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想像以上にめろめろだった

作者: 林檎

 


 ある小国に、美貌の姫がいた。

 しかし彼女は幼い頃から有名なお転婆として名を轟かせており、国内のめぼしい地位の男性達は勿論、近隣諸国の貴族の男性達からも結婚を躊躇われる有様。

 結婚適齢期のお姫様。国王である兄は妹の輿入れ先に日々頭を悩ませていた。

 平和な国なのである。


 そんな平和な国のお姫様にある日、東の大国の国王様から結婚の申し込みがあった。


「と、いうわけなんだよリリアーナ」


 穏やかな容貌と性格の兄、ゴードン陛下から打診された話に、暴れん坊で名を馳せる美姫、リリアーナは高らかに拳を握った。


「皆まで仰らなくても結構ですわ、お任せくださいな兄様! いえ、国王陛下! 男の一人や二人、めっろめろに惚れさせてこそ女の本懐というもの! この結婚、かならず我が国に優位な条件を取り付けてみせますわ!!」


 蜂蜜色の長い髪に、空色の瞳。リリアーナ姫は噂に違わぬ美貌の持ち主だったが、もう一つの噂であるお転婆、という点は少々噂の方が慎ましかったようだ。


「大船に乗った気でいらして、兄様! とびきり大きなお舟ですわよ!」


 ゴードンは慣れた様子で妹を窘める。


「うん、だからな、ちゃんと話を聞きなさい」

「このリリアーナ、姫に生まれたからには政略結婚なんて朝飯前でしてよ!」

「聞いて、お願いだから」


 城の奥まった位置にある王族だけが使うことの出来る居間には、古いが品のいい家具が揃っている。

 一人掛けのソファに深く座ったゴードンは、リリアーナが元気いっぱいに口上を述べる様を見遣りながら根気よく話しかけた。


「んもぅ、兄様ったらノリが悪いですわよ! なんですの、お腹でも減ってまして?」

「僕は小さな子供かい? お前こそ坊やのように聞き分けなく興奮していないで、きちんと話を聞いておくれよ」

「やんわり煽ってきますわね」


 この妹にしてこの兄あり。お喋りも上手でなければ小国といえども一国の王は務まらないのだ。

 兄の口に突っ込もうとしていたスコーンを引っ込めて、リリアーナはたっぷりとジャムとクリームを乗せると自分で頬張った。美味い。


「いやだ、料理長だったらまた腕を上げたんじゃない? 彼の才能は天井知らずね!」

「料理長に伝えておきます」


 スコーンを綺麗に咀嚼してからリリアーナは目を輝かせて、料理長を讃えた。傍らでお茶を注いでいたメイドがにこにこと請け負う。


「さてそろそろ話を戻しますわね、兄様」

「スコーンに負けて忘れられていなくて、よかったよ」


 ゴードンはそう言って、手元の書状をもう一度広げた。リリアーナの口上が長かったので、一旦畳んでおいたのだ。


「東の大国の国王、ロラン陛下がお前との結婚を申し込んできた」

「ですから!」

「聞け」

「ハイ」


 元々座っていたが、リリアーナは心もシャンと着席する。怖い。


「あちらからの求婚なので、条件は我が国にとってとても優位なものにしてくださっている。うちはまぁ……平和で穏やかなだけがウリなので、もし属国にすると言われたところで抗う術もないんだけどね」

「……話が上手すぎません? 怪しい……」


 兄から渡された書状を矯めつ眇めつ、リリアーナは形のいい眉を顰めた。こうしているといかにも憂い顔の似合う、美しい姫だ。黙っていれば。


「さては、あれかしら。のっぴきならない事情の愛人がいるけど彼女と婚姻することは叶わず、どうしても地位のある女と結婚しなくちゃいけないから、毒にも薬にもならない美しさと元気だけが取り柄の私と結婚しようという目論見でしょうか?」


 名推理! と言わんばかりのリリアーナの真剣な表情を見て、ゴードンは静かにお茶を啜る。


「うんうん、自分の美点が分かってて賢いねリリアーナ。今年で三歳になったんだっけ?」

「私、喧嘩は倍額でもお買いいたしましてよ?」


 ファイティングポーズを取るリリアーナだが、メイドが新しいお菓子をテーブルに置いてくれたので拳はすぐに開いてそのクッキーを両手に持った。二刀流である。

 ゴードンは柔らかな溜息をついて、クッキーの粉まみれになる前にロラン王からの書状を取り返す。


「ロラン様は、お前のそういうところを見初めたので身ひとつで嫁いで欲しい、との仰せだ。持参金もいらないし、我が国を乗っ取ろうという思惑も書状からは読み取れない」

「美しくて元気な私ったら、既に相手の王をめろめろにしてしまっておりましたわ」

「うんうん、美しいって罪だね、リリアーナ」

「……ツッコんでくださらないと、妹は寂しゅうございます」


 さすがのリリアーナもしょんぼりと項垂れたが、妹が大人しくなったのを幸いとゴードンは話を纏め始めた。


「では、お前のことが好きで好きでたまらなくてめろめろになっているロラン王に嫁ぐということで、異論ないね?」

「選択権あります?」


 一応リリアーナが訊ねると、ゴードンは笑みを深くする。


「ないよ。これ以上いい条件の結婚は、お前が三回生まれ変わってもないからね」

「四回ループしてやろうじゃありませんの」

「今世はとりあえずロラン様で手を打ちなさい」


 ゴードンはそう宣言すると、リリアーナの目の前で結婚の了承の書状に王印を押した。

 ちょっぴりクッキーのカスが付いてしまったが、めろめろに愛するリリアーナの為にロラン王は許してくれるだろう。



 そして半年後。

 王族の結婚としては異例の速さで、リリアーナ姫は東の大国へと嫁いだ。

 唯一の血縁である兄のゴードンは王なので、遠く離れた東の国で催された結婚式には参加出来ない。だが代わりにリリアーナが赤ん坊の頃から国に仕えていたおじいちゃん大臣達が数名出席し、皆一様に暴れん坊姫の輿入れに安堵し涙していた。失礼な話である。

 花嫁に用意された豪奢なドレスに豪奢なアクセサリー。生まれ育った小国ではお目にかかれない贅沢に、リリアーナが目を輝かせたのは短い時間だった。

 身支度には早朝から昼までかかり、式は夕方までかかり、晩餐会は夜中過ぎまで続いた。よくぞ一日に詰め込んだものだ、という忙しい一日だった。


「なんかあったわよね……ひとつの競技なのにたくさん走ったり泳いだりする……あれみたい」


 ようやく風呂を終えて寝室に辿り着いたリリアーナは、唇を尖らせてブツブツと言った。

 小国から付いてきてくれたお世話係のメイドは、にこにこと微笑みながらリリアーナの蜂蜜色の髪を梳る。


「お疲れでお口も頭も回らなくなっておられますわ……姫様、おいたわしい……」

「私最近、喧嘩は言い値で買うことにしてましてよ?」

「まぁ姫様、そんな暇ございませんわ。これからメインイベントが控えております」

「なぁに? この国は、深夜に神様にお祈りする儀式でもあるの?」


 髪を梳かれるままにソファに伸びていたリリアーナは、メイドの言葉にうんざりとした。もう寝たい。一秒でも早くベッドと仲良くしたい。


「なに惚けたこと仰ってるんですか。結婚初夜ですよ、初夜!」

「ひぇ」


 しかし、メイドの言葉に空色の瞳がぱっちりと冴えた。


「……まさか、忘れてらっしゃいました?」

「そ、そんなわけないでしょ! 私を誰だと思っているの? 会ったこともないのに大国の王すらめろめろにしちゃった、傾国の美姫よ!」

「自分で言っちゃうんですね……」


 絶対忘れていたに違いないというメイドの視線が痛く、誤魔化す為にリリアーナの弁舌は滑らかになる。


「私ぐらいになると、初夜なんて百戦錬磨なんだからっ!」

「初夜は一回ですよ姫様」

「ああん、どうしてこうも皆可愛くない……! 私が可愛いからバランス取れてるのかしら!」

「そういうトコでございますわ、姫様」


 メイドは櫛を片付けると、丁寧に暇を告げて部屋を出て行った。だだっ広い寝室に一人残されたリリアーナは、お喋りする相手がいなくなってしまったので、流石に黙る。

 昨日まで滞在していた貴賓室よりも更に広く、さっきまで早く潜り込みたくてしょうがなかった筈のベッドもかなり大きい。

 一家全員で寝ることを想定しているのだろうか? リリアーナには兄しか家族はいないのだが。

 いや、今日からもう一人増えたのだった。

 ちょうどその時、ノックの音がする。


「……どうぞ」


 こんな時間にこの部屋にやってくるのは暗殺者じゃなければ、あとはもう件の新入りの家族しかいない。


「遅くなってすまない」

「…………イエ」


 案の定やって来たのは、東の大国の王。今日からリリアーナの新しい家族、夫であるロランだった。初夜という単語を思い出してリリアーナは口も体も固くなる。


「姫にはせっかく我が国に来てもらったのに、今日まであまり顔を合わせる時間が取れず申し訳なかった」


 ごく自然に寝室に入ってきたロランは、テーブルの上のグラスに果実酒を注いでリリアーナの前に置いた。自分の分は色の濃いブランデーだ。

 リリアーナの座る二人掛けのソファではなく、向かいの一人掛けのものにロランは座る。


「いえ……陛下はお忙しいとお聞きしていましたし、私のほうも式の支度でバタバタしておりましたので……」


 借りてきた猫のようにギクシャクと話すリリアーナの姿を見たら、兄王を始めおじいちゃん大臣やメイド達皆が驚くだろう。


「ああ……俺が式を急いだ所為で姫には苦労をかけた。だがそれも今日でひと段落した、これからは共に過ごす時間が取れる」


 ロランが愛想のようにほんの少し微笑むと、リリアーナもギクシャクと頷いてみせた。頬が引きつって、まだ微笑むことが出来ない。

 なにせこのロラン王。

 ものすごく顔がいいのだ。美形の極致なのだ。

 自分の容姿に絶対の自信があったリリアーナですら、ロランを初対面で一目見た瞬間負けを悟った程だ。不戦敗である。何の勝負か。

 月の光のような長い銀の髪と、薄青い瞳。玲瓏たる美貌とはこのことか、と瞬時に納得出来るほどの説得力を持つ整った顔面だ。

 そんな驚天動地の美貌の男に紳士的かつ優しく振る舞われて、いつものように大暴れするにはリリアーナはまだまだ初心だった。


 しかし、これでリリアーナは確信した。


 これほど美しく大国の王である男が、ちょっと見目が良く元気なだけが取り柄の小国の姫をわざわざ娶ろうなどと、何か裏があるに違いない。

 リリアーナとロランの結婚は小国にとってはとてもいい条件だったが、東の大国には何も旨味がないのだ。求婚の書状の通り、リリアーナは自国から何も利のあるものを持参していない。

 それこそ身ひとつ、のようなものだった。勿論身の回りの物などは持ってきたが、この国に来てからこちら衣食住の全てが最高の状態で止めどなくリリアーナに提供されている。

 怪しい。怪しすぎる。

 いくらなんでも、上手い話には裏があると相場が決まっているのである。


「滞在に不自由はないか? 全てあなたの望みに沿うようにと命じてあるが」

「ええ、とても快適に過ごしておりますわ」


 リリアーナは頬に手を当てて、なんとかにっこりと微笑んだ。すると、ロランが動きを止める。

 これである。リリアーナがこの国に来てからというもの、顔を合わせても彼はひどく不愛想だった。

 口調は丁寧だし、リリアーナに接する仕草も紳士的で優しい。しかし表情はほぼ動くことはなく淡々としている。これがめろめろの相手に向ける顔だろうか。

 微笑んでも先程のように愛想のようにほんの少しで、なまじ顔が整っているので冷たい印象を受けて、突き放された気持ちになってしまう。

 これでリリアーナにめろめろだなんて説得力がない。信じられる筈がなかった。


「……他に要望があれば言ってくれ。どんなことでもあなたの希望に沿うと約束する」

「どんなことでも?」

「ああ。勿論、国に関わるようなことは、その次第ではないが」


 小国で慎ましくも何不満なく育ったリリアーナである、大国が傾くような願いなど抱く筈もない。今でも随分贅沢をさせてもらっている、と感じているぐらいだ。

 しかし贅沢の他に、リリアーナには望みがあった。


「では、陛下。私達はつい最近初めて会ったばかりで、お互いのことをなにも知りませんよね」

「…………」

「陛下? おねむですか?」

「……いや、聞いている」


 愛想がないのならば、こういう時も無表情でいて欲しいのだが、何故かロランは険しい表情を浮かべた。それでも話を始めてしまった以上、リリアーナは続けなくてはならない。


「はい……ええと、ですから、お互いのことをしっかりと知り合ってから夫婦になっていきたいと考えているのですが……いかがでしょう?」


 王族同士の婚姻なのだから、今更夫婦になるのに知り合ってからも何もないだろう。

 しかしリリアーナはロランが何を企んでいるのか知りたかった。


「……互いのことを知り合うのは賛成だ」

「よかった! では、お互いを知る為の時間をなるべく多く取っていただけますか……?」


 多忙な王にこの要求は、どう反応されるだろうか?

 リリア―ナがどきどきしながら口にすると、ロランはあっさりと頷いた。


「わかった。明日から食事は三食共にしよう。他の時間もなるべくあなたと過ごせるように手配する」

「ありがとうございます」


 あっさりと要求が通ったことにリリアーナは拍子抜けしつつ礼を言った。

 リリアーナの作戦はこうだ。

 まずロランと共に過ごす時間をなるべく多く設け、彼の真意を探る。

 そしてロランの真意が明らかになった暁には、それがリリア―ナに叶えられる範囲のものであれば協力するのは吝かではない。だがもしリリアーナ自身や故国に対して被害の出るものであったならば、暴露すると脅して目論見を壊すつもりだった。

 真意を隠してまで小国の姫を娶ったのだから、どんな理由であれ暴露だけはされたくはない筈。それを逆手に取るのだ。

 まさか「私にめろめろになったから結婚したい、なんて嘘ですよね?」とはストレートに聞けないので、こんな風に回り道をすることになってしまった。


「では、きちんと夫婦になるまで、寝室は別にしましょう!」

「…………姫がそう望んでいるのなら、従おう」

「はい! 私、早く陛下のお心に沿えるように頑張りますね!」


 寝室を分けて白い結婚を証明するのは、ただの保険のようなものだ。

 あれだけ盛大な式をしてしまったし、まして二人の婚姻は国同士の結びつきを強めることも含まれている。リリアーナにめろめろじゃなかったので離婚します、だなんて市井の小娘のようなことが言えないのだ。

 だがめろめろでないのならば、リリアーナとて正しく政略結婚の間柄でいたい。好かれてもいないのに、めろめろのフリをして愛など囁かれたくないのだ。

 そこは、まだまだ初心なリリアーナ。乙女心というやつである。

 めろめろなどという建前を取っ払って、「正しく政略結婚」の形になればこちらも一国の姫。観念して初夜をやってやろうではないか、と考えているのだった。


「では、私は今朝まで使っていた貴賓室に戻ります。今日一日お疲れさまでした、陛下」


 話が纏まったところで、急にきびきびと動き出したリリアーナはいかにも業務的な挨拶をして寝室を出ようとした。

 が、扉のノブに手を掛けたところで、背後から近づいてきたロランにドン、と扉を拳で叩かれる。

 背後からの壁ドン状態に、リリアーナは一瞬「暗殺者のかた?」と怯えたものの、振り向くと相手は当然のことながらロランだった。


「そうよね、ここで暗殺するなら陛下のほうが最適……」

「なにか不穏なことが聞こえたが」

「いいえ、戯言ですわ。捨ておきくださいませ」


 リリアーナはついいつもの調子で呟いてしまったが、相手が相手だけに洒落にならない。

 ロランに向けて、無理矢理とびきりの笑顔を浮かべて誤魔化そうと試みる。


「……ッ」

「陛下、やはりおねむなのでは? 私はすぐに退室いたしますので、どうぞゆっくりお休みになってくださいませ」


 ロランの真意はどうあれ、王様稼業なんてものは健康第一。故国の兄もあれで健康とお肌の調子に大層気を遣っていたものだ。何故お肌。

 リリアーナにとっては限りなく黒に近いグレーの存在だが、東の大国にとってはロランは紛れもなく大切な国王。結婚式後の花嫁である自分との長話の所為で睡眠不足だなんて、贅沢三昧させてもらっている身で申し訳ない。

 一刻も早く部屋を出てロランを休ませようとリリアーナが無駄に意気込んでいると、当の彼がぽつりと呟いた。


「姫……あなたの要求はよく理解した」

「ありがとうございます」

「ついては一つ。俺の要求も叶えてはくれないだろうか」


 さっそくのチャンス到来である。

 やはり寝室を別にすることで、形式上の仲睦まじい夫婦を装うというアテが外れロランは焦っているのだ、とリリアーナは判断する。

 ここですぐに真意を告げてくれれば、悪いようにはしない。

 ちょっとばかし更に小国に有利な文言を書いてもらえれば、そして王印を押してくれるのならば、リリアーナとて鬼ではないのだ、ロランの望み通り大人しく「いい奥さん」を演じてあげないこともない。

 めろめろなどと偽って乙女心を踏みにじった罪、ここで清算してもらう!

 空色の瞳にいつの間にか怨念を滾らせて、リリアーナは背の高いロランを仰ぎ見た。

 と、


「……就寝の挨拶の為に、口づけをしてもいいだろうか?」


 斜め上の要求が来たので、リリアーナは目を丸くした。


「何故です?」

「………………」

「沈黙が長いですわ。十数える間にお答えいただけない場合は却下でよろしくて? じゅうきゅうはちなな」


 疲れた頭に処理を越えた要求をされて、リリアーナはつい兄や故国の者と話しているかのような論調で喋ってしまう。ロランの体が近く、何やらいい香りがするのも混乱に拍車を掛けた。


「カウントが早いな」

「ろくごよんさん」


 ロランが眉を寄せたので、心持ちカウントのスピードを上げた。不正である。しかし彼はそのままにはしてくれない。

 先程の沈黙が嘘のように、またしてもあっさりと答えが齎された。


「おやすみのキス、に憧れているからだ」

「にー…………ええ?」

「俺にはもう肉親はいない。幼い頃に母と交わしたのが最後に、おやすみのキスの習慣は途絶えている」

「……陛下がお望みになれば、どんな美姫でも喜んで唇を差し出すことでしょうに」

「では、本日妻になった美姫も?」

「あー……これは一本取られましたわ……不覚」


 リリアーナはもうどうとでもなれとばかりに、何重にも被っていた猫を剥がした。

 ヤレヤレと溜息をついて顔を上げると、驚くほど近くにロランの顔がある。彼の薄青い瞳は瞬きもせずに真っ直ぐにこちらを見つめていた。

 リリアーナは、内心で彼を罵る。

 嘘つき。めろめろだって聞いたから、家からも家族からも離れてこんな遠くまで来たのに。


「……でも妻ですもの。お安い御用でしてよ」


 そう言ってリリアーナは背伸びをして、ロランの頬に音をたててキスをした。



 さて。

 さて、それからのことである。

 結局豪華な寝室は、遠い小国からやってきた美しくお転婆なお姫様の部屋となった。

 国王は宣言通り三食毎回花嫁の部屋へと通って共にテーブルを囲み、許す限りの時間を姫と過ごすことに費やしている。


「姫、こちらの花はあなたの国から苗をもらったものだ」

「まぁ! 我が国の庭園によく咲いていたものです。ここに来てそんなに時が経ったわけでもないのに、とても懐かしくて……嬉しいです」


 連れ立って王城の庭園を歩いている際にロランが指し示したのは、リリアーナにとって懐かしい故郷の花だった。


「あなたが喜んでくれてよかった」

「ありがとうございます、陛下。故国の春は、それはそれは見事な華景色ですのよ」

「そうか。では今度は春にあなたの国を訪問しよう」

「ぜひ! きっと兄も喜びますわ」


 時が経つにつれてリリアーナはおかしいな、と思い始めている。

 ロランに目論見があってリリアーナを娶ってのならばそろそろ動きがあっていい筈だ。なのに彼ときたらのんびりと一緒に食事を摂り、図書室で共に本を読み、こうして庭園を共に散歩している。

 今時成人していない幼い恋人達ですらもっと深い関係になっているのではないだろうか、という紳士っぷりであり、肝心の真意のほうはちっとも見えてこない。

 この際愛人がいるのでも小国を属国にしたいという思惑でも見えてくれば対処の仕様もあるものの、これではまるで初々しい新婚さんではないか。

 カモフラージュに時間を割き過ぎている、なにか既に裏で話が進んでいるのだろうか、と思っていたら。


「ロラン陛下……!?」


 一緒に散歩している時に、ロランが倒れた。

 それはもう唐突の出来事であり、リリアーナは咄嗟に受け止めようとしたのだが長身の男性であるロランを非力な箱入り育ちのリリアーナが受け止めようなどと無理があった。

 諸共、庭園へと倒れ込んでしまう。


「陛下! 陛下、大丈夫ですか!? 誰か! 誰が来て!!」


 転んだ際にロランが頭をぶつけないように抱き抱えて一緒に転んだリリアーナは、彼に押しつぶされた姿勢のまま助けを呼ぶ。

 少し距離を取って付いてきていた、護衛と侍女が大急ぎで駆けつけてくれる。護衛の騎士に助け起こされたロランは真っ青な顔で気絶していた。


「陛下……」


 こちらは侍女に助け起こされたリリアーナは、ロランのことが心配で覗き込んだ。

 一緒に歩いている時は恥ずかしくてあまり顔を見ていなかったので、彼の顔色に気づけなかった迂闊な自分を呪う。

 ロランの真意を探ることは勿論必要なことだが、リリアーナは彼の妻だ。妻として、夫の体調を気遣っておくのは当然の務めだというのに。

 気を失ったロランはそのまま護衛の騎士によって寝室へと運び込まれ、すぐに医師の診察を受ける。

 リリアーナは部屋に戻っているように言われたし、王妃が部屋にいると世話をするメイドの手間が増えるので本来は自室に下がっておくべきなのだが、彼のことがどうしても心配で無理を言って同室させてもらった。


「王妃様お医者様の見立てでは、陛下がお倒れになったのは過労、とのことですのでゆっくりお休みになれば回復されますよ」


 そうロランの側近に言われて、リリアーナは眉を下げた。

 一国の王であるロランのことだ、そりゃあ大忙しだろうけれどそれでも過労で倒れる程過酷な労働状況なのだろうか。


「陛下がそんなにお忙しいなんて……私、ちっとも知りませんでした」

「……」

「……あの、無理は重々承知ですがもう少しお仕事を減らすことは出来ないのでしょうか」


 王の仕事に口を出すのは愚かなことだと、小国とはいえ一国の姫であるリリアーナにも勿論分かっている。それでも、過労で倒れるだなんて相当のことだ。ロラン本人がなにも言わないのならば、妻の立場から厚顔なフリをして言ってみる。

 するとリリアーナの言葉に、側近はハッキリを顔を顰めた。立場上王妃に向けていい顔ではない。

 驚いて空色の目を丸くすると、側近は少し迷った様子で視線を泳がせる。


「……なにか、私に言いたいことがあるのね」

「いえ、王妃様、その……」

「許可します、言ってちょうだい」


 恐らくなにか、不敬になることを言おうとしているのだろう。口籠る側近をリリアーナは促す。


「……一国の為政者として体調を崩すなんてもっての外、と陛下は普段は仕事のペースをきちんと調節しておられます」

「まぁ、では……」

「陛下が過労で倒れたのは、あなたの所為です、王妃様」

「!」


 リリアーナは驚いて目を丸くする。

 これは確かに伝えるのを躊躇う内容だろう。憎々しげにハッキリと非難されて、さすがのリリアーナもショックを受ける。


「昼間の時間のほとんどを、陛下は王妃様と過ごす為に使っておられます」

「……一緒にお食事したり、お散歩したりする時間のこと?」

「はい、元々陛下はお忙しい方ですが、やりくりすれば多少は王妃様とお会いする時間は捻出出来ます。ですが、最近の陛下は王妃様とあまりにも長時間をお過ごしになり、国王としての仕事は夜に行っておられました」


 確かに随分と時間に融通のきく王なのだな、と思ってはいた。

 しかし最初の夜にロランも共に過ごすことが出来ると言っていたし、リリアーナの方も真意を探る為に時間を割いて欲しいと頼んでいたこともあり、新婚の時期なので大目に見られているのだろうか、と考えていた。

 どうやらちっとも良くなかったらしい。


「……あの……夜に、陛下は私のところにおやすみのご挨拶にいらしてくれていたのですが……」

「はい、その後に執務室に戻って来られていました」

「あんな遅い時間から、働いてらしたの!?」


 こちらも最初の夜に起こった出来事だが、おやすみのキス、は二人の間で習慣化していた。

 晩餐の後に共に過ごし、おやすみの挨拶と頬へのキスを済ませてロランはリリアーナの部屋を去って行っていた。

 あれは結構遅い時間だったと思うのだが、その後に仕事をしていたなんてとんでもない。


「それもこれも、あなたと過ごす時間の為です。王妃様、我々側近一同は我が王はとんでもない悪女を娶られた、と思っております」

「えぇん……許可したとはいえ、かなり直裁に言うわね……いえ、でも確かにそれは悪い女に引っかかったとしか言い様がないわよね。その女は私だけど」


 勿論素直に吐露してくれた側近を罰するつもりは、リリアーナにはない。

 なにせ彼が言ってくれなければ、そしてロランが倒れなければ呑気なリリアーナは気づけなかったのだから。

 知らなかったとはいえ、夜中にロランに仕事をすることを強いてしまっていたのはリリアーナだし、彼に従って側近達にも迷惑を掛けていたのだ。


「出過ぎたことを申しました、ですが、我らの王は健康管理もきちんとなさっておられる賢君でございます。この機会に誤解のないように、どうしても王妃様に事実をお伝えしたく……」

「余計なことを言うな」


 側近はこうなれば全て言ってしまおうという腹づもりなのか話を続けると、背後から冷ややかな声が掛かった。ロランの声だ。

 ハッとして、部屋にいる者全ての視線がベッドへと向かう。


「陛下!」

「お目覚めですか!」


 医師やメイドそして側近が慌てて駆け寄ってゆき、いつの間にか目を覚ましていたロランの体を起こすのを手伝っている。リリアーナは労わる様に寄り添ってくれる侍女に支えられながら、その光景を見つめていた。

 王妃に罰を下される可能性もあるのに、側近はきちんと苦言を呈してくれた。これほど周囲の者に慕われている国王の真意が悪いものである筈がないのだろう。

 短い時間だが、それでも親しく共に過ごしていたリリアーナだというのに、そんなことにも気づけなかったのだ。情けないことで、視線が下がる。

 心配でここに居座ってたが、ロランをこんな状況に追い込んだのは自分なのだ。心配する権利なんて最初からなかった。

 とはいえここでシュンとしているだけでは、小国から嫁いだ一国の姫としてあまりにも不甲斐ない。反省し状況を改善してこそ、故国の皆に心配されつつも暴れん坊姫として名を馳せたリリアーナの本領発揮というものだ。


「姫……」


 側近達の体の間から、リリアーナが立っているのがロランに見えたようでこちらに手が伸ばされる。

 彼を心配する権利もその手を取る権利もないと承知してはいたが、リリアーナは咄嗟に進み出て、ロランの手をぎゅっと握ってしまっていた。


「陛下!」

「驚かせてしまってすまない」

「いいえ! ……いいえ、謝るのは私の方です!」


 リリアーナが強く首を振ると、ロランはベッドに半身を起こした姿勢のままじっとこちらを見上げてくる。

 彼が口を開こうとしたので、そっとその唇に指で触れて言葉を封じた。それから周囲を見渡す。

 側近は眉を寄せて申し訳なさそうな表情を浮かべていたが、彼も悪いと感じる必要はないのだ。


「……あなた達の自慢の王様を煩わせてしまってごめんなさいね。きちんとお話しするから、少し二人にしてくれる?」


 リリアーナがそう頼むと、医師がロランを再度診察する。安静にしていれば問題ない、というのは本当のようで、このまま今日はもう休むようにとだけ告げられた。

 メイドや侍女も外で待機しています、とぞろぞろと部屋を出て行ってくれて最後に側近が一礼して、扉を閉じた。

 言い訳をしないところが潔くて、彼のような誠実な人に恨まれているなんて悲しいな、とリリアーナは反省した。


「姫。今回は少し調節を誤っただけだ。本来俺はかなり頑丈で……」

「陛下。それでも夜に政務を行うなんて、非常事態でもないのにおかしなことですわ。私が、最初に共に過ごす時間を取って欲しいとお願いしたからですよね?」


 立ったまま話していては、視線が合わない。

 リリアーナは焦ったく感じてベッドにドスンと座り込んだ。これでロランの薄青い瞳とリリアーナの空色の瞳がかち合う。彼は眩しそうにこちらを見て、目を細めた。


「違う」

「陛下!」

「俺自身が望んだことだ。あなたと共に過ごす時間は心地よくて……なるべく側にいたかった」


 ロランの言葉に、リリアーナは目を丸くする。


「どうしてそんなことを? 私ったらそんな愉快な受け答えしてましたかしら」

「何故娯楽目的だと思うんだ……」

「美貌と元気なことだけが、私の美点ですもの」


 キッパリとリリアーナが言うと、ロランは無表情のまま視線を動かせた。恐らく彼もそう思っているのだろう、とリリアーナは頷いてみせる。


「私の我儘で陛下をはじめ側近の方々にご迷惑をおかけしてしまって、本当に申し訳ありません。軽はずみな言葉でご無理を強いてしまったこと、反省しておりますわ」

「姫……」


 ロランの大きな手のひらが、そろそろと繋いだままのリリアーナの手を撫でる。遠慮がちな触れ合いだが、おやすみのキス以外で初めての二人の接触だ。

 正直、愛想がないが誠実で優しいロランのことをリリアーナは好きになってしまっていた。

 彼と過ごす時間が楽しくて、なるべく彼の側にいたかったのはリリアーナの方だ。

 だが、それが相手を苦しめてしまっていただなんて、本当に申し訳ない。真意を探るつもりだったが、こんなに誠実で優しい彼の目論みが故国やリリアーナを害するものではないことは今となっては明らかだ。

 と、なればリリアーナに出来ることは一つ。わざわざ小国の姫を娶ってまでロランが叶えたかったことを支援すること、だ。

 槍でも鉄砲でもどんとこい! という心意気だった。


「陛下、こうなればもう腹をバッサリと割ってお話しいたしましょう」

「俺はなにか隠した覚えはないが」

「夜に政務をなさっていたことは確かに隠してはおられませんでしたが、教えてもくださっておりませんわ。そういう、お互いの認識をきちんと擦り合わせて事にあたるべきだと思いますの」

「こと」


 ペシン! と勢いよくベッドを叩いてリリアーナが言うと、ロランは僅かに首を傾ける。惚けるのがお上手だ。

 皆まで言わずとも、こちらには彼の願いを叶える心算がある、ということをみせる為リリアーナはベッドの上で彼ににじり寄った。すると近づいた分だけ、ロランは後ろに下がる。

 縮まらない距離は心の距離を表しているのだろうか?


「……陛下、これでは内緒話が出来ませんわ」

「何故内緒話をする必要がある」

「あなたの為ですわ、だって誰にも言ったことのない秘密を抱えておられますでしょう?」


 そう告げると、ロランの顔色がハッキリと変わる。今までで一番の顕著な反応に、リリアーナは大丈夫とばかりに頷いて見せた。


「ご心配なさらないで、私はあなたの妻であり、これでも故国では結構名の知れた存在です」


 小国では破天荒な暴れん坊で有名なのだがこれには勿論理由があり、リリアーナはしょっちゅう市井の厄介ごとに首を突っ込んでは華麗に解決してきたからこそのお転婆の噂である。


「港で不当に税を徴収していたゴロツキのアジトを壊滅に追いやった実績もございます。ご迷惑のお詫びに、いかな難題であろうとも粉骨砕身の体で尽力することをお約束いたしますわ!」


 リリアーナとしては強すぎる正義感とあり余る実行力の果ての結果であり、兄王は妹に危険がないのならばそれぐらいのお転婆はお目溢していたのだが、そりゃあ故国では嫁の貰い手もいなくなる筈である。


「それは……あなたの冒険譚は、なんであれ聞きたいものだ」

「ご要望でしたら、吟遊詩人もかくやの実力をご披露いたしましょう!」

「我が妻の美点は、美しいと元気だけではなく他にもたくさんあるようだな」


 ロランが苦笑を浮かべた。

 割と体を張って笑いを取りにいったつもりだったが、やはりロラン相手ではゴードンのように打てば響く様にツッコミがくるわけではない。しかしこれで場は和み、リリアーナの実力を伝えられただろう、と判断して本題へと切り込んだ。

 リリアーナは策士なので、話のもって行き方が巧みなのだ。


「ええ、そうですとも。ですからどうぞ一番大きなお舟に乗った気持ちで、私になんでも打ち明けてくださいませ」


 どん、と胸を叩いてリリアーナが宣言すると、ロランはまた首を傾げた。

 おかしい。ここまで自分の良さをアピールしたというのに、まだ彼は信用してくれていないのだろうか。リリアーナはロランのことをすっかり信用して愛してしまっているというのに、これはなかなかに情けない展開だ。

 めろめろに惚れさせるどころかこちらがめろめろになってしまっているのに、ロランの方はさっぱりということか。


「おかしい……地元では大体これで落ちたのに……」

「すまない。あなたの言っていることが時折俺には理解出来ないのだが……」

「いいえ、大丈夫です。中には察しの悪い方もおられましたが、私は百戦錬磨です」

「俺が悪い前提だな」


 うむ、とロランは生真面目に頷く。

 別にロランを責めたい訳ではないが、ここまで打ち明けやすいように助け舟を出しているのにまだ打ち明けないなんて、強情な男である。しかしそれでこそリリアーナの腕が鳴るというものだ。


「陛下、どうぞなんでも打ち明けてくださいませ。私を娶った理由に、まだ仰っていないことがおありでしょう?」

「! ……何故それを」

「ふふ、観念なさって。私はなんでもお見通しですわ、悪いようにはいたしませんから吐いてしまった方が楽になりましてよ」


 完全に悪役のセリフである。

 ロランはしばらく無表情のまま視線をあちこちに彷徨わせていたが、リリアーナがさあさあ! とばかりににじり寄ると、観念したようにあちらからも近づいてきた。

 ようやく話す気になったようだ、手間を取らされたが粘り強いリリアーナに不可能はない。

 あとは国王陛下の秘密を聞き出し、華麗に解決して迷惑の詫びをさせてもらい、その後はちょっと距離を取りつつビジネス夫婦として穏やかに恙無く過ごせばいい。我ながら惚れ惚れするほど完璧なプランだ。

 ニヤリとリリアーナが悪い笑顔を浮かべると、ロランはずい、と顔を近づけてきた。

 万事分かっている、とばかりにリリアーナも顔を近づける。内緒話の体勢だ。

 お任せください、あなたのお悩み解決しましょう!

 と。


 ちゅっ


 可愛らしいリップ音を立てて、唇にキスをされた。

 リリアーナは一瞬顔を赤らめたが、すぐに真面目な表情を取り繕う。この程度にいちいち騒いでいては一流とは言えない。何の一流かは知らないが。


「……なるほど、唇同士でキスをしないと解けない呪いに罹っておられる?」

「何故そういう解釈になるのだ」


 ロランが眉を顰めて、リリアーナは震え上がる。

 どうしてこの美形は、不機嫌だけはくっきりハッキリ表情に出すのだ。喜怒哀楽の喜哀楽も人生には重要な表情なのに。


「だって陛下、なにかお困りの事情があったので私のような美しさと元気さしか取り柄がなく旨味のない小国の姫を娶られたのでしょう? ご安心なさって、あなたの娶った姫はただ可愛いだけじゃありませんのよ」

「自己肯定感が高いところもあなたの美点だと思う」

「あら、調子が出て参りましたわね陛下。でも今は私の美点ではなく、あなたのお悩みの話ですわ」


 ぐっと拳を握ってリリアーナが熱弁すると、ロランは首を横に振った。


「俺は何も悩んでいない」

「そんな馬鹿な」

「そもそも、何故俺に悩みがあるという考えに?」

「だって、そうでもないと私を娶ったりなさらないでしょう? 私これは自慢ですけれど、こんなに美しいのにお転婆が過ぎて近隣の殿方からは相手にされない身でしてよ?」


 自分よりも美しい男を前にして美しさを誇るのはちょっと恥ずかしかったが、もうこれ以上二人の間で誤解を産むのはまっぴらごめんだ。

 リリアーナはここまで赤裸々に話ているのだから、ロランの方も心を開いて真意を打ち明けて欲しかった。


「うん……それは正直驚いたが、俺にとっては有難いことだった」

「ちょうどお誂え向きの美姫がフリーでしたものね、わかります」

「つまりあなたは何も分かっていない」

「そんな馬鹿な」


 リリアーナが繰り返すと、その両手をロランにしっかりと握られた。


「あなたは勘違いをしている」

「……ええと、つまり?」


 今度はこちらが首を傾げる番だ。

 そして、リリアーナは至近距離でこの世のものとは思えない程美しい顔面の夫に、くっきりハッキリと熱烈に口説かれた。


「俺は、美しさと元気さ以外にもたくさん美点のあるリリアーナ姫、あなたのことを心底愛しているからこそ、求婚したのだ。それ以外に、理由なんてない」

「ひぇ」

「愛している。これで俺とあなたは……夫婦になるのに十分に知り合うことが出来ただろうか?」

「えーと……」


 数多の問題をその剛腕で解決してきたリリアーナの本能が、告げている。これは頷いたら何かヤバいやつである。

 ロランの問いに視線を泳がせると、彼はとんでもないことを言ってきた。


「もうしばらく、昼間は四六時中共に過ごすべきだろうか」


 おのれ、卑怯にもこちらを脅す気か。

 最初は自分こそがロランを脅す気だったことを高い棚の上にあげて、リリアーナは内心で歯噛みする。しかしこの夫、いついかなる時も顔がいいので、うっかりすると許してしまいそうになる。

 心をしっかりと持って、リリアーナは毅然と宣言した。


「十分、しっかりバッチリがっちり分かり合えたと思います!!」

「よかった。では白い結婚はここまでだな。とても嬉しい」

「陛下、とてもやり手ですわね?」

「そうでもないが……ああ、でも百戦錬磨の姫の夫になるのだから、これぐらい出来なくではバランスが取れないな?」


 悔しがるリリアーナに、ロランはここ一番のそれはそれは美しい笑みを浮かべて、再びキスをした。



 さてさて。

 さて、少し前のことである。

 ロランは非公式で小国を訪問した際に、港で困っている人々を助けてゴロツキのアジトを壊滅させた美しい乙女に一目惚れをした。

 素性を調べさせると、その娘は近隣では知らぬ者のいない暴れん坊の美姫であり、嫁の貰い手がいないと兄王が嘆いていることまですぐに判明する。

 ロラン自身も結婚適齢期、身分も歳の頃もちょうど良いので何の問題もないし、おまけに港で見た溌剌とした勇ましい乙女にめろめろになっていた。

 すぐさまこれ幸いと小国に求婚の書状を送り、最大限の敬意と愛情を持って無事に花嫁を迎える。


 何よりも尊重し、誰よりも愛するつもりだったが、美姫のあまりの愛らしさにロランは恥ずかしくなり、ついついぎこちなく接してしまい自分の心を上手く伝えることが出来ない。

 しかし姫の方から、分かり合う為に共に過ごしたいと言われて有頂天になり、ちょっと張り切りすぎて倒れてしまったのだ。


「陛下……え、そんなに私にめろっめろなんですか!?」

「ああ。めろめろだ」

「わかりにくいです!」

「それはすまない。だがまさか、あなたを表向きの妻にする為に娶ったと思われていたとは……俺もわからなかった」

「めちゃくちゃ怪しかったんですもの……」

「求婚の書状に、あなたのことを愛していると書いたのだが……」

「……えっと……ダメですわ、クッキーが美味しかったことしか思い出せません」

「クッキーが好きなのか? たくさん用意させるからどうかずっと俺の側にいてくれ、愛しい姫」

「想像以上にめろめろでした……」


 これが小国のお転婆な美姫と、東の大国の王との、恋の話である。


 事の顛末を知った小国の兄王は、ヤレヤレとため息をついて、報告の書状を丁寧に畳んで仕舞った。









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[気になる点] 側近の伝え方が最悪。王は大事だが、王妃の実情は知ろうともしないし伝えたら伝えたで、鬱憤をはらすかのように悪妃呼ばわり。 小国出の女なんかと信頼関係築く気がさらさらないんやな。
[気になる点] お兄様はのろけ満載の書状にゲンナリしたでしょうね
[一言] リリアーナと兄上の序盤のやり取りの時点で面白さを確信しました
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