40.気持ちの向く方向を掴みきれない。
じゃあ、今はどうかといえば、
「……分からん」
「分からんって……また曖昧な回答だねぇ」
「事実だからな。仕方ない」
そう。事実なのだ。
俺は今、春菜に対してどう思っているのかは、自分でもよく分かっていないというのが現状だ。
もちろん、コハル先生は好きだ。敬愛していると言っていい。あれだけの作品を書ける人間を嫌う理由なんて一つもない。
だけど、それが春菜を好きになる要因になるかと言ったら微妙なところだ。最初の好感度がもっとフラットならば話は別だったかもしれない。コハル先生への好感度がそのままスライドして、好きになっていた可能性だってあるだろう。春菜だって、見た目だけでを取れば、俺の好みと合致する。こういう言い方をすると不機嫌になるだろうけど「黙ってれば美人」だと思っている。
が、いかんせん、スタートラインが低すぎるのだ。俺の如月春菜という女に対する印象は一言で言えば「最悪」だ。その女の書いた作品を実はずっと愛していたなんて事実が発覚しても、好感度はスライドしない。むしろ、その好感度の分、嫌悪感が増すだけだ。
そう、思っていた、
だが、
「実際に話してみて、案外悪いやつじゃないことは分かった。コハル先生としての能力は尊敬してる。だけど、じゃあ「好き」かって言われると、やっぱり違うんだよな。別に嫌いではないと思うんだが、好きかって言われると微妙なところだ」
不思議なものだ。
実際に会って、話してからも、いがみ合うことの方が多かったような気がするのに。そのひとつひとつの出来事を「楽しかった」と感じている俺がいるのもまた事実だ。これが「好きになる」ということなのだろうか。うーん……嫌だなぁ……
それを聞いた加奈子が、
「ふーむ……やっぱり似た者同士だねぇ……」
「そんなにか?」
「そんなに、だよ。私からしたらいいコンビに見えるんだけどなぁ……どうもお互い意地っ張りというか、ヘタレというか」
「今、間接的に俺のことヘタレ呼ばわりしなかった?」
「気のせいだよ」
気のせいではないと思うんだけど。まあ、いいか……別に否定してどうにかなるものでもないし。
加奈子が、
「でも、実はコハル先生だった……っていうのはプラスに働いてるみたいだね?」
「それは……どう、なんだろうな?」
「働いてると思うよ~。そうじゃなかったら、多分、陽山くん、春菜に見向きもしなかったと思うし」
「あー……」
確かに。もし春菜が、ただのオタクだったとしたら、仲良くなんてなれなかったのではないだろうか。いや、今でも仲良くしているとは言い難いんだけど。
それでも、一応デートらしきものをするまでになったのは、俺が春菜を、コハル先生として尊敬しているからだろう。その恩恵は大きい。そんなことで、とも思うけど、案外人間なんてそんなもんなのかもしれない。
加奈子が口元に手を当てて、意地悪い笑みを浮かべ、
「っていうことは……もしかして、私、脈ありだったりする?」
「は?」
唐突だった。
あまりに唐突過ぎて上手く反応できなかった。
加奈子が続ける。
「いや、ほらさ。コハル先生の技量があったから、春菜は陽山くんに気にかけてもらえるとしたらさ。私もそうなんじゃないかなぁって思っただけ。ほら、陽山くん。私の絵、好きだって言ってたでしょ?」
「あ」
合点が行く。
そうだ。俺は春乃日向こと、加賀加奈子の絵を好きなのだ。その力量は評価していると言っていい。そして、彼女に対する感情は春菜と違ってフラットから始まっている。そういう意味で言えば、加奈子は一番の、
「顔、赤いよ?」
「そ、そんなこと」
「うっそ―」
「なっ……」
加奈子はけらけらと笑い、
「冗談よ、冗談。そりゃ陽山くんのことは嫌いじゃないけど、別に手を出したりはしないって。だって、私はずっと、春菜のことを応援してるから」
「応援……って」
加奈子の表情が急に真剣みを帯び、
「だって……春菜はずっと……陽山くんのことが好きだったんだから、ね」
◇
「……………………」
俺はひとり、ベッドの上で、星空が見えるわけでもないのに上を見上げ続けている。
隣からは小さくて、規則正しい寝息が聞こえる。加奈子のものだ。
春菜はずっと、俺のことを好きだった。
加奈子が寝る前にぶつけてきた言葉を、俺はずっと飲み込み切れずにいる。
だって、なあ?あの春菜だぞ。そんな素振りなんて一度も見せてこなかったじゃないか。今回だって、ずっと悪態ばかりついていたし、デートでだって、しおらしい一面なんてほとんど見せてなかったじゃないか。
行きの電車でも、俺が声をかけなければ、ずっとスマートフォンを弄りつづけていただろうし、映画館でだって、どっちかといえば食い意地の方が張っていたと思うし、加奈子と一緒に喫茶店に入ったときは若干借りてきた猫のようなおとなしさはあったと思うけど、それだって長続きはしなかったじゃないか。
一緒に行ったのはアニメ専門店というありさまで、そこで春菜が選んだ行動は、買っていなかった本を買いあさるというデートとは程遠い行動で、最後の最後まで、その時の戦利品を大事そうに、
「…………お礼」
お礼だ、と、春菜は言っていた。
だけど、俺は春菜に対してなにもしていない。したことと言えば、映画館までたどり着くために先導したことと、結果的には実現しなかったものの、ポップコーンの選択権を譲ったことくらいだ。どちらもキスなんていう礼とは全くと言っていいくらい釣り合っていない。
分からない。
加奈子に言ったことは、紛れもない本心なんだ。情けないことなのかもしれないが、俺は、俺自身が春菜のことをどう思っているかをよく分かっていないんだ。
コハル先生のことは敬愛しているし、春菜のことだって、前ほどは嫌いではない……と思う。
下世話な話だが、見た目だって悪くないし、スタイルだっていい。そういう意味で、春菜は「優良物件」と言える、のかもしれない。度々の言い争いだって、終わってみれば「楽しかった思い出」になっている節がある。単純に思い出を美化しているだけかもしれないけれど。
考える。
考えて、どうにかなることなのだろうか。
答えなんて、あるんだろうか。
迷走を続ける思考回路は段々と眠気に支配されていく。論理が破綻し、一か所をぐるぐると回りだす。やがて、俺の意識はすっかりと夢の世界に落ち込んでいった。
次回更新は明日(2/7)の0時です。




