吉昌の屋敷の護り
屋敷の門をくぐった澄真と狐丸は途方にくれた。
「あー。……澄真? なんか思ってたよりも、凄いことになってる気がするんだけど、気のせいかな……?」
狐丸は、へへへと笑う。
先程澄真に《大丈夫だよ》と言った手前、狐丸はバツが悪い。吉昌の屋敷は、ひとたび踏み入れれば、そこは阿鼻叫喚の世界だった。
瘴気渦巻くおどおどろしい気配と、時折聞こえる人の悲鳴。
それから化け物のものと思える、低く響き渡る唸り声……そして──。
「……ねえ、澄真」
狐丸は呟く。
「さっき門のところで感じた悪霊の気配って、アレが出してるんだよね?」
言って敷地の中央を指さす。
遠目ではあったが、悪霊の本体がすこぶるデカい。暗闇の中、ソレだけが異様に浮かび上がった。
「……っ、」
澄真は息を呑む。
あれ程の悪霊は見たことがなかった。
逆に狐丸は余裕だ。
むしろ喜んだ。
「すごい! すごいね、澄真! アレって《餓者髑髏》って言うんだよね? 僕、初めて見ちゃった……!」
目を細め、可愛らしい白い耳をパタパタと、はためかせる。
澄真は眉を寄せる。
狐丸が喜んでくれるのは嬉しくはあるが、状況が状況。陰陽師として、餓者髑髏を祓った上で、狐丸を護らなくてはいけない。
(私に、出来るのか……?)
そもそも餓者髑髏は、そう簡単に出てくるものではない。
戦が激しい土地柄ならまだしも、ここは都。普段目にするのは、一個体に過ぎないが、餓者髑髏はその集合体。
何百もの悪霊が恨みと妬みを抱え、結合した結果である。そう簡単に、消えゆく存在ではない。
「澄真? ……どうしたの?」
深刻に状況を判断している澄真の顔を、狐丸は不安気に覗き込む。
澄真はハッとして、狐丸を見た。
やはり、ここに置いておくわけにはいかない。
「狐丸……やはり──」
「あ! 見てみて! 澄真! 僕、言ってたでしょ? この屋敷の《護り》」
狐丸は澄真の言葉を最後まで聞かず、その袖を引っ張った。
引っ張られて、澄真は転けそうになる。
「狐丸……っ!」
非難じみた声を上げたが、澄真はすぐにそれを呑み込んだ。
狐丸の進むその先に、異様な気配を発する何かがある。澄真は咄嗟に気を張り巡らせた。
しかし狐丸の方は、何一つ警戒する様子などみせず、澄真に向かって、にっこりと笑って見せる。
「ほら。ねえ、これ。……多分、誰も気づかなかった、この屋敷の《護り》だよ……」
そう言って、狐丸はひとつの《石》を拾い上げる。
その石は、何の変哲もない、ただの石で……けれど狐丸に掬い上げられると、月のように淡く優しい黄色に輝いた。
──ふふ。あぁ、……見つかってしまいました。
「!?」
石が喋り、澄真は目を見開く。
「うん。見つけたよ。……だって、君と似たようなやつに、僕は多分、会った事があるんだ……。だから、すぐに分かったよ!」
狐丸は無邪気に、石へそっと呟いた。
「似たようなやつ……?」
言われて澄真も、石に意識を集中させる。
狐丸が知っているのなら、自分にも分かるかも知れない。そう思った。
けれど石は、柔らかなあたたかい光を放ち、前にどこかで出会った……と言うよりも、一般的な母親のような、懐かしい優しさが溢れていているだけで、狐丸の言うような《似たようなやつ》に、当てはまる者が、澄真には思い浮かばなかった。
敢えて言えば、それはありふれた《母性》。
生まれたものなら、少なからずとも受けたであろう、母親のぬくもりのように、澄真には思えた。
「……」
澄真の母は、少し不安定なところがあった。このような真っ直ぐで、迷いのない母性に触れたのは正直初めてで、澄真は少し怯む。ズキンと心が傷んだ。
(……《似たようなやつ》? 狐丸の母か?)
そう思ったが、以前聞いた話の中に、狐丸の母らしきものはいなかった。
(むしろ、妖怪に《母》はいるのか?)
澄真は眉を寄せる。そんな話は聞いたことがない。……というより、興味がない。
けれど、狐丸は《似てる》というのだ。
実際似ているモノがいるはずだ……と、澄真は改めて記憶を遡る。
「……」
……いないわけではない。
しかし、ソレに母性はない。
《護ろう》とする、その質と、妖力の異様な強さが似ていた。
それは以前、蒼人の屋敷で澄真が召喚した風神──。
《希風》
澄真は眉をしかめる。
狐丸は《似たようなやつ》に《会った》と言った。しかし、あの時の狐丸に意識はあっただろうか?
(……いや、夢うつつに会話をしたか……)
あの時狐丸は、傷つき倒れていたから、《出会えた》とは言い難い。
そもそも狐丸は、瞼すら持ち上げられなかった。
《出会った》と言うよりは、気配を感じた……くらいだろう。姿を見る体力など、あの時の狐丸にはなかった。
呟くように、少しの言葉を交わしていただけだ。
(あれは確か……私が意図せず召喚した、《風神》……)
「……」
召喚した澄真ですら、希風が出てきた時には驚いた。
自分の力、不相応の召喚──。
明らかに、召喚出来るはずもないモノだった。
(狐丸は朦朧とする意識の中で、その《風神》を視ていたというのか……?)
そう思ったが、澄真は頭を振る。
(いや、あの時狐丸は、完全に意識を失っていた。きっと狐丸が言う《似たようなやつ》とは、もっと違う、別の何かのことなのかもしれない……)
狐丸と行動を共にしつつある澄真だが、その交友関係を全て知っているわけではない。そのことに、澄真は、少し寂しく思った。
(どこか懐かしくて、少し……悲しい……)
あの時の風神は、確か狐丸を《熾砢房》と言った。
(熾砢房……。私の知らない狐丸……)
その事実が、狐丸との距離を更に長くする。
「……っ、」
澄真にとって、触れたくない記憶だった。
狐丸を奪われそうな、そんな不安に駆られた。
天女のように美しく、けれど鬼のように畏怖すべき存在。
その頭からは、角が生えていたのを覚えている。
《鬼》でも《神》でもない。
明らかに、妖怪ではなく、ましてや霊の類でもない、不思議な存在。
近づく事すらはばかれるほどの、濃い妖気……。
それは、目の前の石も同等であった。
(……確かに、似ているかも知れない)
澄真は苦しげに顔を歪めた。
──私に似たモノ……?
石は尋ねる。
鈴の鳴るような、優しい声色だ。
「うーん。……確か《希風》って言ったかな……?」
狐丸は、顎に指を当てつつ、呟いた。
「……っ!」
その言葉に、澄真の肩が跳ねる。
(やはり、《アレ》のことか……?)
「狐丸……!」
澄真は不安にかられ、石を持つ狐丸の手を叩いた。
「あ!」
石はコロコロと狐丸の手から離れ、光り出す。
「!」
澄真は、慌てて狐丸を自分の背に庇った。
──まぁ、ひどいですわ。取り落とす……など……。
しくしく……と泣き声を上げ、その石は人形を取った。
「!」
澄真はいよいよ青くなる。
あの時見た風神と同じ、女の鬼──。
けれどただの鬼ではない。
あの時澄真が見た希風とは違い、やけに豊満な体つきをしたその鬼女は、少し垂れ下がった妖艶な視線を澄真へと向けた。
緩やかなその仕草は、色白の艶やかな肌と、濃い紫色の魅惑的な瞳と相まって、なんとも色っぽい。
耐性のない男であれば、すぐに堕ちてしまいそうだ。
鬼女はふくよかな唇を少し開き、誘うようにくすり……と笑うと、シナをつけ澄真に首を傾げて、魅せる──。
「!」
その視線を察知し、狐丸がムッとする。
「なに? お前! 澄真に手を出したら許さないからな……!」
狐丸が澄真の前に立って、両手を広げた。
「……」
けれどすぐに首根っこを摘み上げられた。澄真が狐丸を掴みあげたのである。そうしてすぐに、自分の背に狐丸を隠した。
生憎と澄真は陰陽師である。
そもそも《魅了》など、通用しない。その上の《蠱惑》ですら耐性がある。
「あっ、ちょ澄真! なんで前に出るの! 澄真がやられたら、どうするのっ!!」
そんな事とは知らない狐丸は、そう言って騒ぎ立てたが、澄真は無視して鬼女を睨んだ。
「お前は誰だ? お前も狐丸を《熾砢房》と呼ぶのか……?」
ギリと睨みながら、澄真が唸った。
「……《熾砢房》……?」
狐丸は呟く。
どこかで聞いた、懐かしい名前だった。
(どこで……だったっけ……?)
必死になって考えたが、考えても分からない。
けれど考えていると、何故だか急に恐ろしくなって、狐丸は澄真の衣を掴んだ。
「澄真。怖い。……なんでか分からないけど、怖い……」
「狐丸……?」
気づいて澄真は、狐丸の頭を優しく撫でる。
「大丈夫だから、じっとしてて……?」
そう呟いた。
真っ青になった狐丸は、ふるふると震えなたる。
小さな白いふわふわの耳を、頭にペタンと張り付けた。
「澄真。僕、……僕を離さないで……」
泣きそうになって縋りつく狐丸が、澄真には可愛くて仕方がない。
──ふふ。良いものを見つけました。コレは使えますわ……。
澄真は、急に何かに怯え始めた狐丸を、どうにかなだめようと、優しくその頭を撫でる。
だから、気が付かなかった。
鬼女──名を《千埜》といった──が、何かを企みつつ、その紫紺の瞳を緩やかに細めたのを……。




