月光
ぐいぐいと自分を引っ張っていく捕縛符をギリと睨む。
自分の自由を奪うこの護符が、狐丸は憎くて仕方がない。
「離して……っ、離してってばっ!!」
力の限り、抗う。
けれど、どんなに引っ掻いても怒鳴っても、捕縛符はビクともしない。
仕舞いに狐丸は、ボロボロと泣き始めた。
「お願い。お願いだから、離してよぅ……」
くすんくすんと鼻を鳴らしながら、狐丸は後ろを振り返る。
もう、澄真の姿どころか、吉昌の屋敷も見えない。
さきほど見えたあのモヤは、おそらくは吉昌の式鬼、ミサキに違いなかった。
(こんなこと、してる場合じゃないのに……)
心の中は、不安でいっぱいだ。
あの後澄真がどうなったのか、考えるだけで恐ろしい……。狐丸はぶるぶると震える。
「どうして、どうして……?」
狐丸は動揺しながら呟いた。
吉昌が憎く思っているのは、妖怪である自分であって、澄真ではない。
もちろん、自分のことを護ろうとする澄真が邪魔だった……と言えば、そうかも知れないが、澄真は手傷を負っている。
いくら狐丸を護ろうとしたとしても、《攻撃の対象》にはなり得ないはずだった。
狐丸もそれを理解していたからこそ、心の奥底では、《澄真は大丈夫だ》と、安心しきっていたのもまた事実だ。
確かに、深手を負ってはしまったが、その時に攻撃されたのは狐丸。けして澄真を狙ったものではなかった。
澄真が、狐丸を庇ったから出来たものに過ぎない。
(けれどモヤは、確実に澄真を狙った……!)
狐丸は歯噛みする。
嫌な予感しかしない。
ガリガリと捕縛符を削った。
早く、澄真のところに戻らないと、後悔する! そう思った。
けれど威力が強い。
捕縛符を削るつもりが、逆に傷つけられ、右手の爪が禿げる。
「う……、」
自分の流す血液で、赤く染まる捕縛符を見ていると、涙が溢れる。
痛いからではなく、不安からだ。
不思議と痛みは感じない。
澄真の事が気掛かりで、自分のことなど構っていられない。
(僕……僕はちゃんと、……ちゃんと手加減したのに……っ、)
ギリッと唇を噛む。
プツリと音がして、唇が切れた。
口の中に、鉄の味が染み込んでくる。
「澄真……澄真ぇ……っ、」
ふつふつと怒りが込み上げて来る。
(あのモヤはなんだろう? 吉昌の式鬼……?)
狐丸は考える。
(瘴気が濃かった。本気で狙っていた)
グルル……と無意識に喉が鳴る……!
(僕は、あれでも手加減してたのに……澄真は同じ陰陽師なのに、それなのに……それなのに……っ、)
ブツリ……と頭の中で、なにかが切れた。
ぎらり……と瞳が細くなる。
金の双眸が暗闇で光った──!
ごおぉぉおぉ……。
狐丸の膨大な妖力が吹き出す!
『ぐあぁぁあぁ……!!』
唸り声をあげ、狐丸は実態を現す。
『許さない。許さない……!』
どす黒い狐火が、その体を取り巻いた。
そのままギロッと捕縛符を睨むと、捕縛符に込められた澄真の呪詛が浮き上がる。
けれど、捕縛符自体が消えたわけではない。
以前巻かれた捕縛符に、さきほど追加で重ねられた呪詛が、剥がれただけだ。
狐丸は上体を低くして、体制を整える。
剥がれた呪詛は、呪詛返しとして、澄真に返る!
狐丸は目を細めた。
『ぐるるるるる……』
狐丸は唸る!
タッと空を踏み鳴らし、返っていく呪詛を追った。
返る呪詛のスピードは、速い!
シュンッ、シュンシュンッ──!
けれど、狐丸も負けてはいない。
一蹴りで、呪詛に追いつく!
ぐるっと先廻りして方向転換すると、狐丸はぐぱっと口を開けた。
呪詛を呑み込むつもりだ!
シュン──。
狐丸が道を塞いだ為に、呪詛は軌道を修正する!
しかしそれよりも速く、狐丸が食らいついた。
──がぷ。
必死に逃げようとする呪詛。
けれど逃す狐丸ではない。
ゴクリ……。
ゆっくりと嚥下した。
『……。げふっ』
ペロリ……と口を舐める。
呪詛は、けして弱いものではなかった。
澄真に返れば、もしかしたら命を奪ったかもしれないが、それは、相手が《人》であった場合だ。
少なくとも、狐丸は《人》ではない。
人ではない狐丸にとって、いったん解除してしまった呪詛など、《獲物》でしかない。
光る金の双眸を、ふっと細める。
思いのほか、美味しかった──。
『……まだ、食べたい』
思わず、そんな呟きが漏れる。
食べたくて食べたくて、仕方がない。
けれど、
──食べられない。
『……』
食べれば、澄真はいなくなる。
食べたら満足するかも知れない。
けれど、
食べても満足しないかも知れない──。
『……』
きっと自分の場合は、後者だと思う。
ペロリ……と前足を舐めた。
澄真を食べてはダメだ。
そう強く戒める。
澄真の妖力のその一端までも、信じられないくらい美味しかった。我慢なんて出来ない。
《だけど、食べちゃダメ……》
以前食べた妖怪、宗源火と比べれば、雲泥の差がある。
《妖力まで、美味しいとか……》
思わずヨダレが垂れる。慌ててペロリと舌を出した。
《きっと、澄真……は、全部美味しい……》
『……。』
ふと気づいて、狐丸は、左手に巻かれた捕縛符を舐めてみる。味がするかなと思った。
《……味、しない》
けれど、匂いがする。
微かな、澄真の匂い。
……と、自分の血の匂い。
《美味しそうな……匂い》
すりすりと鼻面を寄せた。
『ぐるる……』
喉が自然に鳴った。
匂いを嗅いでいると、気分が良くなる。
ボーッとなっている自分に気がついて、狐丸はハッとする。
『……どうかしてる』
正気に戻ると、何故だか顔が熱くなった。
『僕……おかしい……』
体中がムズムズする。
《なんだろ……この気持ち……》
別れ際の、澄真を思い出した。
手負いの澄真を取り込む、あのモヤ。あれを思い出すと、無性に胸がムカムカしてきた。
ムッと眉間にシワを寄せる。
《……。澄真は、僕のなのに……っ。アイツには、吉昌がいるじゃないか……っ、》
『ぐるるるるる……』
威嚇音が、喉をついて出る。
不快感がジワジワと押し寄せて来た。
こうしてはいられない。
《早く、戻らないと……》
狐丸はありったけの力で、走った。
早く、澄真に会いたかった。
その一心で、狐丸は空を駆った。
だから気づかなかった。
その速さは、異常と思えるほどの速さだったという事に……。
┈┈••✤••┈┈┈┈••✤✤••┈┈┈┈••✤••┈┈
「!」
ひゅっ……と、喉が鳴る。
術を返された衝撃が伝わった。
(な……に?)
ハッと目を見張る。
澄真は今、自分の身を護る為に、結界を展開している。ミサキの攻撃を避けるためだ。
けれどミサキの力は強い。
ジワジワと侵食されていく結界に、正直、青くなっていたところだった。
(こんな時に……っ)
澄真は歯噛みする。
狐丸に掛けた捕縛符の呪詛は、今展開している結界よりも強力だった。
何としても狐丸を、確実に安全な場所へと逃がしたかった。
(まさか、返されるとは……っ)
術が返ってくれば、おそらく自分では耐えられない。
ただでさえこの出血。
本来ならば、既に倒れていてもおかしくはない。けれど澄真は、それをどうにかして、気の流れで阻止している。
今は持ちこたえているが、もう限界だった。
「……いい加減、降参してはどうだ」
吉昌の穏やかな声が響く。
縋りつきたくなるような、優しい声だ。
「……っ、」
澄真は苦しげに顔を歪める。
けれど──。
「それ、……は、出来ませ、ん……」
そう唸る。
もしもここで負けを認めれば、吉昌はきっと狐丸を差し出せと言うのに違いない。
それだけは、何としても避けたかった。
「う……っ、」
ボタボタ……と血が流れる。
既にもう、血液のあたたかさも感じない。
(……寒、い……)
目の前が霞んでくる。
(でも……降参は、ない……)
ふらっ……と体が揺れた。
(……限界だ、……もう)
目の前が霞む。
必死に展開していた結界が、急速に弱まり、消えていくのを感じた。
白い靄が侵入し始める。
澄真は憎々しげに、それを睨む。
けれどもう、抗う力はない。
震えるように、息を吐く。
(これではなく……狐丸に……)
殺されたい──。
シュン。
「……っ」
目の端で何かが煌めいた。
けれど確認は出来ない。
そんな力は、残っていない。
(狐、丸……)
澄真は小さく呟き、そのまま倒れた。
その上に、淡く光る月の光が降り注いだ。
× × × つづく× × ×




