにいた。結局初代入百大統領は、尊考の歴史に関してこう発言した。⦅尊考に関する事項は全て国家機密にし今後国民は尊考に関する行為、発言等を禁ずる。違反したものは有無を言わせず極刑にする⦆という(切考法案)を成立させ、木恩共和国における唯一の死刑犯罪としたのである。尊考は...」すると突然、発言中に償田大統領は演説中にその場から警察に連行され中継は終わった。彼女は「なんか怖いね。関わりたくない。」と発言していたが、私はこの一連の出来事に衝撃を受けて、国家が本当に隠したい尊考歴史とはいったい何か探ってみたくなり、「僕は、生まれてから国家に秘密にされていたことがあったんだ。僕は何としてでもその秘密を知りたい。」
と言うと彼女はなにか不安そうな表情で「利弥が興味持つなんてめずらしいじゃん。でも、調べるのは程々にしたほうがいいと思うな~」と言った。
多分、彼女は私が尊考について調べるのは、極力やめてほしいと思っていた。尊考について調べてしまうとただでは済まないと彼女は考えていたからだと思う。
秘密を知る決意
私は、国家最大の秘密である「尊考」についての謎に迫るために大学で化学を学ぶ傍ら木恩の歴史について調べるようにした。4か月間講義後に毎日1時間程図書館で様々な歴史資料を読んでいた。歴史の教科書をはじめ、伝記、辞書などで調べたがどの書籍にも、木暦2450年以前の歴史は記載されている。しかし、2450~2500年までの尊考について関連していた思われる時代については記載されているものは皆無であり私は諦めかけていた。そんな時、海外に留学している霧浦 強さんから「久しぶりいまシベリゲムにいるんだけど、俺んところに遊びに来ないか?」と連絡がきた。突然の連絡に驚いた。しかし、私は夏休み予定もないのでこのまま尊考について調べてもなにも出てこないことから、私は遊びに行くことにした。「時間も持て余しているし遊びに行こうかな?」と返信すると霧浦が「いきたいところとかある?」と連絡が来て私はとっさに「ショウスに行きたい」と伝えた。そうすると霧浦は驚いたのか、「あそこの雰囲気は木恩とかわらないぜ?行って楽しめるかな?」と言われたので、私は「海外旅行に慣れていないから木恩と似た雰囲気の所に行きたいなー」と返信した。実をいうとショウスには木恩とゆかりのある人が多く住すんでいる情報をシベリゲムのパンフレットから仕入れていたので、尊考について手がかりが掴めるかも知らないと思っていた。しかし、償田大統領の4.4事件以降、木恩国内が不安定となり渡航が非常に難しくなっていた。大統領は文部大臣の符市 幸助になり、就任会見で「償田大統領の発言は国民を扇動する発言であり、非常に不適切であった。この罪は政府として非常に重く受け止めており、償田大統領を極刑とした。」と発言した。「国内が不安定でもしかしたら、いけないかも。」って霧浦に伝えると、「お前、飛行機のチケットも、まともに取れないのかよ!もういい、俺がチケット取るわ」と返信が来てチケットを手配してもらった。無事にチケットが取れて5日後に旅立つことにした。
私はシベリゲムに行くことを周囲の人たち伝えた。親や周囲の人達は、「こんなご時世で海外旅行だなんて羨ましい」とか「お土産期待しているよ」など返事をくれたが、彼女は心配そうに「利弥あなた本気で調べるつもりなの?私言ったよね、程々にしてって」私は誤解を解くために「いや、あくまで旅行だから尊考については何も調べないから安心して」と返事したら、彼女は「私すごく嫌な予感がするの。 だから利弥、気を付けてね」と言った。私は彼女の発言が気になった。しかし、彼女が私と離れるのが寂しいだけだと考えていた。そして8月9日。1週間のシベリゲム旅行に行く日が来た。木恩共和国の玄関口である大仁田空港には両親が送ってくれた。母親は私に「一人じゃないのはわかるけどやっぱり、ちょっと心配。」と言った。父親は「シベリゲムは木恩と外交関係は悪くないから大丈夫だよ。」と背中を押してくれた。一方で彼女も連絡をくれたが「やっぱり、旅行いかないでほしいな~寂しいのもあるけど一番は嫌な予感がどうしてもするんだよね。」と連絡が来た。なぜそこまで彼女はシベリゲムに行くことを止めようとするのか気になったが、私は「尊考について調べることは無いから大丈夫だよ」と返信した。
そして私は、飛行機に乗ってシベリゲム帝国に向かうのであった。
続く