吉昌の《護り刀》
──ぼくを見て……!
幼い吉昌は、父や兄に、もっと自分のことを見て欲しくて、遊んで欲しくて、……けれどその言葉を伝えることは、叶わなかった。
言えば父と兄の興味の的となった妖怪どもに、負けたことになる……。そう思っていた。
父も母も……それから兄も、もちろん吉昌も、見えざるモノが《視える者》だった。
母親は、視る事を恐れていて、本当は父の事を嫌っていた。父は《異形のモノ》が好きだったから。
父は父で、そんな母の事を、幼い頃から愛していて、やっと手に入れた母が恐れるといけないからと、自分の式鬼を近くの橋の下に隠していた。母には《もう契約を解除したから》と嘘をついて。
けれど幼い吉昌ですら、そのことを知っていた。そんな下手な嘘が、大人である母に気づかけないわけがない。
あの頃の母は、いつも顔をしかめていた。
《契約は解除した》と言いつつ、橋の下に物の怪を隠していた父。
そんな父がいくら《好きだ》と母に囁いたところで、なんの信憑性もない。きっと母は、そんな父のことが信じられなかったのに違いない。
けれど、それでも母は、父の傍にいた。
そうしなければ、生きていけない世の中だった。
母には、身寄りがなかった。
どこぞの屋敷の姫でもなかった。
ただ、その容姿はすこぶる美人で、宮中では『解語の花』──人の言葉を理解する花──と、噂に登るほどだった。けれど、母は貴族ではない。しがない薬草売りの、乞食同然の身分だったと言う。
それを見つけたのが父だ。
父は『一目惚れだったよ』と言って、笑ってそのことをよく話してくれた。
やせ細って、ボロを纏った母は、幼くとも、とても美しかったと言って、照れくさそうにしていた。けれどその話をする事すら、母は嫌った。
それもそうだ。
惨めな時代の話をされて、喜ぶ者などいない。それがまた、母の機嫌を損ねていた……というその事実に、人のいい父は気づかなかった。
母は、見た目だけでなく、『心も美しかった』と、父は言う。
小さな力なき妖怪が、祓われそうになっていたのを、身を呈して救っていたのだと言っていた。けれど母は、覚えていないという。
すれ違いが、甚だしくて吉昌……いや、吉昌と兄は、何を信じれば良いのか、分からなくなって、ただ笑って黙っていることしか出来ない。
嬉しそうな父と、冷めていく母。
子ども心に、見ていて恐ろしかった。
ただ、確かな事は、吉昌の記憶の中の母は、心の底から異形のモノたちを、《憎んでいた》ということ……。
そんな母が、異形のモノを……例え力がないモノであったとしても、助けるだろうか……? 父は誰かと母を間違えているんじゃないだろうかと、ひどく恐ろしかった。
けれど父の言うそれが事実だとして、……そして母がどんな美女であったとしても、その生まれが卑しければ、ここではろくな生活は出来はしない。身分が全ての、この世の中だ。
身寄りもなく、貴族でもない。
そんな母が、この平安の時代に、女ひとりで生きていけるはずもない。この世の中では、母はそんな矛盾に耐えて父の傍にいるしか出来なかった。
すれ違ったままの心を抱いて、好きでもない男の傍にいて、母は何を思っただろう?
母はずっと耐えていた。
自分一人では、生きていけないことを痛いほどに知り尽くしていた母は、たとえ自分の嫌いな妖怪を、いつもまとわりつかせている父であっても、……その事を気味悪がって、憎んでいたくせに、父の身分と自分の惨めな暮らしを天秤に掛け、自ら父と結ばれた。
顔をしかめ、怖いと泣きながら、それでも兄と吉昌を産み育ててくれた。
……吉昌は、不幸ではなかった。
母は、吉昌を愛してくれていたから。
吉昌を見る時は、ホッとしたように、花のように微笑んでくれた。本当に、噂通り、《話すことの出来る華》……それが吉昌の母だった。
けれど吉昌は、今になって思う。母もやっぱり、父の事が好きだったのではないだろうか……と。
この屋敷を出ることもなく、ずっと父の傍にいた母。
もちろん、父の地位を利用したことも事実だとは思う。けれどそれだけの理由で、嫁げるほど、甘い家ではない。
陰陽師として名を馳せた父の屋敷……物の怪が出ないわけがない。
なんの苦労もなく生きていくことが保証されるのと引き換えに、恐ろしい屋敷に一生住むことになるなど、母にとっては、苦痛であったはずなのだから。だから、母は、それなりに父のことを好きだったのだと、勝手に思っている。
吉昌は幼い頃に、小さな妖怪を初めて捕まえて、得意気になって母に見せたことがあった。母は酷く、怯えた。
母のその部屋には、おびただしい程の魔除の護符が貼られていたけれど、吉昌の手にくるめば、妖怪も中に入れた。可愛いく小さな、ふわふわとした、綺麗な妖怪だった。喜ぶだろうと思ったソレに、母は怯えた。
吉昌は、そこで悟る。
母は本当に、妖怪が恐ろしいのだと。
だから、護符の張り巡らされたこの部屋から、出て来ないのだと。
吉昌は母のこの、護符の張り巡らされた部屋が怖かった。だから、母にも部屋から出て来て欲しいと思っていた。
可愛いもの、美しいものを見せれば安心するに違いないと、思っていた。でも違う──。
母の怯えようは異常だった。
父が、……父が追い詰めたのだろうか?
ここまでなるのには、わけがあると思った。
陰陽師である父を、吉昌は真っ先に疑ったが、心の底から父を憎むことは出来なかった。
こっそり屋敷の離れで、式鬼を召喚する父。
それを見て喜ぶ兄。
二人の《秘密のイタズラ》が、吉昌には羨ましくて仕方なかったが、大好きな母を困らせる父と……そして式鬼や妖怪……異形のモノを、吉昌が好んで触れるわけにはいかなかった。
──《吉昌》が一番好きだったのは、母だったから……。
吉昌は顔をあげる。
(母は私を可愛がってくれた……)
少年のような父と、イタズラばかりする兄に手を焼いたその反動で、吉昌はひどく可愛がられた。
──ほんに、良い子……。
母……梨花は、そう言って吉昌を撫でた。
──アレのようになってはならぬ……。
《アレ》と吉昌の母は、夫をそう呼んだ。
《父のようになるな》……それは呪縛のように、今も尚、吉昌を捉え離さない。
「……はぁ」
吉昌は小さく溜め息をつく。
母の期待に添えようと、ずっと頑張ってきた。
本当は、父と兄の仲間に入りたい。けれど、母も大好きで……そんな板挟みの中、どうすることも出来ず、ただただ頑張ってきた吉昌は、いつしか全ての元凶である妖怪を憎んだ。
──妖怪がいるから、家族がバラバラなのだ……!
だったら、消せばいいだけの事。
吉昌は、陰陽道を本気で学び始める。梨花は、そんな吉昌を悲しそうに見た。
当然、筋は良かった。父も母も《視る者》だったのが功を奏した。簡単な鬼を祓えるようになった時、吉昌は、母に見せよう! と意気込んだ。
自分が鬼を祓えれば、母の部屋の護符を剥がしてやれる……そう思った。
けれど──。
「……」
吉昌の母は、ある日突然、亡くなってしまった……。
サラサラと桜の花が舞い散る、美しい季節だった。
あんなに母の事を愛していて、縛りつけていたたはずの父は、最後まで涙ひとつ流さなかった。
何故亡くなったのか分からない。父は理由を言わなかった。
(あれからずっと、縛られている……)
吉昌は思う。
本当なら、ここまで妖怪を毛嫌いしたりなどしない。妖怪にも、益となるモノとそうでないモノがいる。
役に立つのならば、大いにその力を利用すべきだとも思う。その最たるものが《式鬼》だと言うことも、吉昌はちゃんと理解している。
(けれど嫌悪感が拭えない)
「……」
幼い日の、あの嫌な思い出。
異様と思えるほどの、母の拒絶。
何故、あれほどまでに嫌ったのか……。
(今更、生き方を変える事など出来ぬ……)
吉昌は眉をしかめる。
吉昌には、どうすることも出来ない。
軽く頭を振った。
(今は、妖怪を滅することに最善を尽すのみ……!)
その想いだけで、今日まで生きてきた。今更、考えを変える事など出来ない。出来るわけがない!
生暖かい風が吹く。
妖気を孕んだ、嫌な風。
「……」
吉昌は、決意を新たに足を踏み出した。
✻✻✻
少し時間を遡り、玉兎と姮娥が屋敷を脱出しようする少し前、吉昌はある策を練った。
吉昌の策……。
それは以前から造りあげていたある物を利用する。
まず、《地の護り》の存在を知った吉昌は、その仕組みを考えた。
(自分自身を《護ろう》とするその想いが、術の効果を上げる、か。ならば……)
顎を撫でつつ考える。
吉昌の狙いは、最大限に《護り》を利用する事だ。そもそも陰陽師の使う《護符》は、読んで字の如し、《護り》を主とする。護符を利用すれば、その効果は増大するのではないだろうか?
(だったら、その全てが効力を発揮する)
確かに護符は、身を護るだけのものではない。攻撃にも長けた術も当然ある。しかし、その全てが《護り》に関係する物ばかりだ。
(攻撃は、最大の《護り》……。しかし……)
吉昌は考える。
《地の護り》が発動されている今なら、護符を活かし、妖怪どもを討ち果たす好機でもある。
……けれど元は太古の護り何が副作用として起こるかは分からない。
(……さて、どうするか……)
吉昌は唸る。敵は、妖怪全般。けして少ない数ではない。しかも《太古の護り》を利用するとなると、早々に決着をつけなくてはならない。
玉兎、姮娥、鉄鼠……それから狐丸。その全てが吉昌の標的だ。
「……」
報告からすると、ネズミの妖怪鉄鼠が見当たらず、計画にはなかったタヌキの妖怪が新たに加わったと聞く。
吉昌は考え込みながら、隊長格の者を呼んだ。
「お呼びでございますか? 吉昌さま……」
すぐに隊長格の強者たちが来た。
隊長は全部で四人。
四人は思い思いに膝を折る。
屋敷の護りだけで、隊長が四人もいるわけではない。私兵として、吉昌が集めた者たちが、この屋敷には存在する。
吉昌は常々思っている。
(何も《敵》は、妖怪ばかりではない……)
《人》もまた、敵となり得る。
裕福とは言えない平民も、多く存在する京の都。
生きるために、強奪の為に屋敷に忍び込む者も少なくない。そんな輩を駆除するのが、本来の目的ではあったが、平民だけでなく、貴族たちも油断ならない。
虎視眈々と吉昌の地位を狙う者もいる。
屋敷が大きくなればなるほど……地位が高くなればなるほど、色んな分野で活躍出来る使用人を雇い入れる必要性が出てくる。
吉昌の場合は、陰陽の力を多少なりとも有し、武に通じる者……そんな者たちを集めた。
陰陽師と言う生業の為に、政敵をつくる事もしばしばあった吉昌は、それなりの準備……と言うものをしていたのだ。
「お前たちが今からすべき事を伝える……」
そう言って吉昌は、その懐から護符に包まれた一振の剣を出した。
「「「「!」」」」
隊長たちは目を見張る。
なんの装飾もない、ただの剣。
しかし、異様な気を放っている。
「こ、これは……《護り刀》……ですか?」
恐る恐る一人が尋ねた。
吉昌は、頷く。
「そうだ。母より譲り受けし護り刀だ」
「「「「……」」」」
四人は黙る。
吉昌は、《護り刀》だと言うが、それはあまりにも禍々しく、そのようには見えなかった。
ごくり……と唾を飲む音が響く。
「し、しかし……」
言葉はそこで途切れる。
──ごおぉぉおぉぉ……!!!
凄まじい音と共に、火柱が上がる……!
「!」
誰もが身を強ばらせる。
吉昌は、慌てたように説明を始めた。




