3-1、
※なるべく縦書きでお読み下さい。
笙歌。――
実家は代々、神主である。
明治の神仏分離令以前は、神社でもあり寺でもあった。そういった家庭環境のせいで、笙歌は小学生時代から、漢文読解も古文読解も仕込まれた。
「別に、実家を継いでくれとは言わないが……」
両親にはずっと、そう言われつつ育ったが、やはり本音は笙歌に継いで貰いたいらしい。
「いや、分かんない」
幼い笙歌はぼかして返答するものの、当然ながら神主になることにほとんど興味がない。
まあそれでも元旦や節句には、巫女装束で神社グッズを販売する程度だが、手伝っている。笙歌が手伝うと、グッズの売上が跳ね上がる。
小学校四年生の時、源氏物語を原文で読んだ。
(何これ? 主語がよく判らないから読み辛いし、登場人物も多過ぎて、意味分かんないじゃん)
小説として駄作だ、と子供ながらに感じた。
主人公及び登場人物のキャラにも、全く共感出来ない。
読みながら、当時の風習を色々と調べる。
(まぢ!? この頃の女性って、風呂にも入らない汚らしい身体で、いろんな男と乱交ぉ? 信じらんない……)
嫌悪感まで加わり、半分ちょっと読んだところで放り投げた。
それよりも、三国志演義や水滸伝の方が面白かった。こちらも親の教育の一環として、漢籍をそのまま読まされたのだが。
こうして和漢の古典を原書で読み漁りつつ育った。そして高校時代、ヘンな男子三人に巡り合った。
一人は、西条倫輔という男である。
巨漢ゆえ、いつしか“ウドさあ”と呼ばれるようになった。
かなりキツい薩摩弁(?)で喋る。最初は倫輔の話が半分も聞き取れなかった。が、じきに慣れた。
日本史や国語の授業時間、彼は時折、先生に食って掛かることがある。
「先生、そこ間違うちょりもす」
「はあ?」
「西郷どんな、そげな事、言うちょりません」
ちょうど教科書の、
――児孫のために美田を買わず
という一節を、先生が解説していた時のことである。
「先生は今、『子孫に立派な田畑を残さない』っち解釈を説明された」
「ん!? ああ……」
「そイは間違うちょりもす。西郷どんな、昔ながらの儒教道徳をしっかイ学んだ人じゃ」
倫輔曰く、当時の人々は、先祖代々受け継いだ財産をきっちり子孫に引き継ぐ。全力で自らの役割を全うし、絶対に資産を減らさない。子孫の生計が立つよう、そのまま子に継承する。それこそを最大の責務と考えていた。
まさにそれが、当時の人々の真っ当な倫理観である。資産を継承しないという選択はあり得ない。
「まず、そイが前提じゃっとです」
「はあ」
「じゃっどん、いかに自身が栄達しっせ金を持ったとしても、そイで美田を買うて、子孫に多くを与えようとするな……っち西郷どんは戒めちょるとです。『残すな』ではなく『新たに買い増してから継承すンな』と」
「ふむ」
「こイは、実は戦後教育による“社会思想の歪曲”じゃ。オイどん達生徒はもとより、誰よりも学校の先生方が真っ先に知っちょかにゃいかんとです」
インチキ能力主義に基づく職業選択の自由を肯定しつつ、遺産の分割相続を促進して日本古来の“家”概念を破壊。市民生活を先細りに至らしめる。つまり日本古来の社会思想の捻じ曲げ。戦後社会を肯定するための、いわゆるプロパガンダだ。――
倫輔はそう、熱弁する。
「先生方は、単に間違った解釈を教えちょっとじゃなか。いまだにGHQの片棒を担いで、日本を破壊し続けちょる」
ギョロ目で凄むと、先生のみならずクラスメイト全員が静まり返った。
いや、ひとり例外がいた。和漢の歴史や英雄譚を読み漁った笙歌だけは、
(なにコイツ!? すっごく面白い。つか、ちょっとカッコいいじゃん)
と感じた。
面白い、といえば、玉澄金作と金井彰善もそうである。
倫輔を含めた三人は、とかく飛び抜けて個性的だった。今や絶滅寸前の、“腹に一物ある男子”とでも言うべきだろうか。
まあ、彰善は比較的解り易い。長身のイケメンで、普段は大人しい。
だが、ひとたび口を開くと速射砲の如き勢いで、相手の論理的矛盾をつつき破壊の限りを尽くす。物理や地学の先生が、何度も授業を粉砕された。数学を教えていながらその意味するものをよく理解していない、緩い数学教師達も、木っ端微塵にやり込められた。
彼の、舌鋒鋭く理路整然と口撃する有様を、男子の誰かが、
――ガトリング速射砲
と表現し、いつしか彰善は“ガトリング”と呼ばれるようになった。彼は特に、PCのプログラミングに明るく、色々とソフトウェアを作成しては大手企業に売り込んで、小遣いを稼いでいるらしい。
そういった解り易い天才とは対象的に、よく解らないのが玉澄金作である。
顔もそうだが、日頃の言動が茫漠としている。一見バカばかりやっているように見えるが、同時に全て計算づくで動いているようにも取れる。
(よくわかんない男だよなあ)
笙歌は首を捻る。
まあしかし、ひとつハッキリしているのは、ハラの中に確固たる行動基準があり、こいつは悪だと思えば徹底して叩くのである。単なるおちゃらけ軽薄男ではなく、意外な正義漢ぶりを発揮する事がある。笙歌は金作を、そのように分析した。
例えばクラスメイトの一人の話。他校生の集団にインネンを付けられ、脅されていた。
それに気付いた金作は、中学時代の子分連中と共に他校へとノリノリで乗り込み、連中を壊滅状態に追い込んだことがある。
特に腕っぷしが強いわけでもなく、日頃好戦的な性格というわけでもないが、必要とあらば荒事もこなすらしい。
噂を聞いた笙歌は本人をとっ捕まえて、つぶさに顛末を聞いた。その手口がこれまた巧妙で、密かに舌を巻いたものである。